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第十四話 僕を想ってくれていた後輩は、夜のタクシーで酔ったフリをして僕の背中を押してくれた。五年前の情けない自分への決別

いつもお読みいただき、ありがとうございます!


勘違いの逃亡劇から一転、最高の雰囲気で『堕天使』へ帰還した悟と東堂さん。しかし、そこには悟に想いを寄せる結衣香の姿がありました。

カオスな飲み会を経て、ついに訪れる結衣香との「決着」の時。不器用な彼女が最後に見せた優しさと、悟の決意にご注目ください。

 カラン、とドアベルが鳴り、僕と曉子さんは腕を組んだまま『堕天使』の重い扉を押し開けた。


 その瞬間、店内の喧騒が嘘のように遠のいた気がした。


 僕たちのボックス席。


 そこには、ハイボールを片手にした真島課長と、何とも言えない表情で固まった結衣香、そして、般若のような形相で立ち上がる美瑠がいた。


「……信じられない」


 美瑠の低く、地を這うような声が響く。


「結衣香お姉さまをあんな風に泣かせておいて……どの面下げて戻ってきたんですか、この女の敵!」


「美瑠、やめろ。それにボクは泣いてないぞ」


 結衣香が力なく美瑠の服の袖を引く。


 結衣香の目は赤く、僕と腕を組む曉子さんを、まるで遠い世界の住人を見るような、絶望に近い眼差しで見つめていた。


「悟、おかえりー」


唯一、真島課長だけが、僕の財布から抜き取った一万円札をひらひらとさせながら、上機嫌に手を振った。


「仲直りの印に腕組み入店か? ご馳走様だねぇ」


「真島さん、あまり尾上さんをからかわないでください」


 東堂さんは、僕の腕にさらに力を込めて皆を見渡した。


「皆さん、お騒がせしました。……でも、私は尾上さんに、ちゃんと言いたいことがあったんです。だから、連れ戻してきました」


 その場にいた全員の視線が、火花を散らすように交錯する。


 沙織さんは他の席でこちらを睨み、あすかさんは無表情にグラスを磨いている。そして、僕にとっては初顔のクレアさんが、カウンターの奥から「ふーん」と面白そうに僕たちを観察していた。

 

 僕は冷や汗でシャツが背中に張り付くのを感じながら、自分の「軍資金」で三時間目に突入しようとしているこのカオスなテーブルに、ゆっくりと腰を下ろした。


「りおんちゃん、お疲れ様」


 クレアさんが東堂さんに声を掛けた。


「それにしても、ずいぶんと強気だね。いつになく」

 

「私はここではお客様に楽しんでもらうためにしていることですから」


「へえ、プロ意識ってこと?」


「私はキャバ嬢ですから!……それだけじゃないですけど」


 クレアさんはそれを聞いてニヤニヤしていた。


 僕は話題を変えようと試みた。


「先輩、僕の財布を人質にするなんて」


「何言ってんだよ、お前が『先輩、これっ!』って言って俺に託していったんじゃん」


「それは……そうなんですが」


「託したんだからどうされたって仕方ないの。まあ、お陰様で三時間目に突入したわけだけどな」


「その、すみませんでした」


「謝んなくていいよ。お蔭で楽しまさせていただいているからさ」


 なんか納得いかない。


 すると課長は急に僕に顔を近づけて小声でささやく。


「それでりおんとは仲直りできたのか?」


「ま、まあ。喧嘩していたわけではありません」


「そうか。で、お前、結衣香はどうすんだよ。それから、沙織がお前にぞっこんらしいぞ」


 東堂さんが隠していたのはこれか!


 昨日の今日で東堂さんと沙織さんの仲は大丈夫なのかな?


