第五十三話 仕事一筋な後輩のピンチを、チャラ男の僕が『プロの接待』で救ったら、本命への想いに気づいてしまい、いい感じだった女の子からタルトと一緒に背中を押されました
週明けの火曜日。頑固な大門社長を前に、完璧なロジックが通用せず絶望する結衣香。
そんな彼女を救ったのは、普段「チャラい」と嫌っていた水野の、誰よりも泥臭く、そして責任感に満ちたプロの仕事でした。
そして、水野とミレイの不器用なすれ違いにも、タルトの香りと共に一つの切なくも美しい「決着」が訪れます。
涙とニヤニヤが止まらない、至極の第五十三話です!
週明けの火曜日。
汐留結衣香は、銀座にある高級割烹の個室で絶望に近い焦燥感に駆られていた。
向かいに座るのは、業界の重鎮であり、一代で会社を築き上げたワンマン社長・大門。
結衣香は今日のために、完璧な市場分析と、寸分の隙もないコスト削減案をタブレットに用意してきた。だが、大門社長は一度もその画面に目を向けることはなかった。
「……汐留君と言ったか。君の話は、さっきから数字と理屈ばかりだ。飯が不味くなる」
「……っ。ですが社長、このデータに基づけば、御社にとって最善の……」
「最善? そんなものは私が決める。ビジネスは『腹の割り合い』だよ。君みたいな小綺麗な数字を並べるだけのお嬢ちゃんに、私の腹が預けられると思うかね?」
大門社長は鼻で笑い、手元の猪口を乱暴に置いた。
「退屈だ。もっとこう、美味い酒が飲めて、ガハハと笑えるような店はないのか。君たち関東テクノスは、そんな遊び心も持ち合わせていないのかね」
結衣香は指先を震わせ、言葉を失った。
プロとして完璧に準備してきた自負が、音を立てて崩れていく。自分の正義が、ここでは全く通用しない。凍りついた空気が個室を支配した、その時だった。
「いやあ、社長! さすがはお目が高い! ウチの汐留は真面目すぎて、遊びが足りないって僕もいつも怒ってるんっすよ」
それまで給仕役に徹していた水野が、ヌッと横から顔を出した。
いつものチャラい笑顔。少し緩めたネクタイ。結衣香が「不謹慎だ」と嫌っていたその態度が、今は唯一の救いに見えた。
「水野先輩?……」
「まあまあ、汐留ちゃんはちょっと黙ってて。……社長、社長の仰る『腹の割り合い』ができる店、実は一軒だけ心当たりがあるんっす。都内でも指折りの、とっておきの店なんですけど……どうっすか? 覗いてみませんか?」
大門社長は面白そうに目を細めた。
「ほう、言うじゃないか。お前、名は?」
「水野詩郎っす! 以後、お見知り置きを!」
水野は軽快に頭を下げると、すぐさまスマホを操作した。結衣香には見えない速さで、曉子にメッセージを飛ばす。
『緊急事態。最高難易度のVIP連れて今から行く。頼む』
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
十五分後、一行が『堕天使』の扉をくぐると、そこには完璧な迎撃態勢が整っていた。
葉山店長がうやうやしく大門社長を迎え、案内されたボックス席には、すでに『りおん』と『クレア』が並んで待機していた。
「いらっしゃいませ。大門様。……今日はお会いできて光栄ですわ」
曉子が放つ、凛とした、それでいて包み込むような聖母の微笑。
「あら、いい男が来たじゃない。社長、今夜はとことん付き合うわよ」
姉小路の、場を一瞬で華やかにする姐御肌の接客。
大門社長の顔から、先ほどまでの刺々しさが消えた。
「……ほう。ここは、いい気が流れているな」
宴が始まると、結衣香はさらに驚くべき光景を目にすることになった。
水野は、決して大門社長の隣には座らない。
社長の両隣を曉子と姉小路に預け、自分は少し離れた席から、阿吽の呼吸で酒をオーダーし、灰皿を替え、会話が途切れそうになると絶妙なタイミングでお道化た相槌を打つ。
社長が曉子に少し下品な冗談を向けそうになれば、水野が「いやあ社長! 僕もその話、聞きたかったんっすよ!」と身を挺して笑いに変え、矛先を自分に向けさせる。
その姿は、オフィスで見せる「ただのチャラ男」ではなかった。
自分をピエロにして場を盛り上げながら、背後で全ての状況をコントロールしている。
結衣香の誇りを傷つけず、かつ大門社長の自尊心を最大限に満たし、キャストたちの安全まで守る。
