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ゼロ距離とダウン

爆炎が収まり、白い煙がゆっくりと晴れていく。


床へ叩きつけられた衝撃が全身を駆け巡り、僕は荒く息を吐いた。


耳鳴りだけが、世界の音を奪っている。


視界は白く霞み、何もはっきりとは見えない。


それでも、目の前に黒い影が倒れるのだけは見えた。


レオン。


僕の最後の一発は確かに放たれた。


あの瞬間、僕は確信していた。


ゼロ距離まで踏み込めば、もうエイムは関係ない。


距離があるから照準の精度で差が生まれる。


だが銃口が触れ合うほどの距離なら、狙う技術より先に引き金を引いた者が勝つ。


だから僕は、自分から距離を潰した。


レオンほどの射撃技術を持つ相手に、正面からエイム勝負を挑めば勝ち目はない。


なら、その優位そのものを盤面から消してしまえばいい。


互いの銃口はほとんど触れ合うほど近かった。


ゼロ距離。


技術も反射も関係ない。


そう信じていた。


(……相打ち。)


そう思った。


これでいい。


僕も倒れる。


レオンも倒れる。


残るドイツ選手は東雲先輩たちが止めてくれる。


爆弾さえ守れれば、それで勝ちだった。


その瞬間だった。


白い煙の向こうで、小さく影が揺れた。


「……?」


違和感だった。


倒れたはずの影が、ゆっくりと膝をついている。


最初は煙の揺らぎだと思った。


だが違う。


その影は、静かに立ち上がった。


「……そんな。」


喉が震える。


立ち上がったのは。


レオンだった。


制服の肩口が裂けている。


僕の弾丸は確かに掠めていた。


だが、胸には当たっていない。


ほんの数センチ。


紙一重。


レオンは身体を半身だけ捻り、僕の弾丸を致命傷にならない角度でかわしていた。


その動きは、撃たれたあとに避けたものではない。


**僕が引き金を引く、その一瞬前には、もう避け始めていた。**


(読まれてた……。)


僕がゼロ距離へ飛び込むことも。


エイムの差を消そうと考えたことも。


相打ちを狙ったことも。


最後の一発をどこへ撃つかも。


全部。


レオンは、一手先ではなく、**僕の思考そのもの**を読んでいた。


レオンは荒く息を吐きながら、それでも銃を下ろさなかった。


青い瞳だけが、まっすぐ僕を見つめる。


「惜しかった。」


小さく呟く。


「あと三センチだった。」


その三センチが。


世界との差だった。


レオンの言葉が耳に残る。


僕は床に手をつきながら、ゆっくりと身体を起こす。


胸を押さえると、制服に広がる赤いマーカーが目に入った。


完全にダウン判定。


もう、このラウンドで僕にできることは何もない。


その時だった。


爆弾の電子音が、静かな空間に響く。


残り時間は、まだわずかに残っている。


東雲先輩と白瀬さん、それに相模先輩はまだ立っている。


(守ってくれ……。)


僕は祈ることしかできなかった。


だが、その願いとは裏腹に、レオンは倒れ込むことなく静かに通信機へ口を寄せる。


「第三手順へ移行。」


それだけだった。


短い一言。


しかし、その瞬間、ドイツの三人はまるで一本の糸で繋がれているかのように同時に動いた。


一人が爆弾地点へ駆け込む。


一人は白瀬さんの射線を切るように煙幕を展開する。


そしてもう一人は、東雲先輩を正面から押さえ込んだ。


誰一人、無駄な動きをしない。


まるで、この展開を最初から知っていたかのように。


「しまっ――」


東雲先輩が前へ出ようとした瞬間、二方向から銃声が重なる。


一人を見れば、もう一人に撃たれる。


もう一人を狙えば、最初の一人が距離を詰める。


第一ラウンドで相模先輩が崩された形と、まったく同じだった。


違うのは、崩される側が日本全体になっていたことだけ。


(違う……。)


僕は歯を食いしばる。


(これは即興じゃない。)


