物語の表と裏
「――レイアーデいちの劇場のトップ女優がシェイプシフターを告白してね。あそこは今でも帝国傘下だから、すぐザヤに亡命したらしいわ。おかげで、ザヤの芝居文化も花開きそうよ。なんたって、なんにでもなれて、演技力も神がかりの女優が劇団に入ったんのですもの。彼女目当てにザヤに観光に行く人も後を絶たないというし――なにより、ザヤではあちこちで歌や物語を語る子どもがいて、観光客にそれを聞かせる商売を始めたって。ザヤは新たな芸術の発信地になりそうね」
「そうですか」
「あと、秘められた国では古代の植物が復活して、研究者たちが涎たらしてるそうよ。そっちの観光料もたんまりとれてるらしいわ。おかげで、庭師の仕事も激増して、日に日に増えるザヤの人々が失職する心配もなさそうって話」
「そうですか。いいことですね」
彼女のために集めた情報を披露していたエリザベスだったが、あまりに反応が薄いのでだんだん不満を感じてくる。
「ほんと、情報のために日ごろアタシがあくせく働いているっていうのに、アナタは涼しい顔なものねぇ。ていうか、冷えるのよ、この部屋が」
石造りの神殿の一室に、エリザベスはいた。
彼女の対面には、あいかわらず窓の外の光景を眺めている〝聖女〟アリアンナがいた。
彼女は感情の薄い横顔でエリザベスの話を聞き流すばかりで、彼女の仕事をねぎらうそぶりも見せない。
「さぞ……盛り上がってるんでしょうねぇ。あーあ、アタシも自分の仕事なんかなかったら、飛んで見に行ってるところなのに。さぞ、快楽に溢れた、幸せな国になっていくんでしょうねぇ。これからも」
ふ、とアリアンナが微笑した。
それは淡い冷笑だった。
「〝偽りの物語〟のうえに〝上書き〟されたにすぎない、仮初めの幸せがですか? そんなものに、私はなんの魅力も感じませんが……」
その微笑に、魔族であるエリザベスも本能的な緊張を感じた。
あまりに虚ろすぎて、冷たい風の吹き抜ける彼女の微笑は、今やすべての人々を救済しようとするザヤという理想の楽園をもろとも否定していた。
エリザベスは戦慄を堪えながら、「じゃあ、訊くけど……」と問い返す。
「アナタにとって、本当の物語って?」
「そんなもの、決まっているでしょう」
アリアンナは窓からエリザベスに視線を移した。
何の感情も映さないきれいな宝石のような瞳が、夢魔を射抜いた。
「〝勇者が魔王に勝利し、世界が平和に満ちる――そして、勇者は永遠の伝説となる〟。これこそが、原典にして聖典。人々は、それを忘れかけている。思い出させなければなりません」
次第にその瞳が狂気に曇っていていくのがエリザベスにはわかった。
「ウィルは――帝国が叫んだような、戦争犯罪者などではない。彼は〝本物の勇者〟なのです。本物には、本物の物語が用意されて然るべきでしょう? 人々は真の物語を前に、目を見開くべきなのです。真の勇者の栄光と、伝説を……」
「でも、ウィルくんは、人工魔族スパイの計画と、彼らの人権を否定してテロに走らせた帝国の悪行を告発した、今や英雄よ? 今まで彼をテロの元凶として責めていた人たちの中にも、彼の本当の為したかった行為に改心する人々が出てきているそうよ。彼の冤罪が晴れて、これ以上何が不満……」
「今でも彼を戦争の加担者と蔑む人もいます。魔王さえ倒さなければ、新たな戦いを呼ぶこともなかった……シュラバトの辿ったような悲劇を、生むこともなかったと。つまり、彼が〝何もしなければよかった〟と思っている人間が、まだ大半なのですよ。人々の改心など、ほんの些末な事象にすぎない……」
そこまで聞いて、エリザベスは「はぁ~あ」とため息をついた。
彼女の真の願いの途方もなさに、呆れているのだ。
「しっかし、ウィルくんの告発も国家転覆レベルのサプライズだけど、チェンジリングの件は魔王軍側にいたアタシですら度肝を抜かれたわ。そして、そんなところに〝吟遊詩神〟の力まで……情報量多すぎて、アタシくらくらしちゃう」
「チェンジリングの件は、あなたは把握していなかったのですか?」
聖女の問いに、エリザベスは口元に苦々しいものを浮かべた。
「それがねぇ~、情報工作担当のアタシですら知らなかったのよ。あと、魔王様の当時のお人柄的にもそんなことをするとは思えないし……これ、魔王軍部の闇ね。まあ、やらかした張本人にはアタシにも〝心当たり〟あるけど……それより物語の神? の登場のほうだわ。まさかアスラ王と魔王様が同一人物で、人格統合されて復活しちゃうなんて。リンネちゃんの潜在能力すごすぎない?」
「その点は私もさすがに想定外でした。まさか神の力の介在が発生するとは……。でも、これは過去にもあったことなので、そう不思議ではありません。今のアスラ王には戦う意思がない。ただ、魔境側がこれを知れば……どうなってしまうのでしょうね? ふふ……」
