個人練習と指示
昼休みを終えた代表選手たちは、それぞれの課題を抱えたまま施設内へ散っていった。
午前中の合同演習は終わった。
黒峰が最後に言った一言だけが、今も頭のどこかに残っていた。
黒峰は何も指示を出さない。
「自分で課題を見つけろ。」
午前に言われた言葉だけが、それぞれの背中を押していた。
射撃場へ向かう者。
トレーニングルームで身体を追い込む者。
シミュレーター室で何度もリプレイを見返す者。
それぞれが、自分だけの「足りないもの」と向き合っていた。
湊もまた、一人だった。
誰かを誘うこともなく、静かな廊下を歩いていく。
向かった先は、個人シミュレーター室。
扉を開くと、整然と並んだブースが目に入った。
外の喧騒が嘘のように静かで、機械の駆動音だけが微かに耳へ届く。
その静けさは、湊には心地よかった。
一人で考えられる。
一人で試せる。
一人で失敗できる。
今は、それが何よりありがたい。
空いているブースへ腰を下ろし、ヘッドギアをゆっくりと装着する。
視界が暗転した。
数秒後、無機質な文字が浮かび上がる。
《PERSONAL TRAINING》
《SIMULATION MODE》
《SELECT MAP》
湊は迷わず午前と同じ工場エリアを選択した。
マップを変える理由はない。
今、欲しいのは新しい景色じゃない。
午前中、自分が感じた違和感の正体だった。
BOTの人数を十体に変更する。
武器はいつもどおり。
余計な条件は付けない。
必要なのは、今の自分をそのまま映すことだった。
「……始めよう。」
小さく呟き、スタートボタンへ触れる。
景色が切り替わる。
鉄の匂いが漂う工場。
積み上げられたコンテナ。
複雑に入り組んだ細い通路。
午前中と同じ景色。
だからこそ比較しやすい。
開始と同時に足を踏み出す。
索敵。
足音。
視線。
コンテナの影。
いつもどおり慎重に前へ進む。
やがて最初のBOTが姿を見せた。
湊は反射的にライフルを構える。
照準を合わせる。
撃つ。
乾いた銃声。
弾は肩をかすめただけだった。
BOTはすぐに反応し、こちらへ銃口を向ける。
もう一発。
今度は命中。
しかし相手も撃ち返してくる。
互いに被弾しながら撃ち合いになり、ようやく倒した頃にはライフは半分近く削られていた。
《KILL》
画面には撃破の文字が表示される。
それでも湊の表情は晴れなかった。
「……遅い。」
倒した。
だが、それだけだった。
世界大会なら、その一瞬でもう次の敵が詰めてくる。
東雲や相模なら、その隙を逃さない。
九条なら、そもそも撃ち合いにすらならない。
湊はそのまま前へ進む。
二人目。
三人目。
四人目。
撃ち合う。
勝つ。
負ける。
勝つ。
負ける。
結果は安定しない。
BOT相手ですら、純粋な撃ち合いになると五分五分だった。
《DEFEAT》
視界が暗転する。
ヘッドギア越しに、小さく息を吐いた。
静かな部屋に、自分の呼吸だけが響く。
「やっぱりか……」
予想はしていた。
世界大会でも感じたことだった。
自分は撃ち合いが強い選手ではない。
反応速度。
エイム。
瞬間火力。
どれも突出しているわけじゃない。
だからこそ、今まで勝てたのは。
撃ち合う前に勝負を決めてきたからだ。
相手の癖を読む。
配置を読む。
考えを読む。
その積み重ねだけで戦ってきた。
だから、真正面から撃ち合えば弱い。
その事実だけは、嫌というほど分かっていた。
湊はリザルト画面を閉じなかった。
命中率。
五十一パーセント。
被弾率。
平均撃破時間。
数字だけが淡々と並んでいる。
良くもない。
悪くもない。
少なくとも、日本代表として胸を張れる数字ではなかった。
「……」
静かなシミュレーター室に、電子音だけが響く。
悔しい。
そう思う気持ちはあった。
けれど、不思議と焦りはなかった。
世界大会で負けたあの日から、自分には足りないものが山ほどあることは分かっている。
一つ直せば終わるような話ではない。
