第四十話 狂親を演じていた彼女のお母さんと和解し、僕の母親からのナイスアシストで結婚の覚悟を宣言。そのまま彼女のお父さんの引っ越しを手伝うことになりました
いつもお読みいただき、ありがとうございます!
インターホン越しの悲劇から一転、ついにすべての誤解が解け、和解を果たした五人。
佐知の口から語られた「洗脳」の真実や、悟の母・麻子による絶妙なアシストなど、玄関先でのやり取りはまだまだ見逃せません!
そして後半は、悟と暁子が二人きりで「ある場所」へ。フランス文学の権威であるお父さんとの初対面、果たしてどうなる!? 温かな空気に包まれる第四十話です。
「私、本当に早とちりをして恥ずかしいわ」
二ヶ月ぶりに会えた曉子さんは、メイクで隠そうとしてはいたけれど、やはりやつれていて少し不健康そうに見えた。
「りおん、漸く尾上に会えて本当によかったな」
(姉小路、お前なんでそんなに俺に親切にしてくれるんだ)
きっとこの恩はちゃんと返す。今はどんな恩返しができるかは全く想像がつかないんだけれど。
「曉子、二人で少し出かけてきたらいいわ。お母さん、尾上さんのお母様と、ちょっと話があるし」
どんな話をするのだろうか。一抹の不安はあるが、曉子さんと二人きりになるという提案を断る理由は見当たらなかった。
「あ、あの、本当によいのでしょうか」
僕は、今後の事をはっきりさせておきたいという思いもあって、敢えてそんな聞き方を曉子さんのお母さんにした。
思えば二ヶ月前、僕を警察に突き出そうとしていた人だ。
その間、どのようなことが彼女を変えたのか。
僕には本人に問いただす勇気は正直なかった。
少し卑怯かもしれないが、曉子さんと二人で話す中でその顛末が分かればいいな、そんな風に考えていた。
「ええ、私が曉子を縛り付けていたのは間違っていたと理解したの。これも主人と、曉子の信念のお陰だわ」
「聞きにくい事を聞きますけど、その、教会のことは大丈夫なんでしょうか?」
母さんが核心に切り込むようなことを言い出して僕は少しドギマギしたが、曉子さんのお母さんは毅然と言い放った。
「確かに私の教会に対する依存度は度を超していたかもしれません。でも、これは主人への当てつけに過ぎないんです。なかなか信じてはもらえないかもしれないし、皆さんに教会に洗脳されていると思われていたでしょうけど、そんな事は微塵もないんですよ」
「えっ、お母さん、それは本当なの?」
全員が曉子さんのお母さんに強く注目した。
「ええ。演じていた……そうよ。狂人を演じていたの。違う人格を演じていないと、私の本物の自我が壊れてしまうのが怖くて……」
「分かりますわ。お母さま」
少しの静寂を破ってそう言ったのは、僕の母さんだった。
「でも、戻っていらっしゃった。……本当に長い間、お疲れ様でした」
「尾上さんのお母様……」
「麻子、って呼んでくださって結構ですわ」
「そ、そんな。でも、そう呼ばせていただいてもいいのかしら」
「私たち、親戚になるかもしれないんですよ? まあ、気が早いかもしれませんけど」
「そ、そうだよ母さん、何言ってんだよ?」
何言っちゃってんだよ、母さん!
