第五十五話 長年音信不通だったお兄ちゃんから『結婚したい人がいるからキャバクラについてきて』と言われた結果、僕の婚約者と鉢合わせして兄のライフがゼロになりました
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水野と結衣香の恋模様に一区切りがついたのも束の間、今度は主人公・悟のもとに衝撃の連絡が届きます。
高校中退以来、長らく音信不通だった実兄・実からの突然の呼び出し。
精悍な板前へと成長した兄の口から語られたのは、両親との和解の意志、そして「結婚したい女性がいる」というおめでたい報告でした。
喜び勇んで兄の意中の女性が働くお店へと向かう悟ですが……到着したビルの看板を見た瞬間、全身の血の気が引き始めて……!?
怒濤の急展開を迎える第五十五話です!
その週の金曜日。僕のスマホに、見知らぬ番号から短いメッセージが届いた。
『悟、久しぶりだ。実だ。まだこの携帯番号が生きているといいんだけど。今日の仕事終わり、少しだけ会えないか』
画面の文字を見た瞬間、心臓が大きく跳ねた。
兄さんだ。高校を中退して家を飛び出して以来、何年も音信不通だったあの兄さんから連絡が来たのだ。
あの時、ぼくはまだ中学生で、なんで兄さんが家を出てしまったのか分からなかった。
それよりも、どんなに心配したことか。
お父さんもお母さんもひどく焦燥して探し回ったけど、警察に捜索願を出す前に、
「父さん、心配かけてすまない。いま、とある店で雇ってもらうことになった」
と短いテキストメールが送られてきたことで、本人の希望で行方を眩ませたのであれば、捜査できないという警察署の冷たい一言で随分長い間、実兄さんとは音信不通になっていたのだった。
実兄さんから指定されたのは、新宿駅西口にある昔ながらの純喫茶だった。
カラン、とドアベルを鳴らして店内に入ると、奥のテーブル席に、見覚えのある、けれど随分と精悍な顔つきになった男が座っていた。
「……兄さん」
「おお、悟。……なんだお前、すっかりいっちょ前なサラリーマンの顔になりやがって」
兄・実は、照れくさそうに笑って頭を掻いた。
短い髪に、ガッチリとした体格。高校生の頃の、あのすさんで、世界中を恨んでいるような鋭い目つきは消え失せ、代わりに地に足のついた大人の落ち着きが備わっていた。
「兄さんこそ……今まで顔も見せないで……親父も母さんも、ずっと心配してたんだぞ」
「ああ、悪い。いろいろあってな」
実はテーブルの上に両手を置いた。その手は、ひどく荒れていて、無数の切り傷や火傷の痕が刻まれていた。
「神楽坂の『水月』っていう割烹で、板前をやってる。ずっと住み込みで下働きしてて、最近やっと、まともに魚を引かせてもらえるようになったんだ」
「風の噂でそう聞いていたよ。本当に板前さんになったんだね。本当に、無事でよかった」
僕はホッと胸を撫で下ろした。兄さんが自分の腕一つで生きていける居場所を見つけてくれたことが、自分のこと以上に嬉しかった。
「悟。俺、近いうちに親父と母さんに会いに行こうと思ってる。今まで散々心配をかけたことを謝って……ちゃんと、和解したいんだ」
「本当か!? 父さんたちも絶対に喜ぶよ。僕も一緒に行くから」
「ああ、頼む。……それとさ」
実は急にモジモジと身をよじり、耳の裏を赤くしてコーヒーカップを見つめた。
「俺、結婚したい女ができたんだ」
「えっ!」
「だから、胸を張ってプロポーズするために、親父たちと和解しておきたいっていうのもある。……その、俺の人生を救ってくれた、本当に綺麗で、真っ直ぐな人なんだ」
なんだ、そういうことか。僕は思わず頬を緩めた。
あの不器用で人間不信だった兄貴が、そこまで惚れ込む女性。
きっと優しくて、家庭的な、素敵な人なのだろう。
「おめでとう、兄さん! どんな人なの?」
「ありがとう。……実は今日の夜、その人が働いてる店に行く約束をしてるんだ。悟、お前も今から一緒に来てくれないか? 俺の弟だって紹介したい」
「え、いいの? もちろん行くよ」
実は立ち上がり、伝票を手にした。
「よし。店はここから歩いてすぐの、新宿の東口だ。靖国通りの方にある」
「靖国通り? 居酒屋か何か?」
「いや、なんかキャバクラ……らしい。俺も連れて行ってもらっただけで、システムとかよくわかんねえんだけど」
キャバクラ。
その単語を聞いて、僕の頭の片隅で微かに警報が鳴った。
まさかな、そんな、と自分を納得させながら、僕は兄の背中を追ってネオン輝く新宿の街へと歩き出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
十分後。
夜の新宿・歌舞伎町の入り口近く。煌びやかな電飾が輝く、見慣れたビルの前で、兄の足が止まった。
「ここだ。すげえ豪華なビルだろ。お前、こういう店入ったことあるか?」
「…………えっ」
僕は、ビルの入り口に掲げられた看板を二度見、いや三度見した。
黄金色のプレートに刻まれた流麗な文字。
『堕天使』。
全身の血の気が、一気に足元へと引いていくのを感じた。
(待て。待て待て待て。兄貴が惚れたキャバ嬢って、まさか……いや、堕天使には何十人もキャストがいる。偶然だ。偶然に決まってる!)
