熟練密偵の憂鬱3
【伝説の羽 名無し・モスの一人の断章】
結果から言うと、オレ達は失敗した。
それも目を覆いたくなるような大失敗だ。
〝鳥〟の始末がどうのこうのではない。
密偵仲間は全滅し、オレ一人だけ生きて捕らえられた。お貴族様に報せが行けば大激怒だろう。
オレが生きているのは、受けた毒の量が少なかったため治療が間に合った、そんなところだ。
運がいいとは思わない。治療が終わったら、情報を得るための拷問が始まるだろう。
これから先もお貴族様の下で生きて行かなければならない他の仲間や家族のことを思えば、なにをされたって折れるわけにはいかない。
なんて、拷問前ならそんなことを考える気力もあるが、どれだけ保つことか。
拷問というのは、そういう気力やまともな思考能力を奪う技術だ。
運がよければ、情報を引き出される前に、狼神様の御許に招かれるだろう。
これには、そこそこ期待できる。
なにせ、治療を担当しているのが子供だからだ。
「は~い、今日の診察のお時間ですよ~」
能天気な声と共に、治療担当の子供がやって来た。
なんでこんな子供が、と思うものの、オレ達を毒で苦しめたのもこんな子供だ。
ある意味、当然の流れなのかもしれないが……それにしても、こんな子供にしてやられるとは。
自分に呆れるべきか、相手を恨むべきか。
どうにも判断がつかず、とりあえず敵に対する当然の態度を取る。
つまり、重たい石のような無表情だ。
「またそんな顔をして。聞いていますよ、相変わらず情報を話してくれてないんですって? 大人しく話してくだされば、今後の生活も保障するってお話ですけど、ご不満ですか?」
その条件に不満はない。条件が守られるかどうか、という心配は別として、捕まった密偵に出されるには甘い条件だとすら思う。
だが、オレが裏切ったとバレると、他の仲間や家族に影響が出るんだ。
答えることはできない。問いかけから顔をそらす。
我ながら、捕まっておいてふてぶてしい態度だと思うが、相手の子供は軽く呆れた様子を見せただけで、丁寧な診察を始める。
「ほほう、大分顔のはれも引いてきましたね。熱は……まだあると。それでも、日に日によくなっているようですが、自覚症状はいかがです?」
怠さがあるのは熱のせいか。それでも、食欲も戻ったし、意識もはっきりとしている。
こんな子供が治療担当だと聞いた時は、一体サキュラはどうなっているんだと、何度目かの困惑に襲われたものだが、治療の腕は確かなのだ。
相手のうっかりで楽になれるかもしれない、と期待をしているのだが、やっぱり難しいかもしれない。
それはそれで、この土地はどうなっているんだと困惑するしかないのだが。
こちらの困惑など相手には関係ないようで、返事がないことを注意される。
「体の調子くらい教えてくれたって良いではないですか。これだと、治せるものも治せませんよ」
バカな注意だ。こちらは治りたいとも思っていない。このまま死ぬのが一番いいのだ。
「頼んだ覚えはない」
的外れな台詞を鼻で笑うと、若いというより幼いと思える子供の顔が、きょとんとした表情になった。
「なにを当たり前のことを言っているのですか?」
そう言い返されて、今度はこちらが呆けた顔になったと思う。
少なくとも、咄嗟に言い返す言葉はなにも思いつかなかった。あまりに、予想外の台詞だった。
子供が、オレの顔を覗き込むように見下ろしてくる。
「私が、あなたにお願いしているのです。どうか治療させてくださいと。あなたが治りたいかどうかなんて、私にはなんの関係もありません。私が、あなたを治したいのです」
赤髪が作る影の下、金の瞳が笑っている。
同じ人間を相手にしている笑い方ではない。思いのままに遊べる、人形を見る笑い方だ。
絶対に、親切心からの治療ではない。
その確信が、悪寒として背筋を撫でる。
「あ、伝わりました? そうなんですよ。私、すごく楽しみなんですよ。あなたを治療するのが」
毒草や薬草を用意して、いつでも準備万端なのだと言われて、嫌な予感が増す。
