アシェム継承戦争~暗殺者の中の暗殺者~
先に動いたのはギッチナー将軍だった。
「我が雷の剣よ、そのものを斬り捨てよ!」
気合いとともに吐き出した言葉に呼応して眩い光が大剣を覆う。その光の剣を振り下ろすと、三日月型の光の塊が暗殺者ナルへとまっすぐ向かう。
しかし、ナルはまったく動じない。
引き裂けそうなぐらい口角をあげて笑いながら、ナルは俺たちを見下している。光の刃が迫ってくるのに、ただその場で立ちながら、むしろ待っているようにさえ見える。
気味が悪い。
「甘い」
もう光がナルを襲うと言う段階になって、ナルは上半身をひねって光の軌道から身体を反らした。体操選手を思わせる柔軟性を見せつけるように光の一撃をするりとかわす。ナルにかわされたギッチナー将軍の一撃は爆風を起こし、舞い上がる地面の砂埃が俺たちの視界を遮る。
「皆、気をつけるんじゃ!」
ドクター・ラバウは大きな声で注意を促し、俺の肩を掴むと首を何度も左右に振りながら、辺りを見回す。辺り一面に広がった砂の煙が晴れると、俺はなぜドクター・ラバウが焦っているのか分かった。
俺たちの目の前にいたはずのナルはそこにいない。
「ドクター、今更何を気をつけるというんですか」
声は背中の方から聞こえてきた。背筋の寒気を感じながら慌てて振り返ると、剣を構えている兵士の後ろに、笑みを浮かべたナルがいた。兵士の喉元にはあの長刀があてられている。
「あなたたちには全員、死んでもらうんですから。注意してもらう意味なんてありませんわ」
ナルは兵士の喉元にあてられた長刀を何のためらいもなく引く。兵士の絶叫とともに激しい血飛沫があげ、膝から崩れ落ちて血だまりを作る。
「貴様、よくもっ!」
目の前で部下を最期の叫びを聞かされたギッチナー将軍は額に血管を浮き上がらせながら、ナルへと突き進む。
「うおおおおおっ!」
雄叫びを上げ、血走った眼をしながらギッチナー将軍はナルとの距離を一気に詰める。
「甘いですわ、ギッチナー将軍」
引き裂けそうな気色悪い笑顔を浮かべたナルは足元にできた血だまりの血をギッチナー将軍に向かって蹴りあげる。砂と交じり、より粘度を増したどす黒い血の滴がギッチナー将軍の顔にかかる。
「うわっ」
飛んでくる血の飛沫に、ギッチナー将軍は本能的に目をつぶる。
その一瞬をナルは逃さなかった。
ギッチナー将軍が目を閉じた隙に、ナルは身体を右にひねる。ギッチナー将軍の剣の軌道から僅かにずれると、左手に持った長刀を振り上げて懐を狙う。ギッチナー将軍もかわされてナルが一撃を狙っていることに気づき、身をよじったが、近過ぎた。
ナルの長刀がギッチナー将軍の腹をえぐる。
「ぐうっ……」
二人がすれ違うと、ギッチナー将軍は持っていた大剣を地面に落とし、左の脇腹を押えて片膝をついた。
「あの距離で返し刀を繰り出して途中で私の攻撃を辞めさせるとは。さすがは将軍と言われるだけはありますね」
ギッチナー将軍は身をよじってナルの一撃をかわすと同時に、大剣をナルへと向けた。相打ちを嫌ったナルはギッチナー将軍の攻撃を避けるために、距離を取ったので致命傷を与えることはできなかった。
しかし、ギッチナー将軍が押さえている脇腹からは血が流れ続けている。
「でも、その傷ではもう動けますまい、ジェネラル」
夕日に照らされ、血がべっとりと付いたナルの顔は笑っている。相当な深手だ。歯を食いしばっているギッチナー将軍は片膝をついたままナルを見上げるしかできなかった。
「さようなら」
血のついたナルの長刀は夕日の中、振り上げられた。
「我が光の矢よ、そのものを撃ち抜け!」
唱えていた魔法をウルはナルに向かって無数の光の矢を放つ。
「ちっ」
ナルはその場にとどまることなく、素早く動き出した。ウルの光の矢はギッチナー将軍の放つ魔法よりも破壊力はないが、数が多く、ナルの足元を狙っている。
それに対して、ナルはその矢よりも早く走り、距離を取る。
「将軍っ!」
魔法を唱え終わると、ウルはすぐに将軍のもとに走る。将軍はぐったりとして呼吸が早く、肩で息をしている。ウルが来ると笑顔を作るのが精いっぱいだった。
「相変わらず、あなたは人の邪魔ばかりしますね」
距離を取ったナルが両手の長刀を構え直す。
