熟練密偵の憂鬱1
【伝説の羽 名無し・モスの一人の断章】
店から出てすぐ、溜息を吐きそうになった。
ぐっとこらえて通りをしばらく歩き、店から視界が通らなくなってから、ようやく溜息を吐き出す。
情報収集がさっぱり上手くいかない。そのいらだちと不安が、腹に溜まっている。
溜息の形で外に出すことで、少しばかり気分がよくなるが、まだまだ腹の中にたっぷり残っているせいですぐに胸がむかむかする。
なんなら舌打ちと罵倒もぶちまけたいところだが、人目があるところでそんな目立つ真似はできない。
密偵としてサキュラ辺境伯家のお膝元、領都イツツに潜りこんでいるのだ。愚痴を漏らすにも細心の注意がいる。
代わりに、猿神様でもなければわからない心の中で文句を弄ぶ。
(くそったれめ。サキュラは頭の中まで筋肉が詰まってるバカの集まりだから、からめ手なんてできない。そんな考えも持たない田舎者って話だったはずだろうが!)
それが上からの事前情報。えらそうに情報収集を指図して来たお貴族様の、サキュラ辺境伯領に対する認識だ。
ところが、実際にサキュラにやって来て、探りを入れてみればどうだ。
(どいつもこいつも口が堅い。貴族周りの情報が、世間話からはとんと出て来ない。下手に探りを入れようとすると、しっかり警戒しやがる……)
さっきまでいた商店で、対応していた男もそうだった。
愛想はいい。世間話にも楽しそうに付き合ってくれた。だが、欲しかった情報、領主一族の周辺情報は一つも聞き出せなかった。
『素晴らしい方々ですよ。信頼と敬愛に値します。それ以上のなにかを申し上げることは、わたしにはできかねます。小さな店ではありますが、お客様の信頼を預かっておりますので』
穏やかそうな笑顔で、きっぱりと断った男の記憶はやたらと鮮明だ。
(あの店長……いや、商会の主人って話だから会長か。行商人から一気に店持ちの商会になったって言うから、相当な野心家だと思ったんだが、中央の高級品をちらつかせてものらりくらりといなし続けて……あれは最初から食いつく気がなかったんじゃないか?)
台頭したばかりの若手の商人は、周りの先達から押し潰されないよう、逆に食い破ってやろうと、多少の危ない橋でも渡る無謀な軽快さを持っているもの。
そう思って探りを入れに来たのだが、当てが外れた。
(逆にこっちの目的を探られたかもしれんな。しくじったか)
あちらからの情報を期待して、逆に喋りすぎてしまった気がする。
世間話に食いつきがいいから、口が軽いと思ったのだ。ひょっとしたら、そう思わされたのではないか。
今、一人になって交渉を振り返ると、舌に苦味が湧いてくる。
あれは若いが、相当なタヌキだったかもしれない。化かしてやろうと近づいたが、こっちが化かされたのではないか。
そんな疑惑が振り払えない。
(ガーネシって商会で情報を仕入れた時には、あそこの主人は運がよく上り調子だが抜けたところのある人間、そんな印象だったんだが……)
周りの商会を騙しているタヌキか。
周りの商会が騙されている間抜けか。
(それとも……ガーネシ商会もタヌキか?)
否定できない。余所者の行商人の怪しさに気づいて、ガーネシ商会の連中はそれとなく目印をつけて、口の堅い商人のところへと泳がせた。
その策略に気づかず、まんまと間抜けに尻尾を見せてしまったかもしれない。
(くそ、お貴族様の事前情報を頭から信じてバカにしていた。サキュラの連中、決してバカにしていい相手じゃないぞ)
仲間にも知らせて、もっと慎重に動くように忠告するべきだ。
もっとも、忠告はもう遅いかもしれない。
立ち止まって溜息を吐いていただけなのに、なんでもない通行人から視線を感じる。
一人ではない、何人もだ。そのいずれの根元にも、余所者に対する警戒や好奇がある。
(すぐこれだ。やりづらい)
この街は領都。人の往来は多いはずなのに、外からやって来た人間だとすぐに見破られ、目立ってしまう。
密偵にとって、ここの人間うんざりするほど、やりづらい連中だ。
*****
オレ達は、雇い主のお貴族様からはモスと呼ばれている、密偵集団だ。
モスというのは、蛾だか蚊だかを表す言葉らしい。
密偵として使い倒しているオレ達に、そんな名前をつけてくださる辺り、どんな風に見ているかわかりやすくていい。
オレ達密偵の共通認識である。
(サキュラでの情報収集も、それくらいわかりやすければよかったんだが……)
一緒にサキュラに送りこまれた他の密偵との情報交換に集まってみれば、どの顔にも順調という文字は書かれていなかった。
なにか話す前から互いの状況が手に取るように悟ることができて、全員の顔に奇妙な苦笑が浮かぶ。
