第三十二話 仏語専攻の後輩が語る夢と、飯田橋での聞き込み。フランス古書店で手繰り寄せる一縷の望み
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店長から得た「紅羽書店」という手がかりを頼りに、悟と結衣香はリトル・パリと呼ばれる飯田橋へ向かいます。
結衣香が語る目標、そして古書店での聞き込み。焦る悟は店員から怪しまれてしまいますが、絶体絶命のピンチを救ったのはやはりあの頼れる後輩でした!
少しずつ暁子のルーツが明らかになっていく第三十二話、お楽しみください!
翌日、外回りの営業で市ヶ谷を訪れた僕は、結衣香と共に飯田橋まで足を延ばした。
目指すは、店長に教わった古書店「紅羽書店」だ。
「この辺りはフランス人学校があるせいか、ビストロやカフェが多くて、独特の雰囲気がありますよね」
石畳の坂道や街角の看板を眺めながら、結衣香が楽しそうに言う。飯田橋が「リトル・パリ」と呼ばれているなんて、僕は今の今まで知らなかった。
「……今日は直帰にして、どこかで美味しいものでも食べていくか?」
「いいですねー! と言いたいところなんですけど、明日の朝までに田淵部長への稟議書をまとめなきゃいけないんですよ」
「そっか、それは残念だな」
「まあ、昨日も焼き鳥をご馳走になっちゃいましたし。そんなに私に親切にしなくても大丈夫ですよ」
「いや、僕が食べたいだけだよ。(……結衣香と一緒にね)」
最後の一言を飲み込む。結衣香はクスッと笑って、
「先輩も結構グルメになりましたよね」
と続けた。
「どうかな。単に真島課長に連れ回されたせいで、舌だけ肥えちゃったのかもしれない」
「あはは、あり得ますね。……あ、それで、例の岩田電産の件はどうなってるんですか?」
「ああ、覚書をちょうど交わしたばかりだ。結衣香が考えたスキームの通り進んでいるから安心してくれ。ちゃんとチームミーティングで共有するべきだったな。すまん」
「いや、いいんですよ。先輩はちゃんとやってくれてると思ってたし、何か問題があればまあ相談してくれるとも思っていたんで」
「まあ、そうだろうな。あ、そういえば、吉永部長が結衣香の事を褒めていたぞ。ずいぶんと仕事ができる後輩だって」
「えー、そんな事ないんですけどね。でも嬉しいな」
「僕も結衣香が褒められて嬉しいよ」
結衣香も褒められて満更ではないようだつた。少し顔が上気していた。
市ヶ谷から飯田橋へは、外堀通り沿いを歩くのが一番だ。お濠に面した通りは桜の名所だが、今はもう六月も終わりで若葉が揺れる時期。
神楽坂下の交差点を右に折れ、坂を上がって西口を過ぎた十字路を左に曲がると、ひっそりと佇む「紅羽書店」が現れた。
「わー、懐かしい! 私、学生の頃はここによく通っていたんですよ。
フランス語の古書ならここ、っていう名店なんです」
「……そういえば、なんで仏語専攻でウチみたいな半導体商社の営業をやってるんだっけ?」
「それ、五年前にも聞かれましたよ。先輩、本当に忘れっぽいなぁ」
「ごめん、そうだったっけ」
「言いましたよ。私が関東テクノスを選んだのは、パリに支店があるからです」
パリ支店。……そうだった。中堅メーカーながら、積極的な海外展開をしているのが当社の特徴だ。アジア勢に押されている欧州市場だが、欧州半導体法の成立を見据え、雨宮社長は先んじて販路を開拓している。
「お前、パリで働きたいんだったな」
「そうですよ。そのためには今の仕事で結果を残さなきゃ、チャンスは掴めませんから」
彼女の横顔を見て、「お前ならきっと大丈夫だ」という言葉を飲み込む。
結衣香に限ってそんなことはないだろうが、僕の甘い言葉が彼女の努力に水を差してはいけないと思ったからだ。
紅羽書店は、間口こそ狭いが奥行きのある落ち着いた店構えだった。
