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ネガティブ・シンカー~アンチ・ポジティブのススメ~  作者: はいぼーる
第一章 草薫る始まりの丘は ~アシェム継承戦争編~
5/16

ネガティブ・シンカーの衝撃

「まぁ、悟。人間上手くいかない時もあるものよ。あんなことさっさと忘れなさい」

「…………」

「確かに、あの時、驚いたことは悪かったと思うわ。けど、よかったじゃない。暗殺者(アサシン)に殺されなくてよかったんだから、ねっ?」

「………………」

「もう、なんでそんなに落ち込むのよ。いい加減に返事ぐらいしなさいよ!」

「……………………」

 ウルは眉間にしわを寄せて俺に抗議している。俺は布団をかぶったままウルに背を向けてうずくまっている。

 なんとも情けない光景だ。

 あの後、ロード・アシェムの館でアサシンであるナルに襲われた後、俺たちは街へと逃げてきた。ドクター・ラバウの命が狙われている状況で、ウルの家に戻るのは危険だと判断したためだ。ロード・アシェムの館からもっとも近い都市の中で最大の二ビルという所に逃げてきた。二ビルの街に住むドクター・ラバウの知り合いのもとへ駆け込んだ。

「悟、もうすぐおじい様が戻ってくるのよ。そうしたら、これからのことについて話さないといけないんだから、それまでには機嫌を直してよね」

 ドクター・ラバウは簡単な治療を受けた後、ロード・アシェムの身に起こった惨劇を街の幹部たちに伝え、これからのことを話すために急ぎ出発した。

「もう、本当に手がかかるんだから。でも、それがネガティブ・シンカーたる証拠なのかもしれないわね」

 ウルはため息交じりに呟きながら部屋を出ていく。

 俺はこの部屋についてから、ベッドの布団をかぶり、誰とも口を聞かずにいる。夜明け前に匿われてから夕方までは寝ていた。ベッドで仰向けになっていつものように、ただなんとなく「死にたい」と呟いている日常から、異世界に飛ばされ、ネガティブ・シンカーとして期待されたかと思いきや、殺されそうになる恐怖や情けなくなるほどの惨めさを感じたロード・アシェムの館での出来事など、半日程度のうちに起きた出来事によって様々な感情に流されてしまった。その疲れがどっと出たので、何も考えることなく寝ることができた。

 しかし、目が覚めてからは辛さしか残っていない。

 何も考える間もなくここまで流されてしまった。ネガティブ・シンカーと言われることに抵抗はないが、何をすればいいのか見当がつかない。期待されていることは嬉しくも思った。だが、命を狙われる危険があるなんて聞いていないし、戦闘の場面に出くわした時の自らの不甲斐なさに呆れていた。

 結局、俺は何も出来ない。

 そんな思いに俺は支配されていた。

「お若いの、元気か」

 そんな俺の迷いを吹き飛ばすかのような大きな声を立て、ドクター・ラバウは俺の部屋へと入って来た。

「何じゃ、もうすぐ夕方じゃぞ。起きんかい、若者がっ!」

 ドクター・ラバウは俺の布団を取り上げる。

「……」

 俺は何も返事をせず、背を向ける。そんな俺を見て、ドクター・ラバウは何を思ったのか、急に笑い始めた。

「ふぉふぉふぉ、お若いの。さすがはネガティブ・シンカーじゃの。自分の小便を見られただけでそこまで落ち込むとは、我々じゃ考えられんわい」

「う、うるさいっ!」

 俺は振り返ってドクター・ラバウの顔を睨みつける。

「そんなに俺が無能であることを笑いたいんですか。勝手に連れてきて、勝手に期待して、勝手に笑う。危険な目にも遭うし、変な期待をされても困るんです。何もできることのない人間に勝手な期待をされることが辛いんです」

 正直、こんな抗議をする自分が恥ずかしく思った。自分が無能であることを根拠に自分に期待をかける人を非難する。心底、嫌な人間だ。

「まあまあ、お若いの。そうカッカなさるな」

 ドクター・ラバウは手を伸ばし、俺の肩を叩く。

「お主の怒りはもっともじゃ。わしたちはお主を勝手に連れてきて、勝手に期待しておる。危険な目にも合わせてしまったの。すまんかった」

 ドクター・ラバウは目を閉じ、頭を下げる。

「お主が辛いのも無理はないの。向こうの世界、特にお主が暮らしておった国では死が遠い存在になっておるじゃろ」

 死が遠い存在になっている――元の世界、つまり日本、それも都会では死は身近な存在ではない。いつも殺人事件や交通事故で誰かが亡くなるニュースを見るのに、その死を実感する機会がほとんどない。もっとも、そんな俺が「死にたい」と考え続けていることがおかしなことではあるのだが。

「そんなお主に、いきなり死体を見せた上に、命の危険まで感じさせてしまったんじゃ。かなり辛い思いをしているのは、こちらも分かっているつもりじゃ」

 ドクター・ラバウは俺に話しかけながら、窓際に移動し、夕焼け空を見上げている。ドクター・ラバウの声は優しく、俺に気持ちに寄り添うような話し方だった。

「じゃがな、お若いの。こちらの世界では、死は身近な存在なんじゃ」

「えっ」

 ドクター・ラバウは落ち着いた声で話を続ける。

「わしたちの世界、この皆がポジティブである世界には常に争いが絶えないんじゃよ。いつも世界のどこかで、戦争から痴話げんかまで、この世界に争いが絶えたことがないんじゃ」

