旅立つ者と、集う者たち
真ザヤ共和国はまず、元・秘められた国の復興から始まった。
石工や土木作業で奴隷をやっていた人々は職人となり、壊れた市街を元の原形を残しながら現代の技術で再現していった。資源の問題は、すぐ解決された。
チェンジリングで取り換えられた人工魔族をザヤに入国させたい代わりに、援助を惜しまない国々があった。人工魔族の存在が発覚し、大陸は不審と疑惑のるつぼと化していたが、チェンジリングされた彼らもまた、人間だけの国に窮屈さを覚え、みずからザヤに行くことを望む者も多かった。元連合に属していた国々は、半ばザヤに尻ぬぐいさせるような形になったのをごまかすように資源の提供を潤沢に行った。
それによって、ザヤの首都の復旧は順調に進んでいった。
かつて王城であったものは共和国の議員たちの役所となり、イオ女王を議長とした議会のために選出されたのは、種族の長ではなく、みずからの意思で立候補し、人々の後押しを受けた者たちだった。
「復興は順調です……より排他的な方向へと進む帝国には、まだわれらの同族が奴隷として酷使されていると聞きます。彼らを解放するには、どうしたらいいか……」
連合に属していた国々は、人工魔族の件もあり、人と非人間族の境界線が揺らいだことで、彼らを奴隷として使役するのを辞める選択をとることもあった。だが、帝国はより強固に、より保守的に、純粋な人間だけに人権を認めると言ってはばからない。
彼ら嵌められた足かせが重すぎて、逃げ出せない奴隷も多いだろう。
それが何よりのイオの懸念事項だった。
「奴隷を持たないと成立しない国は、脆弱な国だ。何か小さな綻びのひとつが、破滅を呼ぶ。かつての、わたしの故郷がそうだったように……」
アスラ王は、イオとともに建設の進む首都の視察をしていた。
権力からは遠ざかるといった彼だが、アスラ王はよくイオ女王の話し相手になっていた。
「案ずるな、イオ。お前たちの存在自体があるだけで、この世界は確実に良い方向に向かっている。わたしにはそれがわかる」
「アスラ王……」
真王アスラ、という名の物語の登場人物は、その呼び名にはかなげな笑みを浮かべると、
「私は本物の王ではないが……ともに悩み、ともに考え、ときに助言を与えるのは、物語の登場人物の役目だろう? 遠慮なく、頼ってくれ。わたしの魂は、この国とともある」
かつて王様であった人からの言葉に、イオは感謝で胸を満たすと、彼に向かって一礼した。
「あなたはすばらしい物語です、アスラ王」
そう言われたアスラ王は、自分の失敗を幾多も思い出したのか、いささか複雑そうな苦笑を浮かべながらも、イオに向かって、
「ありがとう」
と、素直な言葉を返した。
勇者ウィルは、ザヤにほとんど滞在しなかった。建国のその日の祭りの次の日、彼はひとり旅立った。
この世界には、まだ迫害を受けている人々がいる。そんな人をザヤまで導くのが、自分の新たな使命だと彼は語っていた。
真実を暴露した彼を、帝国は許さないだろう。
きっと、過酷な旅路になる。
だが、彼は、からっと笑って、「じゃ、いってきます!」と見送る人々に手を振った。
「大騒ぎして大陸を転覆させた男の挨拶にしては、あっさりだな」
「クロトの前だと、何を言っても言い訳だって怒られるだろ? それに俺には、これぐらい身軽なのがちょうどいい――」
彼は勇者の剣と、簡単な旅装だけで大陸じゅうを回るつもりだ。
だが、彼の勇者の力は本物だ。それを誰より知るクロトは、あまり心配はしていなった。
「勇者様、気をつけて行ってきてね。で、帰ってきたら師匠との昔の話、してね!」
リンネは旅立つ勇者に、ありったけのエールと、期待を送った。
ウィルは微笑むと、リンネの頭を優しくなでて、
「きみこそ、クロトをよろしく」
と言って、リンネをぽかーんとさせた。
クロトは大きく咳払いして、さっさと行けと言わんばかりに杖でウィルの身体を押す。
