そんなラブコメ展開になるわけない
ネガティブ・シンカー――それは、ネガティブな考えの持ち主。物事を否定的に考え方、消極的な考え方をとる者たちといえる。言い換えるなら、悲観論者としても差し支えない。
「して、俺はその史上最強にして最初のネガティブ・シンカーだと」
「はい、その通りです」
ウルはお茶の用意をしながら答える。俺たちは丘の上の草原からウルの住む家にやってきた。周りには他に住居もなく、草原の丘からほど近い森との境界に立っていた。
「お待たせしました」
ウルは奥の台所からティーカップに茶を淹れ、客間で待つ俺の前に出した。ウルの家の一階には台所とこの客間しかない。玄関のすぐそばには階段があったが、二階がどうなっているかは分からない。ただ、外から見たところ、二階に二間ぐらいしかないのは想像できた。日光が当たり、部屋の中は明るいが、窓を開けていないのか、少し湿っぽい。
出された茶からは芳しい香りが放たれ、日本茶とは違う紅茶のような茶である。このような茶に詳しくないので、何の葉だか分からないが、目の前に置かれた時から、その強い香りが鼻をついた。
「庭でとれたハーブのお茶ですよ。どうぞ」
はぁ、どうも。と軽い返事をしながら俺はカップに口をつけた。カップを近づけた時からハーブの匂いが鼻に突き刺さる。どうも、慣れない。
「うぅっ」
慣れないものはダメらしい。一口飲んだだけで、ハーブの香りと苦みにやられてしまった。なんと、情けない。
「あら、お口に合いませんで?」
ウルはおいしそうに飲んでいる。しかし、俺を責めるでもなく、ゆっくりとカップを運んでいる様子は上品にさえ思えた。
「すまんな。それで、お前は俺に何をして欲しいんだ」
口に広がるハーブの匂いと苦みに、早くも参ってしまった俺は、カップを机に戻しながら本題に移った。
「ネガティブ・シンカーとしてこの世界を救って欲しいのです」
「ネガティブ・シンカーってお前なあ」
否定できない。ウルは俺をここに連れてきてから、俺のことをネガティブ・シンカーなどと呼んでいる。確かに、俺はポジティブというよりはネガティブだ。物事を楽観視できない、もとより積極性もない。常に悪い方へと考えてしまう。
しかし、ネガティブが世界を救う?
「どうやって、ネガティブが世界を救っていうんだよ」
俺は自分で淹れたハーブティをおいしそうに啜っているウルに問いかけた。悪い方向へと物事を考えてしまう俺に人が救えるとは到底思えない。
「それはネガティブな思考で私たちの危機管理を考えて欲しいのです」
「危機管理? 危機管理って不測の事態に備えるやつか」
ウルは顎を引いて頷く。災害や事故が起こった時に対応するマニュアルみたいなものをウルは言っているんだろうか。
「悟には私たちの世界を救うための危機管理を担当して欲しいのです。私たちには危機管理っていう言葉がないのです」
「危機管理って言葉がないってどういうことだよ?」
「言葉がないというか、考えがないって言った方が正確かもしれないですね」
考えがない――ウルの言葉で余計に分からなくなってしまった。危機管理って言葉がないだの、考えがないだのってどういうことなのだろうか。
「うふふ、いきなり言われても分からないわね、悟さん」
困り切った俺の様子を見てウルはウフフと笑いながらこちらを見ている。会った時とは明らかに違う印象のウルに俺は少し戸惑っていた。いや、客として迎えられている自分の不甲斐なさと優雅にもてなしているウルとの落差に、俺は落胆しているのかもしれない。
ウルは咳払いを一つしてから再び話し始める。
