あるタヌキの肖像(2)
「マダマさまの肖像画?」
そんなものいつの間に描かせたのだろう。
「描いて持ってきたの?」
「これから描くのよ」
「えっ、まさかあなたが?」
「そんなわけないでしょ。ちゃんとしたプロの画家よ。頼んでここに来てもらったの」
モルガナは呆れ顔をした。
「王都で一番人気の、評判の良い若手の絵師でね」
「へえ」
「本人の前で2,3時間デッサンをするだけで完成させられるっていう特技の持ち主なの」
「ええ? 肖像画ってそんなにすぐに描けるものなの?」
芸術には疎いもので知らなかった。
アフロヘヤーの画家が刷毛みたいに太い筆を使ってキャンパスに油絵具を塗りたくり、あっというまに人物画を書き上げてしまうイメージが脳裏に浮かぶ。
『ね? 簡単でしょう?』なんて笑顔で解説なんかしたりして……。
「違うわよ。モデルの前で下書きだけして、あとはキャンパスを工房に持ち帰って色塗りまでしてから仕上げて送ってくれるの」
「ああ……そう。それでも十分すごいわね」
「それでも十分? 何と比べて?」
よほど記憶力が良いのだろう。
何年前だろうと一度見た映像をそのままそっくり紙の上に再現できる才能の持ち主というのをテレビで見たことがあるが、その類かもしれない。
モデルを務める貴族やその家族にとっては実にありがたい存在である。
何日も同じポーズの姿勢を取り続ける必要がないとなれば、そりゃあ人気が出るはずだ。
「良くこんなド田舎まで来てくれたわね」
「えっ? 何言ってるの、芸術家よ? 移動するのが仕事みたいなものでしょ?」
あっ。しまった。
ついつい現代感覚で考えてしまうが、この世界の芸術家は貴族や資産家のパトロンから仕事を貰いに行くのが当たり前なのだった。
便利な場所にでんとアトリエを構えて創作するなんてゼイタクな夢物語で、各地を旅して作品制作するのが日常のはずだ。
「あ、ああ、そうだったわね!」
「レセディって色んなことに詳しいくせに、ちょっと世間知らずなところがあるわよね」
モルガナ王女が不思議そうな顔をした。
仕方ないだろう、気分はずっと現代日本のサブカル好き女子のままなんだから。
感覚や常識まで悪役令嬢そのものにはなっていないのだ。
「ま、まあそういうところもあるかも……。
「まあ良いわ。ほら行きましょ、殿下はもう支度してるわよ!」
モルガナがそう言って手を引くので、私は一緒に部屋を出て行かざるをえなくなった。
《待った! 俺も行くぞ!》
ドテドテと短い手足を動かしてタヌタヌまでついてきた。
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「肖像画なんて……ちょっと恥ずかしいですね」
照れ笑いを浮かべながら、マダマさまホールの真ん中に据えられた椅子に腰かけていた。
ベリルが運び込んだらしいこの領主館で一番立派な布張りの椅子にちょこんと座っている。
「よ、よろしくお願いします」
「私の方こそ。王家の血筋につながるお方の初めての肖像画を手掛けさせていただけるとは、恐悦です」
少年の前で、おしゃれな格好の若い男がデッサンの準備を始めていた。
彼がモルガナが呼んだという肖像画家らしい。
流石に慣れた様子で、直接絵を描くキャンバスやその作業台となるイーゼルを組み上げていた。
「何を言ってるの、殿下はもう立派な公爵様なのよ。叙爵された記念に、肖像画の一枚や二枚描いて当然よ」
「モルガナ王女のおっしゃる通りです。ラトナラジュ王家の男子としてふさわしい作品を仕上げていただきましょう」
「ご立派ですわ、ご主人様♪」
モルガナだけでなく、近くで見守るベリルやルチルまでもがご機嫌だった。
