むかしむかし、あるところに、
「シロちゃんは……ここで何してたの?」
リンネが勇気を出して問いかけると、質問に答える前に、シロルは首をかしげた。
「シロちゃん? ぼくのこと?」
「うん。そう呼んだら可愛いかなって……」
おずおずとリンネが答えると、シロルはまた意外そうに笑った。
「あはは! じゃあ、ぼくもきみのことリンちゃんて呼ぶことにする」
「うん……いいね、なんか」
リンネは、もう何度か会話しただけで、シロルのことがすっかり好きになってしまった。
(あ、〝お友達〟って意味だからね……あくまで……)
自分の胸で二重に光る指輪にそっと手を添えて、言い訳ではないが、ちゃんと自覚しておく。
「ぼくはね、国に帰るところだったんだ。仲間たちと一緒に」
「仲間……?」
「ああ、そう言っているあいだにこっちに来たよ」
森の木陰から飛び出してきたのは、白い首の竜のような――しかし色彩豊かな鳥のような翼を湛えた、不思議な鳥だった。ナイトバードより少し大きいぐらいで、竜と呼ぶにも小柄すぎたが、美しい見た目をしていた。
その竜は、長い首をシロルの肩にもたれさせ、甘えるように頭を押しつける。
シロルは微笑みながらその長い首筋をなでていた。
仲睦まじいその姿に、リンネはどこかで(あれ?)と思った。
彼らのあいだに交わされる空気は、何かとても親密で、ペットとその主という関係には収まらない何かがあった。
まるで、大人の恋人同士が睦み合うのを見たような……。
シロルの優しい瞳に、その竜の安心しきった佇まいに、リンネは胸がどきどきするのを感じた。
後からまた獣が追いかけてきた。
全身白い毛で覆われ、赤い瞳をした小猿が楽しそうに鳴きながらシロルの背中に飛びつく。
シロルがくすぐったそうに背中の小猿をなでていると、すうっと竜は離れていった。
そして、最後に現れたのは黒いオオカミだった。右の後ろ足を少し引きずるようにして歩いているが、とても堂々とした出で立ちだ。
オオカミの姿を見て、リンネの胸はまた少し痛んだ。
「みんな、ぼくの仲間。鳥みたいな竜はプリュ。小猿はリッド。オオカミの名前は、フラム」
シロルはリッドを片腕に乗せて、少し得意そうに彼らの名前を紹介した。
三匹の揃う様子を見て、リンネははっとなった。
鳥に猿に、犬に……。これではまるで、
「桃太郎さんだ!!」
リンネが思わず声をあげると、シロルたちは揃って不思議そうに首を傾げた。
「あっ、あのね、お話でね、桃太郎さん、ってお話が、……わたしのいたところにはあったの! 本当は、異世界から来た人が残したお話だったんだけど……」
「異世界のお話……?」
リンネの説明に、シロルは目を大きく見開いて、興味津々の表情を見せた。
リンネは少し照れながら、桃太郎の話を彼にした。
鬼を退治しにいった桃太郎のお供は、犬に、猿に、キジ、という名の鳥。
一行は鬼を退治して、おじいさんおばあさんと幸せに暮らしたという……。
「すごい……面白いや。桃から人が生まれるなんて、異世界は不思議なところだね」
「うん、そう! 桃太郎さんは、すっごいの!」
深く感心したようにうなずくシロルに、リンネは誇らしげに言う。
すると、シロルは少し目を伏せてから言った。
「それに……ぼくたちにすごく似てる。ぼくたちもね……魔神を倒して、〝勇者〟として国に還るところなんだ」
それを聞いて、えっ、とリンネは驚愕した。
そんなの——本物の桃太郎さんではないか!