「ネガティブ・シンカーのあなたには想像がつかないかもしれませんが、この世界の住人は基本的にネガティブな発想ができないのです。常にポジティブ、楽観的な発想しかできないとでもいいましょうか、大部分の人たちは物事のマイナス面を考えることができないのです」
「それが悪いことなのか?」
「悪いことに決まっています。大問題ですよ」
ポカンと話を聞きながら思ったことを言った俺に、ウルはすぐさま返答した。身を前に乗り出し、段々と熱のこもった話し方をしているが、俺の声はまだ聞こえるようだ。
「この世界では、基本的になんでも上手くいくと思って行動する人間が大勢います。『失敗したら』とか『万が一に備えて』なんて考えを持つことがほとんどの人ができないです。できるのは、大学まで学問を修めた人間、その中でもごく一部の限られた人間だけ。その人間ですら、基本的にはポジティブな発想しかできません」
ウルは腕を組み、目を閉じながら話している。
「ネガティブな発想ができないとどうなるか。例えば、ケガするかもしれないって発想がありません。だから、みんな自分の限界を知りません。子どもが重い岩を持ち上げようとして押しつぶされてしまうこともこの世界ではよくあることです」
「なんだよ、それ。普通、そんなこと考えられるだろう」
俺はそんな話を信じられなかった。だって、自分が持ち上げることが、できるかできないか、そんなことは普通に分かるはずだ。まして、それが原因で亡くなることがあってはならないはずである。
だが、ウルは首を横に振った。
「考えられません。この世界の多くの人間たちは」
「どうして」
「それは魔法による副作用なのです。魔法を使うことによって麻薬のような成分が体内で作り出されることが分かっています。だから、魔法を使い過ぎると、本当にポジティブなことしか考えられなくなるのです」
「だったら、魔法を利用しなければいいんじゃないか」
ウルは再び首を横に振る。頬が赤く染まって熱が帯びているようだ。
「それは出来ません。この世界では魔法は皆が使えるものです。もちろん、使える魔法の威力は個人差がありますが、みんなが日常生活で使っています。火を使ったり、重いものを運んだり、人との意志疎通にも魔法を使っています。あなたたちの世界で言うところのインフラみたいなものですね」
「要するに、魔法なしでは生活ができないってことか」
ウルは首肯する。魔法を使うことでポジティブな性格になれるなら、俺は是非とも魔法を使いたい。ウルに魔法を習ってみたいものだ、などと思っているうちにウルは話を進める。いつからからだろうか、上品そうな話し方とは違い、少し明るく、楽しそうに話していた。
「魔法のない生活は私たちには想像ができません。でも、ポジティブな考え方しかないと社会が混乱してしまう。色々な方法を試しました。でも、どれも上手くいかない。まぁ、誰かがなんとかするでしょうって私を含めみんなが考えていたんだけど、おじい様が発案したのが『ネガティブ・シンカー・プロジェクト』だったの」
「それで、俺が選ばれたと」
「そうなの。まぁ、もうあなたがいるから、安心だけどね」
「いや、安心するのは早い気が……」
俺の言葉も聞かず、ウルはティーカップを持って立ち上がり、台所へ向かった。
「ハーブティのお代わりはいかがが? このハーブはね、精神を安定させる効果があるって言われているのよ。まぁ、一口目を飲んだ瞬間だけどね」
ウルは台所で上機嫌に、明るい声で話している。なるほど、このハーブには精神を一瞬だけでも安定させる効果があったようだ。話し始めたとき、ウルの雰囲気が違っていたのも、このハーブが原因だったのか。
つまり、俺が悲観的に考えていたのも、このハーブティのせいか。
「いや、もういいや」
