天使
『おい、レイ!どうした!』
『何してんだ大ボケ野郎!』
耳には届いている。でも、脳には届いていなかった。
だらんと闘志を失った両腕。立ち呆ける黒装束。それは今まで何百、何千、何万と敵を仕留めてきた彼と同一人物とは思えなかった。
『なんだこりゃ』
『……天使?』
共有する者から声が届く。
カプセルの中で眠る、翼の生えた小さな小さな少女。
――息をするように殺す。
そう言われた男が、出来なくなった。
「………サラ」
「………ジル」
マリは未だ尾を引き、顔色がげっそりと悪い。
「お前、それはダメだぞホント……」
「なにが?一緒にパン食べる。それって愛の営みだろ」
「はぁ?ンだそりゃ」
「だって、ノヴァっちに教えてもらったぞ。愛はパンだ」
「ハア?」
カサノヴァは大の好色家として知られ、『歩く官能小説』と囁かれる博愛主義者。だが、ぐったりうなだれる姿にその面影はない。
(………一体何を喋ったんだよ)
じとっと責める視線。しかし、戦犯はそんなことに気付く余裕もないほどひどく打ちひしがれていた。
彼の上にだけ超局地的な積乱雲でも発達したかのように異常に暗く、通常の何十倍もの重力がかかっている。一人頭を抱え、どうしたものかと思い悩み、言葉も出ない。
「飢えると死んじゃう。だから、たくさんメイクラブ。いっぱい食べるんだ。そしたら死なないだろ」
ゆるゆると。驚きの色で二人の双眸が起き上がり、丸く大きく瞠っていく。
「死んじゃダメだ。生きてほしいからな。だから、いっぱい愛のおすそわけ。愛の営みだ」
「だから、色々間違ってるから」
冷静につっこみを入れるレオン。彼もここに来た当初から同じ文句で誘われ、とんでもない事態になる前に「やめろ」と注意していた。何度も矯正を試みたが、一向に効き目はなし。
質の良い木製のローテーブルを挟んで座り、天板の上にはジュリアお手製のパンが入ったバスケットと白磁が美しいティーセット。レオンが手土産として持参した紅茶がもてなされ、なみなみにたっぷり注がれた温かいカップが各々の前に運ばれる。
ただ、一人を除いて――
「……マジでいらねぇの?」
「うん。私は飲めないから。捨てるのはもったいないし、匂いだけで十分だ。私、鼻はイイ。ケモノ並みだって。結構ビンビン」
「ビンビンって……」
彼女と言葉を交わす度に思うが、言葉のチョイスがおかしい。なんでそれをそう使うのかがわからない。これも彼女の感性なのだろうか。
「気にするな、シェリー」
ジュリアは、自分に向けられる眼差しにそう答えた。
「遠慮せずもらっとけ。レオンのトコのお茶は絶品なんだって。もらわなきゃ損だぞ。そうだ、今度はうちのお茶を御馳走しよう。すーちゃんに茶の湯を習ったんだ、おもてなししよう」
何の気なしに、いつものジュリアで言い放つ。そんな彼女を、事情を知る者たちは痛むような感情で見つめた。
――飲まないのではなく、『飲めない』。
ジュリアは、一切の飲食が出来ない。その生物としてあり得ない異質を、本人はまるで当然だと言うように吐く。
「確かに、アイツがもてなす茶も絶品だな」
ボソッと呟いたマリの言葉に、きょとんとシェリーの顔が向いた。
「俺、こいつのアニキと仲いいんだよ。小生意気な弟分みたいなモンだ。会えば、まず第一声に『お茶飲む?』と来る。そんで、家族の自慢話を菓子にお茶会だ。パーダスっつーんだけど、アレは何番目だったっけ」
「12番目」
答えたのは、弟ではなくジュリア。
「猫科兄弟。12と13。繋がってて覚えやすい」
「猫科……あぁ、なるほどな」
レオンは、自分に向く瑠璃色に気が付いた。
「……俺、13人兄弟で。その一番下」
丸くなったそれが、初耳の驚きを知らせている。
(〝レオン〟っつーより、〝キティちゃん〟って感じだな)
ちょうど、ここに帰る直前。マリは当人から連絡を受けた。
『弟が、そっちにいるみたいなんス』
『流してもらえません?』
話には聞いていた、似ても似つかない弟。別人だと思って見ていれば、瞳に宿る色が同じだと気付く。
(流すって言われても、そもそもソレが弟だろ?)