「これだからお貴族様の言うことは信用できない。そうだろう?」
「まったくだ。それがわかっていて、なんで今回は信じてしまったんだろうな」
オレの言葉に仲間の一人が軽口を返して、皆がくすくすと笑う。
まったくだ、どうして今回に限って素直に信じてしまったのか。よりにもよって、思いの外に手強いこのサキュラの調査で。
「サキュラの武勇伝はよく聞いていたからな。あれ、ほとんど本当だって話だろう?」
「ああ、中央貴族がサキュラの侍女に手を出したら、敵討ちにサキュラ辺境伯の弟が出陣して、その貴族の首を刎ねたってやつとかな」
「手を出したって言っても、侍女は尻を撫でられただけな。しかも、侍女自身がその場でお貴族様の鼻っ面を殴り返したとか。いや、これ知ってたらサキュラのどんな評価も納得するって」
中央貴族に、冗談のような実話として伝わっている話だ。
確かに、こんな冗談のような実話があれば、頭の中まで筋肉が詰まっていると聞いてもうっかり信じてしまう。
そんなとんでもないこと、それぐらいじゃなきゃ実現できないよな。そう思ってしまうのだ。
「それに、サキュラ辺境伯家がからめ手を使わないってのは本当だろう」
実際に、サキュラ辺境伯家が裏から手を回したという話はとんと聞かない。
暗殺はもちろん、悪評を流して敵を傷つけたという話もない。
まあ、大声で嫌いな貴族の悪口を言っているのは有名な話だが、ああいうのは裏工作だとか陰謀とは言わないし、言っちゃいけないだろう。
一応、中央でその辺にどっぷり浸かっている密偵の一人として、それは声を大にして言いたい。
サキュラ辺境伯家はからめ手を使わない。それは、使うだけの能力がないからだ、とそう思っていたのだが……。
「サキュラに来て味わった感じ、ここの連中はからめ手を使えないんじゃないな。使わないだけだ」
オレの台詞に、全員が頷く。少しばかり深い頷きに見えた。
完全に同意見というわけだ。
サキュラに対して、中央から見れば「田舎者」という評価は間違っていない。
地理的に遠い。そのおかげで、中央貴族の礼儀作法である嫌がらせや陰謀に備える必要が薄い。
その手先であるオレ達密偵が、このサキュラに対して間違った認識で乗りこむほどに薄いのだ。
「サキュラは魔物への備えを重視している。そっちに手を取られれば、諜報は手薄になるんだろうな」
「手薄になっていても手強いがな。さっぱり情報が集まらない。ここの人間は口が堅い」
「領主一族の自慢はいくらでも喋るんだがなぁ……」
一人がぼやくと、全員が笑ってまた同意する。
初代様自慢に始まり、歴代当主の功績に続き、身近になって来ると自分や自分の家族が当時のご当主様と一緒に戦ったとか、女ならユイカ様の素晴らしさ語り。
「好きなんだろうな、サキュラ辺境伯の一族が」
だから余所者に自慢話をするし、余所者に領主一族の近況を話さない。その事実を確認するための言葉に、わずかな羨ましさが混じったかもしれない。
オレ達にとってのお貴族様――ダタラ侯爵とその一族は、どこにも好きになれる要素がないという事実がそうさせた。
「実際のところ、〝鳥〟はここにいると思うか?」
捜索対象を念のため隠語でおおって、仲間の感触をうかがう。
だが、返事はすぐには出て来ない。肯定も否定も難しい状況なのだ。
「常識で考えれば、〝鳥〟をこんな田舎も田舎、世界の端に送りこむとは思えない。中央から遠すぎる」
一人が呟いた言葉に、頷く者が出る。
「だが、他の場所は調べ尽くした。可能性があるのは、もうここだけだぞ。それに、遠いからこそ安全だとも言える」
この発言にも、頷く者が出る。
「見逃していなければな」
最後に付け足された台詞に、オレも頷く。
「ないとは言えないな。なんたってスクナ子爵家が絡んでいる」
基本的に諜報を軽視する地方貴族の一員でありつつ、中央貴族も手を焼くほどの諜報能力を持つ家が、スクナ子爵家だ。
サキュラ辺境伯家もなぜか守りが固いが、スクナ子爵家は情報を操る手練手管をもっており、本当の諜報的な意味で守りが固い。
情報を守り、情報を使って攻撃もしてくる。
表向き、〝鳥〟はスクナ子爵家のところで預かられている、そういうことになっている。
その行方を探れば、常にスクナ子爵家が流す偽情報を掴まされる警戒が必要だ。
実際、オレ達はこの一年に何度か〝鳥〟を発見したと思ったことがある。
今、オレ達がこの世界の果てと言われるサキュラを調べているということは、その全てが偽情報だったというわけだ。
「くそが」
思わず罵倒を吐き出す。
こちらと敵対するスクナ子爵家への怒り、それもある。
