昼前と視線
書店を出る。
昼前になり、人通りはさらに増えていた。
二人は並んで歩く。
湊は紙袋を持ち直しながら、何気なく白瀬へ視線を向けた。
歩幅。
返事の間。
荷物を持ち替える回数。
さっきまで自然だった笑顔も、どこか少しだけ力が抜けている。
ほんの少し。
気のせいと言われれば、それまでかもしれない程度の違い。
けれど、湊の目にははっきり映っていた。
(……疲れてる)
そう思った瞬間、黒峰の声が頭をよぎる。
――相手を見ろ。
――銃を見るな。
――人を見ろ。
敵が何を考え、何をしようとしているのか。
そのために観察する。
そう教わった。
以前の自分なら気づかなかった。
きっと隣を歩いていても、何も考えずに歩いていた。
けれど今は違う。
相手の動きが、少しだけ見えるようになっていた。
(でも、言わない)
(買い物、楽しそうだった)
(だから無理してる)
湊は少しだけ考え、足を止める。
「白瀬さん」
「ん?」
「昼、まだですよね」
「そうだけど」
「よかったら、食べませんか」
白瀬はきょとんとした表情を浮かべた。
湊は少し迷ってから答える。
「えっと、なんだかお腹すいちゃって」
「……」
白瀬は湊の顔をじっと見つめる。
「嘘つかない、私そんなに疲れて見える?」
「…………少しだけ」
その返事に、白瀬は目を丸くした。
「分かるんだ」
「はい」
「最近までは分かりませんでした」
「でも」
湊は少しだけ視線を落とす。
「教わったので」
「何を?」
「人を見ろ、って」
その一言で、白瀬はすぐに察したように笑った。
「黒峰先生?」
「はい」
「なるほどね」
白瀬は小さく息を吐く。
「実は少しだけ疲れてた」
「歩き回りすぎたかな」
「だから気づいてくれて助かった」
湊は安心したように頷く。
「じゃあ、どこか入りましょう」
「うん」
白瀬が指差した先には、小さなカフェがあった。
ガラス越しに見える店内は落ち着いた雰囲気で、昼前ということもあり席にもまだ余裕がある。
「ここ、入ろうか」
「はい」
二人は並んで店の扉をくぐった。
窓際の席へ案内され、二人は向かい合って腰を下ろした。
注文を済ませると、店内には穏やかな空気が流れる。
休日の喧騒も、ガラス一枚隔てるだけでどこか遠く感じられた。
白瀬は冷たい水を一口飲み、小さく息をつく。
「助かった、結構疲れてたかも」
「本当に気づいてなかった?」
湊は首を傾げる。
「疲れてること?」
「うん」
「歩いてるときは楽しかったから」
「まだ大丈夫だと思ってた」
「でも、座ったら急に疲れがきた」
そう言って苦笑する。
「無理してたんだね」
「少しだけ」
料理が運ばれてくるまでの間、静かな時間が流れる。
白瀬は湊を見ながら、不意に口を開いた。
「神谷」
「はい」
「変わったね」
「そうでしょうか」
「うん」
白瀬は迷うように指先でコップをなぞる。
「最初はね」
「正直、神谷のこと認めてなかった」
湊は驚く様子もなく、静かに話を聞いていた。
「撃ち合いは弱いし、動きもぎこちなかった」
「演習でもすぐやられる」
「正直、この人と同じ班になったら大変だなって思ってた」
その言葉は責めるものではなく、当時の事実をそのまま口にしているだけだった。
湊も小さく頷く。
「そうだったと思います」
「否定しないんだ」
「事実なので」
白瀬は少しだけ笑う。
「そういうところも変わらないね」
一度言葉を切る。
そして静かに続けた。
「でも、最近は違う」
「撃ち合いが急に強くなった、とは思ってない」
「まだ負けることも多いし、黒峰先生にも勝てないでしょ」
「はい」
「十回やって十回負けました」
「そこは正直なんだ」
白瀬は小さく笑ったあと、真剣な表情になる。
「でもね」
「神谷は毎日ちゃんと前に進んでる」
「昨日できなかったことが、今日は少しできるようになってる」
「できないから諦めるんじゃなくて、できるまで続けてる」
「それを私は、ずっと見てた」
湊は少しだけ目を伏せた。
自分では、そんなふうに見られているとは思っていなかった。
「努力してる人ってさ」
白瀬は穏やかな声で続ける。
「案外少ないんだよ」
「みんな口では強くなりたいって言うけど、本当に毎日続けられる人は少ない」
「神谷は違う」
「負けても、次の日にはまた訓練してる」
「その姿は、ちゃんと見てた」
料理が運ばれてきても、二人はすぐには箸をつけなかった。
白瀬は湊をまっすぐ見つめる。
「だから」
「私は神谷を認め始めてる」
「撃ち合いが強いからじゃない」
「努力を続けられる人だから」
その言葉に、湊は少しだけ照れたように笑う。
「ありがとうございます」
「まだ途中だけどね」
白瀬も笑う。
「黒峰先生が言うように、まだまだ」
「はい」
「でも」
白瀬は少し視線を窓の外へ向けた。
「この前のアメリカ戦」
「神谷が前に出たとき、私、迷わなかった」
湊は首を傾げる。
「迷わなかった?」
「うん」
「神谷が動くなら、私も動こうと思えた」
その一言に、湊は静かに耳を傾ける。
「前だったら、たぶん思えなかった」
「この人に任せて大丈夫かなって考えてたと思う」
「でも今は違う」
白瀬は湊へ視線を戻す。
「まだ全部じゃない」
「それでも、少しずつ」
「神谷なら背中を預けてもいいかもしれないって思い始めてる」
店内が静かになる。
その言葉は、大げさな称賛ではない。
白瀬なりの、最大級の信頼だった。
湊は少しだけ息を吐き、真っ直ぐ白瀬を見返す。
「……それに応えられるようになります」
「うん」
白瀬は静かに頷く。
「期待してる」
その短い言葉だけで十分だった。
二人はようやく箸を手に取り、温かい昼食へと手を伸ばした。
さっきまでとは違う空気が、二人の間に流れていた。
同じ戦場に立つ者同士だからこそ生まれる、小さな信頼の形だった。




