少年少女よ、神話になれ
「あれから色々あって……忙しくてみんなで来れなくてごめんね。ウルリーフくん」
そう言って、リンネは彼のために束ねた花たちを彼の墓前に捧げた。
直後に彼を埋葬したときは簡素なものだったが、今は石工にお願いした立派な石碑が立っている。
そこには、色々な文字が彫られていた。
『ハイイロの氏族の若き長』
『みんなのおにいちゃん』
『笑わせ合戦〝63勝・58敗〟の男』
『焼き肉の国の王子』
ここに、眠る。
彼の兄弟姉妹やリンネの要望を全部取り入れて、カオスな石碑になってしまったが、当事者たちは満足げな表情を浮かべている。
「お前たちの戦い、こんなに続いていたのか……」
笑わせ合戦の勝負の数を見て、軽く引きながらクロトは言った。
そう言われて 「ウルリーフくんに、勝ちたかったなぁ……」とリンネはあの頃の楽しい日々を回顧する。
クロトやイオ、それ以外の大人たち――ウルリーフが身をもってシャドウウルフの奇襲から救ってくれた、当時の交渉団のメンバーも、アスラ王すらも、彼の墓前に揃っていた。
この人数で来るのは初めてというだけで、リンネは兄弟姉妹とも、ひとりでもよく彼の墓に花を供えにきていた。
彼の勇姿は、交渉団を救っただけでなく、ハーピーを率いる女王ランカを真ザヤ共和国の同盟国に迎えるという偉大なきっかけにもなっていた。
彼女たちは故郷である南国の島を求めているが、そこには王族が不在のあいだに住み着いてしまった魔族たちがいるらしい。ランカは、彼らとは戦いではなく、交渉をもって島の土地を譲り合うことを望んでいる。その交渉がまとまるまでのあいだ、ベベーネもハーピーたちもザヤに滞在するのだ。
「彼の王は、尊い犠牲などという言葉では済まされません。彼は、まさに英雄です。ひとつの国を起ち上げる重要な立役者であり、私の妹の守護者であり……みんなを守ったおにいちゃん……そして、人を笑わせるのが好きな、優しい男の子で……何より、焼き肉の国の王子で……って? え?」
殊勝な表情で石碑を読み上げていたイオは、最後の一文に引っかかったらしい。
彼女以外にも、その通り名の意味がわからない者ばかりだ。
みんなが頭をひねっていると、リンネは「あ……そういえば」と大事なことを思い出す。
「みんなには言い忘れてたけど、わたし、結婚したんだ。ウルリーフくんと」
そう言って、胸にさげた二重の指輪を見せる。
その発言に、彼女の兄弟姉妹とアスラ王以外が全員「えええええーーー!!?」「何いいいいーーー!?」と驚愕の叫びをあげる。セロニアスに対っては、言葉すら出ないらしい。
「い、いつ!? そんなことになったの!? そんな重要なこと……なんで家族である私に報告しなかったの! というか、一言相談があっても……!」
困惑するイオの言い分に、リンネは「だってー」とわざとらしく頬をふくらませる。
「あのときのねーちゃんたち、そんな相談したらなんて反応した!? それどころじゃないでしょ!! って怒ってたと思うよ。わたしもウルリーフくんも、みんなと距離感じてて、寂しかったんだもん。……でも、真剣に考えたんだよ。きっと、ウルリーフくんも……」
だんだん言いながら寂しい気持ちになってきて、リンネは胸元で重なる赤と緑の石の指輪を見つめる。
彼がこれをくれたとき、嬉しかった。結婚というのはまだよくわからないことが多かったが、少なくとも、彼と〝結婚〟できたことが、素直に嬉しかったのだ。
「…………」
さすがのクロトも弟子の結婚報告に絶句している。
驚きすぎてなんの表情も浮かばない彼に、リンネは、(さすがに師匠には言ってたほうがよかったかな?)と少しだけ気が咎めてきた。
「あの、師匠……怒ってる? 修行の途中なのに、弟子が勝手に結婚なんかして……」
リンネが彼の様子を伺いながら恐る恐る訊ねると、クロトは眉間に指をあて、重いため息をついた。
「……いや、お前たちをあのとき子どもたちだけの世界にしたのは俺にも原因がある。それに……お前たちが、子どもなりに、本気で考えたのなら……大人の俺から何も言うことはない」
「ほんとっ!? じゃあ、結婚お祝いしてくれる?」
「うっ……うぅ……そうですね……ひと足早く大人に近づかれたお嬢様のために、このアンジュ、盛大なお祝いをしたいと思います……。でも、さびしいいい……!」
溺愛していたリンネがすでに人妻で、さらにもう未亡人だと知ったアンジュは、寂しさと哀れさのせめぎ合いで、大号泣しながらエプロンの裾で涙を拭っていた。