「えー! 俺余計なこと言ったかなぁ!? 俺、お前との約束守るって――」
クロトの杖が、何度かウィルの頭に落ちた。
「いってぇ!! ……でも、懐かしい痛み……へへ」
「お前はマゾか! 気色悪いこと言ってないでさっさと行ってこい!! もう余計なことも言うな!!」
クロトに犬でも追い払われるようにあしらわれたウィルは、やるせなさそうに肩を落としながらも、視線を前に据えて、明るい表情を浮かべ直した。
「――それじゃ、みんな、行ってきます!」
「ククク……それでいい、勇者よ。神々の思惑を超え、貴様自身の意思が新たな世界の扉を開くのだ。それでこそ、私の望んだ新世界が——」
「もう、元室長……さすがにその真の黒幕ムーヴやめましょうよ。サムいですよ、もう」
元助手のエイプリルに諭され、アリスターは片眼鏡を外して、勇者との別れを惜しんで大泣きを始めた。
みんなに慰め、励まされている彼の姿を見て、ウィルはにっこりと微笑むと、小さな荷物だけを抱えて、ザヤを出た。
リンネはせいいっぱい手を振って、彼の背中を見送った。
「いつか――勇者様の本当の物語も、できるといいね!」
判で押されたようなありきたりな物語ではなく、彼だけが体験した、物語。
その中にはもちろん、彼女の師匠だっている。
それが叶う瞬間を夢見て、リンネは笑った。
「ああ——あいつが実は救いようのないバカだってことも、記しておかなきゃな」
親友と別れた直後とは思えないほど、クロトは冷淡だった。
でも、リンネはわかっている。これが、彼なりの、彼への愛情の示し方なのだ。
師匠が子どもだった頃の面差しを見た気がして、リンネはますます嬉しくなる。
いつか、彼の口からも聞きたい。
クロトだけの冒険譚を。
それを願いながら——リンネは空を見上げ、思った。
この空は、少年たちだった彼らの歩むさまを見ていただろうか。
それを少し羨ましい、と思って、リンネは空に手をかざした。
指の隙間に透ける陽光のきらめきの中に、彼らの思い出のかけらが、詰まっているような気がしたから。
毎日、入国者は絶えなかった。
リンネは街の入り口に立って、手製の旗を振って「おかえりなさーい! ここがみんなの国だよー!」と、非人間族たちや、まるで見た目は人間にしか見えないけれど、おそらく奴隷だったろう者たちに声をかけた。
イオは、ここに彼らに、おかえり、と言ってやれる場所にしたいと言っていた。
やってきた彼らは、初めて非人間族たちだけで起ち上げたザヤという国に困惑しつつも、迫害を受けずに済む、という事実を、その言葉で実感したようだった。
「あ!」
後ろにホメロス率いる楽団が演奏し、入国者を歓迎していたところ、リンネは高い塀の上にいた。
そのおかげでいちはやく彼女たちの姿を見つけられたのだ。
「スピネルさん! ムギちゃん!」
「おお! あんたたちか……! どうやら大したことを成し遂げたようじゃないか!」
「久しぶりだな~! 嬢ちゃん!」
ぴょんぴょん跳ねて喜びを表現しながら、ムギことカーバンクルはリンネを見つけて嬉しそうにする。
スピネルは自慢の青い鱗の巨体でずんずんとリンネのいる塀まで近づくと、むんず、と彼女の身体を抱き上げえて、空に高く掲げてしまう。
「宿にも連合のガサ入れが入っちまったときはどうなるかと思ったが……! まさか非人間族たちだけの国ができちまうなんてね! あんたら大したもんだ!」
「宿のおっさんは、兵士を振り切って俺たちを逃がしてくれたんだ。まったく、頭が上がらねぇぜ……おっさんにもちゃんと礼を言いてえけどなあ」
彼らは口々に身の上にあった話をする。イオが帝国に最初に書状を送ったことで、彼らを刺激したかたちになった。その憂き目にあったのは、彼らのような者たちだったらしい。
だが、やっと彼らも安住の地を得られる。
山で盗賊退治などをやっていたというから、良い警備兵になるだろう。
