代役と警鐘
ほんの数時間前まで、自分はただの高校生だったはずだ。授業でTFを受け、相変わらず撃ち負けて、クラスメイトから半ば呆れ混じりの視線を向けられる。そんな、良くも悪くも変わり映えのない一日だった。
それが気づけば、日本代表失踪という国家機密を聞かされ、その代役を務めろと言われている。
しかも、“命の危険がある”という一言付きで。
あまりにも話が飛躍しすぎていて、もはや現実感がなかった。
だが、目の前に座る校長や久我の表情を見れば、冗談では済まされないことくらいは嫌でも理解できる。
「まずは現実を受け入れてもらう必要がある」
静まり返った空気の中、久我が淡々と口を開いた。
その声音に感情はほとんど乗っていない。ただ、国家機関の人間特有の、必要な事実だけを並べる冷たさがあった。
「君には三週間で、カムイの代役を務めてもらう。そのために必要なのは、“本人を演じ切ること”だ」
そう言って机へ置かれたのは、常識では考えられないほど分厚い資料だった。
湊は思わず目を疑う。
教科書数冊分どころではない。辞典でも積まれたのかと思うほど厚い。
「……これ、何ですか」
「カムイの戦闘ログだ」
久我は当然のように答えた。
「過去三年分の国家戦、交流戦、模擬演習、思考分析、判断傾向、移動履歴、射線選択データ。全部覚えてもらう」
一瞬、言葉を失う。
そして、理解が追いついた瞬間、湊は本気で顔を引きつらせた。
「いや、量おかしくないですか?」
「普通だ」
「普通じゃないです!」
思わず声が裏返る。
三年分という言葉が、妙に現実味を持って襲いかかってくる。
定期試験ですら直前に焦る人間へ渡していい量ではない。
それなのに久我は平然としていた。
「カムイ本人の戦術癖、立ち回り、視線誘導、試合中の思考傾向まで再現する必要がある。下手に別人と気づかれれば終わりだ」
「終わりって……」
「国家規模で終わる可能性がある」
重い。
さらっと言う内容ではない。
湊が言葉を失っている横で、白瀬はすでに資料を手に取っていた。
ページをめくる視線は真剣そのもので、いつもの授業中とは比べものにならない集中力が見える。
「……本当に全部やるんですか?」
白瀬の問いに、久我は短く頷く。
「当然だ。加えて生活環境も変える」
「生活?」
「今日から政府管理施設へ移動してもらう」
その言葉に、湊の思考が一瞬停止した。
「……今日?」
「命を狙われる可能性があると言っただろう」
正論だった。
正論すぎて反論できない。
だが、それでも急すぎる。
「スマホ管理。外出制限。SNS禁止。学校生活も一部制限する」
次々に告げられる制約へ、湊の表情が徐々に死んでいく。
「高校生活終わった……」
思わず漏れた本音だった。
青春という単語が、頭の中で静かに爆発四散していく。
そんな湊の様子を見ながら、白瀬が小さく息を吐いた。
「正直、状況はかなり危ないと思う。だからこそ護衛も監視も付く。少なくとも無防備のまま放り出されるのは危険。」
言い方はどこまでも現実的だった。
慰めようとしているというより、ただ事実を整理しているだけにも聞こえる。
けれど。
わざわざ口にする必要のないことを、あえて言ったのだ。
おそらく――これが白瀬なりの気遣いなのだろう。
「白瀬さん……?」
「勘違いしないで」
即座に切り捨てられた。
「サポート命令だから。それに、今日の試合見て少し考えが変わっただけ」
そこまで言うと、白瀬は少しだけ視線を逸らした。
「撃ち合いは本当に終わってるけど」
「そこ絶対言うな……」
「でも、盤面を見る力は本物だった」
