物語の反逆
全速力で飛翔しながら、アンジュはときどき苦しそうに呻いた。
「アンジュ……大丈夫? 無理してる……?」
「だい、じょうぶ、です……ここまで全力で飛ぶのは、あまりないので――」
リンネの心配する声にアンジュは答えるが、その声もまた苦しそうだ。
アスラは少し考えると、自身の片手に光を集め、その光でアンジュの身体を優しく覆った。
「これは……!」
「きみはどうやらドラゴンの形態を維持するために、心臓に莫大な負担がかかっている。わたしの魔力で一時的に負担を留めた。根本的な解決にはならないが……全力で飛んでも、もう苦しくはないはずだ」
アンジュは急に胸苦しさから解放され、嘘のようにため息をつくと、瞳を引き絞り、より翼に力を込めた。
「――六竜最速と呼ばれたブラックドラゴンの名にかけて!! おふたりを大切な方々のところまでお届けいたします!!」
使命に駆られたドラゴンは、より早く、より力強く空を切る。
その最速の飛翔の果てに見えたものは——黒い軍勢が馬車を追いかける様子だった。
話は少し前にさかのぼる。
勇者の告白を受け、動揺したのはクロトたちだけではなかった。
ライルーヴ公率いる傭兵軍団もである。
知らず知らずのうちに、大陸の人間は魔族の血を受け入れさせられて、それが誰かもわからない。
人間であるというアイデンティティをひどくおびやかされ、動揺を隠しきれない者もいた。
ライルーヴ公も動揺をしているひとりだったが——彼は、まだ冷静さを保っていた。
平原の遥か彼方に、きらり、と光る何かを見つける。
たしか……勇者には記録係がいたはずだ。
(あの者……記録係の前でわざと真実を吐露したな!!?)
連合――ひいては帝国の破滅を呼ぶような真実を、あの者たちはおそらく記録している。
それが大陸じゅうに知られては、連合で統一された国々はばらばらになり――おそらく、ライルーヴ公国の傭兵としての仕事もなくなるかもしれない。国と国の戦争に対し、傭兵の入り込む隙は少ない。
彼は声を張り上げ、遠くを指さした。
「あそこにあの勇者の妄言を記録している者がいる――!! 追え!! たとえ世迷言だろうが真実だろうが、もみ消してしまえ!! それで〝世はこともなし〟! この俺も、お前たちも、今まで通り暮らせるのだ!!」
ライルーヴ公の一声は、兵士たちから迷いを消した。
たとえそれが真実であろうと――なかったことにさえすれば、世界は変わらないでいられる。
自分たち自身も……。
勇者の魔力が尽きたか、平原を二分する炎の壁が掻き消える。
その瞬間を見計らって、ライルーヴは号令をかけた。
「記録係を消せ!! 王女よりも優先せよ!!」
一斉に軍馬の駆ける、怒涛の地鳴りがあたりを揺らした。
彼らの真意に気づいたウィルは、大汗をかき、よろめきながらも走り出す。
「ダメだ――! あの人たちだけは死守しないと!! 俺の告白が全部無駄になる!!」
しかし、駆ける軍馬の群れに、体力を消耗しきった青年の走りは到底敵わない。
「クソッ」と舌打ちし、その後を追う者がいた。
「お前のせいですべて滅茶苦茶だ!!」
クロトもぜえぜえ息をつきながら、弱った身体に鞭打って全力疾走をする。
ウィルはその横顔を見て、意外そうに目をひらいた。
「あんなに反対してたのに、あの人たちを守るのに協力してくれるのか!?」
「仕方ないだろうが!! お前のせいでそうせざるを得ない方向に舵取りさせられたんだ!! これで真実がもみ消されたら、それこそ俺とお前がやってきたことも無意味だろうが!!」
怒りながら叫ぶクロトは、ウィルの知るあの頃の彼にそっくりだった。
場違いにも、ウィルは「あっはっはっは!」と笑い出していた。
「何を笑っている!! すべての元凶はお前だぞ!!」
「ごめん、ごめん……! クロトがあんまり変わってなさすぎて、ちょっとツボった!!」
「俺を怒らせるのが得意なところはお前も変わってないようだな!!」
クロトは走りながら杖を伸ばし、ウィルの肩を小突いた。
そのとき、ふたりの背後からアイオーリアの大声と、激しい馬蹄の音が鳴り響く。
「おふたりとも――飛び乗ってください!! ≪聖翼飛翔≫!!」
