第四十三話 実家の経済的危機も去り、結婚も決まったのでキャバクラは引退……かと思いきや、彼女の口から語られたのは『お店のトップとしてのプライド』でした
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「結婚したら、毎日一緒に夕ご飯を食べたいから」
悟の甘い言葉に揺れながらも、暁子の心には『堕天使』への強い思い入れがありました。
生活のためだったはずの夜の仕事は、いつしか彼女にとってかけがえのない居場所となり、誇りとなっていたのです。
家族全員で話し合う、一人の女性としてのアイデンティティ。彼女が出す答えにご注目ください。
三越で買い物が終わった後、二人で曉子さんの実家まで荷物を運び、お父さんの引っ越しの開梱をお手伝いすることにした。
道中、曉子さんはずっと口数が少なくて、「堕天使」の仕事を辞めるかどうかで深く悩んでいるようだった。
「曉子さん、悩む必要があるほど、『堕天使』でのお仕事に思い入れがあるんだね」
「ええ、そうなんです。お父さんが帰ってきて、ウチの暮らし向きはきっと以前より良くなるんでしょうけど……この数年間、私が大学を出られたのも、お母さんと一緒に暮らせたのも、間違いなく『堕天使』でのお仕事のお陰なんです。それを、必要なくなったからと言って簡単に辞めたりしたら、バチが当たります。悟さんは、どう思いますか?」
「うん、僕もその恩義を感じる気持ちはすごくわかるよ」
「分かってくれますか? じゃあ、やっぱり続けようかしら」
「でもね、曉子さんの本業はやっぱり岩田電産の社員としての仕事だよね。本業が疎かになったり、忙しすぎて身体を壊したりしたら、それこそ本末転倒になるんじゃないかな」
「じゃあ悟さんも、明日海さんと同じように私がキャバ嬢を辞めた方がいいと思っているということですか?」
「そうじゃないよ。でも、心配なんだ」
僕だって、「堕天使」のみんながいい人たちで、曉子さんの事をよくサポートし、親身になって色々と手伝ってくれたことはよく知っている。
僕の心配に対して曉子さんは感謝してくれたが、僕からは期待していた答え――明確な同意――を得られなかったためか、少し残念そうな表情をしていた。
いずれにしたって、いつまでもこのままで良い訳はない。
何しろ、来年の六月には僕たちは結婚するんだ。既婚者がキャバクラで働いているというケースもゼロではないのだろうけど、僕には少し想像できなかった。
そうこうしているうちに、曉子さんの住む街の駅に着いた。電車を降り、改札を抜けて商店街を実家の方へと歩いていく。
「悟さん、やっぱり私の考え方はおかしいですよね」
「ううん、僕も迷っているんだ。何しろ、『堕天使』のみんなは本当にいい人ばかりだからね」
「結婚したら、辞めるしかないんですよね。当たり前のことですよね」
「うん……僕も、それはそうして欲しいな。毎日、曉子さんと一緒に夕ご飯を食べたいから」
「そうですよね。何を私は迷っているのかしら。本当、私っておバカさんでごめんなさい」
てへっ、と誤魔化すように可愛らしい仕草をしたので、僕はからかい半分で言った。
「そういう所が可愛らしいんだよね」
「もう、いつもいつも……照れますから」
「僕も照れながら言ってます」
二人でバカップルみたいな会話をしていると、曉子さんの携帯が鳴った。
「あ、お父さん? もうあと二分くらいで家に着くわ。ええ、悟さんも一緒よ」
曉子さんはお父さんから何かを言付かっているようで、何度も頷いていた。
「もう家に着くから切るわね。……今日はキリマンジャロでいいか、悟さんに聞いてほしいって」
お父さんの淹れたコーヒーをまたご馳走になれるのか。それは当然楽しみなんだけど、キャバクラの件について、お父さんがどう思っているのか、お母さんがもしいらっしゃったら意見を聞かないといけないと思った。
「僕は曉子さんの考えを支持したいと思っている。でも、その考えはいろいろな人からの意見を聞いたうえで決定されるべきだと思うんだ。だからお父さんやお母さんの意見も、きちんと聞いたうえで考えてもらえるかな?」
僕にそう言われた曉子さんは、しっかりと僕の目を見つめ返して頷いた。
「はい。皆さんの考えを聞いて、きちんと自分の答えを出すようにします」
そう言い終わるか終わらないかの内に、僕たちは曉子さんの実家に着いていた。
「ただいま」
暁子さんは玄関の扉を開けて帰宅を告げた。
「おかえり」
「おかえりなさい」
家の奥の別々の部屋から、ご両親の声がした。間もなくお母さんが玄関口までやってきて、労ってくれた。
「尾上さん、お買い物に付き合ってもらってしまって済みませんでした。荷物、重いでしょ?」
つい数ヶ月前には「警察に突き出す」とまでこの場所で激怒していたのが、なんだか少し懐かしい。