「すっごい! シロちゃんて本物の勇者様!? ていうか桃太郎さん!? ていうか、魔神って……!?」
「ほら……昔、悪い神様たちがユニティア様たちに退治されたでしょ。その中でも、たまに復活する悪い神様がいるんだ。今回のは特に強力で……国をいくつか滅ぼしてしまったんだ。ぼくたちは旅をしてて、そんな国をたくさん見てきたから……放っておけなくて、魔神を倒したんだ」
リンネは、深い感動に包まれた。
桃太郎さんとは、おとぎ話だと思ってたが、まさかその通りの生き方をした人がいるとは。
「も、もしかして、シロちゃんて、桃から生まれ……」
「あっはは! 違うよ。ぼくのお母さんは占い師。お城で王様の占い師をやってたんだ……そこにぼくが生まれちゃって……」
そこからシロルは言いにくそうに自分の経緯を話し始めた。
「ぼくには、生まれつき魔法が使えて……ほら、魔法って、神様がもたらしたものでしょう? 悪い神様の生まれ変わりだって、ぼくは生まれたときに捨てられて……でも、プリュが拾って育ててくれたんだ」
「クー」
シロルが嬉しそうにプリュを振り返ると、彼女(おそらくそんな気がしたのだ)は優しくもどこか誇らしそうに鳴いた。
シロルは彼女の首をそっとなでる。
(そっか……シロちゃんにとって、プリュさんはおかあさんで……おねえちゃんで、……全部の、大切なひとなんだ……)
彼らのあいだに漂う空気の親しさの意味が、ようやくわかる。
でも、とリンネは言った。
「生まれたときに捨てておいて、勇者になったから戻ってこいなんて、勝手じゃない?」
リンネは、自分が森を追放された身の上と重ねて、シロルに同情した。
もし、彼のようになにか偉業を認められても、自分なら絶対森には帰りたいと思わない。
「うーん……」とシロルは複雑そうにうなずく。
「ぼくも、嬉しいわけじゃないんだけどね……どうやらぼく以外の王子が、みんな魔神に殺されちゃったらしくて……次の王様のなりてがいないんだ。だから、仕方ないんだよ。みんな困ってるから」
「そんな! シロちゃん……本当にそれでいいの?」
なんて身勝手な家族だ。シロルの気持ちなんて、全然考えていないではないか。
憤慨するリンネに、シロルはうっすらと目を細めて穏やかな表情を見せた。
「うん……ぼくが王様になれば、何か変えられるかもしれない。たとえば、ぼくみたいな生き方をする子をなくすことだって」
あれ――、とリンネは思った。
こんな考え方の人を、どこかで知っている。
でも、すぐに名前が出てこない。
その名前だけ記憶の中で白塗りにされてしまったように、リンネの頭の中で何かが起きていた。
まるでその名前を唱えたら、この世界が終わってしまうかのような……。
「そうだ、リンちゃん。行くところがないなら、ぼくたちの国に来ない? 正直、ぼくたちだけじゃ不安で……」
そう言って寂しそうに笑う、追放された王子の言葉に、リンネが了承しないはずがなかった。
答えを聞くと、プリュは背をかがめて、シロルがその背中に乗った。
「行こう! リンちゃん」
そう言って片手を差し伸べるシロルは、本当の王子様のように見えた。
リンネは彼の手を掴むと、ともにプリュの背中に騎乗した。
プリュは虹色の羽根の先で、こちょこちょとリンネの顔をくすぐった。
「ひゃっひゃっひゃ! くすぐったいよ!」
「ごめん、プリュはいたずらが好きなんだ」
そう言うシロルも楽しそうに笑っている。
小猿のリッドもプリュの背中に飛び乗って、シロルの肩にしがみつく。
後ろからフラムは三本の足で苦もなくついてきた。
こうして、勇者シロルたちとの旅が始まった。
月に照らされた森から、砂漠へ入り、しばらく乾いた旅が続いたかと思うと、すぐに麗しい緑の土地が彼らを迎えた。
その中心には白亜の宮殿が佇む、見るも美しい都市が待っていた。
鮮やかで色とりどりの布が白い市街に飾られ、家や店の窓辺には花々が咲き誇り、楽しげな音楽を奏でる人々があちこちにいる。
その賑やかな街の通りをプリュに乗って歩きながら、リンネは見たこともないほど豊かな国の姿に圧倒された。
「すごい……きれいな国だね」
「うん………」
感動に胸をはずませて言うリンネに、シロルの声は暗かった。
「……この国は、全部奴隷が作ってるから」
その言葉に、興奮していた心臓に氷の針を通されたような感覚がする。
きっと、彼の母親も——。
ごめん、と言いかけたのを、シロルは笑顔で制する。
それは、この国に帰りたくなかった理由がひとつに詰まった笑顔だった。
シロルは、プリュに乗ったまま城に通された。
そこではひときわ派手な歓待があり、鮮やかな衣裳を身に纏った家来とおぼしき人たちが、プリュから降りたシロルに豪華なケープをかけ、花冠を載せて、芳しい花の香りの香水を吹きつけた。
まるで、シロルが今まで旅してきた痕跡を消し去ってしまうような行為に見えた。
特に偉そうな家来に、プリュたちのことを聞かれると「友達」と答えた。それから、プリュ、リッド、フラム、リンネはまるでそこにいないかのように扱われた。
シロルの周りにはきれいな衣裳で着飾った家来が取り囲んでいる。
プリュは落胆したように首を下げているので、リンネは首をなでて彼女をなぐさめる。
