見習い店員コロイ
【伝説の羽 コロイの断章】
お店の裏口から入る前に、大きく息を吸って、大きく吐く。
毎日のことだけど、緊張する。
手が震えるし、足も震えるし、このまま自分のベッドに戻りたくなる。
でも、戻ったら仕事ができない。仕事ができないとクイドさんを困らせちゃう。
仕事を辞めさせられるだろうし、お父さんもお母さんもガッカリするだろう。
なにより、ボク自身がボクにガッカリする。
(よし! いくぞ!)
そんなわけにはいかないと、自分の心を奮い立たせ、ようやく足が前に出た。
ここは領都にあるクイドさんのお店だ。
クイドさんに雇ってもらったボクは、村から出て、今は領都に住んでいる。正直、ここは人が多すぎてつらい。
人と話すのが苦手どころか、人と会うのも苦手なボクが、なんで村より人が多い街でやっていけると思ったのか。
いや、やっていけるとは思っていなかったかも。
ただ、やっていけるようになりたいって、ならなくちゃいけないって思って……。
覚悟を決めてクイドさんに手紙を出して、なんとびっくり雇ってもらって、領都に来て、思った以上の人の多さに打ちのめされています……。
お父さん、お母さん。
それでもなんとか、ボク、コロイはクイドさんの下で頑張っているよ!
「おはようございます、コロイさん。今日は昨日よりもお早いですね」
裏口から入った途端、待ち構えていたように挨拶されて心臓が止まるかと思った。
クイドさんと一緒にこのお店を守っている、ネイヴィル殿だ。綺麗な人だけど、厳しそうな目つきでボクを見ている。
「身だしなみも問題ないようですね。体調に問題はありませんか」
「ぁ、はぃ……だいじょ、す……」
かろうじて声が出た。羽虫が飛んでいる音の方がまだ大きいかもっていう大きさだったけど、声が出た。
ボク、がんばった!
自分でちょっと感動していると、ネイヴィル殿もゆっくりと頷いてくれた。
「少しずつですが、声を出して答えられるようになってきたようですね。お店に入るまでにかかる時間も短くなって来ましたし、努力が実ってきています」
ネイヴィル殿も褒めてくれた。
「ですので、今日はお店の表に出てみましょう。接客はしなくともよいですが、店内のちょっとした掃除や並べられた品物の整理をしてもらいます」
ネイヴィル殿の目標が、昨日より難しくなった。
が、がんばります。がんばれるかな……?
「今日を乗り越えたら、明日はお店の裏のお手伝いです。人と会わないようにしましょう」
がんばれそう……!
こんな感じで、ボクは毎日ネイヴィル殿に鍛えられている。
そのおかげで、ちょっとずつだけど普通に近づけている気がする。
領都の人の多さはつらいけど、ネイヴィル殿は優しいし、憧れのクイドさんに認めてもらったんだから、なんとか踏ん張れる。
お店の表に行くと、そのクイドさんが店番をしていた。
「コロイ君、おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「お、はよ、ござ、す……」
相変わらず声は小さいけど、ネイヴィル殿に習った通り、丁寧に頭を下げる。
ネイヴィル殿曰く、声が小さくても所作が丁寧ならそこまで失礼には見えない。
従者は無口も美徳になるので、とにかく一礼を丁寧にしなさいと教わった。
「うん、しっかりできていますよ。ばっちりです」
クイドさんがいつもの優しい顔で褒めてくれるのが嬉しい。
「ネイヴィル殿から聞いています。今日は表で人に慣れる訓練ですって? それでは、棚の埃を掃除してもらいましょう」
濡れた布巾と乾いた布巾を手渡されたので、ゆっくり頷く。この動きはネイヴィル殿の真似だ。
「掃除と言ってもすでに綺麗にしてありますから、お客様にしっかりやっていますよーと見せるための掃除ですかね。バタバタやるんじゃなくて、ゆっくりと丁寧にお願いします」
それならボクにもできそうだ。クイドさんへの感謝をこめて、ぴかぴかにしよう。
お店の表は、お客様や通行人の気配があって落ち着かないけど、クイドさんがいるならがんばれる。
たぶん、ネイヴィル殿も、クイドさんがいる日だからボクを表に置いてくれたんだと思う。