レオンは、自分が僕と撃ち合うことまで作戦に組み込んでいた。


もし僕を倒せれば、そのまま解除。


もし相打ちになっても、味方が解除。


もし自分が倒れても、その後の動きまで味方に共有済み。


どの結果になっても、勝率が最も高くなるよう盤面が設計されていた。


僕はようやく理解する。


盤面そのものも読まなければ勝てない。


その時。


《BOMB DEFUSED》


電子音が静かに止まる。


爆発寸前だった爆弾は、無情にも沈黙した。


会場全体が、一瞬だけ静まり返る。


続いて響いたのは、試合終了を告げるアナウンスだった。


《GAME SET》


《WINNER》


**ドイツ**


その文字が大型モニターいっぱいに映し出された瞬間、ドイツベンチから歓声が上がる。


僕はただ、その表示を見つめることしかできなかった。


悔しい。


その感情は確かにあった。


けれど、それ以上に胸を支配していたのは、圧倒的な納得だった。


レオンは、強かった。


撃つのが上手いからではない。


読むのが上手いからでもない。


**自分が倒れた後の盤面まで設計していた。**


そこまで考えて初めて、世界一なのだ。


レオンはゆっくりと僕の前まで歩いてくる。


「カムイ。」


その声に顔を上げる。


「君は、おそらく今まで出会った中で最も面白い指揮官だ。」


僕は黙って聞いていた。


「だが、一つだけ覚えておくといい。」


レオンはわずかに視線を細める。


「戦術とは、相手を読むだけでない。」


一拍置き、静かに続ける。


「相手が何を読んでも、最後にこちらが勝つ盤面を作ることだ。」


その言葉は、敗北以上に僕の胸へ深く刻み込まれた。


僕は、まだ戦術を"読んで"いただけだった。


戦術世界一は、その先で戦っていた。


レオンの言葉は耳の奥に残り続けていた。


**――相手が何を読んでも、最後にこちらが勝つ盤面を作ることだ。**


歓声が響いている。


ドイツベンチでは仲間たちがレオンを迎え、会場の大型モニターには勝者を示す文字が映し出されている。


その光景が、どこか遠い世界の出来事のように見えた。


僕はただ、自分の右手を見つめる。


まだ微かに震えていた。


引き金を引いた右手。


レオンへ向けて放った、最後の一発。


あと三センチ。


その言葉だけが、何度も何度も頭の中で反響する。


たった三センチ。


ほんの指二本分にも満たない距離。


なのに、その三センチが越えられなかった。


僕は静かに目を閉じる。


あの瞬間を何度も思い返す。


僕はレオンへ飛び込んだ。


ゼロ距離まで距離を潰した。


あの距離ならエイムの差は消える。


そう考えた。


いや、そう信じた。


レオンの射撃技術は、自分より遥かに上だ。


中距離も長距離も、撃ち合えば勝率は低い。


だからこそ、盤面から"撃ち合いの技術"という要素そのものを消そうとした。


互いの銃口が触れ合うほど近ければ、必要なのは照準ではない。


先に撃つ覚悟だけだ。


そう思っていた。


だが、それは甘かった。


レオンは照準で勝ったわけじゃない。


反応で勝ったわけでもない。


僕が"ゼロ距離ならエイムは関係ない"と考え、その前提ごと崩してきた。


レオンの神がかった技術が戦術を上回った。


「……はは。」


思わず乾いた笑いが漏れる。


悔しい。


そんな一言では片付けられない。


胸の奥が焼けるように苦しい。


勝てると思った。


あの瞬間だけは、本当に勝ったと思った。


相打ちに持ち込めた。


世界一相手に自分の読みが届く。


そう信じていた。


だけど違った。


届いていなかった。


僕だけが、勝負が終わったと思っていた。


レオンにとっては、まだ終わっていなかった。


いや。


最初から終わっていたのかもしれない。


最後の一発を撃つ時にもう勝敗は決まっていた。


その事実が、何より苦しかった。


「カムイ。」


東雲先輩が声を掛ける。


僕は振り返らない。


今、顔を見られたくなかった。


「……悪い。」


思わず口から零れた。


東雲先輩は首を傾げる。


「何がだ?」


「僕が……止められませんでした。」


「相打ちにすら、持ち込めなかった。」


その言葉を口にした瞬間、自分の胸に突き刺さる。


相打ち。


それは勝つためじゃない。


勝てないから選んだ手段だった。


僕は最初から、レオンとの撃ち合いで勝てると思っていなかった。


だから距離を潰した。


だから相打ちを狙った。


その"最低限"すら届かなかった。


僕は結局、一対一で負けた。


戦術だけじゃない。


撃ち合いでも。


東雲先輩は何も言わない。


その沈黙が、かえって優しかった。


僕は視線を床へ落とす。


もし、あと少し射撃が上手ければ。


もし、あと少し踏み込みが速ければ。


もし、あと少し反応できていたら。


そんな「もし」が、次々と浮かんでは消えていく。


でも、それは全部違う。


本当は分かっている。


あの三センチは偶然じゃない。


実力だ。


世界一は、紙一重で避けたんじゃない。


紙一重になるように動いていた。


あの三センチは、積み重ねてきた年月だった。


経験だった。


技術だった。


そして、僕にはまだ持っていないものだった。


白瀬が静かに僕の隣へ立つ。


「カムイ。」


「はい。」


「今、一番悔しいのは何?」


僕は少し考えた。


負けたことか。


読み負けたことか。


試合に勝てなかったことか。


違う。


僕はゆっくりと首を振る。


「……自分の弱さです。」


自然と言葉が出た。


「戦術なら、いつか追いつける気がします。」


「考え方も、盤面の見方も、まだ伸ばせる。」


「でも。」


そこで言葉が止まる。


喉が締め付けられる。


「最後に必要なのは……結局、撃ち勝つ力なんだって思いました。」


「どれだけ読んでも。」


「どれだけ盤面を作っても。」


「最後の一発を当てられなかったら、全部崩れる。」


自分で言いながら、その言葉の重さを噛み締める。


戦術は勝利への道を作る。


だが、その道を歩き切るのは撃ち合いだ。


僕には、その最後の一歩が足りなかった。


レオンは、戦術も世界一だった。


そして。


最後の最後で撃ち勝つ技術も持っていた。


だから世界一だった。


僕はようやく理解した。


今まで僕は、「頭脳があれば撃ち合いの差は埋められる」とどこかで信じていた。


違った。


**頭脳は、撃ち合いを有利にすることはできる。**


**でも、撃ち合いそのものを消すことはできない。**


最後に引き金を引くのは、人間だ。


最後に弾を当てるのも、人間だ。


その現実は、どんな戦術よりも残酷だった。


僕は静かに拳を握る。


悔しい。


悔しくて仕方がない。


世界との差を知ってしまったからこそ、この敗北は簡単には忘れられない。


だけど――。


この悔しさを忘れた瞬間、僕はもう二度とレオンには届かない。


だから僕は、その痛みごと胸に刻むことにした。

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