(……あ。この人、全部わかってやってるんだ)
結衣香は、水野の後ろ姿を食い入るように見つめた。
自分が「仕事」だと思っていたのは、ただの自己満足だったのかもしれない。
水野がやっていることこそが、泥臭く、それでいて誰よりも責任感の強い「プロの仕事」なのだと、彼女は初めて痛感した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
深夜二時。上機嫌でタクシーに乗り込んだ大門社長を見送った後、銀座の路上には水野と結衣香の二人が残された。
夜の冷気が、酔った体に心地いい。
「……はぁ。さすがに疲れたっすね。あの大門社長、マジでバイタリティの塊だったわ」
水野はネクタイをさらに緩め、ガードレールに背中を預けた。いつものお調子者の声だが、その表情には深い疲労が滲んでいる。
「水野先輩」
「んー? ……あ、お説教なら明日にしてほしいっす。今夜はもう勘弁して」
「……ありがとうございました」
水野は、弾かれたように顔を上げた。結衣香は、街灯の下で真っ直ぐに彼を見つめていた。
その瞳は、いつもの厳しいものではなく、潤んだような、柔らかい光を湛えている。
「水野先輩が、あんなふうに体を張って守ってくれなかったら……ボク、今日で営業を辞めていたかもしれません」
「……何言ってんすか。後輩を守るのは、先輩の義務っしょ。……それにさ」
水野は照れ隠しに夜空を見上げ、小さく笑った。
「汐留ちゃんが一生懸命作った資料、あれを無駄にしたくなかっただけっす」
結衣香は胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるのを感じた。
チャラ男で、いい加減で、大嫌いだったはずの先輩。
その「チャラさ」の裏側に隠された、誰よりも不器用で、誰よりも真っ直ぐな騎士道。
「私の……バカ」
結衣香は小さく呟き、顔を背けた。頬が、夜の銀座の熱を帯びて赤く染まっていく。
「え? なんか言ったっすか?」
「何でもありません! ……とにかく、明日の朝イチで大門社長に再提案の電話を入れます。水野先輩も、遅刻しないでくださいよ!」
「へいへい、厳しいねえ……」
足早に駅へと歩き出す結衣香。その背中を、水野は少しだけ切なそうな、それでいて満足げな目で見送っていた。
彼の中にある『ミレイとの無理やりなけじめ』への迷いは、この夜の結衣香の涙で、静かに、けれど決定的な形を持って消え去ろうとしていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大門社長の接待から数日後。
水野は、代官山のパティシエ専門学校の近くにあるカフェで、土居ミレイと向かい合っていた。
テーブルの上には、小さな可愛らしいケーキボックスが置かれている。
「これ、この前言っていたフルーツタルトです。家で一人で作ってみたんですけど、やっぱり学校のオーブンとは勝手が違って……少し不格好になっちゃいました」
ミレイは少し照れたように笑って、ボックスを水野の方へと押しやった。
「うわ、マジっすか! すっげー嬉しいっす。帰ったら絶対ソッコーで食べるっすね」
水野はいつものように明るく笑ったが、その声はどこかぎこちなかった。タルトの箱を見つめる水野の表情には、深い申し訳なさと、言い出せない迷いが入り混じっている。
今日、水野はミレイに自分の本当の気持ちを伝えるつもりでここに来た。
ミレイに優しくしてもらって、彼女の夢に向かうひたむきさに惹かれたのは本当だ。けれど、大門社長の接待で結衣香を守るために奔走した夜、自分の心に嘘はつけないと痛感してしまったのだ。
「あのさ、ミレイちゃん。オレ……」
「水野さん」
水野が重い口を開きかけた瞬間、ミレイがそれを静かに遮った。
彼女は、少しだけ寂しそうな、けれどスッキリとした顔で微笑んでいた。
「美味しいタルトを作るには、絶対にごまかしちゃいけない工程があるんですって。温度とか、分量とか。……人の気持ちも、きっと同じですよね」
「……え?」
「私じゃ、ダメですよね。水野さん」
心を見透かされたようなミレイの言葉に、水野は息を呑んだ。