馬車の窓から顔を出したアイオーリアがそれを唱えると、馬車を曳く馬たちに半透明な妖精の翼のようなものが生えて、ふわりと宙を舞い上がった。
真横を駆け抜けていくそれの車輪に、ウィル、クロトはとっさに手をかけて、しがみつく。
馬車の高度はどんどん高くなり、速度も見る間に早くなる――ライルーヴ公の軍勢の全力疾走も、遠くに見えるほどだ。
馬車の扉をひらいたアイオーリアの手に引かれ、ウィル、クロトは乗車する。
そこには、頭を押さえながら未だに痛みに耐えているセロニアスがいた。
「あっ、さっきはすみません――! 事情があって!」
「……いい。王女にだいたい聞いた。それより、〝真実〟を守ることで、世界は守れるんだな――?」
セロニアスの覚悟を問うまなざしに、ウィルは、力強くうなずいた。
「ああ——俺が、〝俺たち〟が、守るんだ!」
「……勝手にそこに俺も入れられているんだろうな」
「あったりまえだろ! ――あ! 記録係の人たちです! 着地して!」
ウィルは車窓から外をたしかめると、御者側のミトとデーナに指示を出す。
空を舞っていた馬たちは、空気の階段を駆け下りるようにして迅速に地に着いた。
そこでは、大量の記録装置を抱えた中年男と若い女性、連合の兵士が必死に背後の軍勢から逃げているところだった。
「勇者記録室のアリスターさんですよね!? 助手のエイプリルさんも!」
車窓からウィルがそう声をかけると、片眼鏡の男は呆気にとられたような顔で、
「私の名前を……知っていたのかね!?」
ウィルは笑顔でうなずいた。
「そりゃあ――どんな苛烈な戦場にも、ついてきてくださってましたから! 俺のこと、ずっと見守ってくれててありがとうございます!」
男の目に、ついー、と涙の筋が垂れかけた。
だが、男はそれを振り払うと、胸の中にある記録装置一式を目で指した。
「これに――きみの必死の告白がすべて記録されている! 音声も、映像記録もだ! これをやつらに奪われたら、きみたちの本当に為そうとしていたことさえ世界から抹消されてしまう!! ――そんなのは、絶対に間違っている!!」
男は走るのも辛そうだが、はっきりとそう叫んだ。
ウィルは、真剣な面持ちでうなずくと、彼らの腕を掴んで、馬車の中に詰め込んだ。
「わー! 満員状態ですよ!!」
「だいじょうぶ! 戦える人間は全部出ていきます!!」
そう言ってふたたび浮上した馬車から、バン! と扉をひらくと、ウィルは迷いもなく飛び出した。
クロトは、あいつの後につづくのは不愉快だが……、と言わんばかり舌打ちすると、後ろからセロニアスに抱え上げられ、一気に彼とともに馬車から飛び降りた。
馬車を逃がした彼らは、向かってくる軍勢の規模を見た。
どう見ても、国ひとつ滅ぼす規模の軍隊だ。
クロトはウィルを異次元に追放した秘術で魔力はすべて消耗し、ウィルも異次元を脱出するために体力を使い果たしている。
その中でもセロニアスは比較的体力が残っているが——明らかに本調子ではないふたりを抱えて、どこまで戦えるかは未知数だった。
「クソ――やるしか、ない!」
クロトは杖を構え、なけなしの魔力を練り上げようと意識を集中させた。
そのとき――
「待てー! まてまてまてーい!! まてーー!!」
集中が一気に乱される声が頭上から響いた。
クロトの、弟子の声だ。
焦りよりもまず、この調子には、どこか覚えがあるな――と、彼はわれ知らず懐古にふけっていた。
「つかまえたよ!! 軍隊!!」
「なんて量……! これを王女を捕らえるためにだなんて……!!」
ブラックドラゴンが軍勢の上を通り過ぎたことで、彼らにわずかながら動揺が走った。
しかし、いち早く武器を弓に切り替えた者もいて、ドラゴン相手でも退く気はないようだ。
「シロちゃん、雨降らして!!」
冷静に戦場を観察していたアスラ王は、横からかかった友の声に、わずかに目を見張った。
その瞳は、信頼と希望の灯りが差している。
「火をつけたら、平野じゃ止まらない——じゃあ、雨、降らせちゃえ!!」
「………ふふ、そうだな。——そうしよう」
アスラ王は少年のように笑ってしまいそうになるのを堪えながら、片手を天に向けた。
