第五十九話 元カノから『ストーカーに追われてる』と呼び出されましたが、秒速で婚約者に相談して二人で助けに行ったら、勝手に自滅して完全敗北していきました
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
「最後に一度だけ、会って話を聞いてくれない?」
昔の彼なら、隠し事をして一人で会いに行っていたかもしれない。しかし、今の悟には何でも相談できる最強のパートナーがいました。
一流の美容部員として着飾る涼子と、本物の気品を纏った曉子の直接対決。針の先ほどの隙もない二人の絆が、過去の因縁に完全なる決着をつけます!
物語はついにクライマックスへ!
二人の軌跡をどうぞお見逃しなく!
厳しい冬が去り、東京の街に柔らかな春の風が吹き始めた頃。
僕と曉子さんは、いよいよ本格的に結婚式に向けた準備を進めていた。
都賀常務の失脚により、岩田電産と関東テクノスの関係は以前にも増して強固なものとなり、仕事も順調そのものだった。
実家の両親や実兄さんともすっかり打ち解け、休日は曉子さんと一緒に家具を選んだり、式場の下見に行ったりと、絵に描いたような幸せな日々を送っていた。
そんなある日の夜。
僕のスマートフォンに、見覚えのない番号から一件のメッセージが届いた。
『悟……助けて。ストーカーみたいな人に追われてて、警察も動いてくれなくて。もう、頼れるのがあなたしかいないの。最後に一度だけ、会って話を聞いてくれない?』
文面の最後には、新宿のシティホテルのラウンジが記されていた。
アカウントのアイコンはない。しかし、文面の癖と、どこか芝居がかったSOSの出し方で、それが誰からのメッセージなのかはすぐに直感できた。
……元カノの、涼子だ。
(……ストーカー、か)
以前の僕なら、彼女の涙ながらのSOSに慌てふためき、何も考えずに指定された場所へ飛んでいってしまっていただろう。
しかし、今の僕には守るべき人がいる。そして、何が起きても絶対に揺るがない「確固たる絆」があった。
僕はスマホの画面を見つめたまま、隣で紅茶を淹れてくれていた曉子さんに声をかけた。
「曉子さん。……ちょっと、見てもらっていいかな」
「ん? どうしたんですか、悟さん」
僕は、涼子からのメッセージを一切隠すことなく、そのまま曉子さんに見せた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
翌日の夕方。
新宿の高級ホテル、一階のティーラウンジ。
涼子は、春の新作である『クリスティーヌ・ニューヨーク』のリップを完璧に引き直し、コンパクトの鏡で自分の表情を作っていた。
少しだけ伏し目がちに、儚げに。
一流の美容部員として培った見せ方のテクニックを総動員した、男が最も庇護欲をそそられる「完璧な被害者の顔」だ。
(都賀のオジサンは使えなかったけど、悟ならチョロいもんよ)
涼子は内心で毒づきながら、待ち合わせの時間を待った。
悟が来たら、泣き崩れて胸にすがりつく。
そして、自分の纏っているクリスティーヌの高級な香水を、悟のスーツにたっぷりと擦りつけるのだ。
もし可能なら、抱きついている瞬間をホテルのスタッフや周囲の客に見せつけ、既成事実を作ってやる。
どんなに上手くいっているカップルでも、婚約者のスーツから「元カノの香水」の匂いがすれば、絶対に亀裂が入る。
そこから少しずつ疑心暗鬼にさせ、あの忌々しい女から悟を奪い返してやる。
「……お待たせ、涼子」
背後から、懐かしい声がした。
涼子は「悟っ……!」と、完璧なタイミングで涙声を震わせ、振り返って彼に抱きつこうと立ち上がった。
しかし。
涼子の動きは、不自然なほどピタリと静止した。
「え……?」
「急に呼び出されて驚いたよ。……ストーカーの件、大丈夫?」
悟は、涼子の罠に飛び込んでくることはなかった。
なぜなら、彼とぴったりと肩を並べ、その腕にそっと手を添えている女性がいたからだ。
春の陽だまりのような、それでいて圧倒的な気品を纏った純白のワンピース姿の女性——曉子だった。
「な……なんで、あんたが……!」
涼子は素の声を出し、信じられないというように二人を指差した。
「なんでって……僕たちはもうすぐ家族になるんだ。曉子さんに隠し事なんてするわけがないだろう」
悟は、至極当然のことのようにきっぱりと言い放った。