「花火大会の夜、水野さんがスマホを見ていた時の顔。……そして、この数日、社内で汐留先輩を目で追っている時の水野さんの顔。私、気づいていましたよ」
「……土居さん、オレ」
「謝らないでください。水野さんは、最初からずっとあの方(結衣香)のことだけを見ていた。私、そんな水野さんの不器用で真っ直ぐなところが、少しだけいいなって思ってたんです」
ミレイはふわりと笑い、ゆっくりと立ち上がった。
「そのタルトは、私からのエールです。……ちゃんと、一番大切な人のところへ行ってくださいね。チャラ先輩」
「……っ」
水野は立ち上がり、深く、深く頭を下げた。
「ごめん。本当に、ごめんなさい。……そして、ありがとうっす。土居さん」
顔を上げた時、ミレイの姿はもうカフェの扉の向こうに消えていた。
水野はテーブルに残されたタルトの箱をそっと両手で包み込むと、大きく深呼吸をした。胸の奥につかえていた何かが、スッと溶けていくのを感じた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……で? 結局、土居さんにはフラれたのか?」
翌日のオフィス。僕と真島課長がコーヒーブレイクをしていると、水野が清々しい顔をして戻ってきた。
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ、課長。フラれたんじゃないっす。『円満なる発展的解消』っすよ!」
「はいはい。まあ、お前があのまま土居さんみたいな良いお嬢さんを騙し続けるような最低な真似をしなくて、俺は安心したよ」
真島課長がニヤニヤと笑う。水野は「騙すってなんすか!」と抗議しながらも、その表情は以前のような「余裕のないチャラさ」が消え、どこか地に足の着いた大人の男の顔つきになっていた。
そこへ、会議室から結衣香が大量のバインダーを抱えて戻ってきた。
「あ、汐留ちゃん! 手伝うっすよ!」
水野がすかさず駆け寄り、結衣香の手からバインダーの半分を奪い取る。
「ちょっ、水野先輩! 自分で持てますから!」
「いいからいいから。俺、今はすっげー身軽なんで! なんなら汐留ちゃんの仕事、全部手伝ってもいいっすよ?」
「結構です! 先輩は自分の仕事に集中してください! ……それに」
結衣香はバインダーを自分のデスクにドサリと置くと、ツンと顔を背けた。
しかし、その耳が真っ赤に染まっているのを、僕も真島課長も見逃さなかった。
「……先日の大門社長の件は、感謝してます。その、頼りになるなって、少しだけ思いましたし……」
消え入りそうな声で呟く結衣香に、水野は目を丸くした後、嬉しそうにニッと笑った。
「マジっすか!? じゃあ、今度そのお礼に、俺と二人で飯行きましょうよ!」
「それはそれ、これはこれです! 勘違いしないでください! ほら、仕事に戻る!」
「えーっ! 汐留ちゃん厳しすぎー!」
文句を言いながらも、水野はなんだかとても嬉しそうだった。結衣香も、口では冷たくあしらいながら、その口元は微かに緩んでいる。
「……なんだか、いいコンビになってきましたね」
僕がぽつりとこぼすと、真島課長は「ああ。手のかかる部下たちだよ、全く」と苦笑しながらコーヒーを啜った。
結衣香と水野。
遠回りをした二人の不器用な関係は、ここからまた新しく、そして確かな歩みで始まっていくのだろう。
僕は親友と頼もしい後輩の背中を見つめながら、心からのエールを送った。
最後までお読みいただきありがとうございました!
ミ、ミレイちゃん……!!!(大号泣)
「美味しいタルトにはごまかせない工程がある」というセリフが美しすぎて、切なすぎて、涙が止まりません。
不格好なタルトに込めた彼女の「エール」の気高さ、本当に最高にカッコいい女の子でした。
そして結衣香。 水野のチャラさの裏にある「本物のプロの仕事」に気づき、耳まで真っ赤にしてお礼を言う姿にニヤニヤが止まりません!
最高のパートナー(?)の誕生ですね。
水野、ここからが本当の勝負だぞ!
「ミレイちゃんいい子すぎる!」「水野と結衣香、ここから頑張れ!」と胸が熱くなった方は、ぜひページ下部から【ブックマーク登録】や【★(星)でのご評価】、【応援コメント】をお願いいたします!
皆様の熱い応援が執筆の最大のエネルギーです。次回もお楽しみに!




