蘇芳と撫子
「あ、ユウ」
白蓮とジュリアが気付き、皆がそれを意識した。
冷たい白雪に覆われた、花の顔。凛と咲く高嶺の花に、言葉を失う。
「――お初にお目にかかります。雄玄と申します」
ズクン、と身体の芯が揺れる。
骨に響き、脳を揺らす。全てを支配され、奪われるような……極上の音。
「ユウ、よく来たな。顔上げろ」
ジュリアはポンと肩を叩いた。
「姫様、白蓮様。私の未熟さ故にお待たせしてしまい、申し訳ございませんでした」
深々と頭を下げる謝罪に「もうええってぇ、ほんま堅いなぁ」と白蓮は笑いを引きずる。
「私からもみんなに紹介。ユウは私のソウルメイトなんだ。すっごいイイ奴でイイ男だ。将来有望だぞ」
ジュリアは雄玄の肩に腕を回し、自分より低い顔にそれを寄せた。対比して驚くが、雄玄のそれは彼女の驚異的な小顔とほぼ同じ。
「恐縮でございます」
浮かべる、冴えた笑み。冷たい白雪から覗くそれには、思わず鼓動が跳ねる。
(……すっげぇ、声……)
レオンは、ただ単純に。素直に、率直に。そう感じた。
(……………男かよ)
フランツは、ニヤリと嗤った。一瞬、騙された。
他も同様で、目を瞠っている。
よくよく見れば、ちゃんと男だ。ただ、第一印象がすごすぎた。思考や記憶を吹き飛ばす、それだけの威力があった。
一つに結った腰まで伸びる漆黒の長髪は真っ直ぐしなやか。大人びた表情をつくる漆黒の双眸もこれまた美しい。
誰もが一瞬、何の疑いもなく女性だと思った。
「~~~~~~っ!」
この美しさに、この男が何も感じないわけがない。
「こ、これこそまさに……まさに……東洋の神秘だよぉぉお!」
次の瞬間、滝のように双眸から凄まじい光が溢れ出す。感極まって立ちすくみ、一歩も動けない。
号泣しているのかと錯覚するその豪快なボリュームに周囲はギョッと目を瞠った。頭でっかちの小さな身体はビクッと跳び上がり、白衣の後ろにすっぽり隠れてしまった。
「う、うううう、美しい~~~っ!!」
錯覚ではなく、いつの間にかおいおいと本気で泣きだしていた。
「コレ、みーやんの見立て?」
「はい。おわかりになりますか」
「みっちゃんが絶対ほっとかないだろ。そうなったら、絶対みーやんだ」
白蓮も「確かにそりゃそうや。必然やな」とウンウンと頷く。
「タキ」
溢れてグチャグチャになった顔が「ん?」とジュリアを見上げた。
「クイズだ」
「クイズぅ?」
脇からスッとハンカチが差し出される。見るに見かねたアレキサンダーの心配りだ。
「……サンキュ」と受け取ったそれでゴシゴシと顔を拭きながら「クイズって何がぁ?」と涙声。
「お前、うちの文化に興味あるんだろ?和色だ。当ててみろ」
それは、雄玄の美しい羽織り袴。涙に濡れた黒褐色が、じっと凝らして見つめた。
「羽織が薄紅、着物が濃紺、袴が銀灰」
装束に関するあらかたの知識は既にジュリアや白蓮から習得していた。だから、本来なら知るはずのないそれらの名称を言える。
「ブブー」
「えぇ!?うっそ!!」
「ダメダメだな、お前。それで美や芸術を語るなんて百年早い」
「はぁ!?じゃあ、お前わかんのかよ!?」
ジュリアは自分の口の動きを読まれないように隠し、雄玄に耳打ちした。
「さすが姫様。お見事です」
「う~~~~っそ!!」
愕然とするタキを前に「ど~だ、参ったか!」と仁王立ち。
「……くっそ……壊滅的なお前に言われるなんて……屈辱っ!」
両手両足を床につき、絶望に打ちひしがれた。さっきとは違う涙がポタポタと零れ落ちる。
「……ハクレン様、おわかりになりますか?」
タキが正解だと思っていたレオンは、同じ国の者に尋ねた。
「羽織は撫子、着物は鉄紺、袴は銀鼠。……どうかな?」
「ピンポーン!」
「さすが白蓮様」
見事正解を言い当てた白蓮は「いや~、よかったよかった」とほっと胸を撫で下ろした。
「……なんですって?」
「あら。レオンくんは初耳かな?」