「涼子からSOSのメッセージが来たって、すぐに曉子さんに相談したんだ。そうしたら曉子さんが、『悟さんの昔からのご友人がそんな危険な目に遭っているなら、放ってはおけません。私も一緒に行きます。女性同士の方が話しやすいこともあるでしょうから』って、一緒に来てくれたんだよ」
涼子は絶句した。
悟に「元カノから連絡が来た」という事実を隠させ、曉子に対して罪悪感を抱かせることこそが、この罠の第一段階だったのだ。
しかし、悟はメッセージが来た秒速で曉子にそれを共有し、曉子もまた、一切の嫉妬や疑いを見せることなく「一緒に助けに行こう」と同伴してきた。
……二人の間には、針の先ほどの隙も、隠し事も存在していなかったのだ。
「涼子さん」
曉子が、静かに一歩前に出た。
新宿の夜を支配してきたトップキャバ嬢『りおん』としての圧倒的なオーラは完全に消し去られ、そこにはただ、深い慈愛と大人の余裕を持った「尾上悟の婚約者」としての顔があった。
「悟さんから、お話を伺いました。ストーカー被害に遭われているとのこと、本当に恐ろしかったですね。……もしよろしければ、私の伯父が懇意にしている、こうしたトラブルに強い弁護士をすぐにご紹介できます。警察への同行も、私たちでよければ喜んで付き添いますわ」
曉子の言葉には、一片の嫌味も、マウントをとるような刺もなかった。
本気で、目の前の困っている女性を助けようとする、純粋な善意。
だからこそ——涼子にとっては、それが一番残酷で、みじめだった。
「……っ、ふざけないでよ!」
涼子は、バンッとテーブルを叩いた。
「いい子ぶってんじゃないわよ、キャバ嬢のくせに! 悟、騙されないで! この女、夜の街で男をたらし込んでるような尻軽よ! 私の方が、一流のブランドで働いてて、ずっとあなたに相応しいのに……!」
嫉妬と屈辱で顔を歪ませ、涼子が叫ぶ。
ホテルのラウンジの客たちが、何事かとこちらを振り返った。
しかし、悟の表情は一切揺るがなかった。
彼は曉子の肩を抱き寄せ、涼子を静かで、けれど氷のように冷たい目で見据えた。
「涼子。君の言う通り、曉子さんは僕なんかよりずっと華やかな世界で生きてきた、すごい人だ。……でも、彼女は誰よりも誠実で、嘘をつかない。僕にはもったいないくらい、大切で愛している女性だ」
「悟……」
「もし本当にストーカーで困っているなら、警察に行くべきだ。でも、もし今の言葉が君の『本音』で、僕たちを別れさせるために嘘をついて呼び出したのだとしたら……二度と、僕たちに近づかないでくれ」
悟の言葉には、かつて涼子に振り回されていた頃の優柔不断さは微塵もなかった。
一人の男として、愛する女性を全力で守り抜くという、絶対的な覚悟。
涼子は、自分の負けを完全に悟った。
自分がどんなに一流のコスメで着飾っても、どんなに小賢しい罠を仕掛けても。
この二人の間に流れる「絶対的な信頼」の壁には、指一本触れることすらできないのだ。
「…………最低」
涼子はポツリと呟くと、バッグを乱暴に掴み、逃げるようにラウンジから走り去っていった。
その背中は、かつて悟を見下していた頃のプライドなど見る影もなく、ただの哀れで孤独な女性の姿だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ホテルを出ると、新宿の街は柔らかな春の夕暮れに包まれていた。
「……ごめんね、曉子さん。嫌な思いをさせちゃって」
「ふふっ、全然。むしろ、悟さんが私に隠し事をしないで真っ直ぐ伝えてくれたことが、すごく嬉しかったです」
曉子さんは、僕の腕にギュッと抱きつき、花がほころぶような笑顔を見せた。
「それに……さっきの悟さん、とってもカッコよかったです。惚れ直しちゃいました」
「や、やめてよ。恥ずかしいな」
照れ隠しに頭を掻く僕の手を、曉子さんがそっと握りしめてくれた。
春の風が、街路樹の桜の花びらを優しく散らしていく。
過去のしがらみも、悪意も、すべて春の嵐が洗い流してくれた。
僕たちは繋いだ手をさらに強く握り直し、二人で歩む、光に満ちた未来へと一歩を踏み出した。
最後までお読みいただきありがとうございました!
悟、大正解!! 隠し事せずに秒速で曉子さんに報告するの、最高にカッコいいです!
涼子の「香水を擦りつけて浮気を疑わせる」というドロドロの罠も、曉子さんが一緒について来ちゃった時点で完全に無力化されていて、めちゃくちゃスカッとしましたね!
そして……皆様にお知らせです。長らく連載してまいりました本作ですが、次話でいよいよ堂々の完結となります!
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