意味もなく、この状況で一族が末弟を送りこんで来るわけがない。
(たぶん、このキティちゃんが情報を一族に流してる。気になるならそっちに聞きゃあいいモンを……ブラコンめ)
しかし、それも仕方がないと理解はできる。
大切なものを失う恐怖。その喪失感と絶望は、簡単に忘れられるものではない。
(話によると、コイツも同じような状況ってコトか……)
マリは、無を貫くその姿を見た。
「ンじゃま……いただきます」
そして、慣れた仕草でカップを口に運んだ。
「ん~~~っま!」
それを合図に、カサノヴァとシェリーも続く。ジェイデンの前にもカップはあるが、手をつける様子はまるでない。
「これは……本当に美味しいね」
シェリーはうっとりとした表情を見せている。
賛辞に、レオンは破顔した。尖った八重歯がチラリと覗き、大きな猫目が細くなる。その顔には、なぜか癒される。懐っこくて、つられてこっちまで笑いそうになる。
マリはそれを見て「こりゃ、ネコ可愛がりもするわけだ」と思った。
紅茶を飲みつつ、ジュリアの『愛』を食す。予想外に質が高く「お、うめェじゃん」と感嘆を漏らす。
「……気になってたんだけどさ」
レオンが、その人体の不思議を尋ねた。
「お前、飲み食いなしでどーやってるわけ?」
「自家発電」
「はぁ?」
「寝たら充電。起きて動いたらエネルギーがどんどんなくなって、切れたらバタンキュー。寝たらまた復活」
――まるで、機械。
その想いを、決して口に出さない。
「……なるほど。それであぁなんのね……」
レオンは、何度かその現場を目撃したことがある。
特に頻発するのがトレーニング中。ずっと身体を動かしていると、予兆もなくいきなり。急に電池が切れたように倒れる。そして、動かなくなる。初めて目の当たりにした時は、本気で寿命が縮んだ。
「生命維持と日常生活で全部使うから、私ずっと小さかった」
レオンがジュリアと初めて出会ってから約三年。その頃の彼女は確かに小さかった。天使のようで、姪と同じくらいかと思っていた。
(まさか、年上とは……)
今では完全に追い抜かれ、実年齢以上の差が出来てしまった。
「みんなが私の為に頑張ってくれた。おかげでこんなに大きくなれた」
「どうやって?」
「点滴の気体バージョン。私、点滴ダメなんだ。ヒジョーに手間がかかるんだ」
「申し訳ない」と頭を下げられた大人二人。長年の付き合いで初めての体験にマリは「ひェっ!?」と声を裏返した。臨機応変に長けた彼でも、これには適応できなかった。
「……なに言ってんの。バカ言うんじゃないよ」
カサノヴァは、撫でるように乗せた手で小さな頭を揺らした。
「!」
レオンは、その奥にあるものに気が付いた。
(……なかなか目がいい)
マリが気付く。彼も既に戻っている。
(……まァ、そりゃこーなるわな……)
ジュリアに見せる顔は、慈愛に満ちて優しい。それは嘘ではなく、心からの本心。カサノヴァは、彼女を心から本当に愛しく思っている。
だからこそ――だ。
この世には、嘘が上手い奴とそうでない奴がいる。カサノヴァはその両面を持つ、器用で不器用な男だ。
「液体もダメだけど、錠剤もダメ。固形物飲めないからな。だから、私の場合は気体。栄養素を気化させて、呼吸で摂取する」
「エイヨウソを、キカ……?」
レオンの隣で、シェリーも同じようにチンプンカンな顔をしている。
「でも、マジででっかくなったよな」
「マリたんは縮んだな」
「ナニおぅ!?」
小さな頭を鍛えられた腕の中に奪い、柔らかな髪をグシャグシャと乱す。
今ではもう、ジュリアは彼を越えてしまった。今まで見上げていたばかりだった景色を、見下ろすようになった。




