選択と困惑
命を狙われる――。
その言葉が耳へ届いた瞬間、湊の思考が数秒ほど止まった。
あまりにも現実感がない。
ついさっきまで、ただの高校生だったはずだ。授業でTFをやって、撃ち負けて、クラスメイトに笑われて、それでも何とか学校生活を送っていた。
なのに今、国家機密の部屋で「命の危険があります」と言われている。
話のスケールが急すぎて、脳が理解を拒否していた。
「……いや、待ってください」
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
「命って……普通に殺されるってことですか?」
久我は少しだけ間を置いた。
その沈黙が、逆に答えになっていた。
「可能性の話だ」
だが、その声音に軽さはない。
「TFは仮想競技だが、結果は現実を動かす。国家予算、資源供給、外交優位、安全保障――勝敗一つで国が傾くこともある」
大型モニターに複数のニュース映像が表示される。
経済制裁。
資源不足。
国家支援の打ち切り。
過去にTF敗北で崩れた地域の統計だった。
「つまり、カムイ一人の存在価値が国家規模ということだ」
久我は数秒だけ沈黙し、モニターを切り替えた。
そこに映ったのは――海外ニュース。
車両爆発。
護衛付き選手の襲撃映像。
黒塗りの画面に並ぶ、赤い文字。
【元国家代表・死亡】
【事故処理済】
【証拠不明】
湊の背筋が冷える。
「……これ、何ですか」
「TF関連死だ」
久我の声は淡々としていた。
「表向きは事故。だが実際は違う」
画面が切り替わる。
国別勢力図。
資源供給ライン。
国家戦ランキング。
「TFの勝敗は、単なるスポーツではない。敗北した国は資源供給契約を失い、軍事支援が止まり、経済が傾く」
久我の視線が鋭くなる。
「つまり、世界最強を消せば国を弱体化できる」
「……え」
「過去に三人、主要選手が“事故死”している」
空気が凍った。
「あれは事故じゃない。暗殺だ」
誰も言葉を発せない。
久我の言葉は冷静だった。
「今回のカムイ失踪の件も、我々は事件として追っている。」
久我の目が細くなる。
「そしてすでに後継候補の存在を嗅ぎ始めてる連中がいる。」
湊は唇を噛む。
正直、想像したくなかった。
「……俺、普通に帰り道とか危なくないですか?」
「危ない」
即答だった。
「えぇ……」
あまりにも躊躇がなさすぎる。
思わず顔が引きつった。
「だから護衛は付ける。生活環境も変える。身辺警護は政府側で対応する」
「いや、それもう高校生の生活じゃないですよね?」
「今日で終わると思ってくれ」
久我の返答に、湊は本気で頭を抱えたくなった。
何なんだこれ。
昼までは普通の高校生だったのに、数時間後には命の危険付き国家案件へ巻き込まれている。
意味が分からない。
理解が追いつかない。
「……断ったら?」
ふと、口から出た。
部屋が静まる。
数秒の沈黙。
誰もすぐには答えなかった。
やがて校長が静かに口を開く。
「もちろん強制ではない」
穏やかな口調だった。
だが、その後に続いた言葉は重かった。
「ただ、君以外に候補がいない」
モニターへ別の資料が映る。
膨大なデータ。
国内トップ選手たちの能力値。
戦績。
分析適性。
そして――赤く表示された不一致マーク。
「カムイが残した条件に一致したのは、君だけだ」
湊は思わず画面を見る。
そこには意味の分からない分析項目が並んでいた。
【戦況把握能力】
【敵思考予測】
【戦略変換速度】
【指揮適応率】
【異常盤面理解】
そして最後。
【適合率:98.7%】
「……高くない?」
「異常に高い」
久我が即答する。
「ちなみに二位は37%だ」
「差すごっ」
もはや笑うしかなかった。
「カムイ本人が言っていた。“能力だけなら、自分より上かもしれない”と」
その言葉に、空気が静まる。
白瀬の表情が明らかに変わった。
「……それ、本気ですか?」
学年トップの彼女ですら、信じられないという顔だった。
それも当然だろう。
カムイは世界最強だ。
そんな存在が、自分より上と言った?
しかも相手は――。
神谷湊。
学校最弱扱いの男。
「いやいやいや」
湊が慌てて首を振る。
「絶対ないですって。今日も普通に負けてましたし」
「撃ち合いは壊滅的だ」
「言い方!」
「だが、盤面を見る力は本物だ」
久我の声に迷いはなかった。
「君の弱点は技術。逆に言えば、そこさえ補えば完成する」
その瞬間。
初めて、湊の中で少しだけ現実味が生まれる。
完成する。
強くなる。
そんな言葉を、自分に向けられたことがなかった。
ずっと弱いと言われてきた。
努力不足。
才能がない。
TFに向いていない。
そう思っていた。
なのに。
世界最強だけは、自分を見ていた。
その事実が、妙に胸へ残った。
だが。
現実は甘くない。
「……でも、バレません?」
当然の疑問だった。
「カムイって有名人ですよね?」
「顔も知られてるし、声も違うし、絶対無理じゃないですか?」
「その点は対策済みだ」
久我が即答する。
モニターが切り替わる。
そこに映ったのは、特殊なVRフェイスシステムだった。
「TF国家戦では、競技規約上、外見アバター変更が認められている。本人確認は生体認証のみ」
「……え?」
「つまり、見た目は作れる」
さらに別資料。
声帯補正。
姿勢補正。
モーション補助。
「問題は中身だ」
久我の視線が鋭くなる。
「プレイで“別人”と気づかれれば終わる」
湊の喉が鳴る。
つまり。
カムイにならなければならない。
世界最強の代役として。
絶対にバレず。
しかも、命の危険付きで。
「……無茶じゃないですか」
思わず漏れる。
「だから白瀬凛くんにも来てもらった」
その瞬間。
湊と白瀬が同時に顔を上げた。
「……え?」
白瀬が目を細める。
校長はゆっくり続けた。
「白瀬君、君を国家代表として推薦した。ならびに神谷湊の監視兼サポート役を頼みたい」
数秒、沈黙。
そして。
「は?」
白瀬が珍しく間抜けな声を出した。
「私が?」
「君は現役学生では国内最高レベルの実力者だ。加えて今日の試合で、神谷くんとの相性も悪くないと判断した」
「悪くないって……」
白瀬がちらりと湊を見る。
湊も困惑しかない。
今日の朝まで普通に嫌われていた気がする。
「護衛、訓練、監視、戦術共有。全て込みだ」
久我が静かに言う。
「そして――」
一瞬、言葉を切る。
「君たちは明日から、表向き“強化育成プログラム”へ参加してもらう」
湊の嫌な予感が、綺麗に確信へ変わった。




