目覚ましと休日
休日。
久しぶりに目覚ましの音を気にしなくていい朝だった。
それでも湊は、いつもの時間より少し遅い程度で目を覚ました。
カーテンの隙間から差し込む柔らかな日差しをぼんやり眺めながら、大きく息を吐く。
昨日まで毎日のように続いた黒峰との特訓。
十回挑んで十回負けた。
いや、勝負にすらなっていなかった。
黒峰は撃つ前に勝負を終わらせる。
相手がどう動くかを考え、自分がどう動くかを考える。
その考え方だけは頭に残ったが、理解したと言えるほどではない。
「……今日は休み、か」
休めと言われても、家で何もしないのは落ち着かない。
少し考えた末、気になっていた戦術書でも探そうと、本屋へ行くことにした。
駅前のショッピングモール。
休日ということもあり、多くの人で賑わっている。
家族連れ。
友人同士。
恋人らしき二人組。
それぞれが休日を楽しんでいた。
湊はエスカレーターへ向かおうとした、その時だった。
「……神谷?」
聞き覚えのある声だった。
振り返る。
そこには白瀬が立っていた。
制服ではなく、白いブラウスに淡いベージュのロングスカート。肩から小さめのバッグを下げた私服姿は、学校で見る印象とは少し違う。
どこか柔らかく、大人びて見えた。
湊は一瞬だけ目を丸くする。
「……白瀬さん?」
白瀬も少し驚いたように笑う。
「休日に会うとは思わなかった」
「僕もです」
二人の間に少しだけ沈黙が流れる。
白瀬は湊の手に持っていたエコバッグへ視線を向けた。
「今から?」
「はい。本屋にでも行こうかなと思って」
「戦術書?」
「たぶん」
その答えに白瀬は思わず苦笑した。
「神谷らしい」
少し考えるように視線を逸らし、やがて小さく頷く。
「……ちょうどよかった」
「え?」
湊は一瞬固まる。
「買い物、付き合って」
あまりにも自然な一言だった。
断る理由はない。
むしろ、本屋は逃げない。
「はい」
「決まり」
白瀬はどこか嬉しそうに笑い、そのまま歩き出した。
「まずは服」
「はい」
「その次は雑貨」
「はい」
「スポーツ用品も見たいし、文房具も買いたい」
「……はい」
「あとアクセサリー」
湊は思わず足を止める。
「結構ありますね」
「あるよ?」
白瀬は当然のように答えた。
「休日の買い物なんだから」
その言葉に、湊は静かに覚悟を決める。
──本屋は、今日は無理かもしれない。
◇
一時間後。
白瀬の両手には、すでに紙袋が三つ増えていた。
「次、こっち」
「はい」
白瀬に続いて歩く。
洋服店。
雑貨店。
靴屋。
店を出たと思えば、また次の店へ入る。
学校では冷静で無駄な動きをしない白瀬が、休日になると迷いなく店を渡り歩いていく姿は少し意外だった。
(女性の買い物って、こんなに長いんだ……)
湊は心の中で小さく呟く。
まだ一時間しか経っていない。
それなのに、演習を二時間続けた時とは違う種類の疲労が少しずつ積み重なっていく。
(東雲先輩だったら三十分で逃げてるな)
そんなことを考えていると、白瀬が一着の服を手に振り返った。
「神谷」
「はい」
「これ、どう思う?」
湊は服を見る。
一秒。
「似合うと思います」
白瀬はじっと湊を見る。
「……本当に見てる?」
「見てます」
「今、一秒だった」
「…………」
言い返せない。
白瀬はくすっと笑う。
「ちゃんと見てから答えて」
「はい……」
そう言いながら、湊はもう一度服へ視線を向けた。
湊はもう一度、服へ視線を向けた。
白を基調にした薄手のシャツ。
袖口には小さな刺繍が入り、派手ではないが落ち着いた印象を受ける。
白瀬らしい、と素直に思った。
「……似合うと思います」
「今度は?」
「ちゃんと見ました」
「どこが?」
不意に聞き返され、湊は少しだけ考える。
「白瀬さん、いつも派手な服はあまり着ないですよね」
「うん」
「だから、このくらい落ち着いた色の方が似合うかなって」
白瀬は少し驚いたように目を瞬かせた。
「そこまで見てたんだ」
「最近は」
「見るようにしてるので」
「ふーん……」
そう言いながら鏡の前へ向かう。
店員が声を掛ける。
「ご試着もできますよ」
「じゃあ、お願いします」
白瀬は服を受け取り、試着室へ入っていった。
残された湊は、荷物を持ったまま近くの椅子へ腰掛ける。
周りを見ると、同じように荷物を持って待っている男性が何人もいた。
腕を組んでいる人。
スマホを見ている人。
寝ている人までいる。
(みんな大変なんだな……)
