手を出すな
(……きのこ)
ジェイデンは一人、ポツンと佇んでいた。
目の前にそびえる大樹が、そう見えた。きのこは父の大好物で、よく一緒に狩っていた。
唸り声が轟く闇の中。天は重く、大地は揺れ、吹き荒ぶ風に頬が痛い。その感覚に、嫌な何かが蘇る。
ふと、振り返った。
「……このトカゲが……っ!」
生姜色の髪と瞳。なんとも妖艶な男の名は――槐。
放たれるのは、極めて純度の高い殺意。研ぎ澄まされた牙が、一心にジェイデンへ。
「っ!」
臨戦態勢を止めた、二つの刃。
一つは、背後から首筋へ。一つは、真正面から脳天を捉える。
「――何をするつもりだ」
北斗が刀を抜き、僅かでも相手が動けば血が噴き出すところにいる。
「……こいつを守ろうってんのか?あ?」
「お嬢が『手を出すな』と言った」
「はっ、あの死に損ないのバケモノか。やっと死んでくれ――」
「黙れ」
二人からわなわなと沸き上がる憤怒が、形になって視えた。
「お嬢への侮辱は何人たりとも許さん」
「はっ!腰巾着が何をほざく」
「……何だと?」
青白い顔で、短くか細い眉がピクンと動いた。
「静を縛りつける。そんなモンは、俺が全部ぶっ潰す」
「そりゃてめーだろうが」
久遠の、長く伸びた鋭い爪。それは前進を許さない。
「逃げるしか能がない異端の狐の存在が、どれほどあいつの重荷になってると思う。どれほどお前を庇ってきたと思う。――調子乗ってんじゃねーよ!」
決して馴染まぬ獣のそれ。威嚇する形相に険しい黄金が凄む。
「嫌ならとっとと帰れ。てめぇの居場所じゃねーんだよ、クソヤローが!」
三つのそれが激突し、混ざり、一柱の上昇気流になって天を裂いた。
「ジンジャ―――!!」
轟く声に、ざわめいた。
「手を出すなと言っておろうが。許さぬぞ」
遠くの森から、近づいてくる。
一柱は消え、三人共が声のする方を向いている。
「それは逆恨み、やっかみと言うのじゃ。年下相手に下らんことをするな。生姜湯にするぞ」
姿を見せた、極彩色。
槐は清明の言うことしか聞かない。ただ、逆を言えば彼女の言うことだけは聞く。
解放できない積もり積もる感情は彼の中で膨れ上がる一方だ。
「……し、静……」
「清明じゃと何度言えばわかるのじゃ。顔を出したかと思えばくだらぬことばかりしおってからに」
「で、でも!」
「――〝でも〟?」
その迫力には、その方向にいた四人全員が身をたじろいだ。
「ジェイ!」
背後から疾風の如く追い越して。レオンとシェリーが駆け寄ってきた。
「大丈夫か!?」
血相を変え、レオンはガッと強く肩を掴んだ。少し、痛く感じるほど。
「お前、怪我してないか!?危ない目に遭ったりしてないか!?」
心配するレオンの隣で。シェリーは真っ赤に腫れた瞳いっぱいに涙を溜めている。頬には流れた筋がいくつも残る。
「お前らも何しとんや、アホ」
「「お嬢!!」」
岳が抱え上げるそれに、二人は一目散に駆けた。が、それぞれがお叱りの強烈な蹴りを一発ずつ食らう。
「情けない面見せんな言うたやろ!このアホ共が!」
片足でも全く揺れない。眠るジュリアには一切の攻撃の余波が及ばない。
「…………」
黄金が捉えたのは、その後に連なる白蓮。そして、レイ。ただ「連れられている」変わり果てた彼の姿に、事情を知るレオンとシェリーは沈痛の面持ちを向けた。
それはまるで、魂のない抜け殻。息をしているだけの屍。
「此処は神聖な大霊地。乱すことは許されん。喧嘩をしたいのならとっとと出ていけ」
それは、強い言の葉。ぐっと、三人が静かに黙り込む。
「――しかし」
客人を前に、清明は笑った。
言葉が出ないのは、その美しさのせいではない。それは、明らかな格の違い。
「やはり、お主らもタダ者ではないの。初めて来る者は途中で気絶するか、来たとしても即座に鼻血を出してぶっ倒れるのじゃが……さすがよの」
大樹が見守るように、岳がそっとジュリアを横たえた。その姿は、美しい眠り姫。
シェリーの瞳から、再び涙が溢れ出す。そんな彼女をレオンは慰めるように支えるが、実際は支えることによって支えられている部分も大いにあった。
「――さて」
場が整うと、清明は煙管を咥えた。守護するように岳、北斗、久遠の三人が侍る。その光景を、苛立ちながら槐は見つめていた。
紅い唇から昇る、紫煙の匂い。すぐに消えゆく儚い泡沫が、消えることなく確かな姿へと変わってゆく。
「魂現の術か。――お見事」
感嘆する白蓮に、目を瞠る一同。
そこに、一人の若い男が現れた。




