第一章エピローグ 戦いの後で
「いや、とりあえず結果オーライじゃ、お若いの」
俺の背中をポーンと叩きながら「ふぉふぉふぉ」という笑い声を立てているドクター・ラバウは俺の隣で意気揚々と俺に話しかけている。
あの後、ナルを追える者は誰もいなかった。ギッチナー将軍もウルも寝込んでいたし、俺一人を残してドクター・ラバウも追うことは難しい。結局、ドクター・ラバウが敵本陣を占拠したことを戦場に宣言し、両軍に戦闘停止を命令した。
もともとアシェム軍は撤退を始めていたが、完全には撤退していなかった。一方のメダッボ伯爵を中心とする連合軍の兵士のほとんどが、極度の興奮状態――つまり、悪酔い状態――で、中にはギッチナー将軍やウルのように寝込んでいる兵士もいた。結局、戦闘はほとんど行なわれていなかったのである。
「わしたちの戦争は結局は勝敗が明確につかないことが多いんじゃ。どっちが有利だったのか、どっちの敵を攻めていたのか分からなくなって、収拾がつかなくなることが多いんじゃな」
勝敗がつかないことが多いなら今回ははっきりと勝敗がついた分、めずらしい戦いであるといえるのだろうか。敵、メダッボ伯爵の連合軍は本陣が壊滅して敗北した。しかし、それは俺たちの功績ではなく、たったひとりの暗殺者の功績だ。まぁ、その暗殺者を撃退したのは俺たちだからその功を誇ってもいいのかもしれないが、俺にはそんな気はない。
「しかし、今回の戦いでネガティブ・シンカーの勝利が全世界に伝わると考えると、わしたちの計画もより一層進むじゃろうな。それに、ネガティブ・シンカーの真価も確かめられたしのう」
ネガティブ・シンカーの真価とは二つの力である。
一つの力は、爆発的な魔法力の解放――ポジティブ・ブレイク。この時の俺は力に酔っていたのかもしれない。全身に力がみなぎり、できないことはなにもなかっただろう。暗殺者ナルの攻撃も防げたし、反撃をすることもできた。
もう一方の力は、莫大な魔法力の吸収――ネガティブ・アブソーブ。この時の俺は正直、思い出したくはない。絶望、不安、諦念などあらゆるマイナス感情が、自らを死へと希求する状態だった。しかし、それは強力な魔法を吸収し、俺たちの勝利を決定づける役割を果たしたのだから、複雑だ。
「まだまだ研究を続けなくてはないらないのじゃが、効果は十分に期待できそうじゃ。お主にはこれかも期待しておるぞ」
ネガティブ・シンカーの能力について説明をしているドクター・ラバウは学者らしく能力の発動条件とその効果について説明していたが、まだまだ分からないことが多いということらしい。ただ、感情の急速な変化が能力発動に大いにかかわっていることだけは確かなようだった。これからの研究への期待感がその言葉の端々に込められていた。
俺は期待されていいのだろうか。
「まぁ、無事に戦場を後にできたのはよかったわい」
ドクター・ラバウは話題を変える。
停戦後、まだ意識のある兵士を探した。味方の兵士なら収容作業をさせ、敵兵士ならば武装解除をさせる。時間の経過とともに頭を痛そうに抱えながら起き上がるもいたので、徐々に陣容を整えることもでき、夜明け前には戦場を後にすることができた。
「敵はもう攻めてこないんでしょうか」
今回は敵の兵士を武装解除させたが、身柄を拘束することはしなかった。一番の理由は自軍より多い兵士を捕虜にはできなかった。
「今回の出兵は領主の名誉のための出兵だったからじゃの。末端の兵士には何のための出兵か分からんじゃろ。敵の士気もそんなに高くなかったし、総大将が討ち死にしたんじゃ、帰るじゃろう」
今回の戦争の原因を求めるなら、あの会議で今は亡きメダッボ伯爵が俺の領主継承を認めなかったことである。その理由ははっきりと分からないが、前領主とも揉めていたそうだから、何かしら因縁のようなものがあったのかもしれない。
しかし、そのために多くの兵士が傷つき、亡くなった。
「だがのう、向こうさんたちはこれからが大変じゃろうな」
