逃げるな
「あらまぁ、姫さん。お綺麗でぇ」
白蓮は、素顔で笑みを浮かべていた。
傍らで、シェリーの双眸から感涙の如き光が零れ落ちている。完全に魅了された骨抜き状態だ。
レオンも、ジュリアの和装姿は今まで何度が見たことがある。しかし、今日のそれは今までのそれとは趣がまるで違っていた。
「ほんま、素敵ですよぉ。大人な女性って感じがしますわぁ」
「そうか?ありがとう」
じっと、呆けるように見つめていたレオンの口が開いた。
「……夜の桜……か?」
「あら、レオンくん。さすが、お目が高い!」
レオンは、ジュリアと出会って初めて。『桜』という美しい花の名を知った。
「急に大きくなりはって、今までのんがあかんくなったんですよ。だから新しく仕立てることになったんやけど、そこはさすが姫さん。熱烈ラブレターみたいに反物やら何やらが山のように献上されてきてぇ」
そして、その笑みを違う方へ向ける。
「シェリー姫も、これまたお美しい」
ポッと頬を紅潮させ、恥ずかしげに正気に戻るシェリーの前に「そうでしょお!?」と色黒の顔がグイと挟まれた。
「ほんまにお綺麗ですなぁ。コレ、全部タキくんが?」
「チョ―――自信作ですよ!」
プリンセスラインのドレス。淡いイエローの生地は歩くだけで宝石のようにキラキラと輝いて見える。ヘアアクセサリーも揃いで作り、セットもタキが手掛けた。
「あ」
「ん?」
「ちなみに、着替えは一切手伝ってないんで!ご心配なく!」
「あっはははは!それは大事やなぁ。あっはははは!」
白蓮は笑っているが、レオンにしてみれば全然笑えない。
そんな中、ある事に白蓮が気付いた。
「姫さん、何してはりますの?」
それは、ジュリアの謎の行動。彼の発言により、一斉に注目が集まる。
「準備」
「……何のですぅ?」
「眉」
「眉ぅ~?」
今まで誰も気付かなかった、ジュリアが持っていた巾着袋。
目が眩み、誰もが正常な判断力を失ってしまっていた。……切に、『混ぜるな危険』だと実感する。
ジュリアはそこから愛用の硯と墨、筆を取り出すと、おもむろに机の上で準備を始めた。
(……な~んか、嫌な予感……)
レオンのそれは、残念ながら見事に的中する。
「あ~、なるほどねぇ!」
途端、白蓮はなぜかジェイデンの背後へと回った。そして、翡翠の髪を拭った。
「……あ」
現れた、美しい白磁の額。光沢さえ感じるそれは、見事な眉無しだった。
(……うっ、わぁ……)
ただでさえ人相が悪いのに、その上眉無し。凶悪さは格段に跳ね上がる。指名手配の極悪犯でも尻尾を巻いて逃げる面構えだ。
「ナイスはーちゃん、さすがだな。そのまま髪抑えてて」
「はいはーい」
「!」
そこで、ようやくタキが勘づいた。
「ちょっと待て!ジル……ッ!」
顔色を変え、必死に止めに入る。――が、もう遅い。一度動き出したジュリアは止まらない。
右手に持った筆にたっぷりと墨を吸わせると、なんの躊躇いもなくベチャっと額につけた。そして、スルスルと横に滑らせる。
「――よし。見事な眉だ」
出来上がったのは、一筆書きの太巻き眉。
「眼つきが悪くて、眉無し。これはマズイ。人相が悪いと第一印象が悪い。コミュニケーションに悪影響だ。だから、眉。これで少しはマシな顔に――」
「なるか―――――っ!」
レオン渾身のつっこみがジュリアを遮った。
「なんだよこれは!ひっでぇ、マジでひでぇ……うわっ、垂れてきた!」
描かれた一筆眉。白い陶器肌はそれを弾き、黒い筋が枝別れに滴り落ちていく。
「オ――――マイッッッ、ガ――――――!!」
一同が身体を震わせた、この世の終わりのような絶望。発信源であるタキは、顔を真っ青に染めていた。
「……な、ななななな……」
声を震わせ、弱弱しい足取りでジェイデンに寄る。
悲愴の眼差しは一転、真っ赤な憤怒に染まった。
「ジ――――ル――――――ッッ!」
「なーん?」
「なーん?じゃねぇ!何してんだお前!」
「だって眉無しだから。眉描いた。いいだろう」
「どこがだよっ!ゼンッッッゼン良くねぇよ!」
カーン!とゴングが鳴った。
この二人は、息が合うのか合わないのか。同じだからこそぶつかり合うのかもしれないし、別だからこそ反発し合うのかもしれない。本当に仲は良いのだが、顔を会わせればまずこれ。
「つーか、お前はマジで美意識ゼロだな!むしろマイナスだな!余計なことすんじゃねぇよ!触んじゃねぇ!」
そして「あぁぁぁあ……俺の完璧なセットを~~っ!」と項垂れた。
ジェイデンへの面会許可が出たのをいいことに、タキはここのところ毎日。欠かさず足を運んで彼の手入れをしている。その様子を、ジュリアは「盆栽職人」と名付けていた。
