悲しむ人、不運な人
「ふぅ、危ない所じゃったのう」
集落の取りまとめ役である夫婦が家に入ったのを確認すると、ドクター・ラバウは額の汗を拭きながら俺に話を振る。
「何が、危なかったんですか?」
「お若いの、お主にはまだこの世界について教えなくてはならないことがたくさんあるようじゃな。それまではあまり人と話さない方がようかもしれんの。わしが軽率じゃったわい」
家を後にして集落の中心部へと歩きながら、ドクター・ラバウは俺の横にピッタリとくっついて話す。何事もなくてよかったと言わんばかりに、安堵した様子のドクター・ラバウを見て俺は疑問だけが残った。何か俺はまずいことをしたのだろうか。
「わしたちが伝えていないのが悪かったんじゃが、この世界では死を嘆き、悲しむものとしては捉えるのは最初のうちだけなんじゃ。一か月もたった今の時期にその死を悲しむのは不謹慎と見られてしまうんじゃよ」
「死を悲しむのが不謹慎」
「ふむ、そうじゃ。いつまでも人の死を悲しんでいるのは不謹慎になるんじゃよ」
いつまでも死を悲しむことは不謹慎になる。どうして死を悲しむことが不謹慎になるのだろうか。俺には理解できない。
「まぁ、この世界特有の考え方じゃな。人の死は大いに悲しいものじゃ。しかし、その死をいつまでも悼んでいたら前には進めんじゃろ。じゃから、ひと月が過ぎたら、その死を悲しむことは不謹慎とされるんじゃ。それは辛いことじゃが、死の悲しみを乗り越えるために、わしたちが常に前向きに生きるために生み出した習慣なんじゃ」
丁寧に説明するドクター・ラバウを俺はじっと観察していた。白いひげに、かっぷくのいい堂々とした態度がドクター・ラバウの威厳を醸し出している。しかし、話している内容に関しては尊大な所はなく、一つ一つを紐解くように慎重に言葉を選んで説明している。
なるほど、死を悲しむことが不謹慎であるなら、あの親父ギャグおじさんの言動も頷ける。しかし、この世界の人はポジティブではなかったのか。
「そんなことはないわよ、悟」
俺の疑問に答えたのはウルだった。
「ポジティブというのは悩まないということではないわ。ただ、物事を前向きにとらえることができる、いい方向に物事が進んでいくだろうと考えることができるということよ。けど、目の前の出来事に怒る時もあるし、悲しむ時もあるわ。私だってとっさに怒ったり悲しんだりするもの」
今まで話し出さなかったウルは俺に訴えかけるように話してくれている。
「だけど、そこですぐにいいところが見えてくる。いや、見るようにしているのね。人が亡くなることはとても悲しいことよ。けど、人は亡くなっても思い出はなくならないわ。その思い出を励み、悲しみを乗り越えて次に進んでいこうとするのよ」
人の死は悲しい。それはこの世界でも同じであるようだ。しかし、いい部分を見るように努め、いつまでも悲しまないようにするという。悲しい時にも楽しかったことを思い出し、その悲しみを乗り越えようとするのだろう。
ポジティブは常に前を向き続けようとする、生きていくための考え方なのかもしれない。
そんなこと、俺にはできない。
「けどね、時々、度を超えてしまう人もいるのよ」
「度を超える?」
それまでの重苦しい雰囲気を少しでも払おうとしたのか、ウルは明るい声色を変えた。
「そうなのよね。その人の死への思いがあまりにも強いと極端なポジティブ状態になってしまうのよ」
「極端なポジティブって、魔法を使い過ぎてしまったあの状態なのか?」
先の戦争で魔法力を使い切ってしまったために、まるで酩酊状態になってしまったあの惨状を俺は思い出していた。いや、思い出したくない……。
「う~ん、あの感じではないのよね。悲しみのあまり魔法力が爆発してしまう、いや、むしろ暴走してしまうという言い方が正しいかもしれないわね」
「暴走?」
「そう、暴走よ。魔法力の暴走した人は目も当てられない状態になるのよ」
「目も当てられない状態」
魔法力を使い切ってしまったウルの様子を思い出すと……いや、思い出したくない。あの深夜の三次会会場の惨劇を思い出すことを俺のネガティブな理性が拒否している。
こんな時にネガティブは役に立つ。
ネガティブは危険なことはしない。何もしないことが一番安全であることが多いのは、俺の今までの人生経験で学習済みだ。何もしなければ、何も起きない。
「う~ん、そうね」
俺が想像できなくて困っているのとでも思ったのか、ウルは歩きながら周囲を見渡している。どうやら、俺に説明するために何か利用できるものはないか、探しているようだ。
「まぁ、分かりやすく言うとあんな感じの人ね」
「誰だよ」
「あの植え込みの陰に隠れている人よ」
ウルが指差す先には背の低い茂みがある。人の姿は見えないが、ウルの指し示す先の茂みがゴソゴソと音を立てている。
「えっ、どうしてあんな所に人がいることが分かるんだ?」
「簡単よ。気配を感じたからね」
「気配?」
「そうよ、気配。今回の場合は殺気ってやつね」
殺気って……えっ!?
