デウス・エクス・マキナ
「……って、ただ話すだけなのもつまらないですね。音楽でも奏でましょう」
自分で作った緊迫した空気を断ち切るようにそう言って、ホメロスは背にした楽器を手にした。
リュートだった。この場にいる全員が知っている楽器だ。
ホメロスは小さな鉤爪で器用に弦を掻き鳴らした。
「その昔――むかしむかしのことです。世界には歌と音楽と物語で溢れていました。
いえ、比喩ではないのです。現実と、物語の境目がなかった――川のせせらぎ、潮の満ち引き、枯れる花に芽吹く若木、空を飛ぶ小鳥に、生まれたばかりの仔鹿たち。彼らは、すべて、歌であり、音楽であり、物語でした」
リュートの奏でる穏やかな調べが、ホメロスの語りと重なる。
「世界はそのまんまでもよかったのですけど――神々は、〝それ〟にやがて飽きてしまいましてねえ。自分たちをもっと楽しませるものを求めました。そうして、私は生まれたのですけどね。
そこから、色んな芸術が生まれました。数えきれないほどの作品を差し出し、神々を喜ばせるのが私の仕事でした。——ですが、ひとりの弟子をとったことで、話は変わってしまいます」
じゃん、と弦をひときわ掻き鳴らして、ホメロスは黙り込む。
神を称する彼が黙り込むと、誰もが皆、口をひらくことさえできなかった。
誰も、この地上にいる神など目にしたこともないのだ。
それも、吟遊詩神というまったく無名の——しかしリンネに特別な力を授けただろう異能の存在を前にして、魔術師のクロトさえ口を挟むことをはばかられた。
「その弟子が作った物語は——〝魔王と勇者〟の物語。人々をおびやかす〝魔王〟を、勇気と愛を持った英雄――〝勇者〟が打ち倒す。そして、世界は平和になる。——これが、神々だけでなく、人々のあいだでまで、〝ウケ〟ちゃったんです。私の書いた詩も、物語も、全部、古びて、誰も振り返らなくなっちゃったんで、私の権能はほとんど弟子に奪われてしまいました。とほほ」
ホメロスの語り口はあくまで平然としていたが——ついにそこでクロトが口をひらいた。
「最初は、ただの物語でしかなかった……?」
「さあて、どうなのでしょう。そこは私もわからないのです。ただ弟子の持ってきた物語は、神も人もとりこにしてしまい……神々は本当に、その物語を演じさせるために勇者を生み出し、魔王と呼ばれる魔物を生み出しました。そのたびに、世界は破滅の危機に瀕し……そして、勇者の勝利によって世界は救われる。この、繰り返しが起きました」
その言葉に、全員が唖然となった。
物語を、現実にまで持ってきた?
その名残が——今でも残っているというのか?
「〝勇者と魔王〟の物語はねえ――いいんですよ、わかりやすくて。子どもも大人も楽しめるし。勧善懲悪を見事に体現しています。だから、神も人も夢中になった。英雄が悪しきを倒し、世界を平和に導くというカタルシスに呑まれ、神々の意思は何度もこの世界を瀕死に追い込み、そして掬い上げ、人々を満足させるというサイクルが生まれてしまったのですよ。——これが、神々の時代にあったこと」
「それに異を唱えたのが、女神ユニティアか……」
口をひらいたのは、アスラ王だった。
彼は〝魔王〟の座をあてがわれたひとりである。
この真実に、誰よりも深い失意に浸っていてもおかしくはない。
「ええ、女神ユニティアは、神々の遊びを否定しました。あたら人々の運命を操り、自分たちの楽しみのために世界を破滅させたり、救ったりという残酷な神々の遊戯をね――そこで、戦争が始まりました。結果はご存じの通り、女神ユニティアの勝利です。彼女は神々が有していた勇者と魔王の物語を、すべて焼き払いました。もう、人間が、世界が、二度と物語に翻弄されることのないように――」
曲が転調する。悲しげな、物寂しいムードに。
「しかし――人々の心の底に、物語は焼きついていました。人々も、魅入られていたのですよ。
〝勇者と魔王の物語〟にね。その魂に入り込んだ物語を、女神ユニティアですらこの世界から消すことは叶わなかった」
「そんな……やばいことした弟子って、誰!? なんていう神様!?」
リンネは勢い込んで彼に問う。
そこで彼は困ったように鉤爪で頭の羽根を掻く。
「それがねぇ……あいつのいやらしいところはそこなんです。やつは、〝詠み人知らず〟になることを選んだ。自分の名前より、物語の方が生き残ることを選んだんだんです。やつは、私の頭からも自分の名前を消しました。これにより、わたしは弟子の不始末をとることすらできなくなってしまいました」
「詩人としては高邁だが……世界にとっては大迷惑だな」
クロトは苦々しげにつぶやく。
「まことにすみません、師匠として……」とホメロスは頭を下げる。
「物語に呑まれたこの世界は、無意識に、常に〝勇者と魔王の物語〟を求めてきました――。
しかし、ご存じの通り、勇者が魔王を倒せば一件落着。という、単純な勧善懲悪を描くには、この世界は複雑化、多様化しすぎた。もう神々の時代にあったような、シンプルな物語と、この世界は不適合を起こし始めているんです――これは、もう皆さんも実感していらっしゃるでしょうう」
皆は苦い顔でうなずいた。
魔王を倒して戦争が激化したのも——勇者ウィルがその代償を支払わされたのも、すべてつながっている。
「だから――私は最後にできることをしようとしたのです。それは、この地上に新しい弟子をとることでした」
リンネは、あ、と声に出したまま固まった。
それをホメロスは優しい表情で振り返ると、すぐにその顔は、どこか辛そうなものに変わった。
「あなたには、酷な運命を背負わせてしまいました。私は、待ちつづけたのです。
この世の力――マナの影響を一切持たず、その身に魔力を宿さない——神の力の器になれるほどの存在が生まれるまで、何千、何万年と……」
その言葉の意味を、リンネはすぐに理解できなかった。
私が、神の力を? 魔力を一切持たないことで、器になれた?
