アシェム継承戦争~ネガティブな初陣~
新緑の季節、草原の丘を吹き抜ける風は一時の涼をもたらしてくれる。
「あぁ、春ってなんでこうも憂鬱な気分に人をさせるのだろうか」
丘の上に立ちながら、穏やかは春の陽気にもっとも似合わない男、つまり俺がぼそりと呟く。丘の上に設置された本陣の中で大きなため息をつきながらうなだれる。
「ちょっと、悟、何言っているの。春は生き物にとって喜びの季節でしょ」
護衛官兼俺の秘書であるウルも呆れたような顔で俺を見ている。軍服のような紺地のブレザーに同じ色でフリルのついたミニスカート。これが女性護衛官の正装である。
俺の趣味で決めたわけではない。
ただ、その服装が、このアシェム領の決まりなのだ。前領主アシェムはどんな感性をしていたのだろうか。それよりも、周りの人間や着せられた女性護衛官の人は動きにくいミニスカートに文句を言わなかったのだろうか。なんだか、戦う前に色々と他のことが気になってきた。大丈夫なのか、この国は。
「どうして憂鬱な気分になるのよ。やっぱり、ネガティブ・シンカーの発想は分からないわ」
そんな服装に身を包んだウルはため息交じりに呟いた。普段通りの発言をしいる様に見えるが、右へ左へと動き回って落ち着かない。そわそわしている。
最近、ウルの口のきき方が馴れ馴れしいというか、最初の時から大分変ってきた気がする。フランクに話しかけてくれるが、どこか一歩引いて俺のことを見ているような気がするのだ。
ひょっとして、俺のことをバカにしている?
「いやね、私はあなたのことを尊敬しているわ。あなたは弱いし、頭が回るわけでもない、絵にかいたような無能な領主よ。誰もが認めることだわ」
ウルは瞳を閉じて、首を縦に振りながら話している。
「だけど、同時にネガティブ・シンカーでもあるわ。ダメなことばかり考えて、自分の意見を持ったり、行動を起こしたりということをまったくしようとしない。そのおかげで周りの人間がのびのびと仕事ができるの。そんな派生効果まで計算されているおじい様って本当に素晴らしい方だわ!」
ウルは満面の笑みで納得している。その笑顔がこの春の陽気にとてもよく似合うような、実に愛らしいものである。
それって、俺のことをほめてないよね。
「領主様、斥候の情報より敵軍の配置が分かりました。そこで戦況の確認をしたいのですが、よろしいですか」
ウルと俺の会話に割り込んできたのは、アシェム領軍中央軍司令官ギッチナー将軍である。厚手の軍服の上からでも分かるような筋骨隆々とした体つきに、右頬に残る大きな古傷という数多の戦場を戦ってきたという事実を物語る。そんなギッチナー将軍は、まるで二ビルの執務室で話しているかのような俺たちを現実へと引き戻す。
ここは戦場なのだ。
俺が首肯すると、本陣中央に置かれたテーブルに地図を広げた。
「現在、魔法歩兵と魔法騎兵、魔法砲兵を中心とした私が率いる中央軍と敵の主力軍はこの草原を流れる川を境に睨みあっています」
ギッチナー将軍は地図を指差す先には太く赤く塗られた横長の線がある。どうやらこれがギッチナー将軍のいう中央軍というやつだろう。そして、青い線で引かれているのが川だろう。事細かに数字が書いてあるが、これは多分水深のことだ。その川の反対側には黒い長方形がでかでかと書かれており、これが敵軍を表しているようだ。
敵の数が多い。
「直接対峙している敵の総数は約三千です。それに後方の敵本陣には決戦用の予備兵力が約千いると思われます。それに対して私の率いる中央軍は前線に展開している兵力が千で、決戦用の予備兵力は二百です」
俺は戦争のこと、軍事のことはよく分からない。しかし、二倍以上の兵力差がある今のこの状況が不利であることぐらいは想像できる。
「ご命令の通り戦闘を開始しないようにここまで努めてきましたが、我が方の兵士たちの士気や日に日に増える敵戦力を前にして、もう限界でしょう。数的には圧倒的に不利ですが、我がアシェム軍にはそれを補って余りある精神力があります。一騎当千で確実に、勝利をもたらしましょうぞ!」
ギッチナー将軍はこの世界の人間、つまりポジティブ・シンカーである。しかし、気合いでどうにでもなると考えるのはこの人の生まれ持った性格なのかもしれない。にらみ合いが続いてからこの三日、ギッチナー将軍はずっと開戦を唱えてきた。それを俺が何度も退けたのだ。
だが、もう三日たった。
「分かりました。攻撃を始めてください」
「ははっ!」
俺が開戦の許可を出すと、ギッチナー将軍は敬礼して前線へと戻っていった。
「遂に始まるのね」
ウルは本陣を出ていくギッチナー将軍の背中をじっと見つめている。その青い瞳にはこれから起こる出来事楽しみにしている期待感が溢れていたが、同時に、しっかりと握りしめられた拳は震えていた。
戦争はその日のうちに始まった。
メダッボ伯爵とそのシンパは俺たちに宣戦布告をするとすぐにアシェム領内で略奪や破壊の限りを尽くした。その都度、局所的な防衛戦が行われたが、友軍のいない俺たちとは違い、幾つかの中小諸侯の連合軍である敵軍の勢いは勝っていた。
『兵力の差など個人の力量でいくらでも埋められます。我々アシェム軍は誇り高い軍隊としてこの状況を看過することはできませんので、どうか出兵をお認めください』
