龍の国
獣の双眸が、開眼した。途端、何か強い力に身体を引かれた。
濁流に呑まれるようにグングンと引きずり込まれる。ジェイデンは、この感覚に覚えがあった。
途中、流れの中で小さな爆発のような衝撃に遭い、大きくはじかれた。身体はその勢いに再び流れ、そのまま何かに激突してようやく止まった。
「―――――」
ジェイデンは、仰向けに倒れていた。長く続く廊の真ん中で。
「………っ」
眉間が大きく寄り、獰猛がさらに凶暴になる。無意識に鼻を覆った。
実は、ジェイデンの鼻はジュリアに匹敵するケモノ並。そうでなくともこの鼻をつんざく異臭には誰もが顔をしかめるだろう。
ゆらりと起き上がった。この匂いに、彼の鼻。普通なら一刻も早く離れたいと思うのが心情だろうが、ジェイデンが選んだのは逆。その元へと向かって行く。
ここがどこかもわからない。なぜこんな所にいるのかもわからない。しかし、ジェイデンの頭にそんな考えはない。ただ、足が進む方へ行く。
傍らには久しぶりの外。太陽が沈んだ夜には月も星もない暗闇だけがある。しかし、そんなものには目もくれず、ジェイデンは前だけを見ていた。
廊を終え、殿に入る。赤が多用された豪奢な空間は贅の限りを尽くし、独特の色彩や模様が細部にまであしらわれている。
初めての場所。正解など当然わからない。しかし、足取りは迷わない。
形相は凄みを増すばかり。覆ったところでどうなるものでもなくなってきた。無の鉄仮面をここまで無理矢理に変える。それほどということ。
「!」
ジュリアにしか反応を示さなかった黄金が、大きく剥いた。それは、彼が『心』を捨てていなかった何よりの証拠。
部屋の中に山積みにされた、死体の山。これが元凶だ。
「何を考えてるんだ」
静かな激昂が聴こえた。それは、やはり人並みはずれた聴覚がなせる技。
「………」
ゆらゆらと、おぼつかない足取りで。声のする方へ。
広大な敷地に民族調の建造物が立ち並んでいる。まるで街のようだが、そうではない。
人っ子一人いない。その代わり、数多の部屋には終わりを告げた山が出来上がっている。
ジェイデンががいたのは敷地の片隅にある小さな離宮。小さいといっても他と比べればの話で、常識で考えれば十分広い。
四方を高い壁に囲まれたそこは、本来なら何人たりとも侵入を許さない王の住処。――いつの間にか、本人の与り知らぬところでジェイデンは〝侵入者〟になってしまっていた。状況だけ見れば立派な犯罪者だ。
勝手に降りかかってきた現実など知る由もなく、迷路のようなそこを歩く。未だ臭いはきつく、ジェイデンの形相は終わらない。
暗闇を、煌々と殿の灯が照らす。無人でこんなに明るいわけがない。実際、ジェイデンは人の声と気配を感じる。
(……1、2?)
それは、父から鍛えられた能力。息をするように、無意識に感じ取った。
でも、何かがおかしい。奇妙だ。
嫌な感じがする。
『……ジェイデン。ちょっと隠れてなさい』
ふと、蘇る。
あの、感覚。
近づくにすれ、薄れ遠のく。凄みも消え、ただの人相の悪い顔に戻ってきた。
「……………」
思わず、脚が止まる。それほど、そこは全てがケタ違いだった。
鮮烈な赤の世界。天井は遠く高く、先は果てしない。広く、さらに輪をかけて豪華。金と手間の掛け方も段違い。これを見れば、今までは完全にモブ。
ただ、あの感じは強まるばかり。次第に、今までとは違う凶暴さを呈してきた。
気持ちが悪い。吐き気がする。内臓を素手で揉まれているよう。
「…………」
ジェイデンは再び歩き出した。間違いなく、このどこかにいる。しかし、彼は自分がそうするその理由を知らない。
『俺が迎えに行くまで、絶対に姿を現すな。――わかったな』
ふと、再び止まった。今まで前だけ見ていた顔が、どこか違う方を初めて向いた。
進路を変え、再び進む。――そして、辿りついた室で見たもの。
「……………」
赤が消えた、無機質なそこ。今までとは完全に別世界だ。
芸術品のような柱に代わって建つのは、カプセル。その中には液体と、何かが浸かっている。それはまるで、母親の羊水に包まれた胎児のよう。でも、何かはわからない。
それが、同じ室にいくつも。一室だけではなく、複数。
見て回れば、他にも研究室や手術室のような場所もあった。
「……………」
ジェイデンが足を止めた。
その部屋は、鉄格子の檻で埋め尽くされていた。サイコロのようなそれが何段にも重ねられ、全てが空っぽ。鎖で繋がれた拘束具が解放された状態で落ちている。
開いたままの扉が、キーキーとか細い金属音を鳴らして揺れている。
「だって、ここは『龍の国』なんでしょ?」
声が聞こえた。
そして、再び歩き出す。
一際立派な玉座の間。そこでようやく、人と出会った。
「見てみなよ、この龍。この宮殿の至る所にあるんだよ?どんだけ自己顕示欲強いんだっつーの」
そう言って、目の前の像を蹴り飛ばした。
玉座の前にあった、向かい合う黄金の龍。その片方の首が落ち、粉々に砕けた。
「この広さもとんでもないよね。どんだけ調子に乗ればこうなれるんだろうね。権力の象徴っての?まぁ、実際?ココの皇帝は自分が神だって自称してたみたいだから?あっははは!バカじゃん。チョ――バカじゃん」
遥か後方にこっそりと身を隠し、確認する。
広い空間に、二人。玉座に座る男と、対峙する者。ジェイデンの位置からは玉の顔しか見れず、背中しか見えないもう一人の詳細はわからない。
「でも、ちょーどいいよね。神の宮殿。僕にふさわしい」
「そうやって、今までも数多の国を潰して来たってわけ?」
静かな怒りに満ちた声。ジェイデンが最初に聞いた声だ。
白いロングコートに、黒い黒髪。声も低い。男だろうか。
「だって、神は一人じゃん。全知全能なる唯一神なんだから。パチモンは消さなきゃ」
「……ふざけたことを……っ」
「ふざけてるのはこいつらじゃん。知ってる?『王権神授』ってやつ。自分を頂に置く為にでっちあげるんだよ。嘘つきじゃん」
「なら、君も嘘つきだ。ただの人間なんだから」
「〝ただの人間〟?僕が?どこが?」
馬鹿にした、見下す嗤い。
「その傲慢さが人間そのものだって言ってるんだよ。わからない?君のやったことは大虐殺。一体、どれほどの罪のない人を殺したと思ってるんだ」
「だから、僕は神だから。生かすも殺すも僕の采配次第でしょ」
両手を広げ、アハハと悦に浸る。
「僕を信奉しないやつなんていらないの。不要なゴミだね。ゴミはあると臭いでしょ?だから捨てなきゃね」
内容は全く理解できない。でも、ジェイデンがその場から動くことはない。じっと黙って聞いていた。
それは考えてのことではない。
「実験はできて、ゴミは捨てれて、モルモットが手に入る。最高だよね。一石三鳥だよ」
「…………」
「でも、ウイルスに関しては改善の必要アリだね。死ぬまで操り人形になってくれるのはいいんだけど、すぐにダメになる。耐久性が弱いんだな。廃人になる確率もまだ高いし……目指すのは〝ゼット〟なんだよね」
丸と三角でできた、歪な両の目。口が大きく切り裂け、歯茎を見せて嗤う。
「不死身の、生物兵器。僕の思うがままの――ね」