「えぇ……」
それは彼のみならず。国外の者は皆同じだった。
「うちの色彩感覚は繊細なんよ。『赤』とか『青』でも微妙な違いで何種類もある。タキくんは単色や原色使いが多いし、馴染みがなかったらなかなか難しいかもしれんな」
彼のセンスは彼自身を見ればわかる。それが非常にジュリアとも相性が良いのだ。
「普通に言えばタキくんは正解なんやろうけど、姫さんは『和色』って言いはった。それぞれの色には、ちゃんとそれぞれの名がある」
「……はぁ」
「この前も、うちは美意識が高いのが多いってゆぅたやろ?こうゆう組み合わせを楽しんでるんや。ちなみに、こんなもんは序の口」
「………は?」
下の方で、ピクンと四つん這いの身体が反応した。
「うちの伝統装束はこんなもんじゃない。『かさね色目』てゆぅのがあってな。色を組み合わせていくんやけど、これにもそれぞれ種類と名があって、やったら多い。例えば、この『撫子』」
そう言って、雄玄の羽織を掴んだ。
「今は染色でこの色にしてるけど、『合わせ』ゆぅて生地の裏表で色を出すんや。要は『赤と青で紫』ってことやな」
「……なるほど」
「『撫子』は、『表紅、裏紫』か『表紅梅、裏青』。表が蘇芳でが萌黄って場合もあるけどな。なんでかそこらへんは曖昧なんよな」
「……えっと……?」
急に計算の難易度が上がった。知らぬ語彙まで出て来たので余計にだ。
「萌黄は春野の緑や。春に萌え出る草の芽の色。蘇芳は……」
「ちょうどここに」と細い指が柔らかな猫っ毛をつまんだ。
「姫さんの髪の色は『蘇芳』。これはうちでめっちゃ重宝される色や」
「そうなんですか……」
この赤黒い色にもちゃんと名があったよう。ジュリアは「そうだ、蘇芳なんだぞ」と文字通り胸を張って威張っている。
「ちなみに『撫子』は夏の色目になる」
「季節ごとで決まってるんですか……!」
「そうやで。『季節感』はうちの大事な美意識の一つやからなぁ」
「季節感……」
「うちは四季。一年間に春夏秋冬が移ろう。それを味わうのが粋で風流ってことや。まぁ、四季どころか季節自体がなくなってきた『現代人』の皆様方にはわかりにくいことかもしれんけどなぁ?」
レオンはうっと言葉に詰まり、顔を強張らせた。
(……なんでそんな挑発的な物言いを……)
レオンの国には四季が残る。しかし、それは例外に過ぎない。
世界のほとんどにそんなものはない。あるのはほんのごく一部。その事実が及ぼす弊害はとんでもなく大きい。
「タキくん、『十二単』は知ってるな?」
いつの間にか、俯いていた顔が見上げていた。
「……あ、はい。その名の通り、重ねて着るんですよね」
「そう。これがまた、クソめんどくさい」
「え」
断裁に、タキは潰れたカエルのような声を出した。
「この場合、生地の表裏に重ね着や織物の色の組み合わせまで考えなあかん。いわば、総合芸術ってやつやな」
「……総合芸術……!」
魅力的な響きに、低いお鼻が動いた。
「季節を無視したらマナー違反で『センスなし!』決定。でも、みーやんのセンスは天下一品。めっちゃオシャレさんなんだぞ」
「――とゆぅことで、うちじゃ男も女も目が肥える。センスは重要でなぁ。……ま、ぼくはそんなんイヤやから?だから、ラク~な着流しが一番や」
仰ぎ見る顔に、先程までの面影は微塵もない。宝物を目の前にした子供のように煌々と光を放つ。それは、色黒が黄金に輝いて見えるほど。
「でも、はーちゃんのソレはあかんヤツだろ」
ジュリアの言葉に「ん~?なんでですぅ?」と首を傾げる。
「蓮はダメなんだろ?仏花だから。喪服の花って聞いたぞ」
ゾッと。一気に周りの空気が強張り、冷たく下がった。笑う顔が陰り、不気味さが増して見える。
「でも、ぼくの花やしねぇ。姫さんの桜みたいな。姫さんはコレ、お嫌いです?」
「全然。イイと思う」
「なら、ヨシとしましょ!」
白蓮は、ウンウンとその笑みで頷いた。
(いいのかよ!!)