「いいえ、今日は特に用事もなかったですし、お役に立てて嬉しいです」
少し遅れてお父さんもやってきた。
「尾上くん、君が箱詰めしてくれた荷物なんだがな、本当に整理されていて片付けが捗って助かったよ」
「では、お邪魔して荷解きをお手伝いします」
「いやいやいや、それには及ばんよ。ゆっくり自分でやるから、君は居間で寛いでくれ給え」
「お父さん、悟さんはそのために来たんですからね」
「暁子、それはそうだが、まずは一服してもらったらどうかね」
「そんなこと言って、お父さんが甘いものとコーヒーを飲みたいのはバレバレなんだからね!」
親子の間のわだかまりみたいなものは、もうすっかりなくなっている。とても仲が良い親子だな。
ウチも仲は悪くないと思うけど、兄さんが出ていってしまってから、家族団欒という言葉が少し遠のいているような気がして、少しだけ羨ましくなった。
「銀座三越の地下で、コレを買ってきたのよ」
「なんだ、暁子の好きないつもの奴だな」
「お父さんだってこれ好きじゃない? チョコクリームが挟んであるのが好物だって言ってたよね」
「ささ、お持たせで恐縮ですが、尾上さんも一つどうぞ」
「さて、豆を挽いて来るとするかな」
「今日は何かしら、あなた」
「今日はハウスブレンドだぞ」
この一家はどうやら、コーヒーを飲みながら甘い物を食べるのが大好きなようだ。
あれ? ついこの間お父さんのマンションでほぼ同じようなシチュエーションがあったばかりだけど、毎日のようにこういう事が繰り返されているのだと想像できた。
……ところで、電話で言っていたキリマンジャロじゃなかったの?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
コーヒーの香りが漂う居間で、話題は自然と週明けのことに移った。
「曉子、月曜日からの復帰、大丈夫そうだな」
暁子さんはいつもよりも明朗に答えた。
「ええ、大丈夫よ、お父さん」
「お母さん、聞いておきたい事があるわ」
お母さんが、少し心配そうな顔をしてスッと居住まいを正した。
「夜のお仕事は、辞めるんでしょう?」
僕は思わず暁子さんの顔を見た。
曉子さん本人だけでなく、曉子さんのお母さんもそこは気になっていたようだ。
「……迷っているの」
暁子さんの口は重かった。
「何を迷っているの?」
「私たち親子が今までこうして暮らしてこれたのは、お母さんが『辞めなさい』と言っている夜のお仕事のおかげなのよ」
曉子さんのお母さんの表情が曇る。
「お母さんをまたそうやって責めるのね」
「違うの!」
「何が違うのよ」
「佐知、まあまあ。尾上くんもいる事だし」
「尾上さんがいるからこそ、こういう事はハッキリさせないと! で、尾上さんも辞める事に賛成ですわよね?」
うわ、やはり僕への飛び火は不可避か。
「僕は、暁子さんが『今の職場に恩返しができていない』と感じているのだと思います。僕たちが結婚したら、やはり辞めて欲しいという気持ちですが」
「暁子、そうなの? 何をそんなに恩に着ているの?」
「経済的に支えてくれた仕事ということもあるけど……何も知らない世間知らずの私に、本当に熱心に仕事を教えてくれたし、悩みや相談事をいつもお店の仲間が聞いてくれたのよ」
「でも、お母さんは反対よ!」
暁子さんのお母さんがこう言い出したら、それを覆すことはかなり困難な事は体験上わかっている。
「納得できたら辞められるのかい?」
お父さんは少し冷静に、暁子さんの話を聞こうとしている。
これはお父さんを味方につけた方がよさそうだよ、暁子さん。
「辞めるにしても、今日の明日で辞められるわけでもありません。何と言っても暁子さんは『堕天使』のトップですから」
僕がそう言うと、お父さんとお母さんはポカンとした顔をした。
「トップって……この子が? まさか」
「お母さん、本当ですよ。店長から直接そう聞きました」
暁子さんは真っ赤な顔をして俯き加減に言った。
「……辞められない理由は、そこにもあるわ」
あ、僕は完全に勘違いをしていた。
生活のため、恩義のため。それだけじゃない。
暁子さん、この仕事をプライドを持っているんだ!
最後までご愛読ありがとうございます。
トラウマや家族の問題が解決したからといって「はい、夜の仕事は引退!」と簡単に割り切れないのが、人間のリアルであり、本作の魅力ですね。
「堕天使」のみんながどれだけ彼女を支えてきたかを思うと、恩義を感じる彼女の真面目さに胸が熱くなります。
そして最後に悟が気づいた「トップとしてのプライド」。
彼女が一人の自立した女性としてどう落とし前をつけるのか、次回の展開がとても楽しみです。
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