約束
高い杉の木の上に佇む、一つの影。やけに暗いのは、雲が月を隠しているからだ。
「お~い、北斗~」
岳の声が呼ぶ。
風が雲を払い、欠けた月が僅かに顔を出す。
たなびく蘇芳の着流し姿。それはまるで、死装束を纏った躯のよう。
「お前、ええ加減にせぇよ。こっちがせっせと頭の固いお偉いさん方相手に説得に走ってんのに」
清明と酒を楽しみ、今の岳は少し饒舌だ。気分もいい。
しかし、待っても返事が来ない。大きく嘆息し、ボリボリと頭を掻いた。
「お前なぁ、そんなんやから清明にいつまで経ってもガキやなんやって子供扱いされるんやで?幾つやと思ってんの?拗ねたところで可愛ないからやめとき」
それでも、反応がない。
「ヨシノは、約束守ってくれたやろ」
ざわっと、風が荒れた。
そよぐ、桜の羽織。右に差した太刀が顔を出す。
「…………」
夜風に舞うその姿を見れば、過ぎた春を思い出す。
寂しい気配に、酔いも気分も冷めてしまった。
「サクヤだってそうや。俺らだって、約束、守らなあかん」
「……守るよ」
表情は見せず。ようやく応えた、絞り出す小さな絶望。
「でも、俺は……許せない」
今度は、岳が黙る番だった。
「いくらあいつが言ったって、憎いものは憎い。許せないものは許せない。あいつが死ななきゃいけない理由なんて、どこにもない」
喪失は、あまりにも大きかった。そして、代わりなど誰もできなかった。
「なんで……あんな目に……っ」
口に出した現実に。理不尽さに、身体が震える。
溢れ出す感情。これを制する術など、知らない。自分ではどうすることもできない。
「あいつらが、何をした?なんで、あいつらが死ななきゃいけない……っ」
一人では、どうしようもない。こんな時、傍にはいつも彼らがいた。
空のように大きくて、花のように美しい。太陽のように温かに照らし輝く、不死鳥のような不滅の存在。
それも――今はない。
「全部、死ねばいい。滅べばいい。潰れて、消えてなくなればいい」
岳は、深いため息を吐いた。
「んなコト言うなや。もしそうなれば、あいつら全員無駄死やぞ。怒られるどころの話じゃないわ。あいつらが何に命を懸けたのか……わかってるやろ?」
諭すように、風が吹く。その音は、とても儚い。
「俺らは預かってんやぞ。ちゃんと前向かなあかん。じゃないと、顔向けできへん。そもそも、俺らの役目を忘れるな」
「………」
「お嬢を取られて、どうも本家の機嫌が最悪でなぁ。まぁ、他の男の面倒みてるっていうんやからそれもしゃーない話なんやけど……」
見て、笑った。
「まるで、昔のお前らやなぁ?懐かしい」
「………」
「やつらもまだまだ若いなぁ。あの性質の悪さ相手にどれだけ妬いてもしんどいだけやってのに……なぁ?」
無言を貫くその背に、「まぁ、ええわ」と目を瞑った。
「お嬢がいつ戻って来るかはわからんけど、それまでにはちゃんと整理つけとけ。んな情けない態度、死んでも見せるな。わかったな」
それは問いかけではなく、命令。
「俺も知らんかってんけど、お嬢の初物が出来たらしいで?」
バッと振り向いた顔。今までの重さが嘘のよう。
血色のない白い肌。底なし沼のような暗色の瞳。モノクロのそこに、久しぶりに色が浮かんでいた。
「今度、お嬢が帰って来た時に宴で呑むってさ。仲間外れにされたくなかったらちゃんとせぇよ」
岳はそう言い残し、姿を消した。
「……………」
向き直り、北斗は遠い空を見た。
夜空に、星が輝く。
「………サクヤ」
舞う風音が、笑っていた。




