盤面と支配
残り六秒。
誰も動かない。動けない。
爆弾の電子音だけが、規則正しく空気を刻んでいる。
**――ピッ。**
あと五秒。
僕はレオンだけを見ていた。
撃てる位置にいる。
解除へ走れる距離でもある。
レオンは常に相手の判断で盤面を動かす。
だったら。
今、動くべきなのは僕じゃない。
レオンだ。
そう思った瞬間だった。
レオンの視線が、ほんの僅かだけ右へ流れた。
一秒にも満たない視線。
けれど、その意味は十分だった。
(来る。)
僕は反射ではなく、考えて動いた。
「白瀬さん、右!」
言葉と同時に銃声が重なる。
遮蔽物の陰から飛び出したドイツの選手が、一直線に爆弾へ飛び込む。
最初からそのためだけに姿を消していた男。
だが。
白瀬の弾が、その足元を正確に撃ち抜く。
男は解除装置へ手を伸ばしかけた姿勢のまま体勢を崩し、遮蔽物へ転がった。
解除は入らない。
残り四秒。
それでもレオンは動かなかった。
(……違う。)
胸の奥がざわつく。
おかしい。
普通なら、この時点でレオン自身がカバーで飛び込む。
理屈ならそうなる。
彼はまだ、僕を見ている。
その瞳に焦りはない。
まるで。
**まだ勝負は終わっていない、と知っている人間の目だった。**
その瞬間、背筋を冷たいものが走る。
(何を見落とした。)
視界を巡らせる。
爆弾。
レオン。
白瀬。
東雲。
相模。
敵一名。
敵二名。
一人欠けている。
(どこだ。)
心臓が一つ大きく脈打つ。
盤面は見えている。
なのに、答えだけが見えない。
レオンは静かに口角を上げた。
その微かな表情を見た瞬間、僕は確信した。
「しまっ――」
言葉を最後まで言い切るより先に、新たな銃声が戦場を裂いた。
乾いた一発。
東雲を削り、細かな破片を散らす。
東雲の視線が、一瞬だけ逸れた。
それが合図だった。
レオンが初めて動く。
無駄のない一歩。
爆弾へ向かうでもなく、僕へ向かうでもない。
遮蔽物を一つ移るだけ。
それだけで盤面が変わる。
(違う……。)
僕はその移動を見た瞬間、嫌な予感を覚えた。
位置を変えたかったわけじゃない。
**視線を変えたかったんだ。**
レオンが立った位置からは、僕と白瀬を一本の射線で捉えられる。
つまり、どちらかが動けば、もう一方を守れない。
二択。
レオンは撃つ前に、選択肢を作っていた。
「白瀬さん!」
「分かってる!」
返事は早い。
だが、その早さがレオンには十分だった。
僕が白瀬へ意識を向けた、その瞬間。
レオンは爆弾ではなく、東雲へ一発だけ撃つ。
東雲は反射的に身を伏せる。
撃ち返せない。
その一拍の空白。
爆弾のそばへ、一人のドイツ選手が滑り込む。
解除装置を取り出す。
「解除!」
相模が飛び出す。
だが、レオンの銃口がわずかに動く。
相模は撃たれたわけではない。
射線を切られた。
あと一歩踏み込めば撃ち抜かれる。
その圧力だけで足が止まる。
(これが狙い……!)
