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18/24

後ろ向きと場違い

歓声は、湊の想像を遥かに超えていた。

 

耳に届くというより、空気そのものが震えている。何万人もの観客が発する熱量が巨大な波となって押し寄せ、足元から身体の奥まで響いてくる感覚に、一瞬だけ現実感が遠のきそうになる。

 

 巨大なスタジアム。

 天井近くまで埋め尽くされた観客席。

 無数のスクリーンと照明。

 世界中へ配信される国家交流戦。

 

 そんな場所へ、自分が立っている。

 

 ほんの数週間前まで、TFの授業で撃ち負けていた高校生だったはずなのに、今は日本代表として世界の視線を浴びているという事実が、どうしても現実として噛み合わなかった。

 

(……場違いだ)

 

 後ろ向きな本音が胸をよぎる。

 

 だが足を止めるわけにはいかなかった。

 

 隣を歩く白瀬は、いつも通りの無表情で前だけを見ている。緊張していないようにも見えるし、何も考えていないようにも見える。けれど、この三週間で湊は少しだけ理解していた。

 

 彼女は“見せない”だけだ。

 

 きっと緊張している。

 それでも表に出さない。

 代表という立場に必要だからではなく、そういう強さを持っている人間なのだ。

 

 (・・・俺の役割を思い出せ)


 司令塔が揺れれば、全部が崩れる。

 

 それは黒峰にも、白瀬にも、何度も叩き込まれてきた考えだった。

 

 大型スクリーンへ日本代表の情報が映し出されると、歓声がさらに大きくなる。実況の声が会場全体へ響き渡り、 無数のカメラがこちらを追い始める。

 

 日本代表 最強の男 カムイ。

 その紹介とともに、視線が集まる。

 

 世界中の注目。

 無数の期待。

 そして、その中心に立っているのは“神谷湊”ではなく、“カムイ”だった。

 

 湊は自然と呼吸を浅くする。

 

 緊張を隠そうとして、逆に身体が硬くなる。

 そんな自分へ気づいた瞬間、ふと白瀬の声が隣から落ちた。

 

「まだ肩、力入りすぎ」

 

 小さな声だった。

 

「カムイならもう少し気だるそうに歩く」

 

「手厳しいですねぇ……」

 

「死にたいの?」

 

 即答だった。

 

「やるしかないね」

 

 相変わらず容赦がない。

 だが、その言葉で少しだけ肩の力が抜ける。

 

 そうだ。

 

 俺はカムイだ。

 少なくとも今は、“それっぽく見せる”ことが重要だ。

 

 無理に堂々としない。

 

 視線を少し落とす。

 肩の力を抜く。

 全部見えている人間みたいに、少しだけ退屈そうに立つ。

 

 三週間、嫌になるほど見たカムイの映像を思い出す。

 

 あの人は、決して急がなかった。

 焦らなかった。

 どんな局面でも、最初から結末を知っている人間みたいな空気を纏っていた。

 

 完全に真似るのは無理かもしれない。

 でも、少しだけ近づくことはできる。

 

 その時だった。

 

 正面ゲートが開く。

 

 歓声の質が変わった。

 

 日本の時とは違う。

 もっと低く、重く、熱狂に近い歓声。

 まるで怪物の登場を待っていた観客たちが、一斉に息を吹き返したみたいだった。

 

『アメリカ代表、入場――!!』

 

 現れたのは五人。

 

 ただ歩いてくるだけなのに、空気が違う。

 姿勢。

 歩幅。

 視線。

 その全部が洗練されていて、“強い”と本能で理解させられる。

 それはまるで軍隊の隊列。


 そして、その中央。

 

 アレス。

 

 三週間の間、映像では何度も見てきた男だった。

 だが、実物はまるで別物だった。

 

 威圧しているわけではない。

 睨んでいるわけでもない。

 

 なのに、ただそこに立っているだけで空気が変わる。

 周囲の空間そのものが、自然と彼を中心に動いているような錯覚すらある。

 

 猛獣。

 

 そんな言葉が、一番しっくりきた。

 

 人ではなく、危険な何かを前にしている感覚。

 理屈より先に、本能が警鐘を鳴らしている。

 

 そして。

 

 アレスの視線が、ゆっくりこちらへ向いた。

 

 正確には――“カムイ”へ。

 

 一瞬だけ、目が合う。

 

 その視線には敵意というより、探るような温度があった。

 試すような目。

 観察する目。

 まるで「本当にお前なのか」と確認しているみたいだった。

 

 心臓が嫌な音を立てる。

 

(やばい……)

 

 だが、その瞬間。

 

 三週間で身体へ叩き込まれたものが、先に動いた。

 

 焦るな。

 目を逸らすな。

 何も見えてない顔じゃなく、“全部見えてる側”で立て。

 

 黒峰の声が、頭の奥で再生される。

 

 湊は呼吸を整えた。

 

 わざと少し気怠そうに立つ。

 余裕そうに。

 興味なさそうに。

 

 そして、何も言わずに視線を返す。

 

 数秒。

 

 沈黙。

 

 やがて、アレスの口元がほんの少しだけ歪んだ。

 

 笑ったのか。

 満足したのか。

 それとも挑発なのか。

 

 答えは分からない。

 

 だが少なくとも、疑われた様子はなかった。

 

 隣で白瀬が、ほんの小さく息を吐く。

 

「……今の」

 

「悪くなかった」

 

「ほんとですか?」

 

「七十点」

 

 高いのか低いのか分からない評価だった。

 けれど、少なくとも失敗ではないらしい。

 

