あるタヌキの肖像(1)
「はぁ……平和ねぇ」
今日は珍しい丸一日何の予定もない日だった。
いわゆる『忙中閑あり』というやつだ。
なんだかんだグアノの採掘事業は軌道に乗りそうで良かった。
モルガナの来訪といきなり懐かれるようになったことには正直面喰らったが、やはり王女様が公然と後押ししてくれるのは大きい。
スターファから続々やってくる人員たちも素直にこちらの方針に従ってくれるので、何もかも順調に進行中である。
ドム=ペドロ参事官だけは面白くなさそうだが、何せ王女がこちらの味方なので正面切って抵抗もできない。
いやあ、愉快愉快。
なので。
ここしばらく書類仕事に追われていた私のスケジュールも余裕ができてきたことだし、思い切って丸一日予定を入れないオフの日を作ったというわけだ。
グアノの採掘と輸出が本格化すればまた忙しくなるだろうが、なおのこと今のうちにリラックスして心と体を整えておかなければ。
「たまにはこういう時間がないとね」
軽く開けた窓から入り込んでくるさわやかな秋の風を楽しみながら、部屋のソファに陣取って読みかけの本を手に取る。
今日は静かで、優雅で、知的な一日が過ごせそうだ。
と思っていると。
《ムニャムニャ……。もう食べられないよぉ……》
ベッドサイドから優雅さや知性からはかけ離れた寝言が聞こえてきた。
我が家の生きているモップことタヌタヌだ。
もうとっくに太陽は一日の最高点近くに達しているというのに、今頃お目覚めらしい。
《フガフガ……なんだ夢か。ふぁぁ……!》
例の洗濯バスケットのベッドからのそのそ這い出すと、歯ぐきを剥き出しにしてあくびをひとつ。
喉が渇いたのか専用の飲み水皿に張られた水を、舌を使ってピチャピチャと飲み出した。
これで『実はその正体は無駄に博識な大人の男だ』と言われて信じる者は誰もいないだろう。
私だって見ていて信じられなくなる思いだ。
「おそよう、寝ぼすけタヌキちゃん」
《おはよう。首輪!》
「はいはい」
皮肉交じりの挨拶にも気付かず、ぼてぼてと体を揺らしながら近づいてきたタヌタヌが首を伸ばす。
読書を中断してクローゼットを開けると、中から金色のメダル付きの首輪を取り出した。
《クセがつかないように吊るしといてくれたか?》
「ちゃんとしてるわよ」
《たまにはワックスかけといてくれよ。なんたって超高級品だからな》
「自分のことは自分でやれば?」
性格はだらしないくせに妙なところで細かいタヌキの首をぎゅっとベルトで締めつける。
ぷるぷると首を振って付け心地を確かめたタヌタヌは、姿見鏡の前へすっ飛んでいった。
《毛並みよし……歯ぐきの色艶よし……全てヨシ!》
得意げに自分の外見をチェックし始めた。
《今朝はまずは……この角度から!》
鏡の中のタヌキが、すっと床に腰をついて背筋を伸ばし、遠くへ視線をやる。
格好をつけてポーズを取っているつもりらしい。
《続いて見返りバージョン!》
丸い体を半周させて、狭い肩越しに振り返って流し目を送る。
《時には愛くるしさも披露して!》
床に転がって手足を丸めて腹を見せると、舌で自分の鼻の近くをペロペロなめだした。
愛想を振りまいているつもりらしい。
じゅうたんに毛玉が落ちるからやめて欲しいのだが。
「アンタって結構ナルシストよね?」
昼間から鏡の前でひとりファッションショーとは色々すごい。
まともな人間だったら恥ずかしくてとてもできはしない。
タヌキの外見ならではの大胆さだ。
《はぁ……。控えめに言って、俺って美しいよなぁ》
私の皮肉を無視してため息をついたタヌタヌは、うっとりとしながら鏡の中の自分と熱っぽい視線を交わした。
《色々惜しいなあ》
「何が?」
《こんな電子機器もインターネットもない時代にいることがさ。この姿がSNSで流れれば、即座にバズること間違いないのに》
自分の言っていることを完全に信じているようで、本当に残念そうに肩を落としだした。
《この毛並みはイン●タ映えするし、愛らしい動きは視聴者が動画に釘付けだろうし、あっという間に注目ワード入りだよ》
「何って? 【メタボすぎるタヌキ発見!】とか?」
《あぁ、もっと多くの人に見せたい気になってきた。この美を独り占めするのは社会の損失だ!》
タヌキがままならない世の中を嘆き始めた。
その丸い背中が波打つのを見て、私は前から薄々感じていたことを口に出した。
「そういえばアンタ、やせないわね?」
マダマさまが世話を始めてからは前よりずっと健康そうな生活をしている。
そろそろダイエットの成果が出てきて、スリムになっても良さそうなものなのだが?