奥へ進むと、レジには丸眼鏡をかけた知的な雰囲気の男性が座っていた。僕と同世代くらいだろうか。
「あの、少しお伺いしたいのですが」
僕は緊張しながら切り出した。
「はい、何でしょうか」
「吉永宜史さんという方が、こちらによく通われているとお聞きしたのですが……ご存じでしょうか」
曉子さんの両親が離婚する前の名字。本来なら「吉永曉子」だったはずの彼女を思い、少し胸が疼く。
「ええ、知っていますが……あなた方は、吉永さんの何ですか?」
店員――名札には春日とある――が、怪訝そうに僕たちを凝視した。
しまった。自分の立場をどう説明するか、シミュレーションが甘かったことに気づく。
「突然申し訳ありません。込み入った事情があるのですが……僕は、吉永さんの娘さんとお付き合いをさせていただいている者です」
嘘を言っても始まらない。正直に話すことにした。
「それで、何か御用ですか?」
「娘さんの件で、お父様にどうしてもお会いしたいのです。ご離婚されてから連絡が取れなくなっているそうで、こちらに出入りされていると聞きまして」
「……あなた、本当に怪しい人じゃないんでしょうね? どうやってここを調べたんですか」
「そう思われるのは当然です。ですので、連絡先を教えてほしいとは言いません。吉永さんがいらした時に、『お嬢さんの件で会いたがっている男がいた』と伝えていただけませんか」
「いやあ、ウチはそういう橋渡しはちょっと……」
春日さんの声が冷たく響く。やはり、見ず知らずの男の頼みを聞くほど甘くはないか。
「そう……ですよね。失礼しました」
弱気になった僕が身を引こうとした、その時。
「あの、失礼します! 私、関東テクノスの汐留結衣香と申します」
結衣香が凛とした声で割り込み、名刺を差し出した。
「申し遅れました。同僚の尾上です」
僕は慌てて自分の名刺も差し出した。名刺を受け取った春日さんは、少し表情を和らげて苦笑した。
「興信所の人間かと思いましたよ。最初から名乗ってください。……なるほど、お堅い会社にお勤めのようですね」
「すみません、切羽詰まっていて、失礼をいたしました」
「まあ、今は暇ですし、お話くらいは伺いましょう。吉永さんのお嬢さんと付き合っている方なら、無下にはできませんしね」
店内の空気が少しだけ和らいだ。
「実は事情がありまして、今、吉永さんの娘さんと連絡が取れない状態なんです。彼女を守るためにも、お父様の力が必要で……」
「なるほど、尋常ではないようですね。……ちなみに、お嬢さんと会えないのは、離婚された元奥様が原因ですか?」
核心を突く春日さんの言葉に、結衣香が食い気味に答えた。
「はい! その通りなんです!」
「……事情は察しました。吉永さんが会ってくれるかまでは保証できませんが、今日あなたたちが来たことは、責任を持って必ず伝えますよ」
「ありがとうございます……! それだけでも助かります」
「吉永さんはフランス文学の研究者ですからね。ここの本をいつも楽しみにしておられる。必ず近いうちに顔を出しますよ」
東堂さんは、学者の娘だったのか。彼女のどこか浮世離れした、凛とした透明感の理由が少しだけ分かった気がした。
僕たちは春日さんに深く礼を言い、蜘蛛の糸を手繰り寄せるような心地で店を後にした。
最後までお読みいただきありがとうございました!
結衣香ちゃん、本当に有能すぎませんか!? 怪しまれる悟を「名刺」という社会人の最強アイテムで救い出すファインプレー、最高にカッコいい相棒です。パリ支店に行く夢、絶対に叶えてほしいですね!
そして暁子さんが「フランス文学者の娘」だったという事実。彼女のどこか透明感のあるお嬢様っぽい雰囲気の理由が分かってスッキリしました。
次回、いよいよお父さんからのコンタクトはあるのか!?
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