レオンは誰も倒していない。
それでも、全員の動きを止めている。
僕は爆弾へ目を向けた。
解除装置のランプが点滅している。
残り時間は、もうほとんどない。
ここで撃つべきか。
それとも解除役を狙うべきか。
思考は一瞬で何通りもの答えを組み立てる。
そして、そのどれもが遅い。
レオンは僕より先に、その迷いが生まれることまで計算していた。
《解除まで、あとわずか。》
その均衡は、一発の銃声によって唐突に砕け散った。
乾いた破裂音が空間を引き裂く。
それを合図にしたかのように、止まっていた時間が一気に流れ始めた。
東雲が遮蔽物を蹴り飛ばし、真正面から飛び出す。
「解除なんかさせるか!」
叫びと同時に放たれた連射が、解除役へ伸びる。だが、その射線へレオンが半歩だけ身体を滑らせた。
たった半歩。
それだけで弾道は遮られ、解除役は再び爆弾へ手を伸ばす。
「邪魔だッ!」
東雲は標的をレオンへ切り替える。
撃つ。
レオンも撃つ。
互いに遮蔽物の角を削りながら、一瞬ごとに立ち位置を変えていく。
銃撃戦ではない。
盤面を奪い合う戦いだった。
その横では、白瀬が高所から次々と引き金を引く。
一発ごとに狙いを変え、敵が顔を出せる場所そのものを消していく。
弾丸は命中を狙うだけではない。
「そこに立つな」と命令するように、地形を書き換えていく。
だが、ドイツも崩れない。
敵の一人が低い姿勢のまま滑り込み、白瀬の射線を強引に横切った。
白瀬が照準を合わせる。
その刹那、別方向から飛んできた弾丸が白瀬のすぐ横の壁を砕く。
細かな破片が視界を埋める。
一瞬だけ照準が乱れた。
その一瞬で十分だった。
敵は次の遮蔽物へ滑り込む。
誰も止まらない。
誰も同じ場所に二秒と留まらない。
爆弾を中心に、全員が円を描くように動き続ける。
撃つ。隠れる。飛び出す。
その繰り返しの中で、誰一人として無駄な一歩を踏まない。
僕はその渦の中に飛び込んだ。
頭の中では何十通りもの盤面が同時に組み上がり、崩れ、また組み替えられていく。
(東雲先輩はレオンを押さえている。)
(白瀬さんは右を封じている。)
(相模先輩は解除役を見ている。)
(三人とも役割は果たしている。)
なら。
今、この盤面で余っているのは。
**僕だけだ。**
その瞬間、レオンの視線とぶつかった。
互いに引き金を引くことはない。
それでも分かった。
同じ結論へ辿り着いている。
**盤面を決めるのは、最後に一枚余った駒だ。**
レオンが動く。
僕も同時に駆け出した。
僕とレオンは、ほとんど同時に駆け出した。
互いの視線は一度も外れない。
銃口は相手へ向いている。だが、引き金は引かない。
撃てば終わる距離だった。
レオンの狙いは僕ではない。
解除役へ続く一本の道を作ること。
僕の狙いもレオンではない。
その道を消すこと。
互いに人を見ているようで、その実、盤面だけを見ていた。
僕は左へ踏み込む。
レオンも同じ方向へ身体を流した。
まるで思考を読まれているような感覚だった。
(違う。)
(読まれているんじゃない。)
(同じ結論に辿り着いている。)
その事実が何より恐ろしい。
僕が「ここが最善だ」と判断した位置へ、レオンも迷いなく入ってくる。
だから盤面が動かない。
均衡だけが続いていく。
その間にも、周囲では激しい銃撃が続いていた。
東雲は前へ出ては撃ち、遮蔽物へ滑り込み、また飛び出す。
一歩でも退けば解除役が前へ出る。
それが分かっているから、退けない。
白瀬も高所から射線を刻み続けていた。
一発一発に意味がある。
敵に「次の一歩」を踏ませないための射撃。
それでも、ドイツは少しずつ前へ詰めてくる。
一メートル。
また一メートル。
撃ち合いの中で奪われるのは命ではない。
空間だった。
(まずい。)
僕は歯を食いしばる。
押されている。
誰も倒れていないのに、日本の守れる範囲だけが少しずつ削られていく。
これがレオンの戦い方。
撃破は結果でしかない。
盤面を支配した先に、撃破が生まれる。
爆弾の電子音が、さらに間隔を詰める。
残り三秒。
その瞬間だった。
レオンが初めて僕から視線を切った。
ほんの一瞬。
解除役へ。
(来る!)
僕は反射ではなく確信で飛び出した。
レオンも同時に動く。
二人の距離が、一気に縮まる。
互いに遮蔽物を捨てた。
もう隠れる意味はない。
勝負は、一秒。
その一秒を制した側が、このラウンドを制する。
僕は引き金へ指をかけた。
レオンもまた、静かに照準を合わせる。
世界から音が消えた。
聞こえるのは、自分の鼓動と爆弾の電子音だけ。
そして――。
二人は、同時に引き金を引いた。