「女性だから見逃してあげてもよかったんですが、目障りですね」
ナルの不愉快な笑みが夕日に照らされる。
「気が変わりました。あなたから、殺させていただきますわっ!」
身をかがめるとすぐにナルは駆けだした。
猛烈な勢いでウルとギッチナー将軍のもとへと突撃する。ギッチナー将軍が動けないので、ウルは逃げ出そうとはしなかった。
その時、兵士が彼らの前に立ちはだかった。
「我が光の結界よ、我を護り給え!」
言葉とともに兵士が構えた楯から、三重の円の内側にいくつもの文字が刻まれた緑の光が現れる。魔法陣だ。次から次へと現れる魔法陣が幾重にも重なり、兵士を中心とした半ドーム状になった。ウルとギッチナー将軍もその魔法陣のドームに包まれる。
「ふっ」
いくつもの魔法陣が展開されてもナルはスピードを緩めることない。守りを固める兵士へと薄気味悪い笑みを浮かべながら走って向かっていく。そして、両手にもった長刀を前に突きだすと、何かを唱え始めた。
「焔よ、我が剣へと集まり給え!」
ナルが二本の長刀の剣先を重ねると、その剣先に小さな、しかし眩い光と、紅蓮の炎を上げる小さな火球が現れた。スピードを落とすことなくナルはその小さな火球を緑色の魔法陣に激突させる。
その刹那、閃光が俺の視界を奪う。
「うぎゃああああああっ」
悲鳴は兵士のものだった。眩い光が放たれると、小さな火球とともに切り込んだナルの長刀は何重もの魔法陣を打ち破り、そのまま兵士の心臓を貫く。二本の長刀によって串刺しになった兵士をナルは投げ捨てる。
「無駄なことを」
まるで、刃についた血を振り払うかのように、一人の屍を打ち捨てたナルは笑っている。
「お若いの、お主はウルの所にいくんじゃ」
夕闇の僅かな光を頼りにして茫然と戦況を眺めている俺に、ドクター・ラバウはポンと肩を叩きながら声をかける。
「えっ、俺に死に行けとでもいうんですか」
「違うわい。わしが今からナルのやつをひきつけるから、その間にウルのもとに行くんじゃ。その方が安全じゃろ」
ドクター・ラバウの言うことは確かに一理ある。この状況でドクター・ラバウが戦いに加わることで、ナルとの戦いは多少有利に進められるだろう。戦う術を持たない俺が一人戦場にいるよりは誰か守ってくれる人のそばにいた方が安全だ。
しかし、俺、どこまでも足手まといなんだな……。
「ナルよ、わしはここじゃ。お主の狙いはわしじゃろ」
悲観する俺とは対照的に勝気なドクター・ラバウは大声を上げて剣を構える。ナルとの間合いを図りながら、じりじりと横に移動する。
「状況が変わったのですよ、ドクター。あなた一人だけではないんです」
ウルたちに視線を落としていたナルは顔を上げ、ドクター・ラバウを睨みつける。
「ここにいる全員、皆殺しです」
一段と引きつった口元と異常に見開いた目がナルの狂気の度合いを表していた。不必要でうすら寒い乾いた笑いが辺りに響いている。声に呼応して俺の腕に鳥肌が立つ。
「そうか、さすがは優秀な暗殺者じゃ。勝負よりも確実な勝利を選んだか」
異様な光景に戸惑っている俺に対して、ドクター・ラバウは落ち着きを払った声で答えている。慇懃無礼な答え方はナルの顔をしかめるのに十分だった。
「ドクター、今の状況で私を怒らせない方がいいですよ。お孫さんのためにも」
ナルの長刀はウルの鼻先へと向けられた。ギッチナー将軍をかばって身動きができないウルは夕日に反射する刃の先端をじっと見つめたまま、動けなかった。
「ふん、人質を取らないと、わしとまともに戦えないへっぽこアサシンに興味はないわ」
「なんですと」
ナルをおちょくるような発言を繰り返すドクター・ラバウは構えた剣を降ろし、ため息を一つついてから話し始める。
「ナルよ、お主の噂はわしもよく聞いておったのじゃが、『暗殺者の中の暗殺者』というのは間違いだったのじゃな」
「何を言っているんですか」
「確実に暗殺を成功させながら、相手に死を受け入れさせるほどの絶望を与え、肉体的にだけでなく精神的にも殺してしまう『暗殺者の中の暗殺者』――そんな噂も大概じゃな。相手に絶望を与えるための手段が人質なんて、がっかりじゃわい」