そして、夜になると王様とお妃様を迎えてパーティーがひらかれた。
豪華な敷き布に直接座って、お酒やご馳走が次々と運ばれてくる。
リンネたちにも、申し訳程度の料理が運ばれてきた。
リンネは食べられそうな豆を炒ったやつを食べたが——味がしなかった。
きっと、豪華なパーティーなんて初めてで、気圧されているせいだろうと思った。
王様は恰幅の良い大きな人で、お妃様はびっくりするほど細くて美人だった。
どちらも、シロルには似ていない。血の繋がっているはずの王様のほうでさえ。
彼らと、シロルは肌の色が明らかに違った。
シロルのように濃い色の肌をした者は、給仕に回ったり、音楽や踊りに回っている。
みんな、足元を鎖で繋がれていた。
なのに、誰もが楽しそうに笑っている。
この国に王子が、勇者が戻ってきてくれたことを心から喜んでいるようだった。
「勇者よ。お前を次の王にするにあたって、紹介する娘がいる」
王様は手を叩いて音楽を止めさせると、ごほん、と偉そうに咳払いして、べつの家来に目線で指示した。
連れてこられたのは、これまた非常に美しい、透けるような薄絹の布を被せられた少女だった。
ちょうど、シロルと同じような色の肌をしている。
「次の王にふさわしい妃だ!」
王がそう言うと、万雷の拍手で城が包まれる。
城が揺れるんじゃないかというぐらいの盛大な祝福がシロルと花嫁を包んだ。
花嫁と向き合わされたシロルは、その楚々とした足取りを見て、——ああ、とうなずいた。
「きみも、奴隷なんだね」
娘の足にもまた、鎖が嵌められていた。
娘の月の面のような頬に、涙がひとすじ降る。
シロルは立ち上がった。拍手を止めるよう制すると、皆に聞こえるように、凛と声を張る。
「ぼくの国に、奴隷はいりません。だから、この娘とは結婚できません」
その言葉に、誰もが絶句した。
シロルはそのまますらすらと言葉を続ける。
「いくら美しくても、いくらみんな楽しそうでも、奴隷というのは、それだけで不幸です。ぼくの国に、そんな人たちはいてほしくありません」
「なんと無礼な――!!」
最初に立ち上がったのは、あのほっそりとしたお妃様だった。
「奴隷がいなかったら、わたくしたちはどうやって生活するのです!! それに、奴隷でなくなった彼らなんて、なんの価値もありません——この国の奴隷ということは、それはとても恵まれた、すばらしいことなのですよ!!」
「じゃあ聞きますが、ここで働く奴隷の誰かが、世界の裏側を見に行きたいと行ったら、お妃様はなんとお答えになりますか?」
まるで怒った狐のように猛々しい顔が、すっと気を抜かれたようにおとなしくなった。
それぐらい、シロルの言ったことが理解できなかったのだ。
「『王様の食事やお風呂のお仕度があるから』という理由で、行きたいときに世界の裏側へ行けないのなら、その人は本当の意味で、ただの奴隷です。自由じゃないし、まったく幸せじゃありません。でもこの国では、そんな人たちで溢れている」
その言葉に、口元を押さえ、震える奴隷がいた。
その場に泣き崩れ、声をあげる者もいた。
花嫁として連れてこられた少女も、肌をぎりぎりまで露出させられた衣装を、むしりとるように破り去った。
「ぼくは、幸せな国を作りたいんです」
声にならない、お妃様の悲鳴が広間の天井を貫いた。
王様の怒号が続いて、武器を持った兵士たちがなだれ込んでくる。
「やはり――奴隷の子はしょせん、奴隷であった!! 王子になどふさわしくないわ!!」
鬼のように真っ赤な顔で怒った王様は、酒の杯を投げ捨てると、剣や槍を持った兵士で息子を囲ませる。
その瞬間――フラムが走った。武器を抱えた兵士の足に噛みつき、振り回すとべつの兵士にぶつけて、何人も倒していく。
リッドはギャアギャアと鳴き喚いて、自分の影を一気に膨らませたかと思うと、巨大な
猿に変貌して、華やかな会場を暴れて壊しまくった。
「クー!!」
プリュは一言鳴いて、混乱した隙にシロルを咥えて背中に乗せた。
「リンちゃん!!」
プリュを走らせたシロルは、広間の隅でおろおろとしているだけだったリンネの手を取り、素早く後ろに乗せる。
リッドとフラムにも呼びかけて、一気呵成に城から逃げ出そうと指示をする。
そのとき、王が剣を抜いた。
剣を向けたのは——薄絹を破り捨てた少女だった。
「お前が奴隷の不要な世界を作りたいというのなら、ここで奴隷ひとり死んでも構わぬのであろう!?」
シロルは目を見開いた——。
リンネも思った。ここでシロルが逃げようものなら、あの王は少女だけじゃない、この国の奴隷を見せしめに殺すだろう。
あまりの怒りで背中がうすら寒くなる。
シロルはプリュを止めると、黙って彼女から降りた。
そして、偽りの父母の前に、黙ってその身を差し出した。
「この――奴隷! 奴隷の子!! 奴隷の分際で!!!」
お妃様は、偉そうな家来が持ってきた長い鞭でシロルを打ちのめし始めた。
鋭い鞭捌きに、シロルの豪華なケープは裂け、肌から血が流れ出す。
リンネは「シロちゃん!!」と叫び、プリュを降りると彼の前に飛び出した。
怒り狂った妃の鞭が、リンネの顔を打つ――ことはなかった。
するり、とリンネの身体の中を通り抜けて、シロルの肩を打つ。
あれ?