また彼女は底冷えのする冷笑をした。
同一人物ではないとはいえ、魔王の人格を有した存在が登場した。
この事実を、元魔王軍の残党たちはどう受け止めるのか。群雄割拠の時代を迎えた魔境において、この重要な駒の出現が、どう作用するのか、エリザベスにもまったく読めない。
聖女アリアンナの計画は壮大すぎて、彼女自身こんな大イレギュラー発生もものともしない。もはや正気の沙汰ではない。彼女はとっくに、自身の正常な感覚を捨ててこの計画に身を投じたのだ。
――そこに自分もカードをベットした行為に、多少なりとも後悔はするけれども、そこには、エリザベス自身の真の幸福が懸かっているのだ。
(まあ、危ない橋だってのはわかってるし……それに、アタシだって、幸せになりたいのよ。アタシ? というより……〝あの子〟の、真の欲望を解放してあげることが、アタシの幸せ……)
石造りの天井を突き抜け、高い空をイメージしながらエリザベスは視線をあげた。
大多数の幸福よりも、たったひとりの男のために命を賭ける――そんな、目の前にいる人間の女みたいな機微が、魔族にして夢魔である自分の中にもあることに、彼女は不思議な感慨を覚えた。
だが、彼女は夢見るのを堪えきれない。〝彼〟があの欲望を成就させたとき――男の中を、どんな昂揚感が満たすのか、どれほどの生の実感を得るのか、——そこに〝リビドー〟さえ感じてしまうのかしら? エリザベスは、魅惑的な疑問が尽きない。
「どうせ、魔境は戦争が泥沼化していて、すぐひとつにはまとまりません。だから、私は大陸側を二分することに賭けました。……〝次の魔王〟が生まれるまで、あと一押しです。頑張りましょう、エリザベスさん」
「頑張りましょうって言われても、私は最後の目的がちょっと違うんだけどねぇ~……ま、それも込みの同盟関係なんだから、仕方ないわね」
「ええ」
「アタシたち――『自分の男のがイケてる♡』ってやりたいだけの、どうしようもない女たちだもんねぇ、アリアちゃん?」
「ふふふふ……」
そこで初めて、アリアンナは本当に笑ったようだった。
そのとき、石造りの牢を見張っていた番人の意識が戻る。高位の神官が従者を伴って、アリアンナを迎えに来たのだ。
「〝聖女〟アリアンナ――出廷なさい。聖地を個人の意思でエルフに差し出した、あなたの罪が問われる刻です」
「はい、御心のままに」
手枷を嵌められたアリアンナは、粛々とその両手を差し出して、神官に連行されてゆく。
その寸前にエリザベスは影に溶けて消えていた。番人はエリザベスが精神操作していたので、女たちの会話は誰にも聞かれていない。
そして、教会による〝聖女〟アリアンナの罪を問う裁判が始まった。
聖地であるザヤをエルフの王女に明け渡し、あまつ、ひとつの国として独立を宣言させたこと。また、それを教会でも教皇にも引けを取らない特権階級である〝聖女〟という身内が手引きしたことは、ユニティア教の教会において、もっとも屈辱的な事件だった。
だが、彼女の今まで為した功績もあまりに大きい。
高位の回復魔術で魔王戦争の被害者を治癒して回り、各地を旅したこと。たくさんのけが人を救い、信徒を増やしたことは、表立って自慢できることではないが——教会へのお布施もまた莫大な金額になった。彼女は今まで教会の名誉を向上させ、教会という組織に多大な貢献を働いた。
その功績を加味して、アリアンナは〝聖女〟の位をはく奪され、教会を去って還俗させられることが決まった。聖地ひとつを明け渡してしまった罪としては、穏当なところだったが——世俗に戻った彼女を、教会は二度と信徒と認めることはない。彼女が飢えて救済を求めても、教会は扉すら開かないだろう。
その評決を聞き入れ、教会の法廷を去るとき――聖女ではなくなったアリアンナは笑っていた。
少女のように、きれいな、朗らかな声で。
法廷にいた者は誰もその意図が誰もわからず、ただただ響き渡る彼女の笑い声の純真さに、肝を冷やしたという。
――その後、元聖女を慕った信徒は大量に教会を抜ける事態が発生した。
大陸各地の神官も元聖女アリアンナを支持し、教会の定めた教義を放棄することを宣言すると、次々に神殿を占拠して、元信徒たちを招き入れた。
そして、聖女と呼ばれた女は教会と同じく女神ユニティアを信仰しながら、異なる教義を掲げる〝エリュシオン教団〟を設立した。教会を抜けた信徒たちはこぞって教団に加わり、彼女が聖女として積み重ねてきた善行は、彼女を追放した教会にではなく、元・聖女アリアンナ自身に還元されることとなった。
彼女は各地を彷徨し、救いを求める人たちを集めて、自身の教団に面倒を見させる活動を始めた。
真ザヤ共和国とはまったく違うアプローチで救世を行う彼女の、本当の意図を知る者は、エリザベスと、わずかな彼女の腹心たちを残して、ほかにいない。




