悪魔
そこは永久凍土の不毛の地。瘴気で満ちる穢れた焦土。何人たりとも生存は不可能。そこでは等しく、絶望の死が待っている。
そんな場所に灯る、桃源郷の月。その名は――ユエ。
内から発光しているような青白い肌に、絹のように上等な長い銀髪。冷たくも美しい銀灰の双眸。夢か現かと疑う幻想的な姿に浮かぶは、惑乱の相。この世のものとは思えない、奇跡の存在。
彼だけが許された空間に、一つの影が割り込んだ。
「どぉもぉ。お邪魔しますぅ」
飄々と現れた、狐の面。
「初めましてですなぁ。ぼく、白蓮言いますぅ。……まぁ、知ってますやろけど?」
ゾッと背筋が凍る圧倒的な死の気配を前に正気でいることは難しい。面で隠れてはいるものの、白蓮にそんな様子は微塵も見えない。極めて通常通りだ。
「なんでぼくがここにいるって?それは企業秘密ですわぁ」
口調もいつものまま。飄々として、軽口。掴みどころがない。
「調子は上々ですか?……まぁ、上々ですやろなぁ?」
しかしここで、彼の『いつも』が崩れ始めた。
「……ほんま、やってくれた。ぼくとしたことが、抜かったわ。……あんた、うち以上の鬼畜やな」
「……盗聴か。それは気付かなかった……」
心が痺れ、神経が麻痺する凄絶な美音。しかし、白蓮は狂わない。
「月が、気味悪ぅに笑ってましてねぇ」
二人の対峙に、環境が変化した。
深海よりも深く、高山よりも高い。まともに呼吸すらできず、身体の自由はない。こんな所でまともでいられるわけがない。……普通なら。
「ほんま……恐ろしい化物や。まさしく〝悪魔〟」
ユエの性は言葉で表しきれるものではない。人間の悪しき部分を全て集約させたような、性悪説の象徴のような男。サイコパスでバイオレンスでエキセントリック。見事に人格が破綻した、制御不能の核弾頭。
「あの二人は失敗したみたいやなぁ。でも、それも当然。護符グルグル巻き状態で来とったからなぁ。手ブラでよこすわけないとは思ってたけど、愛されように思わず笑ってもぉたわぁ」
「………」
「ただでさえ四神の件で大荒れの最中。この現状であの両家にまで出て来られると正直マズイ。世界が崩壊しかねんからなぁ。……まぁ、それがあんたの目論見の一つやったんかもしれんけど?残念やったなぁ」
ユエは、現在この部屋に幽閉中。その管理と対応を任されているのが、あの三本柱。
しかし、幽閉は自発的とも言える。裏を返せば、彼らが締め出された。
この部屋には厳重なセキュリティ体制が内部からも敷かれ、外部からは入ることはおろか近づくことすら不可能だ。……普通は。
「なんでしたっけ?『ゴッド』、でしたっけ?自ら神を名乗る不届きなアホは。ほんっま、呆れてよぉ物も言えん。人間如きが何をぬかすか」
「………」
「だ~れが、神が偉くて正しくて正義やと決めたんやろか?だ~れが、神が一人やと決めた。全知全能なる唯一神?あっほくさ。つまらんわ。ま~~ったく笑えん」
「………」
「ほんまの神さんはま~あ恐ろしい。キレやすいし好戦的、とてつもなく執念深くて陰湿や。恨みは末代まで祟って呪うし、何が何でもやり返す。そして――」
スルリと面が剥がれた。
現れたのは、完全に笑みが落ちた薄っぺらい白い顔。
「――仇なす敵は殲滅する。それが、うちのモットーや」
細くつり上がった双眸が、開眼した。その色は、黄金に似た琥珀。
「一度ならず二度までも、よりにもよってうちの大切な姫さんに手ぇ出しよった。こりゃもう無理や。どっかで発散ささな、爆発して丸ごと潰れる」
「………」
「まぁ、それで皆揃って滅びてもらうのもおもろいけど、あんたの意に沿うのは御免や。死んでも御免や」
白蓮の性も、実はユエと遜色ない。無慈悲で非情、残酷で冷徹な人非人。あの笑みは、光明と出会ってから得たものだ。
「ちょっと、ポカポカの陽だまりに当たりすぎたわ。平和ボケかな」
「………」
共に、人間の枠を超えた稀代の天才。彼らのやりとりは、次元が違う。
「やっぱ、やられる前にやらなあかんなぁ」
白蓮は笑った。まるで、挑発するように。
「ぼくらは元々、怨念と邪念、疑心暗鬼と権謀術数で満ちる悪の巣窟が産みの親。それは生まれ持った運命やと思うんですけど……違います?」
わざとらしいそれに、ユエが反応を示した。
「あんたは完璧や。持てるモンを持てるだけ持って生まれ、腐敗した世界でも見事に生き残っていけるいい性格をしとる。才は文句ナシや」
ニィ、と笑みが深くつり上がる。平らなそこに、あるはずのない影が浮かぶ。
「――じゃあ、なんででしょうねぇ?」
ユエから不穏な空気が流れ出す。……核弾頭に、わざと火を付けた。
「あんた、な~んでこんなとこに座ってる?王は玉座に座るもんや。こんな底辺におるもんとちゃうやろぉ?」
わざとらしい狐目が、笑みを刻む。
しっかり、薄く。冷酷な琥珀が覗く。
「なぁ?」
黒真珠の君様?
その、最後の言葉。玩ぶように扱われたそれに、ユエの瞳孔が一気に開いた。
轟く、激しい爆音。何もかもを吹き飛ばすように激昂が散り、煙が充満する。
「っくくく……せっかくの綺麗なお顔が台無しですよぉ?」
揺らめく中に、白蓮の姿はない。その声だけが、彼の残像をしっかりと残す。
「そぉや。今回の件で、あんたは完全にうちの怒りを買った。背後には気ぃ付けや~?」
ユエの荒れた息使いが聞こえる。いつまた暴発してもおかしくない。
「うちからバンバン命狙われるやろうけど、他の誰かに殺されんといて下さいよぉ?あんたは、ぼくが必ずこの手で殺す」
「………」
「まぁ、いずれ……また会いましょ……」
掴めない飄々は、煙と共に完全に消えた。