すると、ただちに黒雲が軍勢の上を立ち込めた。ライル―ヴ公の率いる軍隊の上だけ、である。
一気に立ち込めた濃い黒雲は、急速に雨を叩き出し、稲光を吐き出した。
厚い鎧を叩く豪雨と、地に落ちる雷撃に、馬は明らかに怯え、兵たちも混乱の渦に陥った。
「天候を支配するなど………もはや魔術の域を超えている……! これは……!!」
ライル―ヴ公は戦慄の表情で、頭上のドラゴン――それに乗った男を見やる。
雨は止むどころか、勢いをまして軍馬の行進を妨害する。
そこに、アスラ王の声が静かに降り注いだ。
「オオカミを騙る者たちよ——その雨が降るうちに、国に帰るがいい。彼らに手出しせず、おとなしく国に帰還すれば、雨は止む。止まぬ雨はないが、お前たちによって操れるものでもない——」
その言葉に、大公はぎり、と奥歯を噛んだ。
強い雨に土は濡れ、軍馬も走りにくそうにし始める。
中には馬がパニックを起こし、下馬する者もいた。
こんな豪雨では敵を追うどころか――戦いにすらならない。
歴戦の傭兵王は憎しみの渋面を浮かべながら空を睨み、——軍勢に向かって叫んだ。
「このまま帰投する!! 投げ出された者にはかまうな! 帰る! 帰るのだ!!」
そう言った瞬間、辛うじて垂れ下がっていたオオカミの国旗に、雷が落ちた。
「仲間を見捨てるな――誰ひとり、捨て置くことは許さぬ。泥を這ってでも、仲間を救え。でなくば、さらなる雨がお前たちを呑み込むだろう」
アスラは、それまで見せなかった厳しい面持ちで彼らに命令した。
ライルーヴ公はもはや恐怖にひきつった顔で、屈辱をこらえながら、下馬した仲間を自分の馬の後ろに乗せていく。
長の行為に続いて、兵士たちもそうしたため、泥の海に置いていかれる者はいなかった。
そして彼らは、ぬかるむ大地に馬を走らせるのも苦心し、豪雨に視界を邪魔をされ、濡れそぼった厚い鎧の重みに呻き声をあげながら、自らの国を目指して後退していった。
「やったぁ!! シロちゃん、大活躍!!」
リンネはアンジュの背の上で跳ねて、落ちそうになった。
すんでのところでアスラ王が手を差し出し、掴まって立ち直る。
「リンネ――そなたがわたしに新しい力を授けてくれたのだ。ありがとう」
「ううん……わたしは、シロちゃんが本当にやりたかったこと、、勝手に想像しただけだよ」
リンネは、晴れ晴れとした笑みを浮かべる友に向かって笑った。
生まれ変わった彼は——本当に、いきいきとしている。
(でも……シロちゃんは、生き返ったわけじゃない。物語の、世界の人なんだ……)
その事実を思うと、一抹の寂しさが胸をよぎったが、目の前の笑みは、本物だ。
リンネは親友と互いを称えながら、アンジュによって大地に降りた。
そこには勇者、師匠、エルフの先輩たちと――アイオーリアたち、家族がいた。
「これは、いったいどういうことなんだ……」
師匠の言葉に、リンネは素直に答えた。
秘められた国を発見し、そこでアスラ王の悔悟を知り、不思議な鏡の世界でさらに彼の過去、未来を見通したこと。
それを歌に仕立て、みんなで歌ったところ、真王アスラは舞い降りた。
「歌で……魔王がよみがえった?」
クロトは、魔術の理を遥かに超えた事象に混乱していた。
弟子は、いったい何を起こした?
この世界には、どんな力が隠されていたのか?
「疑問にはすべて、私がお答えしましょう」
そのとき、ホーマーの声が響いた。
そこにた全員が、平原を振り返る。
楽器を背負った、アオサギの詩人はそこにいた。
「ホーマーさん――本当の名前、教えて?」
そこに一歩、前に踏み出たリンネは、まっすぐな目で彼を見た。
ホーマーは一度ため息をつくと、胸の前に腕を置き、一礼する。
「自己紹介が遅れました――わが真名は、〝ホメロス〟。詩を司る神、吟遊詩神。女神のユニティアの恩情によって地上に残ることを選んだ神ですが、悲しいことに、私にもう神の権能はほとんど残っていません。——かつての〝弟子〟に、奪われたので」
そう言うと、ホーマー――ホメロスと名乗る神は、皆の前で告げた。
神の世界で——それより以前から起きていたことの、真実を。