クイドさんのおかげで、村は水車が直った。村の人達はクイドさんに感謝してたし、直しに来た職人さん達もクイドさんを褒めていた。
それだけでもすごい人なのに、ボクの病気まで治してくれた。
皆の話を聞いて、皆のことを支えていた。人とまともに話せないボクからしたら魔法使いみたいだ。
だから、ボクはクイドさんに憧れている。
クイドさんみたいになりたくて、勧められた勉強もがんばった。
いつかは、クイドさんみたいに優しい笑顔で、人と朗らかに話して、困っている人を助けられるようになりたい。
……毎日お店に入る前に、気持ちを落ち着ける必要があるボクだから、一体どれくらいかかることかわかったものじゃないけど。
****
ドアの呼び鈴が鳴った。
クイドさんがいらっしゃいませと声をかけるが、ボクは心の中でだけ声をかけながら、拭き掃除の手を止めて頭を下げる。
ゆっくり、と心の中で呟いてから顔を上げ、やって来たお客様をそろりと見る。
なんだか緊張が増した。
「初めてのお客様ですね。それも旅のお方でしょうか」
クイドさんがにこやかにかけた言葉で、緊張した理由がわかる。
普通のお客様でも緊張するが、見慣れない人だったから余計に緊張したのだ。
お客様がクイドさんに答えて、旅人用のローブのフードを上げる。
「お邪魔いたします。お察しの通り、旅の商人です。恥ずかしながら伝手もなくこの街にやって来たのですが、いくらかでもお話を聞いて頂けないかと思いまして」
「大歓迎ですよ。というのも、ご覧の通り、うちも小さな店ですからね。開いたばかりのお店で、わたしもあちこち行商に出かけるような有様で。新しい取引はありがたい限りです」
どちらからいらしたのか、などと声をかけながら、クイドさんがお客様をお店の奥の方に案内していく。
あっ、お店に並んでいる商品を売るんじゃないから、奥の商談室にお客様とクイドさんが行っちゃうのか。
それはそう……そうしたらお店の表にボク一人になっちゃう!?
頭から血の気が引いて倒れそうになったところで、クイドさんが振り返る。
「コロイ君、ネイヴィル殿に声をかけてくれますか。お茶の用意と店番の交代を。お茶は……コロイ君に運んでもらいましょう」
よかった。クイドさんはボクのことを忘れていなかった!
一人残されなくて安心した。でも、お茶をお出しするお仕事を任されてしまった!
きちんとできるだろうかと不安になるも、とりあえず丁寧に頭を下げられたのは、ネイヴィル殿の教えのおかげだ。
確かに、こう、とりあえずゆったりと一礼しておくと変な風には見えないみたい。
村ではおどおどしてることをからかわれて、余計に緊張しちゃったから、この辺は成長したと思う。
そう、ボクだって成長しているんだ。お茶を出すくらい……で、できるかな。
やっぱり不安になりながら、とりあえず急いでネイヴィル殿を呼びに行く。
裏手の部屋で帳簿を確認していたネイヴィル殿は、ボクを見てすぐに石板を取り出す。
なんで石? と思うかもしれないが、これはノスキュラ村で使われているという文字書き練習用の筆記具らしい。
いや、筆記具なのかな。水の筆で書くから時間が経つと渇いて文字もなくなっちゃうんだけど……。
それはそれとして、このいくらでも書ける石板は、上手く声を出せないボクが、他の人とやり取りする時にとっても便利な石なのだ。これにさささっと言いたいことを書くと、ボクは一言も声を出さずに必要なことを伝えられる。
「ふむ、承知しました。お茶を準備したらわたしはお店に出ます。お客様へのお茶出しは任せます」
ネイヴィル殿からも指示されて、こくこく頷く。
人目がないので不安も露わなカクカクした動きになってしまった。
「お茶を出すだけです。まずはお客様の前に、次はクイドさんの前に。動きはゆっくりを心がければ、多少ぎこちなくとも不格好には見えません。お客様と目が合ったら、軽く目を伏せて頭を下げる。それだけで品よく見えるものです。誰もあなたをおかしいと思いません」
ネイヴィル殿の教えを呑みこもうと必死で頷く。
「お茶を出すくらいならわたしでよいはずですが、コロイさんを指名したと言うことは、同室を求められてのことかもしれません」
ひぃ、同室!? なんで!? お客様との会話に加わるなんて絶対できないのに!?
