訓練とサーバー
天井には無数のケーブルが這い、壁際には起動待機中のサーバーが低い唸りを上げている。
中央には椅子が並び、その上に“ヘッドギア型VR装置”が規則正しく配置されていた。
頭から被るだけの簡易な構造。だが、その内部で展開される世界は現実と区別がつかない。
ここが“戦場”になる場所だという事実だけが、妙に生々しかった。
「ここだ」
黒峰が足を止める。
軽く首を回しながら、部屋全体を見渡した。
どこか懐かしむような顔だった。
「おい、座れ」
即答だった。
反論の余地は最初から存在しない。
湊はゆっくりと椅子に近づく。
金属フレームの座面は冷たく、背もたれは妙に現実的な重さを持っていた。
その上に置かれたヘッドギアを見下ろす。
外装はシンプルだが、内側の配線だけがやけに密集している。
“頭に直接世界を流し込む装置”という事実だけが、じわじわと不安を煽った。
「神谷」
白瀬の声が飛ぶ。
振り向くと、彼女はすでに別のヘッドギアを手にしていた。
表情はいつも通り冷静。
だが、その視線だけはわずかに鋭い。
「私も参加する。もっと強くなりたい。」
「練習に付き合ってくれて、ありがとな」
「別に練習に付き合いでやってるわけじゃない、強くなりたいだけ」
短く切る。
いつもの彼女なら論理だけで終わる言い方だった。
だが今日は、そこにほんのわずかな焦りが混じっている。
それは今日の神谷の試合を見たことや
この状況そのものに対する警戒に近かった。
不器用な言い方しかできないタイプの人間だと、湊は勝手に解釈する。
黒峰が横から笑った。
「いい空気だな。嫌いじゃねぇ」
そしてヘッドギアを片手で持ち上げる。
「安心しろ。最初はちゃんと死ぬ」
「安心できる要素どこですかそれ」
「慣れる」
会話が成立していない。
だが黒峰は構わず、湊の頭にヘッドギアを軽く押し当てた。
「入れ」
今度は命令ではなく、ほぼ確定事項だった。
湊は抵抗するタイミングすら失い、そのまま座る。
ヘッドギアが後頭部へ降りてくる瞬間、視界がわずかに歪む。
世界の輪郭が、一瞬だけほどけた。
「リンク開始」
機械音声。
次の瞬間。
現実が、切り替わる。
視界が白く焼けるようにフラッシュし、
そのまま“別の現実”へ落ちていく。
そこは廃都市だった。
崩れた高層ビル。
割れた道路。
風に砂塵が舞い、遠くで鉄骨が軋んでいる。
空は鉛のように重く、光は薄い。
だが一番の違和感はそこではない。
“音”だった。
遠くの銃声。
壁越しの足音。
どこかで誰かが呼吸を整える気配。
これは演習ではない。
戦場の空気そのものだった。
「ようこそ」
背後から声がする。
振り向くと、そこに黒峰が立っていた。
現実と同じ姿。
だがその存在感だけが異常に重い。
「ここから三週間、お前の脳みそを叩き直す」
黒峰は軽く肩を回す。
「まず確認だ」
視線が湊を射抜く。
「お前、撃ち合い弱いって自覚あるよな」
「はい……」
「じゃあ撃ち合うな」
「無理では?」
「無理じゃねぇ」
即否定。
そして黒峰は指を鳴らした。
空間の奥に赤いマーカーが浮かび上がる。
【ENEMY DETECTED】
湊の背筋が凍る。
「今の――」
「動くな」
声が変わった。
さっきまでの軽さが消えている。
完全に“戦場の声”だった。
「最初に教えるのはこれだ」
一歩。
黒峰が踏み出す。
それだけだった。
だがその瞬間、敵の射線がわずかにズレた。
まるで世界そのものが、ほんの少しだけ“別の配置”に書き換えられたように。
銃声。
そして敵が崩れる。
【ENEMY DOWN】
「……は?」
湊の声が漏れる。
何が起きたのか分からない。
撃っていない。
いや、動きすらほとんど見えなかった。
黒峰は肩をすくめる。
「見えたか?」
「全然分かりませんけど」
「それでいい」
即答だった。
そして振り返る。
「お前は撃ち合いを覚える必要はねぇ」
その目が細くなる。
「戦場を“先に壊す側”になれ」
その言葉に、湊の胸が一瞬だけ跳ねる。
さっき会議室で見た映像。
カムイの動き。
そして、自分がTFでたまに感じていた“先の崩れ方”。
それが一本の線で繋がる。
「お前の武器はエイムじゃねぇ」
黒峰は続けた。
「“嫌な未来が見える頭”だ」
湊は息を呑む。
それは今まで誰にも言語化されなかったものだった。
欠点だと思っていた感覚。
先読みしすぎる癖。
それを、この男は“武器”と言った。
「じゃあ最初の訓練だ」
黒峰が指を上げる。
空間が歪み、複数の赤いマーカーが同時に出現する。
【ENEMY ×5】
湊は思わず一歩下がる。
「多くないですか!?」
「普通だ」
「どこの普通ですかそれ」
「戦場だ」
即答。
そして黒峰は笑った。
「三十秒生き残れ」
「短っ!!」
銃声が鳴った。
同時に、世界が動き出す。
弾丸が空気を裂き、壁が削れ、地面が跳ねる。
湊は反射で転がり込むように遮蔽物へ身を隠した。
呼吸が乱れる。
心臓がうるさい。
(無理だろこれ……!)
その時だった。
「右」
黒峰の声。
体が勝手に動く。
直後、さっきまでいた場所を弾丸が貫いた。
「左」
また動く。
外れる。
その繰り返しの中で、湊は気づく。
これは逃げではない。
盤面が動いている。
黒峰がやった“あの一歩”が、自分の中で形になり始めている。
(見える……)
敵の動きが。
次の射線が。
崩れる順番が。
一瞬だけ、確かに。
黒峰が笑う。
「いいぞ」
「その顔だ」
銃声の中で、湊の中で確実に“何か”が書き換わり始めていた。