俺が驚きの言葉を上げる前に、ドクター・ラバウは俺の前に腕を出して制止させた。ウルも俺の前に出て、何やら唱えている。
「お若いの、気をつけるんじゃ。相手は魔法力が暴走状態にあるからのう。どうなるか分からんぞ」
それまでの雰囲気とは違い、ドクター・ラバウは低い声で身構えている。
「来ますわ、おじい様」
呪文の詠唱を終え、いつでも攻撃にできる状態のウルが短い言葉で注意を促す。
茂みが今まで以上に大きく動く。
「くくくっ……くくくっ……くくくっ……」
その笑い声は茂みの中から聞こえてきた。上ずった声は女性のものだが、先程のおばちゃんのような声ではない。むしろ俺と同じぐらいの若い女性の声だ。
「誰じゃ、出てこい!」
低く相手を威嚇するようなドクター・ラバウの声はこの場の緊張感をさらに高める。ドクター・ラバウは今、武器を持っておらず、素手で身構えているだけだが、その迫力は背中越しにも伝わってくるほど凄まじい。
「くくくっ……ネガティブ……シンカー」
ドクター・ラバウの呼びかけに応えるように、茂みの中から若い女が出てきた。年は俺と同じぐらいか少し下、うつむいているために顔は見えないが、ブロンドの長い髪には土や葉などがつき、汚れている。同じように、白いネグリジェのようなワンピースはスカートの裾が破れ、全体に土で汚れている。
「ネガティブ・シンカー……ネガティブ・シンカー……くくくっ……」
下を向きながらこの女はただネガティブ・シンカーと言葉を呟きながら、肩を上下させて笑っている。
「おじい様、この者はやはり」
「ウル、用心せい。来るぞ」
二人の会話はそれで十分だった。話し終えると、ウルは両手を前に突き出して力ある言葉を放つ。
「我が光の言霊よ、その者を静め給え!」
ウルの力ある言葉に応え、青色の魔法陣が笑っている若い女の足元に現れた。幾何学模様がネオンのように発光する魔法陣はそのまま地面をゆっくりと離れ、若い女をその光で包むように上っていった。
「くくくっ……くくくっ……」
若い女はまだ上ずった調子で笑い続けている。俺にはウルが何の魔法をかけたのか、その魔法が効いているのか分からない。攻撃系魔法のような派手さはない分、効果が目に見えるまで時間がかかるのだろうと思っていた。
しかし、その結果はすぐに示現した。
「ぐははははぁ!」
若い女はそれまで薄気味悪い笑いをやめて突然、雄叫びをあげた。雄叫びと同時に激しい風が俺たちを襲う。空に向けた女の表情は強張り、絶叫していた。そして、その絶叫がウルの生み出した魔法陣を木っ端みじんに打ち砕いた。
「ちっ」
ウルの舌打ちからは悔しさがにじみ出ていたが、今は何もできない。雄叫びとともに巻き起こった強烈な旋風が、叫び続ける若い女を中心にして起こっている。
「ぐははははっ、ぐはははははっ!」
雄叫びは次第に笑いに変わったが、先程までの笑い方とは違う。嘲笑である。
「ネガティブ・シンカー……我が敵」
俺への侮蔑を含んだような言い方をする若い女は俺の方を見ると、右腕を上げた。白い華奢な腕はすっと空を指差す。
「ネガティブ・シンカー……覚悟」
上ずった、落ち着きのない声を上げながら、その腕を今度は俺に向けて突き出す。
「いけない、避けて!」
ウルは叫ぶが、強風のため、俺に近づくことができない。いや、避けるって、俺の前にはドクター・ラバウがいるはずだから……っていない!?
ドクター・ラバウがいない!?
「ネガティブ・シンカー…………さらば!」
大事なことなので二回確認している俺に向かって、若い女は右腕からは眩い閃光放つ。その光はまっすぐ突き進み、俺にどんどん近づいてくる。遮るものは何もない。つまり、俺を守るものは何もない。おいっ!
「ぎゃああああああああ!」
俺は目をつぶる。今の俺に出来ることはこれしかない。あぁ、最後の時がこんなものであろうとは、誰が予想できたであろうか。さようなら、俺の人生……。
「お若いの」
……畜生、それにしたって、なんでドクター・ラバウは俺の前から消えたんだ。守ると見せかけて、いなくなるとか、最悪だな、本当に。あのじいさんも結構、適当で、本当に振り回されてばかりで、良かった試しが一度もない。
「お若いの、いつまで目をつぶっているのじゃ?」
本当に、はっきりと言っておきたかった。あんたのせいでどんだけ迷惑を被ったのか、なんでそんなに勝手なことばかりするのか。小一時間ぐらい問い詰めたかった……。
「お若いの、いい加減にせんかっ!」
ゴツンという衝撃音とともに、俺の頭が振動する。つい一か月前も同じような振動でつぶっていた目を開けたが、今回も目を開けるとそこにはドクター・ラバウがいた。
「ドクター・ラバウ、どうしてここに?」
「どうしてって、終わったからじゃ。ほれっ」
ドクター・ラバウの右腕に抱きかかえられたのはあの女だった。強力な旋風を引き起こし、誰も近づけなかったその女をドクター・ラバウは文字通り小脇に抱えていた。
「しかし、この女子も不運じゃの」
驚きのあまり腰を抜かしていた俺をドクター・ラバウは引き起こしながら、ため息交じりに呟いた
「不運って何でですか」
引き起こされ、土ぼこりを払いながら、俺は問いかけた。
「一族がこの戦争で破滅したからのう」
ドクター・ラバウはぐったりとしたまま動かない女を見ながら俺に話しかける。小脇に抱えられた女も時々、唸ったりぴくぴくと動いたりしているから死んでいるわけではないようだ。
しかし、戦争で一族が破滅するとは確かに不運だ。近くで見ると泥で汚れていても分かるぐらい目鼻立ちのいい整った顔立ちで、寝ている表情は安らかだ。とてもそんな不幸な出来事があったなんて……って、なんでそんなことを知っているんだ?
「それは、簡単じゃ、お若いの」
俺の疑問にすぐにドクター・ラバウは何のためらいもなく、ただ事実として答えた。
「この娘はメアリー・メダッボ。メダッボ伯爵の一人娘じゃよ」