ギッチナー将軍は戦争が始まってから、ずっと俺のそばで軍事顧問として仕事をしていたが、ことあるごとに主力部隊による決戦の提案をしてきた。俺が返事をぼかすことでなんとかやり過ごしていた。
「相変わらず、ギッチナー将軍は勇猛果敢で頼りになる方ね。こんな劣勢も必ず挽回してくれるわね、悟」
ギッチナー将軍の後姿を見送っていた後、ウルは俺の顔を見ながら、ギッチナー将軍を称賛する。
「どうかな、そんなの分からないよ」
「なによ、ネガティブ・シンカーは自らの勝利すら疑っているわけ? あなたね、もう少し自分の状況を考えてみたらどうなの。この戦争で負けたら、アシェム公領はメダッボ伯爵のものになっちゃうし、あなたはまず間違いなく処刑されるわ」
「きみが俺を連れてきたんだぞ。今度は冥土へと連れってくれるのか」
考えてみたら、ここは俺がこの世界に初めてウルとやって来た場所だ。あの時もこの突きぬけるような青い空を眺める余裕がなかったが、それは今も変わらない。けど、空を一瞥することはできる。
なんとも、憂鬱な春の空である。
その時、天地を切り裂くような大きな炸裂音が響いた。
「どうやら、始まったようね」
ウルは短く呟くと、今度は両手の拳を力一杯に握る。ウルにとっても初めての戦場なのだ。
「言っとくけど、私はあなたの護衛官兼秘書なのよ。絶対にあなたを死なせはしないわ。だから、少しは味方の勝利を信じてちょうだい」
ウルの言葉を聞くまでもなく、俺は味方の勝利を願っている。
両軍の戦端が開かれた。
「申し上げます、第一魔法騎兵隊より渡河による敵本陣急襲が進言されています。領主様のご判断をお願いします」
「領主様、中央軍の魔法歩兵隊の一角が敵の猛攻を受け、前線を突破されそうです。増援要請が来ていますが、いかがなさいましょうか」
言わんこっちゃない。
開戦からほどなく、両軍は混戦状態に突入し、敵味方入り乱れての指揮統制がまともに取れなくなっていた。どこの部隊が勝っているだの、負けているだの、情報の収拾がつかなかった。丘の上の本陣からはアシェム領の赤い旗が他の旗と入り混じって右往左往している様子がよく分かる。
判断しろって言われても……。
軍事的才能はおろか、戦争というものを初めて見た俺に何をすべきなのか、どのような指示を出すべきなのかなどという判断ができるはずがない。
「ちょっと、あなたたち、そういうことは、ギッチナー将軍に聞くべきじゃないの。この領主に何か聞いて分かるわけがないじゃない」
おどおどとしている護衛官兼秘書のウルは伝令にオウム返しように判断を仰ぐ。伝令は答えられるわけもなく、困った顔をしている。
「領主様、緊急伝達です!」
そんな答えの出ない状況で、新たな伝令が本陣に参上した。しかし、その伝令は目の前の二人とは違って明らかに顔色が悪い。
「どうしたの」
伝令が本陣に入ってくるや否や、ウルはその恐れ慄いた顔に驚いたのか、すぐにその伝令に問いかけた。
それは俺の仕事な気が……。
「申し上げます。中央軍司令官ギッチナー将軍が敵軍の攻撃により負傷。指揮継続が不可能な状況です」
「ちょ、ちょっと、どうするのよ!」
ウルはこんな時だけ俺の方を見る。その顔は血の気が引いていた。
自ら戦うことすらできないのに、どうして指揮ができようか。いや、できない。
ネガティブ・シンカーは常に反語で物事を考え、結局は行動できない。己の行動を自ら戒めるのが、ネガティブ・シンカーの最大の弱点だ。
しかし、この状況で何かの指示を出してあげないと、この伝令たちが可哀そうだ。それにこの間にも死者が出ているはずである。その被害は最小限に食い止めたい。
「えっと、それじゃ伝令の人、近くに寄ってもらってもいいですか」
俺は伝令たちに手招きをする。そして、近寄らせると、小さな声で耳打ちをした。
「全軍に伝えてください。この本陣まで退却せよと。あと、出来るだけ本陣を中心に一カ所にまとまってくださいと」
「「「御意っ!」」」
三人の伝令はようやく返事をもらうことができたので、命令を各隊へ伝えるために戦場へと走りだしていった。
「ちょっと、悟。あなたどんな指示を出したの?」
俺の伝達内容が聞こえなかったウルは首をかしげながら尋ねる。
「いや、ちょっと逃げる準備をね」
「逃げるってあんた、ここにいる兵士たちを置き去りにしていこうっていう魂胆なのっ! 冗談じゃないわ。悟、あなた、なんて人なの」
「そんなことする訳ないじゃないか。みんなだよ、みんなで逃げる準備をするんだ」
「逃げるって……。悟、あなたには何か策があるの」
俺は首を縦にも横にも振らない。自分の意思をはっきり示さないのもネガティブ・シンカーたる所以かもしれない。
俺に策があるわけがない。
そもそも、戦うことに対して素人の俺が軍隊を動かすような作戦を立てられるはずがない。この混乱した戦場から自力で逃げることすらできないだろう。なぜなら、俺はネガティブ・シンカーだから。自ら解決策を見つけることも、実行することもできない。
だから、指示を出したのである。
言われた通りの指示を。
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