あれ?
あれ………?
その後も、妃はリンネなど目に入らないかのように鞭を振るいつづけた。
血まみれのシロルは蹲って、背中に立て続けに切れ目を入れられる。
困惑するリンネのそばで、フラムが「ガウッ!!」と吠えてシロルの前に飛び出した。
「わが妻の前に、汚い犬畜生を晒すな!!」
その一声で、フラムの全身が槍で貫かれた。
ぼたぼたと血を垂らしながら、フラムの身体は天井近くまで掲げられ、そのまま振り落とされる。
「フ、ラム……!」
血まみれの仲間に這って近づいたシロルは、必死にその名を呼ぶ。
「………がぅ」
フラムはまるで、力になれずすまなかった、とでも言うように鳴いて、目を閉じた。
シロルがわが身を投げ出したとき、暴れるのをやめていたリッドも、仲間の死にふたたび怒り狂った。
手近な兵士を掴んで投げ捨て、仲間を槍で射殺した者を皆殺しにしようとする。
しかし、その巨体は四方から飛んできた鎖によって雁字搦めにされた。
――自分の足元をつなぐ鎖を、奴隷たちは、身体の一部のように使いこなしている。
シロルの演説で、涙を流していた者まで、だ。
巨体を縛られたリッドも、槍や剣の的になった。
全身を貫かれたリッドは「キャアッ!!!」と小猿のように鳴くと、見る間に小さくなって、あの小さな身体で血の海に横たわる。
シロルは、限界まで目を見開いて、立て続けに殺された仲間たちの姿を見た。
そして、彼にとってもっとも聞きたくなかった、もうひとつの悲鳴を聞く。
「――プリュ!!!!!」
家来たちが連れてきた城の犬たちが、一斉にプリュに飛び掛かっていた。
虹色の羽根がむしられて、広間に血の雨のように飛び散った。首に鋭い牙がいくつも食い込んで、プリュは大きな身体を床に伏せさせられる。
そこに飢えた犬たちが十数頭、食らいついた。
シロルの頬をなでた柔らかな羽根も、小さな爪先も、大きな白い背中も、どんどんなくなっていく。
シロルを今まで愛してくれたものが、全部、なくなっていく。
そのとき、場違いなほど野太い男の悲鳴が響いた。
薄絹を破かれ、ほとんど裸に近い姿にまでされた少女は、最後の布に隠していた短剣で、王の腹を貫いていた。
「王よ——! もういい!! もういいのです!! 燃やして!! すべて燃やし尽くして!!!!!」
少女はそう絶叫すると、王の剣によって背中を串刺しにされ、息絶えた。
ふたたび王の怒号が支配する広間に、血まみれのシロルはゆっくりと立ち上がると――彼の全身が燃え上がった。
顔も見えないぐらいの業火に包まれたシロルから、一気に火の手が広がる。
その火は大きく、巨大で、広間を呑み込むと、火から起きた暴風で城のすべてを崩落させた。
市街にまでその火は及ぶ――なのに、リンネは炎の海の中、立ち尽くしていた。
全身を火の玉に変えたシロルは、燃える片手を、黙ってリンネに差し出した。
リンネは泣くことも、何を言うことも堪えて——自分も黙ってその手を取った。
何も感じないこの身体に、その手は、不思議なほど、温かった。
シロルはリンネを連れながら街を燃やし、森を燃やし、歩きつづけた。
そして、橋のかかった川のところまで来ると、リンネの身体を、両の手で押した。
川の中に落ちたリンネは、水しぶきがかかって火が消えたシロルの、最後の表情を見る――。
彼は、泣いていた。火に包まれながら、ずっと泣いていたのだろう。
「さよなら――リンちゃん。こんな世界のこと、——ぼくのことも、早く忘れていいからね」
シロちゃん。
そう叫ぼうとして、リンネは水の泡を吐いた。
水が逆巻き、リンネの身体がぐるぐると舞っていく。
そして見えない手に引っ張られるように、川の底へ底へ沈んでいく中でも、リンネは水面に浮かぶシロルの顔を見た。
――忘れないよ。
たとえ、きみが嫌がっても。
その、泣き顔を、一生、わすれない。