再びため息をつきながら、視線を地面に落とし、ドクター・ラバウは呆れたように話す。
「ド、ドクター・いい加減にしてはくださいませんこと?」
ドクター・ラバウの度重なる発言にナルはとうとう怒りを隠そうとはしなくなった。顔をしかめるだけでなく、その声には怒気がこもっている。
「ドクター、私は今、この場であなたのお孫さんを殺すこともできるんですよ、簡単に」
「そうしないと、わしに勝てないからじゃろ? 人質がいれば、わしがおとなしく首を差し出すと思ってそんなことを言っているだけじゃろう」
「違う! そんなことは断じてないっ!」
酷く腹を立て、眉間に深いしわを作りながらナルは長刀をドクター・ラバウに向ける。
「ドクター、そこまであなたは死を急ぐのでしたら、あなたから殺して差し上げましょう。この者たちなどいつでも殺せます。そうですね、えぇ、そうしましょう!」
自分の言葉確かめるように噛みしめると、ナルはドクター・ラバウへと走り出した。
「ふむ、そうでなくてはのう」
ナルの長刀がドクター・ラバウの剣とぶつかり、火花が散る。ナルはもう一方の長刀ですぐさま次の一撃を繰り出す。
「死ね!」
二つ目の攻撃もドクター・ラバウの剣に受け流された。しかし、ナルはそんなことに構うことなく、次から次へとドクター・ラバウに連撃を加える。ドクター・ラバウも何度も繰り出されるナルの攻撃を剣一本でかわしながら、反撃の機会をうかがっているようだった。しかし、ナルの攻撃の勢いは衰えず、一歩一歩ドクター・ラバウを押し込んでいく。
「死ね、死ね、死ね」
目を見開き、ただ目の前の敵に向かっていくナルからは冷酷さや暗さはない。ただ狂気だけが溢れ出ていた。
「悟、こっちに来なさい。危ないわよ」
ただ眺めているだけだった俺にウルは声をかけ、手招きしている。ドクター・ラバウを押し込んでいったために、暗殺者ナルはウルやギッチナー将軍の近くから離れていた。
「お若いの、今じゃ。行くんじゃ」
ナルの攻撃を受け流してかわしているドクター・ラバウも俺に逃げるように促す。さすがに、俺の方を振り返る余裕はないようだ。
言われるがまま、俺は這いずるようにウルたちのもとへと逃げ込んだ。
「ウルよ、ネガティブ・シンカーにヴィローズの葉を飲ませるのじゃ!」
ナルの一撃を払い、隙を見つけたドクター・ラバウは大声を張り上げる。
「ヴィローズの葉ですか」
「そうじゃ、ネガティブ・シンカーの真の力を発揮させるんじゃよ」
「ネガティブ・シンカーの真の力……そうか、そうなのね! あの仮説を試すんですね、おじい様!」
右の拳で左の掌を叩いてウルは会心の笑みを浮かべる。
「そんな余裕あるんですか、ドクター」
ナルは再びドクター・ラバウに切りかかる。ドクター・ラバウも剣を合わせて受け止め、振り払いながら反撃を試みる。
「わしもまだまだやれるわい」
「そうですよ。これからです、ドクター。楽しみはね!」
二人が剣を合わせるたびに火花が散り、鉄と鉄のぶつかる音だけが響く。
「悟、早くこれを飲んで!」
息も絶え絶えに逃げてきた俺にウルは自分が持っていたヴィローズの葉の粉末を溶かした水を押し付ける。俺の鼻には独特のハーブの匂いが鼻を突く。
「ちょっと、待て。これを飲んだら俺はどうなるんだ」
「いいから、飲みなさい」
ウルは拒む俺に無理やり飲ませる。水筒の口を俺に押し当てると苦々しいヴィローズの葉をたっぷりと含んだお茶を飲ませる。強烈な匂いと不快感しか覚えない味に苦しめられながら、俺の喉を茶が下っていく。
「こらっ、ちゃんと飲みなさい! これはとても高級品なんだからね。こぼしたら承知しないわよ」
「うぐっ、うぐぅ、ぐぅ……」
「えっ、何言っているの? 聞こえないわよ」
やめてください、お願いします。死んでしまいます。
「オッケー、大分順調ね。この調子で飲み続けてちょうだい」
無理やり飲まされて、苦しさの余り蒼ざめている人間を見て、順調と判断するウルは笑顔を俺に向けた。死にそうです、助けてください。
「よし、いいわね」
ウルが俺の口に押し当てていた水筒を離すと俺はむせかえって咳き込んだ。
「お前、人を、殺す気か!」
「失礼ね、こんな状況でそんなわけないでしょ」
