芥
夜に華やぐ、鮮やかな花街。
「茂さん、こっち寄っとくれよ」
「お~、またな~」
通りを歩けば「茂さん」「茂さん」と呼びとめられる。
女の香と酒の匂い。くたくたに使い古して柔らかくなった古衣のような妙な雰囲気を漂わせ、どう見ても金を持っているようには見えない。花に似合わぬみすぼらしい風体のこの男は、夜の色を拠点に津々浦々と放浪している。
「茂さん!今度は私を描いとくれよ」
「お~、お前はベッピンだからな~。有難く頂戴するぜ~」
絵師を生業とする彼は、春画と美人画で生計を立てている。現在最も人気のある絵師の一人で「三度の飯より女が好き」と豪語し、稼いだ金は惜しみもなく湯水のように女たちに使う。
おかげで、常に貧乏暮らし。借家のボロ長屋が住処だ。
「おかえり、ジンジン」
「うおわっ!」
四十路だというのに所帯も持たず、女は買っても連れ込むことはない。そんな男の家で、一人の若い女が帰りを待っていた。
「な、な~にしてんだ、おめェ!」
「のんちゃんの話聞かせて」
「はぁ~~~。またかよ」
重くうなだれると「しっつこいなぁ、おめェはよぉ」と頭をガシガシと掻きむしった。
男の名は、芥春重。しかし日常では雅号の『桜木歌茂』を名乗っており、彼がそうであることを知る者はまずどこを探してもいないだろう。
所帯を持たないのも自由を好むが故。なのに、ここ最近どこへ行っても押しかけ女房よろしくこの女がやってくる。
全身が宝物のような、上等な振袖姿。全国の美人を絵にして暮らしてきたこの男が、「金にならない」と言う。
あまりに桁外れで、最初は妖が化けて出て来たのかと思った。
敷きっぱなしの布団の傍で姿勢正しく正座している。育ちの良さを感じるそれを無視して潜り込めば、掛けたばかりの薄っぺらな温もりを剥がされた。
「なんでジンジンはそんなボロボロなんだ?全然イケてないぞ。それで女の人の相手するって、めっちゃ失礼じゃないか?男としてのマナーや嗜みってモンがあるだろ」
「バーカが。俺の良さがお子ちゃまにわかってたまるかっての」
「なんだそれは。私はお子ちゃまじゃないぞ」
「なーに言ってんだ。おめ――」
そこで、捉えた。
「………マジか」
「なーん?」
痩せぎすの軽薄な顔で。酔った瞳が、丸く見つめた。
(コレ……一人や二人じゃねぇな)
そこかしこにマーキングの色。
(相当な独占欲だな……これが数人?ウソだろ)
仮にも絵師。目は商売道具の一つだ。
「ったくよォ……」
寝るのを諦め、布団の上で片膝を立てて座った。
本来ならここで一服、煙管でも吸いたいところだが、この女がいたのではできない。毎回毎回「禁煙」やら「健康第一」やらとうるさく、それでも断行しようとした結果、揉めて危うく火事になりかけた。
おかげで、余計に所帯を持つ気が失せた。
『姫様には絶対。何があっても手を出すな』
殺気混じりの脅迫。
姫など、芥の自分とは何の接点もない。本当なら、こんな下界で一緒にいるはずがない。
過保護に、蝶よ花よと育てられていると思っていたが、本人はかなり自由奔放なよう。だからこそ、そうなるのかもしれないが……
「聞いたぞ。ジンジンは春画を描いてるんだろ」
「お、おぉ」
羞恥など感じたことはない。いつも堂々と胸を張っているが、この顔で言われるとどうも居心地が悪い。
「見せてくれ。春画といえば私だろ?」
「…………は?」
一体、何を言っているのか。なにが「といえば」なのかさっぱりわからない。
「みんな見せてくれないんだ。この前「見せて」って言ったらたっちゃんとみっちゃんが仲良く揃ってお茶吹いた。さすがゴズメズ、息ピッタリだ」
(あぁ……この前の呼び出しはそれか)
結局無視したが、その理由が今わかった。そして、自分の判断は正解だった。
「春といえば桜。タンポポにチューリップに菜の花。梅に椿に、すーちゃんの鈴蘭。花がいっぱいのいい季節だ。どれを描いてるんだ?」
「……おめェ……」
まっすぐに。美しい空の青を見た。
「マジでガキだな」
この見目に騙されてはいけない。中身はてんで、何も知らない子供のままだ。
「あ。わかった」
「あ?何がだよ」
「それが『アホな顔』って言うんだな」
「はぁ?」
声も顔も奇妙に歪む。
「ジンジンはアホな顔だって。これで一つ学んだ。レベルアップ、ポポーン」
「だ~れがそんなこと言ってやがった!」
「みんな」
「みんなだとぅ!?」
「それで、『腎張りの楽助』さんだ。目がやらしくて、顔もしまりがなくて下品」
(……あんにゃろが)
誰からの受け売りか、大体の見当はつく。おかげで、いつの間にか「ジンジン」で定着した。
「あ、アレか?『目が合えば女が孕む』ってヤツか?ノヴァっちがそうなんだ。モッテモテ。めちゃスゴ」
「……まぁ?俺ほどの男になりゃあ、女が自分から寄って来るってなモンよ」
目をうっすらを細め、パラパラと顔にかかる伸びた前髪をふっと澄まし顔で払った。悪くない。
「甲斐性のない男は最低だぞ。子供がいるならちゃんと責任取らなきゃダメだぞ」
「バ―――カ。俺を誰だと思ってやがる。そんなヘマするワケねーだろーがよ」
それこそ『最低』にふさわしい文句だが、彼はそれを『いい男の証拠』とでも言うように堂々と胸を張って言い切る。
「そうだ。今度お酒持って来る」
「ほぉ?さすがのおめェも俺に貢ぎたくなったか?」
「貢ぐ?それは違うな。『ついで』ってやつだ」
「なんだとぅ!?」
その感情も、彼女には通じない。返って来るのは、いつも同じ『無』。
「呑み過ぎはあかんけどな。私、代々お酒つくるんだって。畑が残ってて、野菜とかお米とかつくってるんだ。自給自足ってやつだな。それで、つくってみた。今度御馳走しよう。料理も教わってるんだ。得意料理はパンとおにぎり」
「握り飯は料理じゃねェよ。……まぁ、酒に罪はねぇかんな。もらってやらんこともねぇ。料理ってェなら、美味い肴の一つや二つは持ってきな」
春重が女の次に好きなのが酒。そのイイモノ二つが揃うから、この街が好きなのだ。
「あ。なるほど。ジンジンはオトナ男子でハーフアップ男子なんだな」
「はぁ?呪文か?」
「本で読んだ。流行りなんだろ?」
「知らねぇよ!」
ガキだとバカにする十代の小娘に振り回される四十手前の中年オヤジ。この構図に、本人はまだ気付いていない。




