演習終了と校長室
【MATCH RESULT:WIN】
演習終了の表示が視界から消えた瞬間、それまで張り詰めていた空気が一気にほどけた。
教室のあちこちでヘッドセットを外す音が重なり、次いでざわめきが広がっていく。つい数分前まで勝敗を懸けて真剣そのものだった空間は、まるで別物のように熱を帯び始めていた。
「いや、マジかよ……」
「神谷、今日どうした?」
「全部当ててなかった? 中央も西もさ」
「最後死んだけど、あれなかったら普通に負けてたろ」
そんな言葉が自然と耳へ入ってくる。
だが、湊はどうにも落ち着かなかった。
普段なら、自分の名前が話題に上がることなどほとんどない。いや、正確には違う。話題になる時は決まって、“弱い”“また最初に死んだ”“戦術オタク”――そんな言葉ばかりだった。
だからこそ、今の空気には妙な居心地の悪さがあった。
(……なんか、気まずい)
机の上へヘッドセットを置きながら、湊は小さく息を吐く。
勝った。
しかも、自分の予想はほとんど当たった。
中央待機、東の空白、西の薄さ、そして敵の焦りまで。戦況はまるで、最初から決まっていたレールの上を走るように動いていた。
それなのに、胸の中には達成感よりも別の感情が強く残っている。
最後の撃ち合いだった。
結局、自分は負けた。
盤面は見える。敵の動きも分かる。けれど、実際に銃を持てば普通に撃ち負ける。その現実だけが、妙に胸へ引っかかっていた。
「神谷」
静かな声が聞こえ、湊は顔を上げる。
目の前に立っていた人物を見て、思わず少しだけ姿勢が固まった。
白瀬凛。
TF適性評価S。学年首位。実技、戦術、反応速度、その全てにおいてトップクラスを誇り、《戦術高》では知らない者のいない存在だ。
そんな彼女が、自分から話しかけてきた。
その事実だけで、周囲の空気が少し変わる。
教室のざわめきがわずかに静まり、生徒たちが露骨にこちらを気にし始めていた。
「……何?」
湊は少しだけ警戒しながら尋ねる。
正直、怒られる可能性もあると思っていた。
戦闘中、勝手に指示を出した。しかも途中から半ば主導権のようなものまで握ってしまったのだ。白瀬の性格を考えれば、気に入らなくてもおかしくない。
だが、白瀬はいつもの無表情のまま静かに口を開く。
「さっきの試合」
短く区切ってから、そのまま真っ直ぐこちらを見る。
「どうして分かったの?」
一瞬、教室が静まり返った。
聞き耳を立てているのが、分かるくらい空気が変わる。
湊は少しだけ視線を逸らした。
「どうしてって言われても……」
本当に説明が難しい。
敵がどこにいるか。
次に何を狙うか。
どこへ戦力を動かすか。
それらがまるで自然と頭の中へ浮かんでしまう。理屈というより感覚に近い。だからこそ、言葉にするのが難しかった。
「なんとなく?」
自分でも頼りないと思う答えだった。
案の定、白瀬の眉がわずかに寄る。
「なんとなくで、四回も読む?」
「……いや、まあ」
「中央待機。西の増援。東の空き。敵の動き。全部でしょ」
逃げ場がなかった。
事実だった。
だが、自分自身にも理由が分からないのだから仕方ない。
「……勘、かな」
「曖昧すぎる」
ぴしゃりと言われる。
その言い方があまりにも白瀬らしくて、逆に少しだけ肩の力が抜けた。
だが、不思議だった。
試合前に向けられていた拒絶の空気が、もうない。
白瀬は湊を見ていた。
軽蔑ではなく、観察するような目で。
何か理解できないものを確かめようとしているような視線だった。
「でも」
ふいに、白瀬が言葉を続ける。
「助かった」
その瞬間、教室の空気が止まった。
数秒遅れて、ざわめきが爆発する。
「えっ?」
「今、白瀬さん褒めた?」
「神谷、お前何した!?」
湊自身が一番驚いていた。
「……珍しいね」
思わず口に出すと、白瀬はわずかに目を細めた。
「勘違いしないで」
声音はいつも通り淡々としている。
「戦術だけ」
「そこ強調する?」
「重要だから」
即答だった。
けれど、不思議と悪い気はしなかった。
少なくとももう、“弱いだけの足手まとい”としては見られていない。
そんな感覚が、少しだけあった。
その時だった。
終業チャイムが教室へ響く。
教師が教壇を軽く叩き、生徒たちの注意を引いた。
「今日のTF演習はここまで。結果は後日成績へ反映する」
教室に小さな歓声が上がる。
だが、教師はそのまま続けた。
「それと、神谷。白瀬」
二人同時に顔を上げる。
「放課後、校長室へ来なさい」
一瞬、空気が止まった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
周囲もざわつき始めた。
「校長室?」
「何やらかした?」
「いや逆じゃね? 今日の試合だろ」
「強化選手の話とか?」
好き勝手な予想が飛び交う。
だが、湊本人にはまったく心当たりがない。
成績不良なら分かる。
問題行動でもない。
むしろ今日は珍しく活躍した側だ。
(なんで校長室……?)
隣を見る。
白瀬もわずかに眉を寄せていた。
「……意味分からない」
小さな呟き。
どうやら彼女にも事情は知らされていないらしい。
放課後。
夕焼けが校舎を赤く染めていた。
廊下にはほとんど人影がなく、遠くから運動部の掛け声だけが聞こえてくる。そんな静かな空間を、湊は妙な緊張感を抱えながら歩いていた。
その隣には白瀬凛。
学年トップにして学校の象徴みたいな存在と、なぜか二人きりで校長室へ向かっている状況が、どうにも落ち着かない。
「ねえ」
先に口を開いたのは白瀬だった。
「あなた、本当に何者?」
またその質問だった。
湊は困ったように笑う。
「普通の高校生だけど」
「普通の高校生は、あんな盤面読めない」
即答だった。
そして少し間を置いて、彼女は付け加える。
「撃ち合いは弱いのに」
「そこ毎回言う?」
「事実だから」
容赦がない。
だが、試合前の冷たさとは少し違う。
気づけば、自然と会話になっていた。
数分後。
二人は校長室前へ辿り着く。
重厚な木製の扉。
普段、生徒が呼ばれることなど滅多にない場所だ。
自然と緊張が強まる。
白瀬が軽くノックする。
「失礼します」
扉が開いた。
そして――二人は同時に足を止める。
違和感があった。
校長室のはずなのに、人が多い。
校長だけではない。
スーツ姿の男たち。
見覚えのない制服。
壁一面の大型モニター。
どこか軍の会議室を思わせるような、重苦しい空気。
そして何より、部屋の中に漂う異様な緊張感が普通ではなかった。
校長が静かに口を開く。
「来たか」
その声音は、いつもの穏やかなものではない。
「神谷湊くん、白瀬凛くん。座りなさい」
言われるまま椅子へ腰掛ける。
数秒の沈黙。
そして校長はゆっくり息を吐いた。
「これから話す内容は――国家機密だ」




