戦争の傷跡
領境に近づくと、そこが戦場であったことを思わせるものが次々と目に入ってきた。
焼け落ちた家。
川に残された橋脚。
道を半分ふさいでいる焦げた木。
目に入るもの全てが俺に語りかけてくる。
――貴様のせいだと。
「お若いの、もうすぐ着くからのう」
自動車の窓から景色を眺めている俺に、運転をするドクター・ラバウが話しかける。
「今から行くところはメダッボ伯爵軍の焼き打ちを受けた集落じゃ。今回の戦役で最も被害の大きい集落の一つじゃのう」
「被害って、どのくらいの被害だったんですか」
「集落の九割の建造物が焼かれ、住人の半数が亡くなったそうじゃ」
ドクター・ラバウは淡々と結果だけを伝えた。その淡白な報告は何の脚色もされていない分、車窓の残骸と同じ事実として重くのしかかる。
アシェム継承戦争――サリム・アシェムの死後、俺の領土継承を認めないメダッボ伯爵を中心とする連合軍がアシェム領へ侵攻した戦争――は、一か月前、俺たちの勝利に終わった。勝利によって俺はほぼ全ての領主から了承が得られたので、後日、正式な就任式を行なうことになっている。
しかし、その被害は俺の予想以上に大きかった。領境付近で警備していた兵士、草原の丘で決戦に参加した兵士合わせて三百人が戦死、七百人が戦傷。数字だけ聞くと実感が湧かなかったが、無傷の兵士を全て警備にあてないと治安維持ができないことや今、戦争を起こされたらすぐに攻め滅ばされてしまうことを聞き、その数が致命的な損失であることが分かった。
「復興はネガティブ・シンカーの更なる名声を高めるチャンスじゃ。内外に『ネガティブ・シンカーここにあり』ということをさらに宣伝するんじゃ」
なぜ他の領主たちが攻めてこないのか。一つには隣接するメダッボ伯爵領が無主地として近隣の領主が領土争いをしていることがあげられる。無主地、つまり誰のものとも定まっていない土地、そこはいわば早いもの勝ちである。一刻も早くその土地の領有宣言をすればその土地は宣言者のものになる。その争いに皆夢中なのである。
もう一つはネガティブ・シンカーの存在である。ネガティブ・シンカー、つまり俺だが、決戦となった草原の戦いで圧倒的な数的不利の状況下で勝利に導いた立役者という評判が世間に広まった。また、その戦いにおいてネガティブ・シンカーが異能の力を用いて敵軍を圧倒したという噂が流れていた。この噂が領主たちにこのアシェム領への侵攻をためらわせている。
「そうよ、悟。今は色んなところに行って顔を覚えてもらうことが大事なのよ。新しい領主が、それもネガティブ・シンカーがどんな人間か、その印象は一番初めに会った時に決まってしまうんだから。今は大切な時期なのよ」
ドクター・ラバウと俺との会話にウルが割り込んでくる。俺の秘書兼護衛官を務めるウルは今日も制服である紺地のプレザーにフリルのミニスカートを着ている。
「でも、どう振舞えばいいんだろう?」
「大丈夫よ、悟。堂々としていればいいのよ、堂々と」
ウルは自分の胸をポーンと叩いて俺を励ます。持ち前の明るさで「大丈夫、大丈夫」と何度もウルは話すが、俺は不安しかない。
領主としてどんな風に住民と接すればいいのだろうか。領主として威厳を見せればいいのか? いや、痩身でギッチナー将軍のように体格が立派でもないこんな若造では、相手を威圧するような貫禄を出せない。むしろ、年寄りから無言のプレッシャーをかけられてこちらが押しつぶされかねない。
かといって、気安く住人と話しかけることは俺にとってハードルが高い。ネガティブな人間、つまり自分に自信がない人間が、見知らぬ人間に話しかけることは非常に難易度が高く、コミュニケーションに失敗するようなことがあれば、最低でも一日、長ければ一週間は後悔することになるだろう。「えっ……はい、そうですけど」とか無駄に間が開いた時に、どうして俺はその場に立っていることができるだろうか。いや、できない。
ほんと、ネガティブって使えないな。自分のことだけど……。
「はぁ~」
大きなため息を一つ吐いた時、自動車は集落へと入っていった。
「おぉ、アンタが新しい領主様かい。いや、驚いた、こんな坊主が俺たちの支配者なんて思いもしなかったぜ。領主様だけに、ロードよろしくってか? ぎゃははは!」
「ちょっと、あんた、そんな寒いこと言って領主様を困らせるんじゃないよ。そんなことよりも領主様、お腹はすいてないかい? あたしん所の昼の残りなんだけど、薬草粥を食べていきなよ、ほら、おいで!」
「いや、あの……」
「いやいや、領主様は俺のギャグを大層気に入っているぜ。じゃなきゃ、こんな立ち止まって俺の話を聞いたりしないさ」
「だから、あんたの話を聞いているんじゃないんだって。領主様は腹が減っているんだよ。だから、あたしらの家に立ち寄ってくれたんじゃないか。この村一の料理人であるあたしの家に」
「だから……」
「なぁに言ってんだい! 俺の話を聞きたくてここに来てくれてたんだよ、領主様は。だって、俺の話を立ったままで聞いてくれているんだぜ。いつもいつも、なぜか俺が話しかけるとみんな逃げていくけどよ、領主様は笑ったまんま話を聞いてくれているんだぜ。こんないい人が領主様なんて。俺はなんて幸せなんだろうね」
「まぁ、あたしの料理を食べるためにわざわざこんな辺鄙なところまでやってくる領主様も物好きな人だから、あんたの話を聞いてくれてるんだろうよ。もっとも、あんたの話がいつも親父ギャグばかりだから、人は逃げていくんだろうけどね。ねぇ、そうは思わないかい、領主様?」
「は、はぁ……」
ポジティブとは迷惑だ。
集落に入ると俺とドクター・ラバウ、ウルの三人は早速視察を開始した。焼け落ちた家々が無残な残骸となって並んでいる集落の中心部では人々が各々の片付けに追われていた。俺たちが声をかけると、皆一様に俺たちを迎え入れてくれた。そのために、視察は順調に進んでいた。
もっとも、視察といっても、事前にどこを見て回るか決めているわけでもなく、中心部の様子を見た後、この集落の取りまとめ役の家に行くことになったのだが、この有様である。
「いや、本当に新しい領主様は俺たちの希望だぜ。だから、きぼっていこう! なんてな、ぎゃははは!」
さっきから何が親父ギャグなのかあまり分からない男がこの集落の取りまとめ役である。陽気で気さく、初対面の俺でもお構いなく話しかけ、常に笑っているおじさん。本当にこの人がこの集落を取り仕切れるのだろうか?