「クイドさんのことです、頷くだけで済むように配慮してくださるでしょう。お茶を出した後は、クイドさんの斜め後ろで、やや顔を伏せて立っていなさい。無理に笑おうとせずとも構いません。なにか聞かれたり言われたりしても、唇を閉じて真面目な顔でゆっくりと頷きなさい」
はい今やってみなさい、と鋭い声で言われ、慌てて頷きそうになるのをこらえて、なんとかゆっくり頷く。
「よろしい。合格です。では、行って来なさい」
わあ、いつの間にかお茶がもう淹れられている!
流石はネイヴィル殿、クイドさんもすごいけどネイヴィル殿もすごい……。
****
商談室からクイドさんの朗らかな笑い声が聞こえて来る。
その中に入る前に、ボクはいつもお店に入る前のように深呼吸をする。一度だけ。
早くしないとお茶が冷めちゃうし、クイドさんも困る。気合いを入れてドアをノックしようとして、頭の中のネイヴィル殿に叱られる。
ノックは優しく、上品に。
はい、わかりました!
上品かどうかはわからないけど、あまり振りかぶらないようにしてノックする。
クイドさんの声を合図にして中に入って……ええと、お客様の前にお茶を置く。
焦らないで、ゆっくり、ゆっくり動く。
お茶を置く時にちょっと手が震えたけど、なにも言われない。
お客様はクイドさんと話す方に集中している。ちょっとだけボクに視線を向けて来たけど、軽く頭を下げると、向こうも一礼して、それでお終い。
ネイヴィル殿の言う通り、変には見えていないらしい。
クイドさんの前にもお茶を置いて、ほっとしたところで、クイドさんが笑顔を向けて来た。
「ありがとうございます、コロイ君。どうです、うちの従業員。務めたばかりですけど、とっても優秀なんですよ」
「ええ、とても落ち着いた子ですね。その年頃なら、もっとこう、動きが忙しない子が多いと思います。十歳よりは上、ですかね?」
なんかボクのことを話し始めちゃった!?
どうしていいかわからなくて震えそうになるけど、ネイヴィル殿に言われた通り、クイドさんの斜め後ろでやや顔を伏せる。
「そうですね、それくらいの年頃です。頭のいい子でして、そのうち帳簿を任せられるのではないかと」
「それはずいぶんと期待が大きい。この商会では、他にもそのくらいの年の子を雇っていたりするんですか? 女の子とかも?」
「そうですね。うちは新興の商会なので、人材を雇う伝手も乏しいですからね。自分で育成するつもりで、若くて評判のよい方を積極的に狙っていこうかと」
「それはご立派ですね。いや、わたしもしがない行商ですので、店を持てた時は参考にさせて頂きますよ。ちなみに、ご店主から見てよい人材というと、どんな方がいらっしゃいましたか」
クイドさんとお客様が和やかに会話を続ける。
すごい、全然途切れない。ボクなら挨拶してすぐに黙りこんじゃうのに。こういうのも勉強しないと。
****
お客様とクイドさんはだいぶ長らく話をした。けど、肝心の商品はほとんどやり取りしなかった。
向こうが持って来たものはほとんど買わなかったし、クイドさんの商品もほとんど売れなかった。
あんなにたくさん話したのに……。
(というか、話のほとんどが商売以外だったような……)
お茶を片付けて、テーブルの掃除をしようと商談室に戻ると、お客様の見送りに行ったクイドさんもやって来た。
なにか忘れ物かな?