レオン渾身のつっこみが、胸中で披露された。
「………あのさ」
下からの声に「ん?」と空を落とした。
「近くで、見たいんだけど……」
まるでおあずけ状態の犬。うずうずと堪え、まだかまだかと待機している。
振袖や着流しは経験済みだが、羽織袴は初めてだ。
「ユウ、いいか?」
「ええ、どうぞ」
顔全体がピカーンと発光し「ありがとう!」と驚きの瞬発力で間合いを詰めた。
「へぇ~~、マジで綺麗な色。これが撫子っつのな……確かに、桜とか桃とはチョイ違うな……今、国は夏なん?」
「いえ、真逆ですね。春を待ちわびる冬の頃です」
「え!?話が違うじゃん!」
「先程仰られていた『桜』や『桃』は春の色になりますが、姫様はいつもお召しになっておられるでしょう?季節を超える、そういうものもあるのです」
「撫子はユウの色だからいいんだ」
ジュリアの断言に「どーゆーコトよ?」と説明を求める。
「ユウのママが『撫子』。大切な大切な名前だ」
「……そうなん?」
見つめる色が、それを受けて少し変化していた。
「男ながらなんとも女々しく、恥ずべきことと心得ておりますが……これは亡き母の――」
「いや!もういい!それ以上言うな!」
掌を突きだし、先を封じた。
「……くっ……なんて話だ……泣けるじゃねぇか……っ」
ずずっと鼻を啜り、「ちょっと待てよ」と返さずに持っていたアレキサンダーのそれをちり紙替わりにチーンとかんだ。
「あ~~~、俺はダメなんだよ……こーゆー家族系は……」
「―――――」
空気が、ほんのりと温かくなった。
(……う、お……)
(これはまァ……)
雪が溶け、冷たく覆われていた花が綻んだ。
一瞬、呆然と見つめていたタキだが。すぐに「美し―――い!」と完全復活を果たした。
全てを呑み込むその力。しかし、ジュリアは「ピンクが似合う男はオッシャレーだよな」と的外れなことを白連と喋っている。
「……触っていいか?」
「どうぞ」
普段なら「ひゃっほーい!」と声を上げて飛び付くところが、緊張しているのか、慎重。伸びる指はおそるおそる、震えている。
「うわ、軽っ!」
とびきりに触れ、指先が跳ねた。
「……織りはしっかりしてる。厚みもある。……なんでコレでこの軽さなんだ?」
今度はじっくりと、手と目で確認しながら吟味する。
「コレ、何で織ってんの?」
「絹です」
「絹ぅ!?うっそだぁ!」
「本当ですよ」
「え~~~~?」
その問答に、とある二人の表情が変わった。
「たぶん、うちのお蚕やろなぁ」
「お蚕?」
「うちの蚕の糸で織ると、他の絹織物よりも軽く仕上がるみたいや。たぶん、種類が違うんやろ」
「へぇ~~、ナルホドねぇ……」
興味深く光る双眸。「そうなのですか?」「そうなーん?」と、雄玄とジュリアも初耳のよう。
「ちょっとどけ!」
「おい!コラ、ちょっと!」
フランツが、最中のタキを押しのけてグイと前に出た。
(……確かに、軽い)
散々、上等の絹に触れてきたからこそわかる。全てが一級品で、混合物があるわけでもない。
「これ、やたら火や水に強かったりするか?」
「いえ、そんなことはございません。ただ、そのようなものもございます」
「あんの!?」
「はい。作り手の腕次第ですが」
ヴァイオレットの奥。もっと深い虹彩が反応した。
(そっちか……!)
「――――」
美しいビー玉が、静かにじぃと覗く。
白蓮は、誰にも気付かれぬゆったりとした速度で。潜みながら、じっくり。僅かに、それでも確かに。笑みをつり上げた。