薬草はわかる。治療に必要だ。
そこに毒草がなんで必要になる。
「だって、あなたがこのまま情報を話してくれない場合、あなたは私のものになるんですよ」
「奴隷にでもするつもりか」
人形を見るような笑みから、真っ先に連想したことをたずねると、まるで的を外した矢を見るような目で首を振られる。
「まさか。人手なんて足りている部分では十分に足りています。足りていないところでは、あなた一人なんていてもいなくても同じですよ」
奴隷に落とされることは否定された。普通なら安心できるはずの否定に、なぜか嫌な予感が増す。
そして、こういう時の予感というのは、たいがい外れない。
「それに、奴隷? 奴隷は人間しかなれませんよ。あなた、まだ人間のつもりですか?」
嫌な予感は外れなかったが、想像の斜め下を行く答えがきた。
「あなたは、領主一族の息子を害そうとした重罪人です。普通なら、とっくに死刑執行済みですよ。あなたが今、生きて治療を受けているのは、あなたの頭の中にある情報が必要だからです」
それはそうだ。
実際は領主一族の息子どころか国王の娘なわけで、一族郎党まとめて処刑されて当然の罪人である。
人非人だとか、獣のようなだとか、罵倒されるのはわかる。
しかし、罪人っていうのは、それでも一応、人間だろう?
「もし、あなたが情報を持っていなければ……。あるいは、持っている情報をどうあっても渡さないと言うなら……。あなたを生かしておく価値なんてありません。死体がまだ死んでいないというだけです」
後は腐るだけの物質を、奴隷になんて誰が欲しがるのか。
不思議そうにたずねられ、それこそ死体のように息ができない。墓代がもったいないだけだと追加で足された言葉は、まるで死体のように体を冷やす。
生き残れるように治療をしながら、死体として扱う。
この矛盾を、至極当然の理屈であるかのように語る目の前の子供が、理解できない。
まるで人のフリをした悪魔に見えてきた。
「ところが、私にとっては、まだ死んでいない死体というのは、非常に価値があるのです。
なんたって、まだ生体反応が確認できますからね」
赤髪の悪魔は、じっと、こちらを見つめ続けている。
まるで、オレの反応を面白がるように。
心底面白いと唇をつり上げながら。
「麻酔という言葉をご存知ですか? 古代文明の技術とされている、人の痛覚を一時的に失くしてしまう薬のことです。痛み止めのとても強力なものですね。麻酔を使われると、お腹を切り開かれたって痛くもなんともないのですよ」
悪魔の指が腹を撫でる。不吉な話を垂らしながらだ。
そこを切られたのかと、ぞっとした。
悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。あるいは、悲鳴を上げることさえできなかったのかもしれない。
「この麻酔さえあれば、今まで治せなかった重傷患者の治療もできるでしょう。今まで原因がわからなかった病気の患者の治療もできるでしょう。なんて言ったって、体を切り裂いて手術ができるんですから!」
こっちが真冬の川に突き落とされた心地だっていうのに、悪魔はやたらと熱の入った口調でマスイについて語る。
腕をちょっと切るだの、腹を魚みたいに開くだの、とんでもないことを言い出す。
こんなことを言う奴がすぐそばに立って、こっちを覗きこんでいるなんてどんな拷問だ。
今すぐ逃げ出したいが、こっちは手足を拘束されていて、耳をふさぐことすらできない。
マスイがないと腹を切り開かれた人間が死ぬとか言うが、普通の人間は腹を切り開かれたらなにしたって死ぬだろうがよ!?
マスイってのは死体も蘇るほどすげえ薬なのかよ!?
「これが難しいのですよ! 麻酔といっても、あれの原料は基本的に毒なんです。しかも猛毒! 加減を間違えばすぐに死んでしまいますし、加減されていても副作用でしばらく具合悪いですからね! そんなの自分や周りの人間に試しに使ってみるとか怖いですよね!」
すげえ薬どころかすげえ毒じゃねえか!