「コロイ君、今日は助かりました。人前に出るのはまだ苦手でしょうに、付き合ってもらってすみませんでしたね」
「い、いぇ……」
ただ黙って立っているだけだったし、あれくらいならボクでもできる。
あれくらいしかできないんだけど……。
「おかげさまで、あちら様がなにに興味を持っているか、自然な形で探れたと思います」
クイドさんは笑みを深める。
それは、いつもの優しい笑い方ではなく、獲物に噛みつく牙を剥くような笑い方だった。
「ちょっと説明しましょう。協力してもらったコロイ君には知る権利があります」
クイドさんが椅子に座って足を組むと、さっきまでお客様が座っていた席をボクに勧める。
「あの方、前から小耳に挟んでいた中央から来た行商人らしき人物ですね。商人の間で、ちょっと怪しい、ということで注意が飛んでいたんですよ」
怪しい。そう聞いて、ちょっと納得して頷いてしまう。
「おや、あまり驚かないということは、コロイ君もなんとなく怪しさに気づいていた感じですか? 結構その辺り鋭いのかもしれませんね」
商売の話をしに来たのに、商品を売りも買いもほとんどなかったことが、ボクも不思議に感じていた。
ただそれだけだ。慌てて首を横に振る。
「まあ、とにかく怪しい人がいると噂になっていましてね。しかも、どうもアッシュ君の話に興味を持っているようで、それはちょっとわたしとしては見過ごせないところでして」
クイドさんが顔をしかめる。
クイドさんの最重要お客様、アッシュさん。
その名前は何度も聞いている。村にいた頃から、クイドさんが持って来る噂話で有名だった。
読み書きを勉強した方がいいと言われた後も、アッシュさんが使っていた、という勉強道具や勉強法を教えてもらったから、ボクにとってもすごく感謝がある。
そもそもボクが雇ってもらっているお店自体、アッシュさんのおかげで持てたらしいし。
クイドさんがアッシュさんのことで気を配るのも当たり前なんだろう。
「それで探りを入れたかったのですが、露骨に聞くと警戒されるでしょう? そこで会話のきっかけに、同じ年頃のコロイ君を話題に出せば、向こうも乗って来るかなと思ったんですよ」
そして、それは上手くいった。
クイドさんがまた、牙を剥くような笑みを見せる。
「幸いというか、どうやらアッシュ君が目的というわけではないようですが……。アッシュ君と同じ年頃の誰かを探している感じですね。今のこの街で、十代前半の有名な人物といえば、どうしたってアッシュ君とその周囲の名前が出て来てしまいますからね……」
それはそう。飛行機を飛ばしちゃうんだもん。
このお店にも、アッシュさんの話を聞きに来る人がいるくらいだ。
「単に将来有望な若者を気にしているというだけなら、なんの問題もないんですけどね。あの方の品ぞろえに、腕に見えた金細工の腕輪……」
金の腕輪がどうしたんだろう。
それは、とても高い品だっていうことはわかる。でも、商人がそうしたものを身に着けていても、さして珍しいとは思わない。
首を傾げると、クイドさんがボクの様子に気づいた。
「ああ、確かに、高価な飾りをそれとなく身に着ける商人は珍しくありませんね。それが食うや食わずの行商人でも、いざという時に換金できる品物として持つのはいいことです。非常用の貯金みたいなものですからね」
ただ、と続けるクイドさんの目が鋭くなった。
「中央の訛りに、石鹸を含んだ品ぞろえ、そして身に着けた金製品。これは評判のいい組み合わせとは言えないな」
目つきと同じく、クイドさんの口調が変わる。あと、声の質も変わった。
普段の朗らかさからは想像がつかない、固く鋭い口調だ。
「ネイヴィル殿から執政館の方に伝えてもらうか。いや、アッシュ君が絡んでいるならバレアスからの方が通常だな。でも、ああいう手合いとバカ正直なバレアスは相性が悪いから、下手に関わらせたくはない……」
やっぱりクイドさんはすごい。
ボクには全然わからないことが、クイドさんには見えている。
突然やって来た行商人の怪しさ。その危険と、危険に備えるための道が見えているんだ。
その道がいくつかあることも、どの道がいいか悪いかまで。
「あ、そういえば近いうちにアッシュ君が来るって連絡があったな。うん、それでいいか。それまでに商人仲間からもう少し情報を集めておけば、アッシュ君なら大丈夫だ」
一番いい道を見つけたらしく、クイドさんが笑みを浮かべる。
誰かの不幸をひそやかに後押しするような、恐い笑みだった。
「オレに見つかる程度の間抜けが、アッシュ君の前に出されてなにかできるはずもない」
軽く声をあげて笑ったクイドさんが、ボクを見る。
もういつも通りの、優しくて温かな笑みだ。
「コロイさん、今度のアッシュ君のご来訪の前に、特に丁寧な掃除をお願いしますね。倉庫の方も見て頂きますから、表も裏も念入りに」
こくこくと頷くと、クイドさんも褒めるように頷き返してくれる。
「では、わたしはネイヴィル殿に声をかけて、ちょっと知り合いの商人のところを回って来ますね。この街で商売している仲間として、怪しい方の情報は共有しないと」
ニコニコした笑顔のまま、クイドさんが出かけていく。
クイドさんはすごい。ずっとすごいすごいと思っていたけど、今日はもっとすごいところを見てしまった。
困っている人を助けてくれる優しい人ってだけじゃない。怪しい人を見つけて防ぐ強い人でもあるんだ。
いつかクイドさんみたくなりたい。
今日また一つ思いを積んだ。
明日はもっとがんばれると思った。