「なぜですか。なんで争いが起こるんですか」

 俺はベッドから身を起こし、窓際に立つドクター・ラバウの側に立つ。世界中がポジティブな発想しかできないのに、なぜ争いが起こるのか。俺には理解できない。

「それは、皆が恐れることを忘れてしまったからじゃよ。ポジティブとは積極性であり、肯定的な物の見方だが、度が越えてしまえば、単なる無鉄砲じゃ。己が欲しいものを手に入れることだけを考え、しかも、それが必ず上手くいくと考えるんじゃ。なおかつ、この世界には魔法があるじゃろ。それが人に全能感を与えてしまうんじゃ。そんな自分の限界も知らない人間が世界中に溢れかえっていると、どうなるか分かるじゃろ」

「そうなんでしょうか」

「お主も見たじゃろ。あのサリムの姿を」

 ドクター・ラバウはこちらを振り返り、俺の顔を見る。燃えるようなオレンジ色の逆光でドクター・ラバウの顔はよく見えなかったが、俺のことを睨みつけるようにじっと見つめていることは分かる。

「サリムは、領主として生まれた男じゃった。親から受け継いだ土地や資産を増やすことが自らに課せられた使命だと信じていたんじゃろうな。常に近隣諸侯や有力貴族と争いごとをしておったわ。息子たちを全員戦争で失おうとも、常に覇を争い続けたのは、己の勝利を揺るぎないものと考え続けた結果じゃ。ポジティブな考えを続けた結果が、あの白い刃の長刀はその報いじゃな」

 ドクター・ラバウの話を聞いているうちに、俺はあの光景を思い出していた。ロード・アシェムの背中に突き刺さっていた、月に照らされた青白い長刀が鮮明に思い出される。

 ポジティブへの報い。そんなものがあっていいのか。

 頭の中で俺の常識が逡巡する俺にドクター・ラバウはゆっくりと近づく。

「お若いの、お主が呼ばれた理由が分かるか」

 ドクター・ラバウは俺の肩に手を置く。その手は先程とは違い、ずしりと重い。

「何をしろっていうんですか」

 俺はドクター・ラバウの目を見た。ドクター・ラバウの細い目は俺をじっと見ている。

「わしはこの世界の行き過ぎたポジティブを変えたいと思っておる。お主にはその手伝いをしてほしいのじゃ」

「ポジティブな世界をネガティブな世界にしろとでも言うんですか」

「いや、それは違うの。お主みたいな人間ばかりになっては、この世界は破滅してしまうからの」

 ドクター・ラバウはふっと笑う。

「わしはこの世界の行き過ぎたポジティブを是正したいのじゃ。そして、この世界に秩序や常識を与えたいのじゃ。そして、この世界を平和にしたいのじゃよ」

「でも、そのために何故俺が必要なんですか」

 ドクター・ラバウの思いは分かった。しかし、なぜそこに俺が必要なのかが分からない。

「ポジティブの反対の考え方、それはネガティブじゃ。ネガティブな考え方たけでは物事は好転しない。しかし、適度なネガティブ、つまり自分の行動を振り返り、後悔することも物事を良くするためには必要なのじゃ。お主はその適度なネガティブを持っておる」

「適度なネガティブ?」

「そうじゃ。自分を適度に戒め、行動を思いとどまることができるネガティブ。この考え方を世界に広めていこうとするのが『ネガティブ・シンカー・プロジェクト』じゃ。お主はそのモデルとして、ネガティブの利点をこの世界の住民に示して欲しい」

 熱っぽく語るドクター・ラバウに俺は驚いていた。温和で、自慢話好きで、何か強いお爺さん。その上、この世界のこれからを憂えている。

 俺より、この爺さんが頑張ればいい。

「ドクター・ラバウがその手本を示せばいいんではないんですか?」

 これまでのドクター・ラバウの言動を見ていると素直にそう思う。この爺さんは政治家として表舞台に出れば、立派な功績を立てると誰もが思うだろう。

「ふぉふぉふぉ、お若いの。わしは無理じゃよ。この世界の住人では真のネガティブ・シンカーにはなれんじゃろう。それにわしは少し有名じゃからな。このようなプロジェクトで表に出ることはできないんじゃ。それに、この『ネガティブ・シンカー・プロジェクト』にはインパクトが必要じゃからな」

「インパクトですか」

「うむ、そうじゃ。ネガティブな発想を世界に広めるには相当なインパクトが必要じゃ。なにせ、世界中の人に今までのポジティブな考え方を変えろというんじゃからな、ドーンと大きなインパクトを持って一気に民衆に浸透させなければ、上手くいかんじゃろ。だから、お主が適任なんじゃ」

 インパクトが必要なのは分かる。俺だって何度もこのネガティブな性格を直そうとしてきた。しかし、それは今日までかなわないでいる。個人の意識改革でも大変なのに大勢の、それも世界中の人の意識改革とはそう簡単なものではないだろう。そのためにもインパクトが必須といえる。

 しかし、俺がインパクトになるのだろうか?

「お主のインパクトは絶大じゃからの」

 俺の心を見透かしたかのようにドクター・ラバウの発言に俺はびくっとする。

「インパクトって何ですか?」

「まずは異世界からやってきたネガティブ・シンカーであるということじゃろな。このインパクトはかなり大きい。まぁ、異世界との交流自体はそう珍しいことではないんじゃがな、そんな発想をもった人間は珍しいからの。インパクトはばっちりじゃ」

 異世界との交流が珍しくない――いや、そっちの方が凄まじいインパクトがあると思うんですが。

「さらに今回はそのインパクトを増す秘策も用意したぞ」

「秘策ですか?」

 ドクター・ラバウはゆっくりと首肯する。異世界からやってきたネガティブ・シンカー以外にもう一つ秘策があるそうだ。「なんだ?」と考える俺に、ドクター・ラバウは近づき、手をとって握った。


「異世界のネガティブ・シンカーがこの領土の継承するんじゃ」

5/24 誤字・脱字修正。

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