「余計なことじゃない。いいことだ。立派な眉は立派な男の印だぞ。ヘタレのこいつを一人前の立派な男にするにはまず外見から。だから、いい眉。一本!」
「っっざけんじゃねぇ~~~っ!!」
このジュリアの行動はタキの美意識に反した。もう、完全にアウトだ。誰から見てもナイ。
「………何事ですか?」
彼の登場で、空気が変わった。
絶妙なタイミングで現れたアレキサンダー。台車を押し、大皿に盛られた料理の数々が乗っている。
慣れもあり、アレキサンダーはすぐさま状況を把握した。
仲裁役は、いつも彼。長い付き合いの中で完璧にお目付役が板についてしまった。
「申し訳ありません」
論争が続く中、被害に遭ったジェイデンは置き去り。アレキサンダーが代わって謝罪し、持っていたハンカチで滴り落ちるそれを全て拭った。
「……ハクレン様」
その間、ずっとジュリアに協力していた彼は小刻みに肩を揺らしていた。
「……っ、ごめんごめん。ちょっと、予想以上やったんでね。……っっ!」
謝ってはいても、微動が収まる気配はない。声を噛み殺してはいるが、大爆笑だ。
「……あ」
レオンが気付いたのは、白衣の後ろにひっついて隠れる影。それは、レオンの声に大袈裟すぎるほどビクッと大きく震えた。
「――シュリ」
しがみつくようにギュッと握りしめる、脆弱な存在。それはアレキサンダーの穏やかな声に誘われ、ゆっくりと濃褐色の顔を出した。
「ご挨拶しましょう」
それでも、目が合うことはない。ずっと下の方を浮遊している。
貧弱で貧相な小さな体は白衣に着られ、かなりの挙動不審。線が細すぎるせいもあるだろうが頭部が歪に大きく、頭でっかちで子供のようにアンバランス。全貌はカタカタと小刻みに震え、止まらない。
「……あ、あああああ、あ、あの……っ」
滑舌が悪く、吃音。言葉が上手く喋れず、何もかもが怯えるよう。
「ぼ、ぼぼぼ、ぼく……シュ、シュリ……」
ゆっくり、ゆっくり、恐る恐る顔を上げた。
「―――っ!?」
身体ごとビクッと大きく飛び跳ね、シュッと隠れてしまった。まるで、巣穴に隠れ込んだ小ネズミ。
「……すすす、すみっ、すみ…まっせん……す、すす、すみ……」
聞こえてくる、念仏のように唱える謝罪の言葉。原因を考えるとすれば……一つ。
彼が見たのは、ジェイデン。しかも、初対面。
今までジェイデンを目にしてその反応を取る人物はいなかったが、普通は恐れ戦く。なって当然。しかも、現在は『獰猛な獣の双眸』『眉無し』の人並み外れた凶悪な面構えが丸出し。
彼の性格も鑑みれば、こうなるのも無理もない。むしろ、よく頑張った方だ。
「ハクレン様。手を離して頂けませんか?」
「はいはーい」
アレキサンダーからの要望に応え、髪を抑えていた手を離す。眉無しの額を隠せば、まだ何とか緩和される。
「シュリ、頑張りましょうか」
そこに「そうだぞ」とタキが加わった。どうやら、いつの間にか論争は自然消滅していたよう。
大体、いつもこんな感じで勝手に始まって勝手に終わるのが彼らだ。
「シュリ、こいつは俺が手掛けたんだ!怖いコトなんかないぞ!すんっげぇ美しい!確かにジルのせいで世にも恐ろしい大惨事が起きたけど、それももう大丈夫だ!」
「なんだソレ。どこが私のせいなんだ。失礼な奴だな」
「やかましいっ!美しい芸術を穢しやがって…っ!」
「――お二人共」
忙しない口がピタッと止まり、ジュリアは「ごめんなさい」と頭を下げた。
「……シュ」
のろのろと、亀の歩みで。顔が出てきた。
「シュリ……ガネー、シャ……です。は、はじめま、して……」
「シュリ・ガネー・シャー?」
「違う。バカか」
珍しい名前だと聞き返したレオンに飛ぶ、暴言。
「耳悪いのか。医者いくか?」
「はぁ?バリバリにいいわ」
「じゃあ、なんでそうなる。シュリガネーシャ。これが名前で、愛称が『シュリ』だ」
「シュリガネーシャ。へぇ……」
そんな名前は初めて聞いた。
ジュリアが、彼とシェリーを互いに紹介している。
(……これが、シュリ……)
話は、ずっと聞いていた。『仲の良い幼馴染の大親友』としてジュリアの口から『サンディ』『タキ』『シュリ』の名はよく出ていた。その中でも『シュリ』は「すごい天才」との紹介を何度も何度も受けていた。
だから……正直驚いた。
「――見習えよ」
突如響いた、ジュリアの声。
気付けばジェイデンの肩に腕を回し、腰を折って顔を傍に寄せていた。
「必死に戦って、必死に生きる。それが『強い』ってことだ。ここにいるみんなと、お前との決定的な違いだ」
ギョロッとした、今にも零れそうな大きな瞳。潤う黒が泳いでいる。
「逃げ続ける弱いお前とは雲泥の差だ。天と地、月とスッポンだ。いや、お前と比べたらスッポンに失礼だな。お前はそれ以下だ」
「………」
「生きることは戦うことだ。死に逃げるな。戦え、バカ」




