失踪と国家機密
国家機密――。
その言葉が部屋へ落ちた瞬間、空気がさらに重く沈んだような気がした。
冗談ではない。
少なくとも、校長の表情を見ればそれくらいは分かる。普段の穏やかな笑みは消え、今ここにいるのは学校長というより、国家機関の一員に近い顔だった。
湊は自然と背筋を伸ばす。
隣を見ると、白瀬もさすがに戸惑いを隠せないらしく、わずかに眉を寄せていた。
「まず確認しておく」
校長の声が静かに響く。
「この場で聞いたことは、外部への漏洩を一切禁ずる。家族、友人、SNS、学校関係者――誰にも話してはいけない」
言葉と同時に、隣に立っていたスーツ姿の男が前へ出た。
三十代後半ほどだろうか。
短く整えられた髪と鋭い目つき。教師や官僚とはどこか違う、張り詰めた空気を纏っている。
「内閣安全保障局TF統括部、久我だ」
短い自己紹介だった。
だが、その名称に白瀬の表情がわずかに変わる。
TF統括部。
国家代表の管理、戦術運営、対外試合調整――日本のTFそのものを管理する政府直属組織だ。
つまり。
ここにいる時点で、ただ事ではない。
久我は前置きを切り上げるように言った。
「単刀直入に話す」
その目が真っ直ぐ湊たちへ向けられる。
「日本代表、《カムイ》が消息不明になった」
一瞬、時間が止まった。
「……え?」
声を漏らしたのは湊だった。
隣を見ると、白瀬でさえ完全に言葉を失っている。
それも当然だ。
《カムイ》。
本名、神代カムイ。
現日本代表にして、世界最強と呼ばれるTFプレイヤー。
個人戦績、勝率、指揮能力、その全てが規格外。
TFという競技が国家戦争の代替になった現代において、もはや一選手という枠を超えた存在だった。
「三日前から消息を絶った」
久我の声だけが静かに続く。
「居住区、自宅、契約施設、通信履歴、監視記録、すべて確認済みだ。だが足取りが完全に消えている」
「事件……なんですか?」
湊が恐る恐る尋ねる。
「現時点では断定できない。ただし、自主的失踪の可能性は低い」
大型モニターに国際試合の映像が映る。
カムイが一人で戦況をひっくり返す試合。
絶望的な人数差を覆す映像。
まるで戦場そのものを支配しているような姿。
「率直に言えば」
校長が静かに口を開く。
「今の日本代表は、カムイに依存しすぎている」
次々と表示される統計データ。
カムイ出場時勝率。
不在時勝率。
その差は、笑えないほど大きかった。
「もし彼の失踪が外部へ知られれば、日本は確実に狙われる」
久我の口調は淡々としていたが、その内容は重かった。
「現在、各国は水面下で日本の戦力分析を進めている。中国、EU統合圏、北米統合連邦。どこも“カムイ依存”を把握している」
モニターが切り替わる。
海外チームの戦術資料。
そこには日本対策として、何度もカムイの名前が出ていた。
「今の日本は、カムイがいる前提で均衡が保たれている。もし不在が露呈すれば、次の国家戦で集中的に攻め込まれる可能性が高い」
国家戦。
勝敗によって資源供給率、貿易協定、安全保障が変わる。
つまり、それは現代における戦争そのものだった。
湊は喉が乾くのを感じた。
話の規模が大きすぎて、現実感がない。
高校生が関わる世界じゃない。
普通なら。
だが。
「そこで、神谷湊くん」
校長が真っ直ぐこちらを見る。
「君に頼みたいことがある」
嫌な予感がした。
しかもかなり嫌なやつだ。
本能が全力で逃げろと言っている。
「……何ですか?」
恐る恐る聞く。
数秒の沈黙。
そして、校長は静かに告げた。
「君に、カムイの代役を務めてもらいたい」
頭が真っ白になった。
「……は?」
思考が止まる。
隣を見る。
白瀬も完全に固まっていた。
「いや待ってください」
湊は反射的に立ち上がった。
「俺!? いや無理です無理です無理です!」
「落ち着きなさい」
「いやだって、今日普通に撃ち負けてますよ!? 学校でも弱い扱いなんですけど!?」
「把握している」
久我が即答する。
「君が撃ち合いに弱いことも含めてな」
「そこ認められると普通に傷つくんですけど」
だが久我は表情を変えなかった。
「我々が見ているのは、撃ち合いではない」
モニターが起動する。
映し出されたのは、先ほどの演習映像だった。
中央待機の予測。
西増援。
東の空白。
敵の動き。
全てが時系列で並ぶ。
「分析班は、君の戦況予測能力を“異常”と判断した」
「異常って……」
「普通の戦術眼では説明できないレベルだ」
久我の声に、わずかな熱が混じる。
「敵思考の予測、盤面把握、戦況操作能力。少なくとも高校生の水準ではない」
湊は言葉を失った。
そんな風に考えたことはなかった。
ただ、なんとなく見えていただけだ。
「そして――決定打がある」
モニターが切り替わる。
そこに映った人物を見て、湊は思わず目を見開いた。
神代カムイ。
録画映像だった。
少し疲れたような顔で椅子へ座りながら、こちらを見る。
『もし俺に何かあったら』
静かな声だった。
『代わりはこいつを使え』
画面が切り替わる。
次の瞬間。
表示された名前を見て、湊の思考が止まった。
【候補者:神谷湊】
「……は?」
意味が分からなかった。
「な、なんで俺?」
「君は以前から監視対象だった」
久我が静かに告げる。
「正確には、カムイ本人が君を見つけていた」
頭が追いつかない。
「君の試合データは何年も前から匿名で収集されていた。撃ち合いは壊滅的だが、戦況予測能力だけが異常値だった」
久我は続ける。
「カムイは言っていた。“こいつだけは別格だ”と」
湊は言葉を失う。
そんなこと、知らなかった。
誰にも認められなかった。
弱いと言われ続けた。
なのに。
世界最強だけは、自分を見ていた?
「もちろん、そのまま出す気はない」
校長が続ける。
「訓練も必要だ。偽装も必要だ。だが時間がない」
そして。
その声音が少しだけ低くなる。
「絶対に、バレてはいけない」
部屋の空気が変わった。
「もしカムイ失踪が露見すれば、日本は狙われる」
久我が静かに言う。
「それだけではない」
一瞬、沈黙。
そして。
「君自身も命を狙われる可能性がある」