だが、それくらいなら飲みこんで我慢できる。あちらも仕事、こちらも仕事だ。
腹は立つが、同業者としての敬意だってある。
我慢できないのは、スクナ子爵家に偽情報を掴まされた無能だと、仲間が処罰されたことだ。
一人二人ではない。偽情報を持ち帰った班が丸ごと。
それも雑用に降格だとか、危険な仕事に回されたとか、報酬を減らされたとか、そういった処罰じゃない。
いい仕事をした報酬だと渡された毒酒を飲んで死んだ。お貴族様のいつものやり方だ。
酒をもらった仲間も、それが毒だとわかって飲んだ。
飲まなければ、オレ達が密偵として危ない橋を渡る代わりに、お貴族様の膝元で働かせてもらっている家族がどうなるかわからない。
いや、どうなるかはわかっているから、オレ達密偵は毒を飲む。
家族がお貴族様に目をつけられ、散々な嫌がらせをされて最後は放り出されるか、殺される。
それくらいなら毒くらい飲む。そうすればまあ、残された家族は雇い続けてもらえるか、手切れ金をもらって穏便に抜け出すこともできるのだから。
オレ達モスは、家族に仕事の世話をしてもらっている。家族が飢える心配はない。それは確かだ。
だが、人質を取って脅されている状態でもある。
ダタラ侯爵を筆頭にしたお貴族様を好きになれるわけがない。
いっそこのまま逃げてやろうかと何度思って、その度に家族や仲間のことを考えて思いとどまってきたか。
再び湧いてきた逃げ出すという誘惑を、頭を振って追い出す。
この場の全員で逃げ出そう、なんて妄言が口から出て来る前に、仕事のことを無理矢理に口から搾り出す。
「とにかく、調べるしかない。これまで〝鳥〟を発見できていないことで、お貴族様はご立腹だ。これ以上はろくなことにならない」
無理矢理絞った言葉だっただけに、その中身もひどいものになった。仲間達の顔も渋面にするようなひどさだ。
もし、ここで〝鳥〟を見つけたと報告しても、お貴族様が満足することはもうありえない。漏らすのは遅すぎるという不満だけだろう。
真面目にやるのがバカらしくなる。それでもやらなければ、他の仲間や家族もさらにまずい立場になる。
「仲間のため、家族のためだ。やらねばならない」
見える全ての顔に浮かぶ不満を見て念を押したが、自分に言い聞かせるような口調になったかもしれない。
だからこそ、全員が渋々と頷けるだけの同意を得られた。
「仕方ないな。やれるだけやるしかない」
「発見できないと、一番まずいのはリアかな」
「ああ。〝鳥〟と入れ替えるための支度に金がかかっているからな、今でも嫌味がひどくて見てられねえ」
「金なら腐るほどあるだろうにな。そもそも、リアだってやりたくてやってるわけじゃないだろう。あれはお貴族様がやらせてることだぞ」
まったくもってその通り。
オレ達は命令されて仕事をしている。仕事の準備も命令があってから動く。
だって言うのに、不満は命令を出した人物ではなく、命令を聞いているだけのオレ達に来るんだから、どうすれば満足なんだか。
いいことは全て自分達の手柄だし、悪いことは全て誰かのせい。
生まれだけで、そんな理不尽がまかり通るんだから、貴族ってのはずるいもんだ。
「とにかく、聞きこみをするしかない。これだけ余所者が目立つ土地だ。〝鳥〟だって目立つはずだから、本当にここにいるなら領主一族の周りから情報は出て来るに違いない」
全員がぎこちなく首を縦に振る。
情報が出て来ると信じたい、しかし信じきれない。そんな内心が透けて見えるようだった。
――案の定、飛行機を販売するという大きすぎる話題を領主代行が発表し、情報収集は全くと言っていいほど進まなくなった。
サキュラのこの対応は、偶然か。
それとも〝鳥〟を隠すための故意か。
偶然というには時機がよすぎる。故意だというには物が大きすぎる。
もし故意だとしたら、防諜のためだけにこんなとんでもない騒ぎを起こすか?
冗談だろう。正気の頭から出て来るか、こんな防諜方法。
いや、手法としてはありふれたものかもしれない。
知られたくない話題を、大きな話題で覆って隠す。中央で、オレ達もよくやった。
お貴族様の配下の不祥事を、別な貴族の猥雑な噂をまいて、匂い消しをする。
だけど、なんだよ、飛行機って……。
夢物語というより神話じみた代物を、現実の真昼間に持って来られて、ちっぽけな密偵ごときにどうしろっていうんだ。
「なんなんだ、この土地は……」
呟いた言葉は震えていた。
得体の知れない悪魔が、どこからか自分を見つめている。
そのじっとりとした眼差しを感じた気がして、恐怖が臓腑を震わせていた。