「先を越されてしまったな………」
「………そんな感想で終わるお前の思考回路が若干羨ましい」
やっと一言を捻り出したセロニアスに、クロトの反応は冷ややかだ。
「そうですね……ウルリーフくんの功績を称える意味でも、ふたりのためにお祝いをしましょう。子どもたちだけじゃ……お式も挙げられなかったでしょう?」
「ううん、それはもうふたりでやっちゃった」
イオが腰をかがめ、リンネに目を合わせながら優しく言うと、彼女はけろっとした口調で説明した。
ふたりは、物語の中で結婚したこと。その世界の中では、サラダ姫と焼き肉王子として結ばれたから、永遠に幸せになった、ということ。
「だからね……わたしとウルリーフくん、今でも一緒なの。お話の世界では、ずうっとめでたしめでたし、だから……今は、寂しくない」
強がりではなかった。
あのとき彼と自分のために考えた物語を、リンネは気に入っている。ウルリーフもすごく喜んでくれた。あのときふたりのためだけに考えた物語は、お互いの頭の中に永遠に存在する。
たとえこの世にいなくても、彼は物語の中に生きている。リンネの頭の中にある物語の世界で。
そのとき、遠くから獣の咆哮が聞こえた。
すぐに獣の声だとわかったが、不思議と敵意や害意は感じられない。
それはすぐにオオカミの咆哮だとわかった。
誰もが一斉に主を探そうとしたが、声の出どころはわからない。
すると、リンネの義理の妹のウルラが「あ、あそこ!」と墓地を見下ろすように高い丘の上を指さした。
「うそ―――」
そこには、灰色の巨大なオオカミが立っていた。
神話の生物のように幻想的で、獣の王とも呼べそうな、威風を称えた佇まい。
その灰色の頭には、額に白い十字が浮かんでいて――リンネがそれに気づくと、彼はまたふさふさの胸を反らし、ふたたび咆哮した。
リンネは、思い出した。
『おねえちゃん、いいこと教えてあげる。おれたちオオカミは、言葉じゃなくて遠吠えでお話を伝えるんだ』
リンネの青い瞳に、雨の雫ような透明な涙が溜まっていく。
その遠吠えは、たしかに聞こえた。彼からの、リンネのためだけに贈られた物語。
――焼き肉の王子は、サラダの姫と、ずっと幸せに暮らしたよ。めでたし、めでたし。
「うおぉおおーーーんっっっ」
リンネは、気づけば吠え返していた。
彼ならば聞こえるだろう。
その声に託した、彼のためだけに贈ったメッセージを。
――サラダの姫は、焼き肉の王子が、ずうっとずうっと、大好きだよ!
「――うおぉおおーーーんっっっ!!!!」
「ウォォォーーーーーン」
「ウォォォオーーーーーンッッ」
リンネとその巨大なオオカミの遠吠えのセッションに、兄弟姉妹も加わり出した。
きっと、彼は幼い家族たちにも言っている。
ずっとずっと大好きだよ。
ずっとずっと見守ってるよ。
彼なら、そう言うに決まっている。
遠吠えに夢中になっていると、もうひとつ、ふたつ、誰かの咆哮が重なった。
大人のオオカミ――男と女のものだ。
その声を聞いた瞬間、幼い子どもたちは色めき立つ。
墓の前まで息せき切って走ってやってくるのは——彼らの両親だったからだ。
「パパだ!! ママも!!」
「お前たち!!」
「よかった……!! この国にいるって信じてた!!」
叫ぶのをやめ、子どもたちは死んだと思われていた両親に飛びついた。
ウルフェンリラもウルフリックも、格好は粗末になっているが、元気そうだ。
「おじさん、おばさん、無事だったの……!?」
「ああ……真ザヤ共和国が発足して、非人間族を奴隷にしたままでいいのか、元連合の国々で協議が始まって……それで、私たちを捕らえた人間は、われら夫婦を解放してくれたのだ」
「みんななら、絶対にこの国にいるって信じて、走ってきたの……!!」
両目に涙を溜め、子どもたちを抱擁しながら、夫婦は経緯を話す。
そして、彼らは墓に気づいてしまった。愛しい長男がこの場にいないことも。
リンネは、勇気を出して、説明した。
彼はその後も兄弟姉妹、自分を慕う民たちを守り抜き、最後は自分も守ってくれたこと。
そして、彼と結婚したこと。
オオカミの父母は、やっと会えたと思った子どもたちが欠けてしまっていたことを嘆き、悲しみ、ほかの子どもたちを抱きながら涙を流した。
遠吠えはもう聞こえなくなっていた。
誰もが家族の再会と悲しむ姿を見守る中、リンネは丘を見上げた。
心なしか、さっきよりも輪郭の薄くなったオオカミが、踵を返し、どこかへ行こうとしている。