そんなことを思っていると、カーテンが開く。
「神谷」
振り向くと、白瀬が試着した姿で立っていた。
「どう?」
さっきより少し柔らかい印象になっている。
サイズも合っていた。
「似合ってます」
「早くない?」
「ちゃんと見ました」
「本当?」
「はい」
白瀬は鏡と湊を交互に見比べる。
「じゃあ買おうかな」
「いいと思います」
会計を済ませると、紙袋が一つ増えた。
白瀬は左右の手へ持ち替えながら歩き出す。
その様子を見ていた湊は、小さく口を開いた。
「……持ちます」
「え?」
「荷物です」
「結構増えましたし」
白瀬は自分の手元を見る。
紙袋は四つ。
確かに少し持ちづらい。
「大丈夫だけど?」
「でも重いですよね」
「神谷も荷物あるじゃない」
湊は自分のエコバッグを見た。
中には財布と飲み物が入っている程度だ。
「問題ないです」
そう言うと、返事を待たず白瀬の手から紙袋を二つ受け取った。
「あ……」
一瞬だけ驚いた表情を浮かべた白瀬だったが、抵抗はしなかった。
「ありがとう」
「いえ」
歩き出す。
紙袋は思ったより軽い。
それでも、両手が空いた白瀬は肩の力が少し抜けたようだった。
白瀬は隣を歩く湊を横目で見て、小さく口元を緩めた。
「神谷って」
「そういうの、慣れてる?」
「え?いや、全然」
湊は少し考える。
「困ってそうだったので」
「それだけです」
白瀬は思わず吹き出した。
「それだけ、か」
その返事が、いかにも神谷らしかった。
店を出る。
次に向かったのは生活雑貨の店だった。
店内には色とりどりの食器や収納用品、小物が並んでいる。
白瀬は棚を一つひとつ眺めながら歩く。
「こういうお店、来るんですか?」
「結構好き」
「見てるだけでも楽しいし」
「なるほど」
湊にはその感覚があまり分からなかった。
必要な物があれば買う。
なければ帰る。
それが普通だった。
白瀬は小さなマグカップを手に取る。
「これ可愛い」
「良いですね」
そのまま店内を歩いていると、白瀬が時計へ目を向ける。
「あ」
「結構時間使っちゃった」
湊もつられて時計を見る。
思っていたより時間が経っていた。
白瀬は少し申し訳なさそうに笑う。
「ごめんね。付き合わせちゃったね」
「今度は神谷の番、本屋、行こっか」
「……いいんですか?」
「もちろん」
「私も本屋は好きだから」
その一言に、湊は小さく頷いた。
「ありがとうございます」
二人は並んで書店へ向かう。
◇
店内へ入ると、新刊の紙の匂いがふわりと漂う。
休日ということもあり、店内には学生や家族連れの姿が多かった。
湊は店内を見回し、自然と軍事・戦術書の棚へ足を向ける。
その様子を見て、白瀬はくすっと笑った。
「迷わないね」
「目的があるので」
「神谷らしい」
白瀬は周囲を見回し、小説の並ぶ棚へ視線を向ける。
「私はあっち見てくる」
「はい」
「十分くらいしたら、この辺で集合でいい?」
「分かりました」
互いに軽く頷き、それぞれの棚へ歩いていく。
湊は背表紙を一冊ずつ眺めながら、本を手に取る。
黒峰との特訓を思い返しながら、索敵や判断、部隊運用について書かれた本を開く。
ページをめくるたび、新しい知識が目に入る。
気付けば時間を忘れていた。
「神谷」
名前を呼ばれ、顔を上げる。
白瀬がいつの間にか隣に立っていた。
手には文庫本が一冊。
「いいの見つかった?」
「はい」
湊は手に持っていた戦術書を見せる。
「これにしようかと」
「やっぱりそういう本なんだ」
白瀬は少しだけ笑い、自分の本も見せた。
「私はこれ」
表紙には、穏やかな街並みのイラストと、小さく『探偵は、春を待つ』というタイトルが書かれていた。
「ミステリーですか?」
「うん。新刊らしいから気になって」
「そういう本を読むんですね」
「意外?」
「少し」
湊が素直に答えると、白瀬は肩をすくめた。
「推理するの、結構好きだから」
「なるほど」
お互いに選んだ本を見せ合う。
それだけのやり取りなのに、不思議と気まずさはなかった。
「じゃあ、レジ行こっか」
「はい」
二人は並んでレジへ向かう。
紙袋が一つ増えた湊の手を見て、白瀬が小さく笑う。
「結局、荷物増えたね」
「本なので軽いです」
「いい買い物したね」
白瀬は苦笑しながら歩き出す。
その後ろ姿を追いかけながら、湊は今日一日を思い返していた。
休日に誰かと買い物をして、本を選び、それぞれの好きなものを少しだけ知る。
なんてこないことかもしれないけど。悪くないと思えた。