だからこそ、一つずつ積み重ねるしかないのだ。
湊はもう一度スタートボタンへ指を伸ばした。
二戦目。
開始。
今度は撃ち合いだけを意識する。
敵を見つけた瞬間に照準を合わせる。
早く。
正確に。
一発でも多く当てる。
頭ではそう考えている。
しかし、思うようにはいかなかった。
敵を見つける。
照準を合わせる。
そのわずかな時間で、相手はもう動いている。
撃つ。
外れる。
撃つ。
また外れる。
ようやく命中した頃には、こちらも同じだけ撃たれている。
《DEFEAT》
「……」
三戦目。
四戦目。
五戦目。
結果は大きく変わらなかった。
もちろんBOT相手だから勝てる試合もある。
だが、それは勝っただけだ。
世界を相手に通用する内容ではない。
湊はヘッドギアを少し浮かせ、大きく息を吐いた。
額にはじんわりと汗が滲んでいる。
画面には、自分の射撃ログが表示されていた。
命中率は五十パーセント前後。
決して低すぎるわけではない。
だが、世界大会で戦った選手たちを思い出す。
レオン。
あの一発。
あれほどの距離から、一瞬の隙を撃ち抜いてきた。
東雲もそうだ。
相模もそう。
純粋な撃ち合いだけなら、自分はまだ届いていない。
「撃ち合いを強くする……か。」
黒峰なら何と言うだろう。
きっと、「やれ」としか言わない。
その答えを見つけるのは、自分自身だからだ。
湊は椅子にもたれ、目を閉じた。
考える。
ただ闇雲に撃つだけでは意味がない。
反応速度は、一日で劇的には変わらない。
エイムだって同じだ。
努力は必要だ。
でも、それだけでは世界には追いつけない。
自分には、自分の勝ち方が必要だった。
その時だった。
ふと、午前中の光景が頭をよぎる。
九条玲奈。
工場エリアを縦横無尽に駆け回る姿。
二挺のサブマシンガン。
絶え間なく鳴り響く銃声。
「……」
湊はゆっくりと目を開く。
午前中、九条のリザルトを見た時の数字を思い出す。
命中率は決して高くなかった。
無駄弾も多い。
それでも、東雲も相模も押し込まれていた。
あれはなぜだ。
「命中率だけじゃない。」
自然と声が漏れる。
あの人は、一発一発を正確に当てようとはしていなかった。
撃ち続ける。
止めない。
リロード中でさえ、もう片方の銃が撃ち続ける。
だから相手は顔を出せない。
だから相手は動かされる。
「……動かす。」
その一言が胸に残る。
湊は午前中のリプレイを呼び出した。
映像が再生される。
九条が走る。
撃つ。
撃ちながらリロードする。
コンテナへ弾が散る。
壁にも当たる。
床にも当たる。
命中していない弾の方が、むしろ多い。
それでも。
東雲は顔を上げられない。
相模は後退するしかない。
湊は映像を止めた。
「そういうことか……」
当てているから動かしているんじゃない。
動かしたい場所へ、先に弾を置いている。
だから相手は別の場所へ逃げる。
逃げた先まで、九条はもう考えている。
それは命中率とは全く別の技術だった。
湊はその考えを頭の中で何度も転がした。
相手を動かす。
相手は逃げる。
逃げるなら、次はどこへ行く。
そこまで考えて撃っている。
「だったら……」
湊の目がゆっくりと細くなる。
「相手が動く場所が分かるなら。」
「見えてなくても撃てる。」
その考えが浮かんだ瞬間、自分でも驚くほど自然に腑に落ちた。
今までの自分は、相手を見てから撃っていた。
だから撃ち合いになる。
だから反応速度で負ける。
違う。
自分の武器は、反応じゃない。
読むことだ。
相手の考え。
癖。
心理。
逃げ道。
全部読んで戦ってきた。
なら、その武器を撃ち合いにも使えばいい。
「見えてからじゃない。」
「見える前に撃つ。」
その答えが、静かに胸の奥へ落ちていった。
湊はもう一度ヘッドギアを深く被り直す。
画面には、スタートボタンが浮かんでいた。
今度は撃ち合いの練習じゃない。
自分だけの撃ち方を探すための訓練だった。