まったく、理解が追いつかない。リンネの知る理論も常識も一切通用しない真実だった。
「……俺の弟子が、神の力の器を果たした……?」
唯一、話についていける思考のクロトが、愕然と言葉を放った。
ホメロスは、相変わらずすまなそうな表情を保ったまま、クロトに言う。
「ええ……なんの同意も得ず、申し訳ないと思っています。しかし、……必要だったのですよ。今を生きる者こそ、新しい物語で、世界を再生させるにふさわしいと――リンネさんは、まさに適格者でした。彼女は自由で、何ものにもとらわれず、世界を見つめる目にはなんの濁りもない。それゆえ、彼女の起こした奇跡を、あなたがたも目にしてきたでしょう?」
クロトは合点がいった。「ユニサスか……」、と、彼女の空想でしかなかった生物が、神の時代から復活した経緯は、たしかに偶然とは思えなかった。
次に、口をひらいたのはハーピーの女王だった。
「余は……うちは、リンネが話してくれた物語で、本当の願いを知った。本当に翼を得て、ベベーネとともにありたいと……だが、本当に……みんなが現れて……それで……」
彼女は夢物語を口にして、本当に夢で終わってしまうのを恐れているようにしゃべった。
そのとき、アイオーリアの影から出てきたベベーネが背の高いランカに抱きつく。
ランカは苦笑して、ベベーネの額にキスをした。
「全部——わたしがやったことだと思ってなかった。ただ、この世には……奇跡っていうのがたくさんあるんだな、って……シロちゃんが来てくれたのだって、わたしの力じゃない、シロちゃんの気持ちが、この時代にまで生き残ってたから――」
「それはそなたの心の中に生きていたからだ。リンネ」
実感の伴わない口調でつぶやくリンネに、アスラ王は穏やかに笑いかける。
「そなたの思いが、わたしをこの時代まで運んでくれた――それをそなたの力と呼ばずして、なんという」
当のアスラ王がとどめの一言をもらって、リンネは、ぼうっとした表情を見せた。
なんの力も持たないと思っていた自分が、知らないあいだに神の力を借りていて、自分でも気づかないうちに、たくさんの人を救っていた?