「お前ばっかりモテて、本当につまんねえ」


 小声がいつのまにか大声に。


「と、いわれましても」


「どうなってんだよ。本当にお前が鼻水垂らしながら泣いていた五年前の姿をりおんにも沙織にも、結衣香にも、おっと、結衣香はそこにいたっけ。とにかく見せてやりたいぜ」


「先輩、そんな」


「大して男前でもないお前がこんなにモテるんなら俺なんてモテてモテて困って仕方ないはずなのに」


「何大きな声でそんな話をしているんですか?」


 一人で勝手に憤慨している課長と僕に割って入って来たのは東堂さんだった。


「ああ、なんでコイツばっかりモテるんだろうねって話だよ」


「それはそうですよ」

 

 それを聞いて課長はさらに語気を強めた。


「りおん、お前さあ、なんで俺がこんなに好きなのに袖にしやがって」


 泣きそうな顔しながらのストレートな物言いの課長。


「えー、またまた私の事をからかって……え? って本当に言ってたんですか?」


 真島さんの表情が固まった。


「りおん、まさか冗談だと思っていたのか?」

 

 東堂さんは小首を傾げてにこやかに答えた。


「はい、よくある社交辞令で、全然本気とは」


「酷ぇなあ、それじゃあオレが悟と吉永部長に昨日会いに行ってそこで俺の姿を見たって驚かないわけだよな?」


 東堂さんはやはりにこやかに頷いた。


 課長は長い嘆息の後、話題を変える。


「で、結衣香、お前とりおんはなんか話したのか?」


 課長の空気の読めなさは国宝級だ。


 東堂さんと結衣香が直接話すなんて三時間前までは思ってもいなかった。血圧が上がって目眩がする様だった。


「なーんも話してないっすよ」


 そう言った結衣香を見ると、かなり酔っぱらっているようだった。


 しかしこんなに簡単に酔う奴だったかな?


「それよりせんぱーい、りおんちゃんに好きだってまだ言ってないって本当ッスかー?」


 凍り付く僕。


 ニヤニヤして傍観する課長。


「結衣香、こういうことは、デリケートなんだよ」


 結衣香は課長をガン無視して続ける。


「せんぱーい、ボクの事振ったんスからちゃんとしてくださいよー」


 結衣香は、おちゃらけて言っているんじゃない。だから僕は言い淀んだ。


「いや、その」


 僕が抗弁できることなんてない。


 そこにクレアさんがいきなり話に入ってきた。


「いや、そのじゃねえって。この子、アンタのこと好きなんだろ?」


 いきなりアンタ呼ばわりでタメ語? しかしどこかで聞いたような声……


「はい、僕も今日知ったんですけどね」


「それで何自分の好きな人のところに連れてきてんだよ? 頭おかしくね?」


 クレアさんにそういわれるまでもなくこれはおかしな状況だが、僕のせいではない。


 連れてきたのではなく、僕が連れてこられたのだ。


「まだ、ちゃんと付き合うような話になっていません」


「ばっかじゃね?」


 そう言ってクレアさんは爆笑した。


「あのさぁ、女の子にはちゃんとそういうのしてあげないと」


「そう、なんだけど」


「あと、この子のケアもちゃんとしてあげて」

 

 そうなんだ。


 クレアさんは、ずっと前から全部分かっていたみたいな顔で僕たちを見ていた。


 でも、クレアさんの言う通りなんだ。

 

 僕は、二人の女性にちゃんと向き合って答えを出さないといけないんだ。


 ふと結衣香を見ると、いつの間にか酔い潰れたのかテーブルに突っ伏していた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「今日もありがとうございました! 真島さん、また来てくださいね」


 地獄のような時間は過ぎて東堂さんとクレアさんが今日はエレベーターで地上階まで降りて見送ってくれた。

  

 財布は回収したけど、すごい散財だった。

 

 でも、東堂さんがそんな気持ちを消し去るような事を言ってくれた。


「今日このままお別れするのはさびしいから、後で電話したいです」


 僕は課長に気がつかれない様に


「うん」


 と答えた。


「悟、悪いが結衣香を面倒見てやってくれ」

 