台所でお湯を沸かしたやかんからお湯を茶越しでカップに直接淹れているウルは少しふらついていた。
「えっ、何でよ。このハーブティは二杯目からが美味しいのに」
「二杯目からはどうなるっていうんだ?」
「最高に気持ちいい気分になれるんだよ。身体がポカポカして、頭がクルクル回って、嫌なことを忘れてしまうんだよ」
「それって、お前、大丈夫なのか?」
「大丈夫、大丈夫!」
言葉とは裏腹に、ウルは千鳥足で台所から戻ってきた。そして、そのハーブティをグイッと一気飲みした。
「ぎゃっはははははは! 楽しい! 最高っ!」
「お、おい、ウル。お前何やってる」
「何って、こんなに楽しいことをやってるんだからいいじゃないの。何の文句があるっていうの?」
真っ赤な顔をしたウルはバンと机を叩いて、向かい合う俺に顔を近づけてきた。とろんとした瞳とだらしなく開いた口をしたウルの小さな顔が目の前に迫る。整った顔立ちが台無しだが、俺はあることに気づいた。それは口元からは先程までの甘い香りでもハーブの香りでもない、別の臭いを感じ取っていたからだ。
「お前、酒を飲んでるのかっ!」
ウルからしたのはアルコール臭だった。それも、口からだけでなく、身体全身から溢れ出るようなキツイ臭いを放っていた。
「うるさいわね、ハーブティよ! ちょっと気持ちよくなるお茶を飲んで何が悪いっていうの」
「いや、お前、まだ事情説明が終わってないだろう」
「そんなものは、どうにでもなるだろうがっ! そんな細かいことにいちいちこだわっているから、お前はいつまでたっても小物なんだよ。だからお前は、彼女の一人もできないんだ」
「いや、何の因果関係があるっていうんだ?」
ひゃっひゃっひゃっあ――ウルは奇声のような高笑いをして、俺の質問に答えようとしない。
「やっぱり、お前は究極のネガティブ・シンカーだ。本物だ。ぎゃっひゃひゃひゃ、ぎゃひゃひゃ……ひゃん」
ウルは笑っていたかと思うと急に、静かになってしまった。
「おい、大丈夫か、ウル」
ハーブティが原因なのかはっきりとは分からないが、急に静かになった。もしもハーブティがアルコールかもしれないと考えると、ウルはアルコール中毒になっている可能性がある。そうだったら、困る。もしもそうなら大変なことであることは容易に想像できる。
「大丈夫か、大丈夫か」
俺は立ち上がり、ウルのすぐ隣に駆け寄った。ウルは少し苦しそうに顔をゆがめながら、天井を向いていた。
「おい」
こちらの問いかけに反応しない。そんなウルを見て、俺は余計に怖くなった。両手でウルの両肩を大きく揺さぶったが、だらんと伸ばしたウルの両手が力なく揺れる。
「おい、おい!」
俺はウルに近づいた。もっと近くでウルの反応をきちんと確かめたかったのだ。ウルの顔には揺さぶったために髪がかかっていた。俺はその髪をどけようと手を伸ばす。
そのとき、ウルは俺に覆いかぶさってきた。
「お、おい。何する気だ」
ウルの顔にかかった髪をどけようと手を伸ばした時、ウルは俺の方に倒れてきた。急な出来事だったので、俺はその場で支えることができず、後ろにのけ反って倒れてしまった。
「痛っ!」
今日は何回頭を打つのだろうか。
俺はウルの下敷きになった。長い透き通る黒髪が俺の顔にかかる。ウルの顔は俺の右隣にあり、頬を真っ赤に染めて小さな寝息を立てている。
「なんだ、寝てるのか、こいつ」
小さな寝息に安心して俺はウルの方に顔を向けた。もう鼻と鼻が触れ合う距離だった。
「こいつ、可愛いな」
近過ぎる顔に一瞬驚いたが、ウルの顔に見惚れてしまった。長いまつげが瞳を完全に覆い隠し、柳よりも細い眉が八の字になっている。小さな鼻の頭と柔らかそうな両頬は真っ赤というよりは、鮮やかなピンク色をしていた。ぷっくりとした唇からは規則正しい吐息が俺の唇を乾かしている。