「でも」、とリンネは言った。
「わたし、お話考えたり、歌を歌ったり――絵を描いただけだよ? 誰でもできる、みーんなができること、やっただけ」
「〝それ〟ができるからこそ、あなたには力が味方をした――物語の神の力が」
ホメロス自身は言う。
リンネは、「そうなのかなぁ?」と依然と疑問顔だった。
だって、自分は物語を、歌をうたっただけだ。
本物の英雄たちの。
だから、自分は英雄ではないのだ。
「でも………好きでやったことが認められるって、嬉しいね!」
リンネは、ホメロスに笑顔でそう言った。
彼のおぼろげな視界に、花が開くような笑顔が滲んで、彼もまた笑った。
「それで……世界の真実を俺たちに託して、どうしようというんだ? 元凶は、神だろう? それも詠み人知らずの……おそらく、なんの記録にも残っていない」
「簡単ですよ。さっきも言ったでしょう。〝あなたたちが、新しい物語を書くのです〟。
リンネさんだけの力ではない。この世を生きる、みんなの力で」
「うん! それがいいね!」
リンネは飛び跳ねて片手をあげた。
大人の誰もが呆然とする中――リンネだけは、意味がわかっていたのだ。
いや、彼女によって呼び出されたアスラ王自身も。
「きっと、みんな、良い物語が書ける。ここまで懸命に生きているそなたたちなら……きっと、希望に満ちた物語を綴っていくのだろう。これからも」
彼の穏やかな微笑みが、皆を包んだ。
その中で、アイオーリアがリンネに歩み寄った。
リンネは、一瞬びくっとなりながらも、姉と呼んだ人がかがみこみ。自分と視線を合わせるのを見た。
「あなたを、子どもだと侮って、ごめんなさい。リンネ。あなたの子どもらしさに、皆が救われた。あなたは、特別な子」
そう言って微笑むアイオーリアは、イオは、あの頃のように優しかった。
リンネはそれだけで涙が滲みそうになったが、彼女に抱擁を受け、次の言葉を受けたとき――ついに涙腺は緩んだ。
「でも、あなたが私にとって特別なのは、奇跡を起こすからじゃない——私の歌に、とっても素敵な振り付けをして、ダンスをするあなたが——本当に、大好きだから!」
リンネがあの頃慕ったときのままの、〝姉〟の声で語るイオに、ついにリンネは泣きだした。
それにイオも泣き出して、血の繋がらない姉妹は抱き合う。もう何年、何十年も隔てられていたが、それを取り戻すかのように。
「ねえちゃん、だいすき!」
「私は、もーっとリンネのことがだいすき!!」
「じゃあじゃあ、わたしはもっともっともっともーっとだいすきー!!」
涙顔を見せ合い、笑い合う姉妹に、誰もが嬉しそうな笑みを浮かべる。
特にミトは涙に目を浮かべ、鼻を啜っていた。
「リンネのやつ……ずっと、子どもだと思ってたのに……」
「あんたが寂しがったって、あの子は成長していくんだよ。これからも」
そう言って、デーナは大泣きする相方の頭を肩に引き寄せ、なでてやった。
しかし、そのときベベーネがある人の不在に気づいた。
「あれ? 女王陛下は……?」
そのとき、その場にいた全員がエリザベスの不在に気づく。
いついなくなったのか、それすら定かではない。
ずっと大混戦で、みんなそれどころではなかったのだ。
クロトは訝しそうな視線を空に馳せながらも——胸の中に生まれた疑惑を口にすることはしなかった。
「それより——もう帝都はいいのか?」
クロトが問うと、目元の涙を拭って立ち上がったアイオーリアは言った。
「ええ……あのような帝国と、和平を持ちかける気など、一切ありません。
わたくしが馬鹿でした。あそこまで卑劣に堕ちた権力に屈し、与しようなどと……」
「そんじゃ、ザヤに還るとするかね」
アイオーリアの決意に満ちた一言に、デーナがやる気なさげに応える。
「帰ったら――ザヤで皆さんの前でお話したいことがあります。
あの……勇者様の記録係の方々も、ご同行願えないでしょうか?」
そこで初めてスポットを当てられたアリスターは、やや焦ったような反応をしつつも、紳士的な態度を貫いた。
「ええ……わたくしも、ライルーヴ公国に歯向かったことで、結局、帝国を敵に回したことになりましたからね。それに、勇者様の告白された真実を連合じゅうに布告するためには準備も要ります。そのあいだ、身を寄せるところがあれば助かります。王女殿下」
「ええー……まあ、私も成り行き、っていうか~……仕方ないですよねぇ。国家反逆罪なんて、うちの両親びっくりするなー」
助手のエイプリルは能天気に応えるが、ふと隣にいた連合の兵士に目を合わせる。
「あなたはいいんです? 連合の兵士でしょ?」
「いやぁ、なんつか、あんたらを警備する生活が長くて。もう、一蓮托生っつーか、もう、どうでもいいすわ。帝国もここから堕ちるところまで堕ちるでしょうし」
兵士の男は軽く言って、エイプリルはまあ、と口を押さえる。
ということで、全員の答えは決まった。
「帰りましょう――ザヤに!」
アイオーリアたちエルフと、勇者記録係たちは馬車に。
それ以外は全員、アンジュに騎乗した。
「あのー……いいんですか? 私、あなたがたの敵の師匠ですよ?」
「だって、ホメロスさんは力を貸してくれたし! もう仲間だよ!」
遠慮深げにアンジュに乗るホメロスに、リンネは力強く言った。
「はは……そうですか、ありがとう、ありがとう。私はもう、ただの音楽とお話が好きな鳥おじさんですが、皆さんに仲良くしていただけると助かります」
「というか、お前も鳥だろう!? 飛べないのか!?」
アンジュの横を舞うランカが突っ込むが、ホメロスは人を食ったような口調で笑うと、
「いや~……私、楽器を鳴らすことと歌うこと以外はからきしで……」
「まったく……呑気な神もいたものだ!」
馬車は地上を駆けて、その上をアンジュたち、ハーピーの群れが舞う。
どこまでも続く青空と緑の平原を、彼らは駆けて、目指した。
みんなの待つ、ザヤという国を。




