最悪のアタリ
フランツは、その足でノエルの元へと飛び込んだ。
リクライニングのチェアにもたれかかり、ネガのような映像の帯が繭のように包んでいる。
そこに、いつもの華やかさはない。その分、彼の本質が全面に出てきている。
「先ほど転送して下さったので全てですか?」
ゆったりくつろいでいるように見えるが、今の彼は人間スーパーコンピューター。脳はフル回転で稼働している。
それを可能とするのが、彼が身体を預けるこのチェア。これは『技術』チーム特製の品で、脳波と連動して情報処理を行う。これによって従来よりも遥かに速く、多くの量をこなすことができるようになった。
しかし、この最新技術はまだ発展途中。負担もリスクも懸念される。現在これを使用しているのはノエルくらいで、日々のハードワークをこなしつつ自らをテストとしてチームにデータを提供している。
「あいつの目が通ってるのはな。でも、こんなモンじゃ済まねぇだろ。……まさか、これだけ情報操作されるとはな」
結果として言えば――現在、世界に流れる多くの情報が故意に操作されている。つまり、ほとんどが誤報だ。
誤報で誘導される世界。これほど危険で恐ろしいものはない。
「あいつが抜けた穴は……でかいぞ」
――ノエル、マクシミリアン、フランツ。この三人は、それぞれが優れた能力を持つ重要人物だ。
「あらかじめ手を打たれたな。それで、この経済危機か」
つい先刻、世界を先導する大国が破綻した。その影響は瞬く間に全世界へと広がり、その余波は未だ止まる所を知らない。
「ただでさえあの天災の影響で不安定な情勢が続いてるのに、追い打ちをかける大打撃だ」
「さすがテオ様としか言いようがありません」
優秀な科学者でもある彼は超一流の経済人でもある。白衣を着ながら、常に世界の動きを観察している。
そして、異変に気付き既に手を打っていた。
「しかし、カサノヴァだ。国家の裏帳簿なんて、一体どんなコネを持ってんだか……」
それが、秘密裏に単独で指示していたこと。確たる証拠を得るべく、探らせていた。
今のところ、最悪は免れている。
「戦争なんか起こればやつらが喜ぶだけだからな。そんなのテオが許すわけがねェ。意地でも止めるだろ」
表があれば裏がある。光があれば闇がある。それは、どの時代も変わらない。
「既にいつくか暴動が起きていると報告を受けています」
「経済危機から戦争突入の流れは鉄板。そうなれば闇市場が儲かる。戦争なんて闇そのものだからな。――そして、『神』に救いを求める」
「………」
「人間、困った時には『藁にもすがる』らしいからな。『全知全能』なんて苦しみが創り出した救済の幻想だ。そんなもん、あいつらにとっちゃいいこと尽くしだ」
「………」
「お前は大の戦争嫌い。この状況になりゃ、お前が必ず収拾に回る。となると、あいつの負担も自ずと増える」
「――全部、読まれてましたね」
「しかもわざわざ、ご丁寧に自分の色を残してくれてな」
マクシミリアンの共感覚は『感情が色で見える』能力。それは非常に強く、裸眼ではまともな生活ができないほど。本人のみならず、物質に移った残留思念までをも読み取ってしまう。
持て余す苦悩の種。見抜いてしまうその眼を、テオは評価した。情報精査に関して彼の右に出る者はいないだろう。
――マクシミリアンは過去に一度、ある色に当てられて今回と同様の状態になったことがある。
「プレミアの件も、ありゃわざとだな。あいつ、追わされてたんだよ」
彼が見つけた、残された痕跡。気が遠くなる、忘れはしない凄絶な悪意。
「テオ、相当ブチ切れてるらしい。殺気立ってて、誰も近づけねぇってさ」
「でしょうね。私も嫌です」
フランツもそれには同意。わざわざ行くのは死にたがりのドMか途方もないアホだ。
「で、どうするよ?」
「マクシミリアンは良くやってくれました。後は全部、私に回して下さい」
「……ハア?全部?……お前、この状況であいつの分まで請け負うつもりか!?」
「そうですけど」
「バカ言うな!無理に決まってんだろ!」
「無理じゃありませんよ。こんなこともあろうかと、秘密兵器を頼んでおきましたから」
ノエルはトントンと自分の頭を小突いた。
「まさか……」
「ピピさんに特注で作って頂きました。間に合って良かったです」
それは、脳に直接作用する特殊な電脳チップ。
ノエルは重要な参謀。知脳指数は相当に高く、膨大な知識を有し、高度な処理能力と適切な判断力を持つ人間スーパーコンピューター。日々卓越した指揮力を十分に発揮しているが、これを使えば全てが格段に、飛躍的に向上する。
しかし、それは諸刃の剣だ。いくら類稀な技術力を持つピピンとは言え、危険を全て取り除くことは難しい。しかも、彼は日頃から脳を酷使している。
「最悪廃人行きだぞ!?」
「だから何です?」
「!」
放つオーラに、思わず身がたじろいだ。
「それで死ぬならそれまでのこと。意志を全う出来るのであれば本望ですね」
「………」
決意の言葉に、フランツは思わず嗤った。
(……ほんと、『血』ってのもバカにできねぇなぁ……)
彼は、基本的に明確な根拠がない不明瞭で不確かなものは信じない。血だの神だのはまさにその部類に入るのだが、それが現実として明示されたのであれば話は別だ。
「それより、これは私の判断ミスでしょうか?」
「はぁ?」
「私は貴方の腕を見込んでお頼み申し上げましたのに。私の見る目がなかった、ということでしょうか」
自分に向かうそれを、ハッと嘲笑した。
フランツは根っからの負けず嫌い。そして、才ある筋金入りの野心家だ。
「ま~さか。勝者は常に俺。最後に勝つのは俺。頂に立つのは俺。俺の人生に、敗北はない」
力強く、自信たっぷりに自らの拳を握り締めた。
その時、ノエルの元に通信が入った。それを知らせる音が鳴る。
「誰だ?」
「……ピピさん、ですね」
「ピピ!?……もうそんな時間か?」
「いえ、まだ早いです。一体……」
過る、嫌な予感。彼が予定外の行動を取る時は、決まって良くないことが起きる。
それは、最悪にもアタリだった。