「いや、なんてことを考えているんだ、俺は」
口元から放たれるアルコール臭と髪から香る甘美な匂いが俺の正気を取り戻させる。このままではいけない。まずはウルをどかさなくてはならない。
俺の上に乗っている身体をどかすために、ウルの両肩を持って顔のある右側へと降ろすことにした。ゆっくりと起こさないように俺からウルを降ろす。ウルの上半身を降ろす時に、胸の柔らかい感触が伝わる。和装のような服のせいで分からなかったが、密着するとその感触があった。
「いや、ダメ!」
うわっ、バレた――邪な考えがばれたのか。慌てて離れようとする俺だったが、ウルは首に腕を回し、ギュッと俺を抱きしめた。
「お、おい。お前、何を」
ウルは横になりながら俺にしがみついた。ウルは頭を俺の左肩にのせ、俺の頭の後ろで両腕をがっちり組んでいる。俺の左脚にはウルの太ももの柔らかいが弾力のある感触が伝わってきた。なにより、胸のふくらみが、俺の胸の上で潰れているのが耐えられない。
「おい、おい、やめろ。悪ふざけが過ぎるぞ」
ウルの狙いが分からなかった。俺に抱きついて何をする訳でもなく、ただ寝息を立てている。ウルがしがみついているから、身動きがとれないのも困った。
ダメだ、俺の理性が飛んでしまう。
「パパぁ」
「おい、パパってなんだ、パパって」
どんなプレーだ、こいつ。
俺は勇気を出してウルの顔をのぞく。いやらしい考えがあるわけではない。こいつがどんなことを考えているのか分からないが、とにかく相手の顔が確かめたくなったのだ。抱きついたウルの身体を少し放して、顔を覗き込む。
「パパ、ダメだよ。行っちゃ、ダメだよ」
長いまつげに覆われたウルの目尻からは一筋の涙が流れ落ちた。
「えっ」
俺は涙を見て、固まってしまった。ウルは眠りながら泣いている。まるで悪い夢でも見ているように、涙を流し、鼻をすする。
「パパぁ、パパぁ、パパぁ」
その声はとても小さかったが、遠くにいる人物を必死に呼びとめようとする意志が感じられた。次第にかすれているようなその叫びはやがて穏やかな吐息へと変わった。
「ようやく、寝たかの、ウルは」
「へぇっ」
「いや、ウルは寝たかと聞いているんじゃ、お若いの」
状況が読み込めない。
俺が声のする方へ振り返ると、そこには白いひげを蓄えた老人が俺たちを見下ろすように立っていた。
「へぇっ、いや、その、はい、寝たようです」
俺は答えながら、ゆっくりとウルの腕を外して、起き上がる。
「そうか、それはよかった。ウルは体質的に弱いくせに、すぐにおぼれたがるからこまったもんじゃよ」
「はぁ、弱いんですか」
白ひげの老人は大きく首を縦に頷きながら話をする。
「さよう、大変弱い。だから、このヴィローズのハーブティを飲むのは控えろと言っているのに、客人だから出したんじゃな。まったく、しょうがない奴じゃわい」
白ひげの老人は立派なその髭を手で撫でながらウルに近づきかがんだ。床で寝ているウルの髪を撫でながら、笑みを浮かべていた。その話し方は呆れているというよりは仕方がないことだと諦めているようなニュアンスが感じ取れた。
「しかし、それはそれだけ大事な客人だということだぞ、お若いの」
老人は立ち上がると、俺に手を伸ばした。
「よくぞ、いらしてくれた。高浜悟くん。わしが君を呼んだんだ」
「ということは、あなたがウルのお祖父さん」
かっぷくのいい老人は俺が手を出す前から俺の手を取って握手をすると、何度も上下に大きく振る。
「そうじゃ、わしが、ウルの祖父であるドクター・ラバウだ。よろしく頼むぞ、ネガティブ・シンカー」
6/6 誤字・脱字修正。一部加筆。




