教室と授業
翌朝。
教室へ入った湊は、自分の席へ着くなり机へ突っ伏した。
眠い。
昨日、黒峰との特訓が終わった後も、自室でリプレイを何度も見返していた。
気づけば時計は深夜を回っていた。
それでも答えは見つからない。
黒峰の動きではなく。
黒峰がなぜそこを選んだのか。
その理由ばかり考えていた。
「ふぁ……」
小さく欠伸が漏れる。
授業が始まるまでまだ少し時間がある。
このまま少しだけ目を閉じよう。
そう思った、その時だった。
「神谷」
聞き慣れた声がした。
顔を上げると、白瀬が立っていた。
「おはようございます……」
「おはよう」
白瀬は湊の顔をじっと見つめる。
「寝てないの?」
「え?」
「目の下、少し隈できてる」
湊は慌てて目元を擦った。
「昨日ちょっと……考え事してて」
「黒峰に何か言われた?」
図星だった。
「……はい」
白瀬は小さく息を吐く。
「真面目なのはいいけど、無理しすぎ」
「睡眠不足は判断力が落ちる」
「それじゃ本末転倒」
湊は苦笑した。
「すみません」
「謝らなくていい」
白瀬は少しだけ表情を和らげる。
「でも、ちゃんと寝ることも練習だから」
その言葉に湊は少し驚く。
白瀬は厳しい印象が強い。
だからこそ、そんな言葉が意外だった。
「……はい」
素直に頷くと、白瀬も小さく頷き返した。
「あと」
「今日の特訓」
「多分、昨日よりきつい」
「覚悟しておいて」
「え……」
思わず声が漏れる。
昨日ですら、ほとんど何もできなかった。
それ以上。
そう考えただけで胃が重くなる。
その様子を見た白瀬は、珍しく口元を少しだけ緩めた。
「その顔なら大丈夫そう」
「どこがですか……」
「まだ諦めてない顔だから」
そう言い残し、白瀬は自分の席へ戻っていく。
湊はその背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
眠気はまだ残っている。
けれど、不思議と頭は少しだけ軽くなっていた。
「ちゃんと寝ることも練習、か……」
黒峰とは違う。
けれど、それもまた世界を目指す人間の言葉なのだと、湊は静かに噛み締めていた。
一時間目の授業が始まる。
教師の声が教室に響く。
だが。
湊の頭には、昨日のシミュレーションが何度も浮かんでいた。
『目的を見ろ』
『人間は簡単には変わらねぇ』
黒峰の言葉が離れない。
ノートを開いても、無意識に書いているのは数式ではなく矢印やルートばかりだった。
「……神谷」
突然、教師に名前を呼ばれる。
「はい!」
慌てて立ち上がる。
「今の説明、聞いていたか?」
「……えっと」
教室が静まり返る。
まずい。
完全に聞き逃していた。
その時。
前の席から白瀬がさりげなくノートを少しだけ傾けた。
端に、小さく一行だけ書かれている。
『3番』
湊は一瞬だけ目を見開いた。
「……3番、です」
教師は少しだけ怪訝そうな顔をしたが、頷いた。
「その通り。座っていい」
「ありがとうございます」
湊は腰を下ろし、小さく息を吐く。
危なかった。
授業が再開すると、白瀬は何事もなかったように前を向く。
休み時間。
湊は席を立ち、白瀬の机へ向かった。
「さっき、ありがとうございました」
白瀬は教科書を閉じる。
「別に」
「でも助かりました」
「次は助けない」
淡々とした口調だった。
「授業はちゃんと聞く」
「はい……」
素直に返事をすると、白瀬は湊の顔を見る。
「まだ眠そう」
「そんなに分かります?」
「分かる」
即答だった。
「昨日も遅かったんでしょ」
「二時くらいまで……」
その瞬間。
白瀬の眉がぴくりと動いた。
「寝なさい」
「……はい」
「今日も同じことしたら」
少しだけ間を置く。
「黒峰に言う」
「えっ」
湊は思わず固まる。
「それは困ります」
「なら寝る」
「努力します」
「努力じゃなくて寝る」
あまりにも真っ直ぐな返事に、湊は苦笑するしかなかった。
そんな二人のやり取りを、少し離れた場所から東雲が眺めていた。
「なんかさ」
相模へ肘でつつく。
「あの二人、ちょっと姉弟っぽくない?」
相模は視線だけ向ける。
「確かに」
「白瀬が世話焼いてるように見える」
「だよな」
東雲は笑う。
「神谷、完全に心配されてるじゃん」
その声が聞こえたのか。
白瀬がゆっくり二人を振り返る。
「東雲」
「はい」
「うるさい」
「すみませんでした」
即座に頭を下げる東雲を見て、教室に小さな笑いが広がった。
重かった空気が少しだけ和らぐ。
その様子を見ながら湊も小さく笑う。
だが、その笑顔の奥では。
放課後に待つ黒峰との特訓のことが、ずっと頭から離れなかった。