「ほら、それ以上、領主様を困らせるんじゃないよ。そんなことより、領主様、早く来な! 料理が冷めちまうだろう。どうせ残り物だけど味は保証するから早くおいで」
その奥さんはまた非常に豪快だ。俺が来た時から旦那である親父ギャグおじさんに冷静な突っ込みを入れているが、俺に関しては腹が空いたから来たのだと決めつけている。その上、このおばちゃんは人の話を聞こうとしないから、その誤りを修正できない。いや、腹がへったら集落の中心部から離れたこの家までわざわざ来ないって。
うん、ポジティブはホントに迷惑だ。
「ふぉふぉふぉ、お若いの。大人気じゃの」
一緒についてきたドクター・ラバウは大きな笑い声を上げながら、俺の様子を見ている。見ているだけ何もしようとしない。
「いや、ちょっと助けてください!」
「いやいや、お若いの。住人の意見に耳を傾けるのも領主の大事な仕事じゃよ」
「そ、そんなことを言わないでくださいよ……って、ちょっと! 腕を引っ張らないでください」
昼ご飯を食べさせたいおばちゃんが、俺の手をぐいっと引っ張る。
「いいじゃないの、昼ぐらい食べていきなさいよ。何なら朝一番でとれた卵を使った卵焼きでも食べるかい?」
「いや、今はちょっと……」
引っ張る腕を押さえながら、俺はおばちゃんに向かって断わりを入れる。こういう時ははっきりと言った方がいいのだが、初対面の人の誘いを、それも善意の行為を断るのは少し勇気がいる。
「そうかい。今は腹がいっぱいなんだね」
見ず知らずの人間が善意をいきなり断ると相手が嫌な気持ちになるんではないか。そんなことが気がかりになって、断りを入れることは俺にとって難しい。
「でも、いいさ。腹がいっぱいなら人間いいことだよ。あたしも全部なくしちゃったけど、料理だけは作っている。作って、作って、作り続けることができるだけマシなのさ」
俺の腕を離すとおばさんは笑顔で答える。
――しまった。
俺はおばさんの笑顔を見て自分のしでかした過ちに気づいたが、すでに遅かった。
「俺たちは息子を亡くしてしまったんだが、こうしてギャグで笑えている分だけいいのさ。集落にはまだ何もできないやつだっている。それに比べたら、まだ俺たちは生きているんだからな。死んでしまった人間よりはマシさ」
親父ギャグのおじさんも笑顔で俺の方を向いている。
「あんたぐらいの息子だったんだけどね、領境の警備で亡くなってしまったんだよ。あたしたちの一人息子だったんだけどね。それでこの人ったら領主様にあれやこれやと話しかけたかったんだと思うよ」
おばさんは遠くを見ている。昔のことを思い出しているのだろうか、その表情はとてもやさしかった。
みんな、何かしら戦争で失っている。
家を、財産を、大切な人を、今まで積み上げてきた大切なものは全て戦争によって失われた。この夫婦は一人息子を失っている。みんなそれぞれに悲しみ抱えているはずである。その悲しみはポジティブに隠されて見えない。
「どうしたんだい、領主様? 具合でも悪いのかい」
親父ギャグおじさんが、ギャグも言わずに俺を心配している。本当は俺の方から声をかけないといけないのに、俺が心配されるなんて……。本当にネガティブ・シンカーは使えない。
「領主様、あんたは俺たちとは違うんだよな、確か。異世界からやってきたネガティブ・シンカーとかいうんだよな」
下を向いたまま無言でいる俺に親父ギャグおじさんは質問を続ける。
「はい、そうですけど」
「だったら、一つだけ言わせてくれ。そんなに悲しそうな顔をしないでくれ」
親父ギャグおじさんは何か堪えながら、俺に直訴する。なぜ悲しそうな顔をしてはダメなのか、その理由が分からない。
「お若いの、そこまでじゃ!」
それまで俺に一切助け船を出さなかったドクター・ラバウが急に俺と住人たちの間に割り込んできて、話を遮る。そして「もう時間だから」とか「他の所も見てくる」などといってこの夫婦のもとを離れようとした。
「最後によ、新しい領主様。あんたが俺たちの希望だっていうのはみんなそう思っているからな。死んだ奴の分までしっかり働けよ!」
親父ギャグおじさんは大きな声で叫ぶと家の中へと入っていく。その声は俺の頭の中でしばらく響いていた。




