成果と明日
休日が明けた月曜日。
朝のホームルームを終えた教室は、いつもと変わらない賑わいに包まれていた。
「神谷、おはよう」
白瀬が席の横まで歩いてくる。
「おはようございます」
「ちゃんと休めた?」
「はい、ばっちりです」
「本当?」
白瀬は苦笑する。
「また考え事してたでしょ」
湊は少しだけ視線を逸らした。
図星だった。
ショッピングモールから帰ってからも、頭の中では黒峰の言葉ばかりが巡っていた。
"人を見ろ"
あの一言の意味を何度も考え続けていた。
「でも、前より顔色はいいかな」
「そうですか?」
「うん」
白瀬は満足そうに笑った。
「今日は頑張れそう?」
「はい」
その返事だけは迷わなかった。
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放課後。
湊は一人、演習室へ向かう。
扉を開けると、黒峰はすでにモニターの前へ立っていた。
「来たか」
「はい」
黒峰は振り返らない。
演習装置を操作するだけだった。
「今日はこの前の続きだ」
「条件は同じ」
「生き残れ」
「はい」
装置が起動する。
《SIMULATION START》
市街地マップ。
前回と同じ条件。
同じ地形。
同じ相手。
だが。
湊はすぐには動かなかった。
建物にも入らない。
高台も取らない。
まず深く息を吸う。
(黒峰さんなら)
そう考えた瞬間、自分でその思考を止めた。
違う。
"どこにいるか"じゃない。
"何をしたいか"だ。
湊はゆっくりと歩き始めた。
角を曲がる前、一度だけ立ち止まる。
そのまま足元の空き缶を軽く蹴った。
カラン、と乾いた音が路地へ響く。
数秒。
何も起きない。
だが。
湊は小さく笑った。
(今、見てる)
誰かが音を聞いた。
そう確信できた。
湊はその路地へ入らない。
逆方向へ進路を変える。
数秒後。
さっきまで向かおうとしていた路地の奥を、黒い影が静かに横切った。
「……!」
湊は思わず息を呑む。
見えた。
初めて。
黒峰を見つけたんじゃない。
"黒峰が動く理由"が見えた。
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通信が入る。
『ほう』
それだけだった。
湊は返事をしない。
今は黒峰の声ではなく、行動を見る。
歩幅。
立ち止まる時間。
角を曲がる速さ。
全部に理由がある。
今までなら姿を追っていた。
でも今日は違う。
"次に何を狙うか"
そこだけを考える。
十分が過ぎる。
前回なら三分で終わっていた。
黒峰の姿も、ほとんど見失わない。
それでも距離は縮まらない。
追いつけない。
だが、逃げ切れている。
残り一分。
黒峰が初めて正面へ姿を現した。
互いに十メートル。
視線がぶつかる。
湊は銃を構えない。
黒峰も構えない。
数秒。
静かな時間が流れる。
黒峰が一歩だけ動いた。
その瞬間。
湊も同時に逆方向へ飛ぶ。
乾いた発砲音。
弾丸は壁を砕いた。
紙一重。
《TIME UP》
電子音が響く。
《MISSION CLEAR》
演習室へ静寂が戻る。
湊はヘッドギアを外し、大きく息を吐いた。
額には汗が滲んでいる。
それでも前回とは違う疲労だった。
黒峰はモニターを見たまま腕を組む。
しばらく何も言わない。
湊も黙って立っていた。
やがて黒峰が口を開く。
「……一回も俺を追わなかったな」
「はい」
「理由は」
「追ったら負けると思ったので」
黒峰は小さく鼻で笑う。
湊は顔を上げる。
「お前は」
一拍置く。
「俺を見てた」
短い一言だった。
だが。
それは今まで一度も聞いたことのない言葉だった。
黒峰は演習装置の電源を切る。
「少しだけだが」
「前へ進んだな」
その一言だけ残し、演習室を出ていく。
扉が閉まる音が響く。
湊はしばらく動けなかった。
黒峰は褒めなかった。
「よくやった」とも言わなかった。
それでも。
"前へ進んだ"
その一言が、これまでのどんな評価よりも胸に響いていた。
その言葉は、まるで胸の奥へ染み込むようだった。
黒峰は扉へ向かって歩き出す。
「今日は終わりだ」
「明日からは、お前だけじゃない」
湊は顔を上げる。
「え?」
「チームだ」
「白瀬も東雲も相模も入れる」
「お前が見てきたものを、仲間のために使え」
「一人で勝つ練習は終わりだ」
その一言に、湊の表情が少しだけ引き締まる。
「……はい」
黒峰はドアノブに手を掛けた。
「神谷」
「はい」
「勘違いするな」
「お前が強くなったわけじゃねぇ」
「見えるものが、一つ増えただけだ」
「そこから先は、自分で積み上げろ」
それだけ言い残し、黒峰は演習室を後にした。
静寂が戻る。
湊はモニターに映った停止中の市街地マップを見つめ、昨日のことを思い出す。
休日に白瀬と歩いたショッピングモール。
迷子の女の子。
母親の視線。
歩き方。
あの日見た何気ない景色が、今では戦場と繋がって見えていた。
人は理由があって動く。
その理由を少し知れば、次の一歩が見える。
そして、その一歩を知ることができれば、守れる仲間がいる。
湊は静かに演習装置の電源を落とした。
明日からは、一人ではない。
ドイツ戦まで残り十二日。
本当の意味でのチーム強化が、ここから始まろうとしていた。