「大変って何かあるんですか?」
戦場から帰る馬車の中、俺はドクター・ラバウに尋ねた。青みがかった夜を進む馬車の中には、森のひんやりとした空気が漂っている。
「領主を失ったメダッボ伯爵領を今頃、別の軍隊が侵攻しておるはずじゃ。たぶん、メダッボ伯爵領は幾つかの領土に分割されるじゃろうな」
ドクター・ラバウは窓の外を見ながら呟く。領主を失った土地を誰かが欲しがるのは当然のことで、そのチャンスを狙ってメダッボ伯爵が攻め込んできたのだ。今度は攻め込まれる側になっただけで、争いの絶えない世界ではこのようなことに同情してはやっていけないのかもしれない。慣れなくてはいけない。
「わしらもその戦争に参加できればいいんじゃが、今回はできんのじゃ」
ドクター・ラバウはため息交じりに話す。そこに同情などという感情はなかった。
ただの利己心である。
「今回は参加できないって、そんなの当たり前じゃないですか! こんなに多くの人が傷ついているのに、まだ戦争しようっていうんですか」
「ふむ、お若いの。この世界は弱肉強食、戦の世の中じゃ。常に小国は大国に淘汰され、その大国は更なる大国に吸収されてしまうんじゃよ」
分かっている。そんなことは頭では分かっているはずである。でも、叫びたくなる何かに俺は突き動かされていた。
「まあまあ、お若いの、そう怒るな。今回はたとえ兵力が整っていたとしても出兵はできなかったんじゃ。契約の関係でのう」
「契約ですか?」
「ふむ、契約じゃ。これを買うための契約なんじゃ」
ドクター・ラバウは空になった水筒を見せる。
「ヴィローズの葉ですか」
「ふむ、そうじゃ。ヴィローズの葉は高級品で戦場の兵士に配ることができる量を用意するととんでもない金額が必要となってくるんじゃ。しかし、戦争用の機械兵器もそろえられないようなわしらにそんな金は用意できないじゃろ。だから、わしは一つの契約をしたんじゃ。」
「どんな契約ですか」
ヴィローズの葉が今回の戦争で勝利に大いに貢献したことは俺も理解している。そのヴィローズの葉が高級品であることははじめて知ったが、そのためにどんな契約をしたのか、俺は気になった。
「わしたちメッダボ伯爵領の所有権を放棄するというものじゃ。隣国のメダッボ伯爵領への領土的野心がないことを明らかにして、わしたちが勝利したとしてもメダッボ伯爵領は無主地とすることを条件にヴィローズの葉を譲ってもらったんじゃ」
あっけらかんと話すドクター・ラバウに対して、俺は開いた口が塞がらない。
「まぁ、それぞれの領主との交渉に三日も時間がかかってしまったんじゃがな。なにせ、勝利が前提条件の交渉じゃったからのう。圧倒的に不利なわしたちを相手に信用させるには粘り強い交渉と、彼らに対する利益をはっきりさせる必要があったんじゃ」
話を終えるとドクター・ラバウは何も反応しない俺を見て、再び窓から景色を眺めはじめる。ただただ森の続く道ばかりをドクター・ラバウは見つめているだけだったが、俺はそんな彼の顔をみることに嫌悪した。
ドクター・ラバウがいなければ戦争に負けていただろう。彼がいなければ、三倍以上の敵に勝てるはずがなかった。三日間の時間的猶予をつくることを指示し、その間にヴィローズの葉という戦略物資を集め、戦後のあり方まで決めてしまう。戦略家で政治家。ドクター・ラバウの活躍が絶大である事実は明らかである。
しかし、素直になれない自分が俺の中にいるのもまた事実だった。結局はメダッボ伯爵とやっていることは同じである。相手の領土を奪い取ろうとしたのか、相手の領土を差し出したのかの違いだけで、自分本位の考え方であることに変わりはない。そのせいで戦争が起こり、大勢の人がなくなり、挙句の果てにはメダッボ伯爵のように自らの命まで落としてしまうことになるのだ。どちらも自分本位の人間で、その発想は似たり寄ったり。そして、俺自身もその似たり寄ったりの一部にすぎない。
