国宝
「熱心に何を読んでいるのです?」
「――鈴蘭様」
室の外に美しい藍染の立ち姿。身体ごと向きを正し、頭を下げた。
黒髪を結まとめた眉目秀麗な美女。涼やかな目元が織りなす、伝統の『和』の顔。
その美貌は「月も霞む」と言われ、その全てに教養の高さを感じられる。管弦の才に長けた『琴姫』には、雄玄も教えを乞うている。
本家に名を連ねるのは〝当主〟双樹と側近二人。〝当主名代〟大和。〝嫡男〟雄玄の他に、あと四人。
彼らは、分家から迎えた養子組。鈴蘭以外は別邸を構えており、それ以外が本邸に居住している。ただ、理由は違えど当主と名代はほとんど帰って来ない。
本家直系の血を引くのは雄玄のみになるが、彼は自らを一番下に置いている。
「叔父上から『春重録』をお借りしたのです」
「それはそれは……」
「よいものかと躊躇はしたのですが……」
この国には――いや、この世界には。
歴史がない。
世に言う『ゼロ大戦』。世界を無に帰すその戦は、極東のこの小さな島国にも甚大な被害を及ぼした。
結果として国を閉じることになり、当時生きた半数以上が命を落としたと言われる。
それ以前の記録は、火に焼かれ、水に沈み、混乱の中で失われた。
古を知る記録は全て国の管理下に置かれ、重要文化財に指定されている。『春重録』はその一部で、その題字は彼の死後に付けられたもの。中身は当時を生きた絵師・芥春重が流浪の日々を書き綴った日記で、一年を一冊に。全てで72を数える。
大戦の前後を知る貴重な文献として保存にあたり複製がなされたが、見たところ、正真正銘の原本と思われる。
(……さすが牛頭馬頭。国宝を私利私欲に……)
重要文化財は、複製もまとめて全て。原本は国宝に指定されている。通常、「お借りした」は不可能だ。
それを認知しているからか、本人の顔色はあまり芳しくない。甥の方が遥かに良識がある。
おそらく、彼のこの迷いも叔父からすれば「兄上に似て…!」と感涙で受け入れられることだろう。
「国宝と言いましても所蔵は春重です。本人の意思でいかようにもできましょう」
それらは全て、代々の子孫が大切に保管していたもの。今も尚、その手を離れていない。
「ただ、本人は権力と結びつくことを非常に忌み嫌うようですが」
「……そうなのですか?」
彼が意外に思うのも無理はない。
初代から当代まで、『芥春重』は御門家お抱えの御用絵師。御上の肖像を描くことを許された唯一無二の名だ。
「今まで、歴代の誰一人として超えられない。天才の初代さえもが『あれ以上はない』と謳う傑作を御上に献上した。そこに意味があるのでしょう」
――〝春重は国の宝〟
それたらしめる名画こそが、唯一彼の手を離れた『国宝』。各地の風光明媚を数多く残した彼が、唯一描いた人物画。
「そして、今は姫様がいらっしゃる」
「………」
「初代春重が生み出した『春の青』。あの独特の色合いは、一子相伝で受け継がれる再現不能の彩。例え、本人がどんな人物であろうとも……」
そこに滲むのは、到底受け入れられない彼の素行。本来ならば、近づけることすら許し難い。
それでも尚、心惹かれるのは事実。
「あの青は、誠に美しい」