 結衣香はふらつきながらも何とか自力で歩いていたが、一人で帰すのは危険な感じだった。


「分かりました。自宅までタクシーで送ります。先輩は?」


「立花を送っていく。結衣香を頼んだぞ」


「パイセン、ごちそー様でしたー。でも許さないからね」


 先輩は僕に捨て台詞を残した立花さんの肩を抱いて、タクシーを捕まえに行ってしまった。


 今日は立花さんとせっかく打ち解けたと思ったのに、元の木阿弥だ。


 そうだ。僕もタクシーを捕まえないと。


「今日もごちそうさまでした! おやすみなさい!」


 そう挨拶すると、


「悟くん、恋ってさ、当事者は必死だけど外から見るとすごく単純だったりするのよ」


 いきなりクレアさんが意味深なことをいう。しかも悟くん呼ばわり。

 

 この人は、いったい誰なんだろうか。でも、たぶん知っている人だ。


 なんだか懐かしい。僕の直感がそう言っている。


「あのっ、電話待ってますね!」


 そう言って、東堂さんは手を振ってくれている。その姿を見ていると、ものすごく名残惜しくなってきた。


 それと同時に結衣香に対して僕は何ができるのだろうか、と逡巡していた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 漸くタクシーを捕まえて、結衣香を奥の座席に押し込んで僕は運転手さんに結衣香の自宅の住所を告げた。


 結衣香は眠っているようだった。


 今日も本当にいろいろな事がありすぎて整理するのがむずかしかったけど、結衣香の寝顔を見ていると何だかホッとした自分がいた。


「先輩」

 

 突然眠っていたはずの結衣香から声を掛けられた。


「あ、起こしちゃったか?」


「いいえ、ずっと酔ったフリしてました」


 えつ?

 

「なんでそんなこと……」


 タクシーの振動だけがやけに大きく感じた。


「おかげで、二人になれましたよ」


 そう言われて、僕はドキッとした。


「ボク、先輩のことが好きでした。今日みたいに取り乱して財布を置いて行っちゃう先輩も面白かったです」


 口調にいつもの軽やかさがない。


 結衣香の決意じみた言葉に、僕は返す言葉を探してようやく絞り出した。


「カッコ……悪いところを見せたな。五年前みたいに」

 

 結衣香は頷いた。


「でも、今日りおんちゃんに会ってよかったです」


 そして結衣香は少し笑った。


「いい子だな、って素直に思いましたよ。でも、負けたくないな、なんて思ったりもしましたけど」


 罪深い気持ちで身体が締め付けられるようだ。逃げ場がなくなった気がしたからだ。


「でもね、ちゃんと分かってました。先輩が誰を見る時、一番優しい顔してるか」


「結衣香……」

 

 感情があふれて、言葉が出てこない。

 

「もし、ボクの事でりおんちゃんとの事がはっきりできないんだったらちゃんと好きだって言って欲しいっス。いや、自信過剰すぎっスかね」


「分かった。ありがとう。結衣香」


 僕がそう言うと、結衣香は右手の拳を突き出した。


「ボクは一人で帰れますから。先輩はりおんちゃんのところに行ってあげて」


 僕はそっと左手の拳をそれ合わせた。


「美瑠の事は心配しないで下さい。言って聞かせます」


 結衣香に背中を押された僕は、タクシーを降りた。


 そして結衣香を乗せたタクシーが夜の街に消えていく。


 拳を合わせた左手には、まだ彼女の強さと、震えが残っているような気がした。


 僕はスマートフォンを取り出し、アドレス帳の最上部にある名前に指を伸ばす。


 5年前、僕は泣きながら逃げ出した。


 1時間前、僕は財布を置いて逃げ出した。


 逃げない。今度こそ。


ここまでお読みいただきありがとうございます!

結衣香、めちゃくちゃ良い子でカッコいいですね……! タクシーの中での「酔ったフリ」からの背中を押す展開、不器用な彼女なりの最大の優しさに涙腺が緩みました。クレアさんの正体も気になりますが、何より「もう逃げない」と決意した悟の成長が胸熱です。

次回、覚悟を決めた悟が遂に動きます!

もし「結衣香カッコいい!」「悟、今度こそ頑張れ!」と少しでも思っていただけましたら、ぜひページ下部の【ブックマーク登録】や【★マークでの評価】をお願いいたします! 皆様からのご感想や応援が、執筆の最大のモチベーションです。次回もお楽しみに!


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