「悟? どうした、顔色が悪いぞ。緊張してるのか?」
「あ、いや! な、なんでもない! 行こう、兄貴!」
僕は引きつった笑顔で、ガクガクと震える足を必死に動かし、エレベーターに乗り込んだ。
扉が開き、ボーイの案内でフロアの奥へと進んでいく。そして、奥のVIP用ボックス席の前に立った瞬間――僕の淡い希望は、木端微塵に打ち砕かれた。
「りおんさん!」
兄が、パァッと顔を輝かせて声をかけた。
そこに座っていたのは、純白のドレスに身を包んだ、僕の最愛の婚約者・曉子と、姉小路の二人だった。
「あら、尾上さん。いらっしゃい」
姉小路が、なぜか僕の顔を見て、ひどく同情するような、呆れたような目を向けた。しかもいつものように『悟』ではなく、『尾上さん』呼ばわりだ。
(嘘だろ……終わった。世界が、終わった)
僕は絶望のあまり声も出せず、兄の後ろで石像のように固まることしかできなかった。
「尾上さん、お待ちしておりましたわ。……あら?」
りおん――曉子が、兄の後ろにいる僕の存在に気がついた。
その瞬間、彼女のプロとしての完璧な「りおん」の顔が、フニャリと愛らしい「曉子」の笑顔へと溶けた。
「悟さん! 今日はお会いできる予定じゃなかったのに、来てくれたんですか?」
「えっ」
兄が、素っ頓狂な声を上げた。
曉子は立ち上がると、小走りでこちらへ向かってきて、あろうことか僕の腕にギュッと抱きつき、嬉しそうに見上げてきた。
「もしかして、お仕事早く終わったからお迎えに来てくれたんですか? 嬉しいです!」
沈黙。
フロアに流れる優雅なジャズのBGMだけが、異様に大きく聞こえる。
「……は?」
兄が、目を丸くして、僕の腕に抱きつく曉子と、僕の顔を交互に見比べた。
「さ、悟……? お前、なんで……りおんさんと、そんな……?」
「あっ。尾上さんのお連れ様って、悟さんだったんですね!」
曉子は不思議そうに首を傾げた後、ポンと手を打った。
「悟さん、こちらのお客様、尾上さんっていうんです。すごく手先が器用で、真っ直ぐな板前さんなんですよ」
「あ……いや……曉子さん。その、違うんだ……」
僕は、引きつった声で、人生で一番言いたくない事実を口にした。
「この人……僕の、実の兄なんだ」
「…………えっ?」
曉子の目が、これ以上ないほど見開かれた。
「あ、兄……? え、悟さんの、お兄様……? えっ、えええええ!?」
普段は冷静沈着な曉子さんが、完全にパニックを起こして僕から飛び退き、顔を真っ赤にして口元を両手で覆った。
「兄さん、違うんだ。これは、その……」
「……悟。お前、りおんさんのことを、下の名前で呼んだのか?」
兄の声が、地を這うように低く震えていた。
「いや、実はその……僕たち」
言い淀む僕の代わりに、隣の席から立ち上がった姉小路が、大きくため息をついてから、兄の肩をポンと叩いた。
「あんたの弟さんね……りおんの、婚約者なのよ」
「………………………………は?」
兄の思考が完全にショートした音が、僕の耳にもはっきりと聞こえた。
自分の魂を救ってくれた運命の女神が。この後、プロポーズしようと思っていた愛しの女性が。
あろうことか、音信不通だった実の弟の、結婚相手。
兄は真っ白に燃え尽きたような顔で、そのまま音もなく、崩れ落ちるようにソファへと深々と沈み込んだ。
「に、兄さんーっ!!」
新宿・歌舞伎町の夜に、僕の悲痛な叫び声が虚しく響き渡った。
最後までお読みいただきありがとうございました!
お兄ちゃん、嘘でしょ……!!(笑)
傷だらけの手を全肯定されて「この人しかいない!」と魂を救われたはずの運命の女神が、まさかの「実の弟の婚約者」だったなんて……! 兄さんが真っ白に燃え尽きてソファに沈み込むラスト、切なさとコミカルさのバランスが絶妙すぎてお腹が痛いです。
果たして、ライフが完全にゼロになったお兄さんはここから復活できるのか!? 尾上家の家族の再生はどうなってしまうのか!?
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