ウルは俺の方を見降ろしながら話している。肩で息をしながら呼吸数を整えている俺は徐々にその息遣いを整えていく。
「確かに、こんな状況で俺を殺すことは何の意味もないな。戦術的価値は皆無だ」
息を整えながら、自分自身が落ち着いていくのが分かった。それまでの焦りや恐怖という感情に自分が冒されていたことが理解でき、今が生存確率の低い状況にあることへの対処法を考えなくてはならないことも分かっている。
「よし、成功ね」
「成功? ウル、それは戦術的勝利を得るために、何かしらの作戦が成功したということか。それとも、その他の実験、あるいはそれに類するものが期待し得る成果をだしたということか」
俺は立ち上がり、周囲を見渡す。敵陣の中には眼前に十三の死体が遺棄されており、約三メートルの南南西の風が酸化した血の臭いを運んでくる。俺の右十メートルほど先ではナルとドクター・ラバウが剣を合わせていて、鉄と鉄がぶつかる音だけがこの戦場で響いている。
「ウルよ、この領主様はどうしてしまったというんだ?」
足下に目を落とせば、片膝をつけて脇腹を押さえているギッチナー将軍が俺の顔を不思議そうに見ている。自分で治癒魔法をかけているのか、一時期よりは顔色が良くなっている。
「将軍、悟には大量のヴィローズの葉を飲ませたわ。通常の四倍、つまり四杯分の量を飲ませたことになるわ」
「通常の四杯分? なぜそんなに飲ませたんだ」
「ヴィローズの葉一杯分だと精神は一時的に安定するわ。今がこの状態ね」
ウルは俺の方を指を差しながらギッチナー将軍に説明をする。人に指差すとは失礼に値する行為であり、内側からふつふつと込み上げてくる怒りを感じ取っていた。
「今のこの状態は、冷静に物事を分析できる状態。私たちよりもネガティブな悟なら、細かいところまで考察して、いちいち自分の行動や感情に理由を付けたくて仕方がない状態のはずよ」
ウルの言う通り、俺は自らの落ち着きに感嘆していた。今ならあらゆることを沈着冷静に対応できそうで、自信に満ち溢れている。
「でも、この状態はすぐに切れてしまう。ポジティブな私たちよりもこの効果が継続時間は短いはずよ」
確かに、段々と気持ちが落ち着き、それと同時に頭がぐるぐると回り始めるのを感じる。いや、まともな俺、もう終わり?
「すると、次は二杯目以降を飲んだ時の効果、つまり過剰ポジティブ状態になるはずだな、ウル」
ギッチナー将軍の言葉にウルは頷く。
「そう、次に訪れる過剰ポジティブ状態が私たちの狙いであるの」
「狙いって、過剰ポジティブ状態では手のつけようがなくなるだろう。そんな状態にしてどうするんだ」
「ギッチナー将軍、おじい様の研究の肝はそこにあるわ。『ネガティブ・シンカー・プロジェクト』の真の目的はポジティブ・ブレイクの可能性を探ることよ」
「な、何だって!」
ギッチナー将軍は大きな声をあげて驚く。その声に圧倒されるように、俺は地面へと倒れこんでしまった。
「痛っ!」
後頭部を強く打った俺は頭が回り、焦点が定まらず、胃の中のものが全て食道に逆流してくるような不快感に襲われた。気持ち悪い。
「ネガティブはポジティブの反対の感情よ。しかし、単にマイナスの思考ということではないわ」
倒れた俺を覗き込むウルの顔は波打った水面を見るように歪んでしまっている。
「ネガティブは大いなるポジティブの可能性を秘めた感情なの。高く跳びあがるには、深くしゃがみ込まないといけないでしょ、あれと一緒よ。私たちとは違い、普段からネガティブな発想しかしていない悟がヴィローズの葉の効用によって急速にポジティブになったらどうなるか」
くらくらと回る頭と不鮮明な視界に俺の気分は最悪だが、聞こえてくるウルの声は期待と興奮に満ちている。
「それは、爆発的なポジティブへの変換、つまり、ポジティブ・ブレイクを引き起こすのよ」
その時、俺は身体の中から熱を感じた。その熱は身体の中心部から手や足の先端部までを一気に温め、それまでの吐き気やめまいのような不快感を全て取り去り、全身がほてる。
「来たわ!」
全身が震えながら、力がみなぎるのを感じた。
「ポジティブ・ブレイク、爆発的な魔法力の解放よ!」
歓声のようなウルの声を聞く。
俺は覚醒した。




