作戦と戦術
大型モニターへ表示されたカウントが、静かに数字を減らしていく。
【MATCH START IN 30】
残り三十秒。
先ほどまで議論が飛び交っていた作戦ルームは、いつの間にか妙な静けさに包まれていた。誰も焦ってはいない。それでも、空気の奥底には確かな緊張が沈んでいる。国家戦独特の、張り詰めた重さだった。
ただ試合に勝つか負けるかでは終わらない。
TFが戦争の代替となったこの世界で、国家代表戦の結果はそのまま国力として扱われる。交流戦という名目であっても、勝敗一つが外交評価へ影響し、資源交渉や国際発言権にまで静かに尾を引いていく。だからこそ、誰一人として“負けても仕方ない”などとは考えていなかった。
その責任の中心に、いま自分が立っている。
湊は無意識に手を握り直した。
気づかないふりをしていたが、指先はわずかに震えている。心臓の音も、嫌になるほど大きい。ほんの数週間前まで、TFの授業で撃ち負けていた高校生だったはずなのに、いまは世界中が注目する舞台で、日本代表として立つことを求められている。その現実があまりにも大きすぎて、ときどき感覚が置いていかれそうになる。
怖い。
普通に、怖かった。
もし少しでも違和感を出せば、相手に気づかれるかもしれない。もし判断を間違えれば、日本代表そのものが崩れる可能性もある。自分一人の失敗では済まない重さが、ずっと肩へ乗っていた。
それでも、不思議と頭だけは冷えている。
脳裏へ、黒峰との最後の訓練風景が浮かぶ。
VR室の隅。散々しごかれたあと、黒峰は珍しく真面目な顔で缶コーヒーを飲んでいた。
気怠そうな声だった。
『怖ぇって感覚なくなった奴から死ぬ』
『震えててもいい。焦っててもいい。でも盤面だけは見る。それがお前の役目だ』
強くなれとは言われなかった。
自信を持てとも言われていない。
ただ、怖いままで考え続けろ。
それだけだった。
だからこそ、いまの自分にも届いている。
怖い。
でも考えることはできる。
少なくとも、自分にはそれしかない。
湊がゆっくり息を吐いた時、不意に隣で白瀬が端末を閉じた。薄い電子音が静かな部屋へ小さく響く。
「確認する」
短い言葉だったが、空気が自然と引き締まる。
「中央大通りの警戒は維持。ただし本命予測は東商業区。相手が中央で圧を見せてくるなら、一度押される形を作って誘導する。VIPが浮いた瞬間、包囲して落とす」
そこで白瀬はわずかに言葉を切り、真っ直ぐ湊を見る。
「……本当に来ると思う?」
静かな問いだった。
責めているわけではない。ただ、この作戦の中心にある“読み”を確認している。
もしアレスが食いつかなければ、この作戦は崩れる。
慎重に来られた時点で、こちらのリスクだけが残る。
だからこそ、一番重要な問いだった。
湊はマップへ視線を戻す。
脳裏へ、三週間で見続けた試合映像が自然と浮かんだ。アレスが敵を削り切る瞬間。人数差を見つけた途端、一気に圧を強める判断。相手が崩れ始めた時の、あの異常な加速。
世界最強。
そう呼ばれる理由は、撃ち合いの強さだけではない。
勝てる瞬間を逃さない。
むしろ危険だと分かっていても踏み込む。
圧倒できる側の人間特有の感覚が、あの男にはあった。
「……来ます」
湊は静かに答える。
「警戒はすると思う。でも、最後は踏み込んでくる」
「アレスって、“終わらせられる瞬間”を逃さない人だから。勝てるって思った時、多分止まれない」
数秒の沈黙。
白瀬はしばらく何も言わなかったが、やがて小さく頷いた。
「分かった」
それだけ。
なのに、その一言が妙に重く感じた。
三週間前まで、自分の実力を半ば呆れて見ていた白瀬が、いまは自分の読みを前提に動こうとしている。その事実が少しだけ現実感を失わせる。
すると、横から鷹宮が肩を回しながら笑った。
「まあ細かいことは分かんねぇけど、要するに“食いついたところを殴る”って話だろ?」
「雑」
白瀬が即座に返す。
だが、少しだけ空気が和らいだ。
相模も苦笑しながら肩を竦める。
「でも、たぶん間違ってないよ。問題は、そこまで耐えられるかだね」
その言葉が、静かに現実を突きつける。
相手はアメリカ代表。
世界最強。
アレスだけではない。全員が国家級の怪物だ。ほんの少し判断が遅れただけで、こちらの盤面は簡単に崩壊する。読みが当たっても、それを実行できなければ意味がない。
東雲が静かに立ち上がった。
「なら、やることは決まったな」
落ち着いた声だった。
「信じるしかない」
その言葉には不思議な重さがあった。
ただの励ましではない。
命を預ける側の覚悟に近い言葉だった。
そして。
【MATCH START IN 10】
数字が赤へ変わる。
スタジアムの歓声が、壁越しにさらに大きく響き始めた。まるで巨大な波が少しずつ近づいてくるような感覚に、湊は無意識に息を整える。
もう逃げられない。
いや、最初から逃げ場なんて存在していなかった。
それでも、不思議と足は震えていない。
怖いまま。
緊張したまま。
でも、思考だけは止まっていない。
勝つ必要はない。
崩せばいい。
相手の強さを、その強さごと壊せばいい。
それが、自分に与えられた役割なのだと、少しだけ分かり始めていた。
カウントが、最後の数字を削っていく。
【3】
湊は深く息を吸った。
【2】
大型スクリーンの数字が変わる。
攻撃側はVIPを護衛しながら目的地点まで到達させれば勝利。
防衛側はその護送を阻止する。
そして厄介なのは、“VIPがAI制御ではない”ことだった。
VIP役そのものを、攻撃チームの一人が担当する。
つまり。
アメリカ代表の五人のうち、一人は戦力を落として護衛対象になる。
しかし。
その“一人減る”という常識が、アメリカ相手には通用しない。
むしろ護衛を餌にして、一気に盤面を支配してくる可能性が高かった。
アレスは守る側ではなく、狩る側の人間だ。
護送中に相手が崩れ始めた瞬間、絶対に前へ出てくる。
そこを狙う。
今回の作戦の中心は、結局そこに尽きていた。
【1】
静寂。
スタジアム全体が、一瞬だけ呼吸を止めたような感覚。
そして。
【MATCH START】
視界が切り替わる。
瞬間、世界が《NEXUS CITY》へ接続された。