人間に使ってみるとか怖い、じゃねえよ!
おいバカこっち見るな! お前さっきオレのこと人間扱いから外したよな!?
その満面の笑みでこっちを見るな!!
「もう一度伝えますね? 私が、あなたにお願いしているのです。あなたが治りたいかどうかなんて、私にはなんの関係もありません。私が、あなたを治したいのです。たとえ、どれほど嫌だと泣き喚いても、誠心誠意、最高の治療を施しますとも」
こんなに善良な悪意に満ちた「治したい」という発言は聞いたことがない。
大したことのない病を大袈裟にして金を余計にせしめようとする医者や、治せない病気を自分なら治せるとうそぶいて金だけ持っていく医者だって見たことがある。
人の命を弄ぶ悪党だ。
だが、しかし、そいつらだって、この赤髪の悪魔を知った後では、まだまともに見える。
誰かの命を犠牲にしても、大金が欲しいという気持ちは、まだ理解ができるからだ。
「あなたが死んだ死体になってしまったら、麻酔の実験ができないではないですか。せっかく、領主代行殿から公認の人体実験の許可が下りたのに、そんな命を無駄に使うようなもったいないこと、できるわけがないですよね?」
目の前の赤髪の悪魔は違う。
その考えが、理解できない。
理解できそうではあるのだ。
その言葉は筋道が通っているから、なにを言っているかは理解できる。
なんでそう言えるのかが理解できない。
その理解と不理解の不一致が、気持ち悪い。
「大丈夫ですよ」
理解し難い台詞と、いっそ神官にこそ相応しい優しげな笑みは不気味にすぎる。
「危険な実験とはいえ、すぐに死ぬような下手な真似はしませんから。最初は、絶対に死なないように微量の麻酔から始めましょうね。痛覚はほとんど消えないでしょうから、この段階で痛覚テストはほとんど行いません。針かなにかでちょっとつつくだけです」
針を使った拷問がいくつか脳裏をよぎる。
爪の間に突き刺すやつなんか、絶対に自分では受けたくないという思いが、悲鳴と共に記憶に刻まれている。
オレの顔色は相当に悪くなったはずだ。これがオレを追い詰める作戦なら上手く行っている。
だというのに、悪魔は笑わない。
むしろ、神に対面する神官のように真面目な顔になる。
「もちろん、実験が進むごとに麻酔の量は増え、それに伴って痛覚は麻痺しますから、目指す手術のようにあちこちを切り開く必要はあります」
だから、体を切り開くってなんなんだよ。
そんなことしたら死ぬ……いや、この場合は死んだ方が楽なのか。絶対にそうだ。
その頃には体を開かれることを楽しみにしているかもしれない……。
「ですが、安心してくださいね」
真面目な表情から一転して、底が抜けたように朗らかに笑う。
あまりの落差に、別人が現れたように感じて、まったく安心ができない。
「同時に縫合の技術も実験していきますから、傷口はきちんと閉じて治るようにします。衛生にも気を付けて、簡単には死なないよう、細心の注意をお約束しますよ」
そしてやっぱり安心ができなかった。
悪魔だもんな。人間を苦しめる技術はオレの想像の上を行くのは当然か。
さっぱり意味はわからないが、未来のオレが絶望するほど苦しむことはわかってしまう。
体を切り開かれて、それでも死ねないらしい。
その時にまだ正気が残っていたら、この世を地獄に感じているだろう。
「その表情は、やはりわかってしまいますか。ええ、残念ながら、私の力及ばず、亡くなってしまう可能性も、やはりあります」
その可能性、本当にあるのか?