警護官や使用人としては、主人が権威の象徴である肖像画を制作することになったのが誇らしいのだろう。
(まあそれはともかく……確かに絵の一枚くらい残しておくのも良いかもね。今のマダマさまの姿を)
いかにマダマさまが女の子に間違われるくらいの美少年だろうと、今の愛らしさはあくまで性徴期を迎える前のはかないものだ。
これからきっと歳を経て行くにしたがって美青年になるのだろうが、現在の性が未分化なかわいらしさに溢れた姿を絵にして記録するのは有意義なことに思えた。
写真の発明されている世界ならこんな苦労はしないで済むのだが。
「楽になさってください。お疲れになられたら姿勢を崩していただいて結構ですよ」
画家の口ぶりには、これまで何枚も絵を仕上げてきた自然な自信がにじみでいていた。
多少モデルがポーズを崩した程度では問題にならない、ということだろう。
椅子に座らせているのも体力に不安のあるマダマさまへの気遣いだろう。
ずっと直立不動というのは意外と体力を使うし、華奢な男の子に無理をさせないよう座った姿を絵にしようということらしい。
「絵に何かご注文はございますか?」
「え、えーと、特には……」
初めて一人で入った美容院でセットを頼む女の子のようにマダマさまは小さくなっていたが、ふと私の方を見てぱっと顔を上げた。
「そうだ、レセディも一緒に……」
「え?」
急に名前を出されて戸惑っていると、マダマさまは明るい顔で手招きしてきた。
「こっちに来てください」
「えっ、良いのかしら?」
「いつもお世話になってますから」
ちょっと迷ったが、『絵にしてもらえる』というのは軽く自尊心をくすぐられた。
「じゃ、じゃあお言葉に甘えて……」
「あ、レセディばっかりずるーい!」
マダマさまが腰かける椅子の背もたれに手を置いたところで、モルガナが不満そうに声を張り上げる。
「私も描いて欲しい!」
「ええっ?」
「何よ、奥さんでもない人と二人で肖像画って方が不自然でしょ!」
小走りに駆け寄ってきたモルガナが、反対側の椅子の肘掛けに両手を置いて身を乗り出した。
「で、では私も警護官として……! あくまで殿下の自然な姿を描いていただくためです!」
「なら殿方付きのメイドのルチルも、ご主人様のお側にいるのが自然ですわ♪」
ベリルとルチルまで椅子の周りに押し寄せてきやがった。
「じゃあ殿下の隣は私!」
「私は後ろ側に控えて……警護の人間としてすぐお側にいるのが自然です」
「殿方付きのメイドはご主人様のヒザの上にいるのが自然ですわ♪」
「それのどこが自然なのよ!」
「……むぎゅ!?」
少しでも画面に大きく描かれようと勝手なことを言い出す女性陣に圧迫されて、気の毒な王子様は椅子の背もたれとの間に押しつぶされるような格好になった。
「―――――家族写真か! もう、暑苦しい!」
もはやこれは肖像画ではない。
手を払って、私は意外と自己主張が激しい皆に離れるよう命じた。
「「「シャシンって何?」」」
「やめやめ! キリがないわ、マダマさま一人で描いてもらいなさい!」
「「「えーっ」」」
「あの、一枚分の料金で5人を描くのはちょっと……」
「ほら、画家の人も困ってるでしょ! 散る散る!」
そこまで行って渋々みんなは椅子から距離を置き始めた。
「フツーの肖像画で良いわ! フツーの、ありふれた、どこにでもある肖像画にしてちょうだい!」
「は、はぁ……?」
「モデルがこんなにカワイイんだから、それで十分良い絵になるわよ!」
「……あの、レセディ? ボクちょっと今いやな気持ちです」
ちょっと頬をふくらませたマダマさまを無視して仕切って、ようやく絵を描こうという空気になって来た時……。
《待った待った!》
「タヌタヌ?」