本当に、自分が嫌になる。
「お若いの、何か言いたそうじゃな」
ドクター・ラバウは俺の方を見ることなく、流れる森の景色を見ながら話しかける。
「い、いえ、別にありません」
自己嫌悪に陥ったり、他人への不信感が増したりしようとも、そのような感情を発露したところで何の解決にもなりはしない。これは俺が解決しなくてはならない問題だ。人に頼るべき問題ではないのだ。
「そうか、それならいいのじゃが、お若いの、これからお主は多忙になるじゃろうな。正式な領主継承儀式の準備もあるし、今回の戦争被災者の対応も必要じゃ。特に、戦争復興への尽力をアピールすることはお主の支持を高めることに繋がるから力の入れどころじゃ」
「大変そうですね」
「あぁ、大変じゃよ。大忙しじゃろうな。じゃからの、お若いの」
間が生まれる。馬車の車輪の回る音、馬の蹄が地面を蹴る音だけがこの車内に響いていた。
「無理は禁物じゃ。一人で抱え込まないようにせんとな」
ドクター・ラバウは窓の外を眺めたまま、俺には背中を向けている。やさしく落ち着きを持ったその声、他のことは言わずにただ俺を気づかう大きな背中は俺を励ますつもりなのだろうか、それとも他意があっての発言なのだろうか。人の心の中を見透かしたような物言いは人を疑心暗鬼に……って、あぁ、俺ってつくづくネガティブ・シンカーなんだな。
「ところで、お若いの、お主は元の世界に戻りたいとは思わんのか?」
「なんですか、藪から棒に」
「いや、前々から気になっておってな。いきなり連れてきてしまったのじゃから、お主の意志を確かめておらんことを近頃気づいたんじゃが、何分忙しくてのう」
振り返り、俺の顔をまじまじと見つめながらドクター・ラバウは話し始める。
「お主が望むなら、元の世界に戻すことも可能じゃが、今少し、わしたちに協力してほしいんじゃが、どうじゃろうか」
「どうだって言われても」
急な問いかけに俺は戸惑っている。考えたら、俺は領主になる必要も、戦争に巻き込まれる必要もなかったはずだ。いきなり必要だからと連れてこられて、この世界を救って欲しいなんて頼まれて、あれよあれよという間にここまで来てしまった。その間にどれだけ厄介事に巻き込まれたのだろうか。
「なに、それこそ今すぐに答えを出す必要はないんじゃ。わしらはずっとここにいて欲しいと思っとるんじゃよ。ただ、お主の意志を確認していないもんじゃからの。迷惑だとは思うんじゃが」
「いえ、そんなことは」
「そうか、迷惑じゃないんじゃな。だったら、ずっとここにいればええんじゃ」
反射的に答えてしまったために、ついつい相手に話を合わせてしまった。もっと考えてから答えないから、いつも自分が不利な立場に置かれるのに……。こんな性格を直したい。
「なに、冗談じゃ。いきなり世界を救ってくれなんて話を振られて、迷惑に思わない人間なんておらんよ」
黙り込んでしまった俺にドクター・ラバウは優しい声で話しかける。
「ただ、いつでもお主を元の世界に帰すことはできるから、帰りたくなったらわしかウルに伝えてくれればいい。そのことだけ覚えてくれればいいんじゃ」
微笑みかけるように笑うドクター・ラバウは俺の肩をポンポンと叩いた。その手からはドクター・ラバウの体温が伝わってくるような気がした。温もりというやつか。
俺はここに居場所を見つけることができたのだろうか。ここは俺が居ていい場所――そう言い切っていいのか分からないが、ネガティブな発想が求められているのなら、俺はここにいていいなのかもしれない。うん、言い切れない自分は何とネガティブだろう。
それでいいのだ。
「お若いの、二ビルまではまだ時間がかかるじゃろうから、寝ておれ」
「はい」
朝焼けが差し込む馬車の中で俺は首肯するとそっと目を閉じる。朝露に濡れた葉から草の薫りが馬車の中にまで漂っていた。
第一章終り。第二章に続く。
第二章は七月中頃から始めるつもりですので、よろしくお願いします。