「あら、悟。あなたはそんないい加減な覚悟で曉子さんとお付き合いしていたの?」
酷い詰め方をしてきやがる。
でも、ここで答え方を間違えると取り返しのつかないことになる。
「当たり前だろ? 母さんだって、いい加減な息子に育てた覚えはないだろう?」
母さんはちょっと面食らった表情をして、直ぐにニヤリと笑った。
「あら、あなたも言うようになったわね。ささ、二人でどこにでも行ってらっしゃい」
そう言って、僕と曉子さんを無理やり玄関のドアの外に押し出そうとした。
姉小路が、また余計なことを言った。
「今日は帰ってこなくてもいいってさ!」
恐る恐る曉子さんのお母さんの顔を見たけど、笑っていた。
本当に僕らは許されたんだな、と心からそう思えた。
でも、ドアが閉まる間際に見た姉小路が、ちょっと寂しそうな顔をしていたのはどうしてなんだろう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
突然再会して、突然交際が許されて、突然両方の親から「どこかに行って来い」と言われても、どうしていいかよくわからない。
「な、なんだか突然でいいアイディアがなくてさ。ごめんね、応用力がなくて」
「そんなこと……私だってどうしていいかちょっとわからなくて、ごめんなさい」
「その、曉子さんのお父さんは今どこに?」
「父ですか? 今日は今住んでいるマンションを引き払うので、片づけに行っているらしいんですけど」
「そ、そうなんだ。じゃあさ、お手伝いに行きませんか? ご挨拶も出来ると思うし」
曉子さんはパッと明るい表情になって、僕を見つめて頷いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
早稲田にある瀟洒なマンションの入り口の呼び鈴を押すと、スピーカーから、
「Entrez」
と声がして、自動ドアが解錠されて開いた。
僕が少し戸惑った表情をしていたからか、曉子さんは微笑みながら、
「悟さんと一緒に行くと言ったら、父は喜んでいましたよ」
と言って、緊張をほぐしてくれた。
曉子さんのお父さんの引っ越しを手伝う。
僕がそう促したのだから、本来はもっとしっかりとしなければならないのに、どうも弱気が出てしまってダメだな。
「悟さん、どうしたのですか? 父に会うのは怖いですか?」
「いや、怖いわけじゃないけど、その……」
「その……なんです? 拒絶されるとでも思ったのですか?」
「そうだね。自分の娘と付き合っている奴がどんな奴か、気にならない父親は居ないと思うよ」
「父は母と私よりも自分の研究を取った人です。そんなに私の事を大切に思っているなんて……」
「そんなことないさ。お父さんもきっと、どうして良いか分からなかっただけなんだと思う」
僕がそう言うと、曉子さんはちょっと伏し目がちに頷いた。
エレベーターに乗って三階で降り、外廊下を少し歩いた先にある「306号室」が曉子さんのお父さんの居室だ。
曉子さんがインターフォンを押すと、間もなくドアが開いて、痩身で白髪の、知性に満ちた雰囲気のお父さんが現れた。
「尾上君だね。曉子の父、宜史だ。さあ、入り給え」
「尾上悟です。今日は急にお邪魔することになって申し訳ありません」
「何を言っているんだ。今日は君と曉子で私の引っ越しの手伝いをしてくれるんだろう? こちらとしては渡りに船さ」
「お父さん、これ」
曉子さんは、高田馬場にある菓子司「青柳」で求めた『アトムまんじゅう』をお父さんに手渡した。
「おお、これが食べたかったんだ」
「わざわざ寄り道して買ってきたんですからね」
曉子さんがそう言った通り、少し寄り道して買ったアトムまんじゅうを受け取ると、相好を崩したお父さんは僕らを手招きして部屋の奥へ歩いて行った。
「お父さん、甘党でね。笑っちゃうでしょう?」
「いや、そんな事は」
お父さんとは今日初めて会ったから先入観はなかったけれど、「甘党のお父さん」という実態と「フランス文学の権威」というステータスには、何となく関連性があるような気もしないでもない。
尤も、洋菓子ではなく和菓子、しかも名物とは言えアトムまんじゅうだというのが微笑ましい。
既にリビングは大量の段ボール箱が山積みになっていて、箱の横には「フランス文学史①」とか、「エッセイ②」といった図書のカテゴリー名が書かれていた。
流石というか、荷物の大半は本のようだ。
「今日は何でも言いつけてください。指示通りに箱詰めや掃除をしますので」
僕がそう言うと、お父さんは手を振った。
「まあ、一服しよう。丁度キリがいい所だったんだ。そうだ、コーヒーを淹れよう。まだあれは仕舞っていなかったからな」
「お父さん、アトムまんじゅうには緑茶の方が……」
「急須とかはもう仕舞ってしまったよ。それに、アトムまんじゅうはコーヒーにも合うんだぞ?」
「えー、本当?」
「先入観だけでものを言ってはいけないよ、曉子」
僕がその会話に入ることは憚られたが、なんとも微笑ましい親子の会話に見えた。
それでも、ついこの間までこの二人や曉子さんのお母さんとの間には、僕が想像もできないほどの大きな溝があったという事実は消えない。
「尾上君、君はここに座り給え。曉子はその横でいいかな?」
「あ、はい。それでは失礼させていただきます」
僕がソファに腰を下ろすと、お父さんは反対に立ち上がってキッチンに向かった。
間もなくコーヒーミルで豆を挽く音と、微かながらコーヒーの香ばしい香りがキッチンから漂い始めた。
最後までご愛読ありがとうございます。
佐知さんが「狂人を演じていた」という告白。
本当は壊れそうな自分を守るための、悲しくも不器用な防衛本能だったことが分かり、改めて彼女の痛みが伝わってくるシーンでした。
それをスッと受け入れる麻子さんも流石ですね。
後半のお父さんとの対面は、肩の力が抜けるようなとても温かい時間でした。
アトムまんじゅうにコーヒー、意外な組み合わせですが美味しそうです。
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