ホールの片隅で様子をうかがっていたタヌタヌが、ここぞとばかりにポムポムと跳ねるにしてマダマさまに近づいて行った。
鼻息を荒くしながら少年のひざ元にすがりつき、そのままぴったりと離れようとしない。
「どうしましたタヌタヌ」
《俺も肖像画に一緒に描いてくれ!》
「知らない人がいてびっくりしたんですか?」
《俺も絵にしてくれ! うんって言うまでここを離れないぞ!》
「あ、もしかしてタヌタヌも絵に描いて欲しいんですか?」
《そうそう、欲しい欲しい!》
会話ができないながらも少年が自分の意を汲み取ったので、タヌキは上機嫌に目を大きくした。
「あの、動物を描くことってできますか?」
おそるおそるマダマさまが尋ねると、微笑を浮かべながら画家は自信をのぞかせた。
「もちろん構いませんよ。『肖像画に愛犬も一緒に』という方は珍しくありません」
「じゃあ……タヌタヌも描いてもらいましょうか?」
《やった!》
これが犬だったらちぎれんばかりに尻尾を振り回しているだろうタヌキを、マダマさまは笑顔でヒザの上まで引き上げた。
「あはは、そんなに喜んで……。ボクと一緒に絵にしてもらえて嬉しいんですね」
《グヘヘヘヘ! ちょろいぜこいつ!!》
「…………」
その喜びようを素直に受け取るマダマさまと、ゲスい言葉を口にするタヌタヌを見ていると頭が痛くなってきた。
「じゃあ、自然にこういう格好で……」
「よろしいかと思います」
マダマさまはヒザの上のタヌキの首にそっと手を回して軽く抱くようにした。
いかにも育ちのいいおぼっちゃんが愛犬をいたわる、とても穏やかであたたかみのある絵になりそうなポーズだった。
画家も興が乗ったようで、下書き用の黒鉛を取り出して前のめりにキャンパスに向き合う。
いよいよ制作開始というその時。
思わぬところから注文を付けるやつが出てきた。
《これじゃダメだ。せっかくの首輪が隠れるだろ》
「えっ、タヌタヌ?」
《どけて》
渋い顔のタヌタヌは、前足を使って自分を抱こうとする少年の腕をこじあけた。
「タヌタヌ。ちょっとの間ですから良い子にしましょうね?」
《どけろってば》
苦笑しながらマダマさまがポーズを取り直そうとするのを、ドスの効いた声でタヌキは拒絶した。
「もう。だから、このポーズで描くんですから大人しく……」
《どけろや!》
「すごい力です……!?」
自分の首に回されようとするマダマさまの腕を思い切りタヌタヌは押しのけようとする。
こんなに必死になる彼の姿を初めて見た。
「だ、抱っこは嫌なんですか?」
《いや、やっぱり腕をどかしただけじゃダメだな。これじゃ俺の美しさ・凛々しさ・愛らしさを表現しきれない》
ひとりでぶつぶつ言いだしたタヌタヌは、勝手に後ろ足で立ってマダマさまの体をよじ登り始めた。
「ちょっと、何をしているんですか?」
《やはりもっとこう、気高さを感じる画面構成にしないと!》
「んぐっ!?」
《よし、このポーズで決まりだな!》
タヌタヌはマダマさまの肩に自分の両足をかけると、銀色の髪で覆われた後頭部を前足で踏みつけにした。
そのまま体を軽くひねって、画家に向かって引き締まった顔で視線を送る。
まるで崖の上から大地を遠望する獅子のように、タヌキは気高くポーズを取った。
「……なんだろう。ボク、何故だか裏切られた気持ちです」
無理矢理うつむかされることを強要されたマダマさまが、暗く沈んだ声を上げる。
目の前で起きたペットの動物の思わぬ蛮行に、画家を始めその場の全員が固まった。
《急がずにじっくり描いてくれたまえ。俺は何時間だって平気だ》
「どういう肖像画よ……」
小さくため息をつくと、私はタヌキを引きずり下ろすべく椅子に近づいた。




