囮と意識
東商業区。
日本側が最も警戒していたルート。高低差、遮蔽物、細い路地。VIP護送には理想的な構造。その本命ルートを神谷湊――は見抜いた。
読みは当たっていた。
中央は囮。
地下は意識分散。
そして東が本命。
本来そこが戦場になり、神谷の戦場破壊によって勝負が決まるはずだった。
盤面そのものは、間違いなく読めていた。
観戦用戦術マップを見つめていたアレスの視線が、初めて止まった。
東商業区。本命ルート。
中央を囮にし、地下で意識を散らし、最後に東を通す。自分で組んだ勝ち筋だった。
完璧だった。
少なくとも、崩されるはずがなかった。
なのに。
中央の先読み。
高架射線への警戒。
西への誘導。
そして、東到達の速度。
全部が噛み合いすぎている。
偶然じゃない。
読まれている。
しかも――かなり深く。
アレスは数秒だけ黙った。
戦術マップを眺めながら、静かに考える。
敵側に、誰かいる。
ただ上手いだけじゃない。
“勝ち方”を見ている奴。
盤面を崩してくる人間。
普通のプレイヤーなら、まだ押し切れる。
撃ち合えば勝てる。
エイムなら負けない。
対面性能なら負けない。
だが。盤面そのものを壊される相手は別だった。
気づけば、自分が作った勝ち筋が少しずつズレている。
――負ける可能性が生まれている。
その時点で、放置は悪手だった。
『……なるほど』
低い声が漏れる。
少しだけ笑っていた。
面白いからじゃない。
厄介だからだ。
『読み合いで負けたか』
一拍。
視線が、戦術ログの一人へ止まる。
――カムイ。
アレスは迷わなかった。
判断が速い。
危険因子を見つけた時、最速で処理する。
それがアメリカの世界最強だった。
『護送ルート変更。第二防衛ライン維持』
『……は? お前どこ行く?』
味方の声にも、アレスは淡々と返す。
『五分』
『何言って――』
『司令塔を落とす』
短い沈黙。
『VIPだぞ、お前』
アレスは小さく笑う。
『でも、あいつ相手に読み合い続ける方が危ない』
声が低くなる。
『撃ち合いなら負けない』
一拍。
その瞬間、アレスから“試合”が消えた。
そんな中一人だけ、理解し始めていた。
黒峰だった。
観戦室。
映像を見つめながら、男が小さく笑う。
『なるほどな』
『そういうことかよ、アレス』
低く、楽しそうな声。
それは厄介な敵を見た時の笑い方だった。
崩れたビル内部。
誰かが、迷いなく階段を上がってくる。
隠れる様子もない。
気配を消す気すらない。
強者だけができる歩き方だった。
一歩。
また一歩。
距離が縮まる。
心臓が嫌な音を立てる。
そして通信へ、低い男の声が混ざった。
『よう』
ノイズ混じりの回線越し。
それでも異様なほど鮮明に聞こえる声。
『やっと見つけた』
一拍。
笑う気配。
『カムイ』
空気が変わる。
世界最強が。
試合中にもかかわらず。
そして。
アレスは静かに言った。
「――俺がVIPだ」
通信が止まる。
誰も、意味を理解できない。
だが。
アレスだけは笑っていた。
「東商業区? ああ、正解だ」
「読みは合ってる、そういう作戦だった」
その声には、妙な愉快さが混じっていた。
「でもな」
一歩。
また一歩。
足音が近づく。
「カムイ」
静かな声だった。
だが、そこにある熱量だけが異常だった。
「お前とやるために、来た」
「最初の中央読み、高架への警戒、俺を動かした射線」
アレスの声に、初めて少しだけ熱が混じる。
「さすがだ。」
そして。
銃口が、真っ直ぐこちらへ向いた。
「だから予定変えた」
一拍。
東商業区。
囮。
護送。
全部切り捨てたような声音だった。
世界最強が。
勝利条件を無視して。
たった一人を潰すために動いた。
その動きが結果的に良い方向に進むと考え。
ありえない。
でも。
その異常さが逆に分かった。
この男は、“危険な盤面”を放置しない。
カムイという存在を。
戦場を崩せる人間を。
ここで消すつもりだ。
高架から、アレスが飛び降りた。
轟音。
崩れた道路へ着地した衝撃で砂埃が舞う。
距離が、一気に縮まる。
中央の怪物だった存在が、今度は真正面からこちらへ歩いてくる。
「逃げろ、カムイ!!」
白瀬の声。
だが。
湊は動けなかった。
怖い。
本当に怖い。
なのに。
視界の奥で、なぜか少しだけ理解してしまう。
この男もまた。
“勝てる未来”しか選ばない。
だったら――。
まだ、崩せる。
アレスとの距離が縮まる。
崩れた高架の下。鉄骨がむき出しになった道路。割れたガラスが散らばる灰色の空間に、異様な静けさだけがあっ た。
中央ではまだ撃ち合いが続いているはずなのに、不思議なくらい音が遠い。
湊の意識は、目の前の男だけに引き寄せられていた。
アレス。
アメリカの世界最強。
そして今、自分を潰すためだけに動いている怪物。
普通なら終わりだ。
正面からやれば勝負にもならない。三週間訓練した程度の高校生が、世界トップへ対抗できるわけがない。
それでも湊が完全に絶望しなかったのは、ほんの少しだけ分かってしまったからだった。
この男は万能じゃない。
強い。
圧倒的に強い。
でも、“勝てる場所”を選ぶ。
だからこそ中央高架に立っていた。
だからこそ、自分を危険だと判断した瞬間、勝利条件すら無視して降りてきた。
つまり。
カムイを消さないと、勝てないと判断した。
それ自体が、すでに崩れ始めている証拠だった。
「面白い顔するな」
アレスが歩きながら言う。
足音に無駄がない。
周囲を見ていないようで、全部見ている。
射線、退路、死角。近づいているのに、一切隙がない。
「怖いのか、逃げないのか」
湊の喉が乾く。
図星だった。
正直、今すぐ逃げたい。
身体も少し震えている。
でも、逃げた瞬間に終わることも分かっていた。
ここで時間を稼げなければ、日本側の盤面が崩れる。
東はまだ混乱している。
中央も持久限界。
白瀬たちが立て直す時間が必要だった。
「……逃げても撃つでしょ」
ようやく声を出す。
アレスが少し笑った。
「もちろん」
即答だった。
「だから、お前は正しい」