すると、スピネルに高く掲げられたリンネの姿を見て、声をあげる者がいた。
「あ、あんた……あのときの嬢ちゃん!?」
そう声を発して驚くのは、一見目深にフードを被った黒い髪の美女だった。
リンネの姿を見るなり、フードを脱ぎ去る。その顔は銀色の鱗に彩られ、人間と爬虫類の美しさを両方兼ね備えていた。
「って、ことは……ここにランカやベベーネたちも……?」
「あ、バルボラさんだよね! 覚えてるよー! ランカねーちゃんたちは一時滞在だけど、街に行けば会えるよ!」
「いや……会いたいとか、そんなじゃ、ないんだけどね……」
彼女は戸惑ったように銀色の尻尾を揺らす。
そのさまを見て、リンネを静かに下ろしたスピネルは、バルボラに近づくと、
「あんた……きれいな鱗してるね」
と、大きな肩をかがめて、バルボラの顔を覗き込んだ。
陽光を跳ね返して、きらきらとかがやく鱗を、そっとスピネルの竜爪がなでる。
その言葉と行為に、バルボラの表情もふっと柔らかくなる。
「そっちこそ……良い鱗だし、良い尻尾してるじゃないの?」
「良い鱗持った女には目がないんでね……」
「ふふ……」
バルボラとスピネルは見つめ合ったまま、微笑み、互いの尻尾を楽しそうに揺らす。
わお、なんだか良い感じ、だとリンネは嬉しくなった。
「バルボラさんたちは、その後どうしたの?」
「ああ……あたしたちは、その後商売替えしてね。劇団を作ったんだ。人間には、勇者とか英雄譚とかが人気だけど、あたしたち非人間族が受けてきた歴史や、偉大な人物のことを物語にしたりしたかったんだけど……拾ってくれたのは、見世物小屋の場末の劇場でさ。あたしたちがもらうのは、いつも勇者に倒される魔物の役だった。やってられん、って思ったときに、ザヤ建国のニュースが来てさ。商売のチャンスだと思ったんだ」
それを聞いて、リンネは飛び上がって喜んだ。ムギに影響されたのかもしれない、
「それなら! 良い考えがあるんだ! バルボラさんたちが手伝ってくれたら、素敵な劇場が作れるよ!!」
リンネが発案したのは、勇者シロルの冒険譚だった。最後は仲間を失い、故郷を焼いて独りになるという悲しい事実だが、リンネは、それを意図して書き換えた。
暴れている魔神を倒した奴隷の王子シロルは、魔神の隠し持っていた財宝を持って、国の奴隷たちをみんな解放して、新しい国の王となる。そして、彼は勇者のまま、王になって、幸せに暮らすのだ——。
リンネはアスラ王にこいねがって、脚本の制作を許可してもらった。
彼自身の本当の歴史は悲しすぎて、そのまま芝居にすると残酷すぎる。
だが、これはあくまで物語、という前提を加えて、リンネは勇者シロルの物語を書いた。
バルボラたち役者は、やられ役や、魔物役しか経験がなかったものだから、この物語の上演を相当喜んだ。みんな、自分にあてがわれた役を一生懸命理解し、感情移入し、演じた。
非人間族しか出演しない劇の物珍しさからやってきた人々も、最後は笑顔と拍手で迎えた。
その公演は評判を呼び、ザヤという国を代表する名作となった、
アスラ王は、その公演の座席にこっそり座って、皆と一緒にときに笑い、ときに涙を誘われ、最後は一緒に拍手を行った。
最後のシーンで、勇者シロルがプリュに抱きついて、プリュが虹色の羽根で彼を包むとき、彼は静かに、微かな涙を流していたが、その頬にはたしかに微笑みがあったことを、舞台袖から見ていたリンネは見ていた。
物語が、物語を夢見る。
叶わなかった可能性に焦がれ、その衝動がべつの物語を生む。
ああ、こうやって世界は回っているんだ、とリンネは特に特別なことでもないように思った。
世界と物語の境目は、こうしてあいまいだ。
現実で叶わなかった夢が、物語で花開く。
だから、わたしはお話って好きなんだよね、と思って、リンネもカーテンコールに惜しみない拍手を投げかけた。