「ちゃんと食事は管理してるし、毎日散歩して運動もしてるのにどうして?」
《これが適正体重ってことだよ》
「そうなのかしら?」
《そうそう。あとそれとは関係ないけれど、王子様がこの間言ってたぞ》
「何って?」
《もっとステーキを食いたいってさ》
「は、ステーキ? どうして?」
普段のマダマさまの好みからは離れた、あまりに野性的なメニューが出てきた。
《『もっと分厚い肉を食べて体力つけて、筋肉モリモリマッチョマンの王子になるんだ』って張り切ってたぞ》
「ふーん……。男の子の考えることって分からないわね?」
思春期の男の子が急に筋トレを始めたり、格闘技の真似事をしたがるようなものだろうか?
まあそういうことなら、料理を担当しているトパースに話しておくことにしよう。
《それはともかく。ネットがなくても正直もっと人前に出たい気持ちはある》
「自分の取り柄で勝負しなさいよ」
《やだい。いくら知恵を貸して役立てさせてやっても、結局はアンタの手柄になるじゃないか》
「うっ。……でも仕方ないじゃない。『タヌキが考えたアイディアです』なんて言ってたら変人扱いされて誰にも聞いてもらえないわ」
《まあそこは俺が大人になって水に流すとしよう。でも俺にだって承認欲求はある。みんなに尊敬されてチヤホヤされたいんだ!》
片方の後ろ脚でバンバンと床を叩いて、タヌタヌは駄々をこね始めた。
彼の知性の手柄を横取りしていると言われたらその通りだ。
根が善人の私としては正直後ろめたくて心苦しい気持ちだってある。
忙しい普段なら『なにバカなこと言ってんの』と鼻を鳴らしてしまうところかもしれないが、今日の私には心の余裕が幾分か残されていた。
なので彼の愚痴を聞いてやろうかという気になった。
《金も権力も少しは手に入っただろ。どうにかしてくれ》
それにしてもやっかいなことを言い出したぞ。
「どうしろって?」
《アイドルタヌキとして売り出して欲しい》
「生まれて初めて聞く概念だわ……」
《ショーとかに出て大衆の喝采を浴びたいんだ》
「あ、興行ならすぐ思いつくけど」
《どんなの?》
「また『動物イジメ』に出演する?」
《待て。それだけはやめろ。今度はクマか何かと戦わさせられる》
悲惨な前職の経験を思い出したらしく、タヌキは悲痛そうに眉をしかめた。
ダックスフントにつけられた古傷が痛みでもするのだろうか?
「そもそも、こんなド田舎で人を集めてどうするのよ」
《人口から考えたら数百人は集められるだろ》
「無理矢理人を集めてアンタが何かすごいことをするところ見せても、はっきり言って【町内会の集まりで愛犬に芸をさせ始める迷惑なおじさん】くらいの存在にしかなれないわよ」
《た、確かに……》
白けた群衆の顔を想像したらしいタヌキが、気まずそうに顔をしかめた。
今なら聞き入れそうだったので、私は良いことを言ってなだめることにした。
「自分を必要以上に大きく見せようったって辛いだけよ。自然が一番」
文句のつけようのない正論のつもりだったが、タヌタヌは恨みがましそうに私の顔を、もっと言えばその周りの金髪へ視線を送ってきた。
《そんなこと言って、自分はそんなハデな金髪縦ロールの髪型にしてるくせに……》
「これ? くせ毛よこれは! どんなにクシ入れても直らないの!」
《えっ、そうだったの?》
誰が好き好んでこんなドリルみたいな髪に整えるもんか。
悪役令嬢として生まれた呪いか何かなのか、物心ついた時からずっとこの髪型だ。
定規で測ったように等間隔に巻いた髪は油を塗ろうが熱を加えようが無駄で、決して本来の好みのストレートにはなってくれないのだ。
「私だって本当はサラサラの金髪美女になりた……!」
「チャオ、レセディ!」
外見上のコンプレックスを刺激されてついつい声を荒げてしまったのとちょうど同時に、モルガナ王女がドアを開けて部屋に飛び込んでくる。
うかつに気づけなくて、思わず飛びあがって慌ててしまった。
「? どうしたの、ひとりで大声出して?」
「な、なんでもないの! それよりモルガナ! へ、部屋に入る時はノックくらいしてちょうだい!」
「あら、ごめんあそばせ。でも怒らないで聞いてよ。良いニュースなの」
「良いニュース?」
「前から用意してた、殿下へのプレゼントが届いたのよ!」
あまり良い印象を持てないフレーズが飛び出してきた。
「また今度はこっそりダチョウとかサイとかキリンとかを連れてきたって言うんじゃないでしょうね……?」
「違う違う、ペットから離れて。もっと殿下の記念になるものよ」
「記念?」
「そう!」
サプライズプレゼントを取り出す時の顔で、モルガナは大きな黒目がちの瞳を輝かせた。
「殿下の肖像画を描いてもらうの!」