 その事実だけで、少しだけ呼吸が楽になる。

 

 やがて両チームが指定位置へ整列し、中央モニターへ本日の試合マップが映し出された。

 

【MAP:NEXUS CITY】

 

 瞬間。

 

 白瀬の空気が、わずかに変わる。

 

「……最悪」

 

「え?」

 

「アメリカの得意マップ」

 

 嫌な予感しかしなかった。

 

 NEXUS CITY。

 

 超高層都市型マップ。

 射線が長く、正面火力が強いチームほど有利になる構造で、個人性能が高いアメリカ代表との相性は最悪に近い。

 

 つまり。

 

 真正面から戦えば終わる。

 

 湊の脳裏へ、黒峰の声が浮かぶ。

 

『真正面からやるな』

『撃ち合った時点で負けだ』

 

 容易に想像できた。

 

大型モニターの表示が切り替わる。

 

【ルール:VIP ESCORT】


 護衛側:DEFENDERディフェンダーJAPAN

 襲撃側:ATTACKERアタッカーUNITED STATES


 

 一瞬、会場の空気がざわついた。

 

 実況席の声が熱を帯びる。

 

『本日の国家交流戦、採用ルールはVIP ESCORT! これは珍しい!』

 

『しかも舞台はNEXUS CITY! 高低差の激しい都市型マップでの護衛戦となります!』

 

 湊は思わずモニターを見上げた。

 

(……VIP escort?)

 

 三週間の訓練で何度も触れたルールだった。

 

 通常の制圧戦とは違う。

 

 拠点を取り合うのではなく、味方VIPを指定地点まで護衛する形式。

 敵VIPを撃破するか、あるいは先に護衛成功したチームが勝利。

 単純な火力勝負ではない。

 

 どこを通すか。

 どこで戦わせるか。

 誰を囮に使うか。

 

 “戦場を作る側”が圧倒的に有利なルールだった。

 

 その瞬間、湊の脳裏へ黒峰の言葉が蘇る。

 

 

『撃てない奴ほど、頭使え』

 

『VIP escortは“道を支配した奴”が勝つ』

 

 少しだけ。

 

 本当に少しだけ、呼吸が楽になる。

 

 真正面の撃ち合いなら終わっていた。

 だが、これは違う。

 

 考える余地がある。

 

 崩す余地がある。

 

「……少しマシかも」

 

 無意識に漏れた声。

 

 隣の白瀬が視線を向ける。

 

「何が?」

 

「これは単純な火力勝負じゃない」

 

 その一言に、白瀬の眉がほんの少しだけ動いた。

 

 すぐに理解したらしい。

 

「確かに」

 

 短く頷く。

 

「護衛戦なら、火力差を誤魔化せる可能性はある」

 

 ただし、と続ける。

 

「相手が普通なら」

 

 視線の先。

 

 アメリカ代表。

 

 中央で腕を組んでいるアレスの姿がある。

 

 まるで試合前だというのに、もう勝利している人間みたいな立ち方だった。

 

「相手はアメリカ」

 

 白瀬の声が静かになる。

 

「正面突破能力だけなら世界一。VIP escortも得意ルール」

 

「……つまり?」

 

「普通にやったら終わる」

 

 即答だった。

 

 そこへ、後ろから別の声が割り込む。

 

「だからって最初から負け顔すんなよ」

 

 振り向く。

 

 そこに立っていたのは、長身の男だった。

 

 黒髪を後ろで軽く流し、どこか気怠そうな雰囲気を纏っている。だが視線だけは異様に鋭い。

 

 東雲蓮司。

 

 日本代表の守備要員。

 防衛戦とカバー能力では国内最高峰と呼ばれる男だった。

 

「試合前に弱音を吐くのは趣味じゃねぇ」

 

 落ち着いた声。

 

 年長者特有の余裕がある。

 

 その後ろから、もう一人。

 

「でも正面勝負は普通に無理でしょ」

 

 軽い調子で言ったのは、細身の青年だった。

 

 片手でタブレットを操作しながら、面倒そうに肩を竦める。

 

 相模悠真。

 

 長距離支援と索敵を得意とするスナイパー。

 口は悪いが、視野の広さは代表随一と言われている。

 

「アレス相手に真正面とか、自殺志願者だよ」

 

 その言葉に、最後の一人が鼻で笑う。

 

「だったらぶっ壊しゃいい」

 

 低い声。

 

 短髪。

 鋭い目。

 

 いかにも気性の荒そうな男。

 

 鷹宮迅。

 

 日本代表の突撃エース。

 撃ち合い能力だけなら世界クラスだが、時に指示を聞かないことでも有名だった。

 

「こっちも突っ込んで暴れりゃいいだろ」

 

「脳筋」

 

 白瀬が即答する。

 

「は?」

 

「だから負けるの」

 

「喧嘩売ってんのか?」

 

「事実」

 

 空気が少し険悪になる。

 

 だが。

 

 そのやり取りを見ながら、湊は少しだけ驚いていた。

 

(……普通なんだ)

 

 もっとピリついていると思っていた。

 

 世界戦。

 国家代表。

 

 もっと怖い空気を想像していた。

 

 けれど彼らは、どこか“チーム”だった。

 

 強くて、尖っていて、それぞれ癖はある。

 でもちゃんと会話がある。

 

 その時。

 

 中央モニターへ作戦端末が表示される。

 

【TACTICAL PLANNING:START】

 

 作戦会議時間。

 残り5分。

 

 空気が変わる。

 

 今度こそ、本当の戦場前だった。

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