その一言は、思っていた以上に胸へ響いた。
学年トップ。
実力主義の塊みたいな白瀬凛。
そんな彼女に、TFで何かを認められる日が来るなんて思ってもいなかった。
湊が少しだけ言葉を失っていると、不意に久我が手を軽く叩いた。
「感動しているところ悪いが、ここからが本題だ」
嫌な予感しかしない。
久我がモニターを操作すると、室内の大型画面へ一つの映像が映し出される。
そこにいたのは、一人の男だった。
黒いパーカーを雑に羽織り、椅子へ深く腰掛けながら缶コーヒーを片手にしている。髪は少し伸び気味で、全体的にどこか気怠そうな雰囲気を纏っていた。
正直、世界最強というよりコンビニ帰りの大学生に見える。
だが。
その目だけが違った。
映像越しですら分かる。
異様な鋭さ。
戦場を見慣れた人間の目だった。
「これがカムイだ」
久我の声と共に映像が始まる。
国家戦。
人数不利。
拠点差不利。
普通なら誰が見ても負け試合だった。
だが。
「……え?」
気づけば、湊は思わず声を漏らしていた。
動きが速い――というより、合理的すぎる。
敵が動く前に動いている。
逃げ道を塞ぎ、選択肢を奪い、相手がそうせざるを得ない状況へ盤面を押し込んでいく。
まるで、戦場そのものを操作しているみたいだった。
「本質は撃ち合いじゃない」
久我が静かに言う。
「カムイの本当の強さは“戦場操作”だ」
その言葉に、湊の背筋へ妙な感覚が走った。
どこか、似ている。
今日、自分がやったことと。
「……似てる」
無意識に呟く。
久我が小さく頷いた。
「そうだ。だから君が選ばれた」
そして。
「ただし、決定的に違う部分もある」
モニターが切り替わる。
表示された数字を見た瞬間、湊は思わず顔をしかめた。
【カムイ射撃命中率:98.1%】
【神谷湊射撃命中率:41.3%】
「うわ……」
数字の暴力だった。
差が酷すぎる。
というか普通に恥ずかしい。
白瀬も若干引いていた。
「神谷、よくそれで戦術高入れたわね」
「筆記だけです!」
「納得」
酷い。
でも否定できない。
「だから鍛える」
久我が言った。
「専属コーチを付ける」
その瞬間、湊の中に嫌な予感が走った。
絶対クセが強い人だ。
というか、まともな人が来る気がしない。
そう思った直後だった。
会議室の扉が勢いよく開く。
「おっせぇぞ久我ァ!!」
遠慮の欠片もない声が室内へ響いた。
反射的に全員が振り向く。
そこに立っていたのは、ジャージ姿の男だった。
銀髪。
ぼさぼさ頭。
片手には缶コーヒー。
国家機密施設にいる人間とは到底思えない。
だが。
白瀬の表情が、目に見えて固まった。
「……嘘」
珍しく動揺している。
男は気だるそうに視線を流しながら、にやりと笑った。
「お、白瀬じゃん。久しぶり」
そして。
その視線が、ゆっくりと湊へ向く。
まるで値踏みするみたいな目だった。
「へぇ」
数秒。
沈黙。
そして男は面倒そうに頭を掻きながら言う。
「こいつがカムイの代わり?」
一瞬の観察。
そのあと、平然と言い放つ。
「弱そ」
「初対面!?」
思わず叫ぶ。
しかし男は気にした様子もなく笑った。
「でも目は悪くねぇ」
その笑い方には、どこか獣じみた鋭さがあった。
「俺が鍛える。三週間で、人間にしてやるよ」
嫌な予感が確信へ変わる。
絶対ヤバい人だ。
直感が全力で警鐘を鳴らしている。
そんな湊の横で、久我が静かに告げた。
「紹介しよう」
一瞬の間。
「元日本代表――黒峰蓮だ」
その名前を聞いた瞬間、空気が変わった。
隣で白瀬が、小さく息を呑む。
「……伝説の人」