だとしたら、終わりがあるとわかっているなら……。
「ですが、万一、そんなことになったとしても、あなたの犠牲は決して無駄にしませんよ。死後、あなたの体は大事に、丁寧に、とことんまで切り開き、腑分けし、観察し、血管の一本一本の太さ、筋肉の一筋一筋の弾力、神経の広がりと色、内臓の構造と配置、とにかくなに一つ漏らすことなく分解して記録します。それだけでなく、肉を全て削ぎ落として骨だけにして、骨格標本として末永く医学のために活用させて頂きますね」
死ですら、終わりではない、と言われた。徹底的に死体を辱められるらしい。
逃げ場が、どこにもない。
「その時には、貴い犠牲となったあなたの名は、きちんと語り継がれるべきです。しかし、あなたはご自分のお名前もつぐんだまま……」
ここか。
ここで名前を言えば、オレはまだ助かるのか?
どうする?
言うか。言った方がいいのか。仲間や家族の顔が思い浮かぶ。
それはすぐに赤髪の悪魔の笑顔に塗り潰されて消えてしまう。
オレの震える口が動いてしまうより先に、悪魔の笑う唇が動く。
「ああ、いえ、おっしゃらなくても結構です。私の実験にご協力を頂けるだけでお気持ちは十分ですとも」
お前の名前など――つまり、密偵としてのオレが持つ情報などなにもいらないと、悪魔は謙虚な表情で首を振る。
「我が家に代々伝わる、自らの命を捧げて学問の発展に貢献してくださった、偉大な存在のお名前を、あなたの呼び名としましょう」
悪魔は、こちらの反応を観察するように、少しだけ間を置いた。
その空けられた時間のおかげで――「代々伝わる」「命を捧げて」――悪魔がもう何度もこうやって命を弄んできたのだと、嫌な想像がありありと思い浮かんでしまう。
「今からあなたの名は、モルモット。モルモット五十七世です。私の実験に付き合ってくださった五十六匹のネズミ達も、あなたがこの名を継ぐことを大いに喜んでくださるでしょう」
絶対にネズミじゃない。絶対にネズミの名前じゃない。
それはネズミ扱いにした、オレと同じ人間の――!
本物だ。
本物の悪魔なんだ、こいつは。
自分の利益のために人間を物のように扱う奴は、お貴族様で慣れている。
だが、人間を玩具にして遊ぶことだけを目的にする存在が、ここまで邪悪で恐ろしいなんて知らなかった。
「五年、十年の付き合いになるよう、心を砕いた実験計画を作ってお持ちします。だから、どうか、これまで通りに口を閉ざしていてください。誰があなたをここに送ったのか、決して話さないでくださいね」
五年、十年と聞いて、そのまま気が遠くなった。
思った以上に、思った以上に悪魔の計画は長い、長すぎる!
愕然としている間に、赤髪の悪魔は治療を終えて去って行った。
その手つきは、呆けていたオレが我に返る隙がないほどに丁寧で、的確で、人間の生死をあまりに操り慣れている。
五年、十年というのは、決して大袈裟な表現ではないのだ。
そのことに気づいて、腹の底から震えがくる。
すがるものを探して、無意識に目が室内をさまようと、ドアのところにいた見張りの衛兵が、気の毒そうにオレを見つめている。
衛兵の顔色も――オレと違って悪魔の標的にされていないのに――悪い。
衛兵から見ても、あの悪魔はそれほどまでに不気味だったのだ。
「なあ、お前さんにも色々背負ってるものがあるのはわかる。わかるんだが……」
衛兵の声には、本物の親切心があるように響いた。
酒場の隣の席で、妻に逃げられたと泣きながら飲む男に向けるような、憐れみが混じった本物の親切心だ。
「大人しく知ってることを教えた方が、いいと思うぞ。マジで」
「……じょ、条件を、聞いてくれるか?」
「とりあえず、俺に言ってみな。案外通るかもしれないぞ」
すまねえ、仲間達、それに家族よ!
オレは、あの赤髪の悪魔と五年や十年も付き合うのは絶対にごめんなんだ!
最低限!
最低限、オレも死んだことにしてもらって、誰から情報が漏れたかわからないようにしてもらうから!
ほんと、すまねえ!!
――なお、オレのつけた条件は全部通った。
他の仲間や家族が人質になっている状況を話すと、ここの連中はずいぶんと優しくしてくれた。
たぶん、皆もこっちに来た方が幸せだと思う。