横目に家族の再会をたしかめて、彼は満足したように、消えていこうとしているのだ。
リンネはふたつの指輪を拳に握り、余った片手で手を振った。
そこに、真王アスラも加わった。
「そなたは、すでに新しい世界の語り部だ。かの王もまた、新しい世界の物語の中で、永遠に生きることだろう」
うん、と鼻をすすりながらリンネは頷いた。
やがて灰色の幻影は消えてなくなり、霞のように大気に霧散していった。
そこに、「リンネちゃん」と豊かな毛並みに包まれた片手が降ってくる。
「あなたは、うちの息子と結婚したんでしょう? だったら……あなたももう〝うちの娘〟だわ」
「ああ、わが娘、リンネよ。われわれはもう家族だ」
彼らの顔は、もう悲嘆にまみれていなかった。
ウルフェンリラは、〝新しい家族〟——リンネを見つめて、もふもふの両手で彼女の頬を包む。
そして、彼女はリンネをその胸に抱いた。
ウルフリックも、大きなてのひらで頭をなでてくれた。
「はは、は……すごい、こんなことって、あるんだね。ハッピーエンドの、その先って………」
リンネはやや実感の追いつかないあやふやな心境で、だが、たしかにその顔に喜びがせり上がってくる。
だって——自分の〝ママ〟と〝パパ〟は、彼と同じぐらい、もふもふだったからだ!
「ふたりは結婚して幸せになったのに、さらに——お姫様には、〝ママ〟と〝パパ〟ができちゃうんだ! こんなの、わたしでも考えつかない! 最高の——ハッピーエンドだよっ!!」
リンネは温かい涙に濡れながら、初めてできた父母に交互に抱擁を受けた。
周りに兄弟姉妹たちも集まって、リンネをハグする行為に加わった。
そのあまりに嬉しそうな彼女の光景を見て、堪らなくなったのか、イオも抱擁に加わる。ミトも、デーナも、ほかの騎士になったエルフの家族たちも。次々とリンネを抱きしめていった。
「すっごい――わたし、大家族になっちゃった!!」
その光景をひとり見守りながら——クロトは自分の中にかつてあった、小さな物語を思い出した。
――深い森の奥で、魔法の使えない少年が迷っている。足は疲れて、頭は恐怖でいっぱい。木陰の暗さも、梢の揺れる不気味な音も、すべてが怖い。
だが、その先を耳の尖った少女が進んでいた。
――だいじょうぶだよ。このまま進めば、きっと森から出られるから。
暗い森の中でもかがやく金髪の少女は、夜闇をぱあっと蹴散らすような明るい笑顔を向けて、片手を差し伸べてきた。
この世界は、怖くないよ!
そして、少年はその手を握って、彼女の温かさに驚きながら、不安に負けて流した涙を、ぐっと拳で拭った。
ごめんね、おねえちゃん。ぼくが魔法の使えない、やくたたずだから……。
そんなの、わたしだって同じ! 魔法が使えないってことは、役立たずって意味じゃないよ! あ、でも、もし、きみが魔法使いになったら――わたしを弟子にしてよっ! 立派な魔法使いになって——世界を救うぐらいの大魔法使いになって、わたしを迎えに来てね。
……うん。ぼく、約束するよ。それで、いつか、おねえちゃんを迎えに行くからね。ぼくがすごい魔法使いになるまで……待っててね……。
うん! いつまでも待ってるよ! だってわたし、エルフだから! 長生きだから!
――そして、今や少女は神の力に手を伸ばした。
その体内に一切の魔力という不純物を持たないことで、今や外界の力になってしまった神の存在を受け入れる器の役目を果たせる。
自分に、彼女の夢を叶えてやれることは——ないだろう。
クロトは、深い嘆きと、無力感に苛まれたが——自分が彼女をここまで連れてこられたことに、唯一の誇りと、慰めを見出した。
彼女を奴隷から解放し、一緒に旅をして、ここまで来られた。
それで、もう十分じゃないか。
(俺の役目は……終わった)
そう、自分の運命を理解した。
(古い物語ほど、役立たずなものはない――なあ、そうだろう。〝リンネ〟)
クロトは、新しい世界の語り部となった少女の笑顔に、目を細めた。
その笑顔は眩しくて、あのときかそれ以上に輝いている。
それだけに救われて、今までやってこられた。
彼女の物語に脇役として登場できただけでも、もう、十分なのだ。
そして彼の中にある物語は、誰にも語られることはない。
もう、二度と。
誰にも。
ここまでお読みくださって本当にありがとうございます。
続きも構想はあるのですが、タイトル回収を機にいったん一区切りとさせてください。
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